2014.04.25

3.11後の「表現すること」の戸惑い

荒井裕樹×佐藤慧×安田菜津紀

情報 #東日本大震災#3.11#synodos#シノドス#生きていく絵#ファインダー越しの3.11

2011年3月11日に発生した東日本大震災。『ファインダー越しの3.11』(原書房)を出版し、その後も、シャッターを切りながら、写真を撮ることの意味を考えているフォトジャーナリストの佐藤慧さんと安田菜津紀さん。そして、精神科病院、平川病院でひらかれている〈造形教室〉で、アートを通じた自己表現で自らを<癒す>人びとについて取材し、「自己表現」の可能性を考えてきた文学研究者の荒井裕樹さん。3.11後に、「表現すること」にはどのような意味があるのか。その可能性と、戸惑いを語り合った。α-Synodos vol.144より転載。(構成/金子昂)

「私とあなた」が出会う窓

荒井 今日はお忙しいなか、お時間を作っていただいてありがとうございます。ずっとおふたりに話をお聞きしたいと思っていました。

はじめに簡単に自己紹介をさせていただくと、ぼくは学生時代から障害や病気を持っている人たちの自己表現活動について考えていて、文学やアートを通じた自己表現がどのように人間の「いのち」を支えたり、あるいは時代や社会に働きかけたりするのだろうか、といった問題を考えています。

「こんな時代」とはあえて言いたくはないけれど、でもぼくたちが生きている「いま」は決してハッピーな時代ではないことは確かですよね。そんななかで「文学」や「アート」といったものが、どのような役割を担えるのか。「表現」あるいは「表現者」に何ができるのか……ぼく自身がとても悩んでいます。とくに3.11の後から、この悩みは日に日に大きくなっています。

もしかしたら「文学」や「アート」に「役割」を求めること自体が間違いだという意見もあるかもしれませんが、だとしても、何らかの「存在意義」のようなものは言葉にしてみたい。

ということで、「いま」という時代を現在進行形で疾走している若手の「表現者」たちが、何を考え、何に迷い、どんなことに挑戦しようとしているのかについて、一人ひとり話を聞いてみようと思ったのです。そして『ファインダー越しの3.11』を拝読して以来、とにかく最初にお話をお聞きすべきは、佐藤さん、安田さんのおふたりだろうと考えてきました。

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すみません、時間も限られているのですぐに本題に入ります。ぼくは、どちらかというと家にいて報道をみている立場の人間です。いつも思うのですが、ぼくがテレビや新聞を通じて接している映像や情報は、ある意味「翻訳」されたものですよね。

例えば難民の子どもが泣いている映像は、「内戦」「紛争」「貧困問題」として翻訳されて届くわけです。ぼくらはその子の涙を通じて、それらの世界情勢を理解しようとする。

佐藤 シンボルみたいなものですよね。

荒井 そう、シンボルみたいなもの。でも、あたり前のことですが、その子にはその子自身の苦しみがあり、悲しみがあって、その子自身の表現として涙を流しているわけです。家で報道番組を見ているぼくは、そこには決して触れることができません。

はじめておふたりの写真を拝見したとき、まずは「その人自身の痛み」を捉えようと努力されているように感じました。そこから考えを積み重ねていこうとするような、ある種の途方もなさを感じたのが、おふたりのことが気になったきっかけです。

そこで、まずお聞きしたいのですが、おふたりは「フォトジャーナリスト」と名乗っていらっしゃいます。「ジャーナリスト」として事実を伝えるだけなら、写真は写っていればいいのかもしれません。でもおふたりの写真は、簡単に言ってしまうとすごく「かっこいい」と思います。「事実を伝えること」と「写真自体が魅力的であること」のバランスをどのようにお考えになっているのか、お聞かせいただけますか?

安田 その質問はよく聞かれます。フォトグラファーっていかに対象を美しく見せるか、綺麗なものを撮ることが目的になってくると思います。でもわたしたちはやっぱり、その場に行って、誰かと出会って、それをどうしても伝えたくなったので、その手段として写真を選び取ったという順序なんですね。

佐藤 ぼくは大学時代は音楽を専攻していて、アート寄りの活動が好きだったんですね。そういうなかでたまたまアメリカのNGOと関わる機会があり、ザンビア共和国という途上国と呼ばれるような国で貧困層の人といろいろな活動をしたときに、どうすれば目の前の人間と出会った感覚そのものを伝えることができるのだろうと考えたら、いままで携わってきた音楽や文章ではいまいち伝わらないような気がしてしまって。そこで、ぼくが伝えたいと思ったことが一番ビビットにできるのは写真だったんですね。

日本で「ジャーナリズム」というと客観性を保つことや事実をとことん突き詰めていくものと言われていますけど、ぼくは感情が湧き上がるキーとなるものであればいいと思っているんですよね。どんなドキュメンタリーであっても完全なる客観は存在しないと思っているので、それが存在しない以上、ぼくが伝えることができるのは、ぼくのフィルターを通した現実という「価値観A」なんですよね。その「価値観A」に触れた人が、たまたま何かを感じることができたら、そこから「価値観B」「価値観C」が生まれて、その人なりの価値観を構築する手段にさえなってくれたら、ぼくの伝えたいことに合致するんじゃないかなって思いがあります。

安田 もちろん事実を分析したりする努力は必要です。いろいろな表現の仕方があって、新聞のような事実を伝える、説明的なものもあります。でも事実をポンって提示することと人の心に届く写真であることはまったく別なのではないかなって。

この仕事を始めたばかりのときに、「まずは状況ではなくて人をみなさい」ってよく言われました。それは私たちが出会った誰々の、その人の目を通して社会の様子を見ていくということなんだと思うんですね。だから社会の背景を伝えることと、人にフォーカスして力ある写真を撮ることは一致してくる部分がきっとあるのかなあって。

佐藤 ぼくらが被写体にしている人たちは、顔と名前が一致する人たちであって、まったく知らない人の写真を撮ることはないですね。

ぼくはときどき新聞に文章を書かせてもらうことがありますが、めちゃくちゃ赤をいれられるんですよね(笑)。とにかく言葉を削られて削られて。それはぼくが形容詞を追い込んでいくタイプだからなんですね。でもそれをやらないと、例えば「平和」って言葉があっても、それが何を意味しているのか、まったく人によって違うじゃないですか。なんとなく宙ぶらりんなままみんなが「平和」と思っているような概念を論じている気になっても、全然違うことを話しているかもしれない。ぼくが「平和」だと思っているものは、こういう感情とか感触とかがあるんだって提示することができるのは形容詞だと思っているんですよね。写真を撮るときに形容詞にあたるものは、顔と名前が一致しているというリアリティなんだと思うんです。

安田 報道では何もかもが数値化されちゃうんですね。顔の映っている写真でさえ、数字のシンボルとして扱われちゃう。でもこれが人の心の、すごく奥の奥まで届くかといったらそうではなくて。

写真の役割って、「私とあなた」という関係を結べる窓みたいな役割になって欲しいなって思っていて。「難民キャンプの少女」ではなくて、私たちが出会った此処で暮らしているなになにちゃん。こういうバックグランドを抱えていて、こういう思いを抱えていて、こんな風に笑っている時間もあって、涙を流すこともあって、そういう「私とあなた」という関係を、リアルタイムでは会えないかもしれないけれど、写真を通して出会う窓になって欲しいなって。

人と出会った場所って、それからも思いをはせるし、そこに足を運びたいと思ってくれるかもしれない。そういう「私とあなた」って関係が大事だなって思います。

「浸透」し、「種を残す」見せ方

荒井 昨年『生きていく絵――アートが人を〈癒す〉とき』(亜紀書房)という本を出しました。平川病院〈造形教室〉に6年ほど通って書いたんですけど、執筆中はとにかく学術用語を使わないことを自分に課したんです。

佐藤 ものすごく身近に感じました、それだけで。

荒井 ありがとうございます。よかった、意図が伝わって(笑)。おふたりは写真を撮るとき、自分に何か課題のようなものを課すことってありますか?

佐藤 最初の壁が、自分がいいと思っている写真と周りがいいという作品にギャップがあったんですね。

荒井 自分が「いい」と思っていることが伝わらない、ということ?

佐藤 そういうときに、伝えたいものではなくて、みんなが求めている写真やステレオタイプのものに寄ってしまう傾向が少しあったんですけど、それをしないようにするのが、課していることなのかもしれませんね。感じたものをきちんとそのままストレートに。

荒井 そうですね。変な話、シノドスに文章を書いていても、「リツイート数」と「いいね!」の数を気にしたら書けなくなる文章ってありますよね。編集部には申し訳ないんだけど(笑)

一同 あはは(笑)。

荒井 ぼくが『生きていく絵』を書いているときは、「この本が売れたら〈造形教室〉に絵の具くらい寄贈できるかなあ……寄贈したいなあ……」ってことばかり考えていたんですよね。とにかく、話を聞かせてくれた方々に「ありがとう」って気持ちを伝えたかったんです。

メッセージって、具体的な誰かに宛てた、具体的なメッセージのほうが、結果的に多くの人の心に響くように思います。「悩んでいる人たちすべてに送る……」みたいな書き方をすると、結局みんなの心を上滑りしていくだけで誰にもひっかからなくなってしまうように思うんですね。

安田 私たちが写真展にこだわるのはそこなんですね。たくさんの人にみてもらいたいのであれば、新聞のような媒体に載せたほうが可能性は広がるんです。でも私たちが手ごたえを感じるのって、写真展に来てくれた一人ひとりと写真を仲介にして出会ったときなんです。「私とあなた」の関係なんですね。

圧倒的に人数は少ないけど、そこから生まれる関係性とかアクションの方が、それからのことを考えるとよっぽど力が強くて、継続性があるんですよね。

佐藤 ひとりでもみてもらえたらいいもんね。

安田 私たちの根底には、救いたかったはずの命を救いたいとか、写真で伝えたいことはいろいろあると思うんですけど、「いますぐ支援しろ」とか「はやくカンボジアに行け」とかそんなことを強制したいのではなくて。なんていうんだろう、心のなかに、種みたいに残って欲しいなって思っているんです。

私の写真をみた高校生が、大学生になったときに、カンボジアへのスタディーツアーの募集をみて、「カンボジア? よく知らない」じゃなくて、「そういえばカンボジアの写真をみたことがあったな」って思ってもらえたら、最初の一歩が違ってくると思うんですね。心の種が、いつか花開いて欲しいなって願いかけのような。

荒井 「種を残す」ためには、やっぱり足を運んでもらう写真展って重要ですよね。ぼくも心の病を持つ人たちのアート作品を展示する仕事を手伝ってきましたけど、時々「アート展ってやる意味あるの?」って聞かれるんですね。

安田 あー……。

荒井 この分野にもいろいろな立場の人がいて、アートを治療や診察の一助として捉える人たちのなかには、「患者の書いたアートはカルテに準じるものなので、不特定多数の人目に触れる場所に出すべきではない」といって、展示に否定的な人もいます。

でも『生きていく絵』で取材させてもらった平川病院〈造形教室〉では、自分たちで公共施設を借りて、手弁当で積極的に絵画展を開いています。自分たちの手で設営もやって、とても面白いですよ。乾いたばかりの絵の具の匂いを嗅いでもらって、作者の気配を感じてもらって絵を観てもらうと、やっぱり「浸透力」のようなものが違います。ぼくもその「浸透力」にやられましたから。

安田 そうですよね。だから写真展なんだと思います。

伝えることの戸惑いと、「悲しみ」について

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佐藤 荒井さんの『生きていく絵』は、本当に美しい文章で。優しさが詰まっているのがわかるんですよね。さらさらする文章というか。

荒井 ありがとうございます。文章って「事実」を伝えるだけだったら、箇条書きでいいんですよね。でも箇条書きでは伝わらないものがあるから、こだわってみたくなるし、それが書き手の個性になってくる。「情報伝達」という観点からだと余計で過剰なところにこそ、結果的に伝えたいものが凝縮しているんだと思います。

この本を書くとき、「本当と嘘のあいだ」を書くことを意識していました。協力くださった方々についてかなりギリギリのところまで書かせてもらいましたけど、でもこの本はプライバシーを暴露することが目的ではないので、「本当のこと」が書けないこともあります。だからちょっとぼかして書いたり、書かない方がいいと判断した場合は書かないようにしました。でも、そのかわりに嘘を書くこともできませんでした。嘘を書くことは、その人の人生を冒涜することです。だから「本当と嘘のあいだ」を縫うような言葉を手探りしながら、言葉を選んでいきました。「本当でも嘘でもないけど“確かなもの”」って感じですかね。

そうすることが、一番ひとを傷つけずにすむんだろうなって思っていました。でも、それをやろうとすると、話を聞かせてくださった人のことをぼくの文章で切り取って「荒井ストーリー」におさめるという傲慢なことをしないと本としてまとまらないという矛盾がでてきちゃうんです。ひとを傷つけたくないという臆病な部分と、自分のストーリーに切り取ってしまうという傲慢な部分との矛盾に苦しみながらもがいていたら、こういう文体になったんですね。

他人の経験を語ることって、とても傲慢で不遜なことです。でも、「悲しみ」って誰かが語らないと「なかったこと」になっちゃうんですね。自分にそれを語る資格があるのかどうかわからないし、うまく語ることはできないかもしれないけれど、でも「その人」と出会ってしまった以上、やっぱり「なかったこと」にはできない、したくない「悲しみ」をどうやって語り伝えていくか……それが最近のぼくのテーマなんです。

おふたりもシャッターを切るときって、不安だったり、怖かったりしますか?

佐藤 怖いという感情はありますね。シャッターを切ることは相手のプライバシーに踏み込む行為でもあるので。それは責任が生じてしまうという卑屈な考えでもあるんですけど、すべてに責任をとれる自信もないので、どこかに覚悟する一線があるんですよね。とくに震災後、被災地の人々の写真を撮るなかで、そういうことを学んだ気がしますね。

安田 カメラを向けることは暴力的なことだということを私たちは自覚しないといけないと思っていて。シャッターを切る前に、人の声に耳を傾けるようにしているのは、その点だと思うんですよね。

『ファインダー越しの3.11』にも書いていますが、陸前高田市の一本松をみたとき、「希望の象徴だ、力を与えてくれるものだ」って思ってシャッターを切りました。でも陸前高田市で何万本の松と一緒に暮らしてきた人間にとっては津波の威力の象徴だって言われてしまったんです。

もしもあのシャッターを切る前に耳を傾けていれば人の心を乱すことはなかっただろうなって思っています。例えシャッターを切ったとしても、「希望の象徴」と載せるかどうかで、あの土地で暮らしていた人たちの受け取り方は違うと思うんです。

私たちの仕事は、もしかしたらシャッターを切るという行為以上に、人の声を聴くことが大半なのかもしれません。

佐藤 かといって気を使いすぎても駄目だとも思っているんですよ。「難民」であっても「被災者」であっても、一人ひとり違った人間であって、いろいろな人がいるんですよね。いい人もいれば悪い人もいて、ぼくだって好きな人もいれば嫌いな人もいて。それを隠す必要はないと思っているんですよね。そのなかで、言葉を紡げるようになったり写真を撮れるようになる人がいる。それはぼくとも向き合う覚悟が、信頼の証拠なのかなって。荒井さんはどうですか?

荒井 『生きていく絵』も、〈造形教室〉で出会ったすべての人について書いているわけでありません。むしろ書いていない人の方が多いんです。ぼくの言葉は決して完全なものではなくて、切り取れる世界と切り取れない世界がある。だから、ぼくの言葉で伝えられるかもしれないと少しでも思った人のこと書きました。この本で書けなかった人のアート作品が、力がないというわけでは決してありません。むしろ、力がないのは、それについて書けないぼくの言葉の方だと思います。でも、ぼくにはこの言葉しかないのだから、伝えられる部分を伝えればいいのだと、最近では考えています。

日本百景の一つにも数えられていた高田松原。7万本の松林がほぼ更地になった中で、この松だけが残された。
日本百景の一つにも数えられていた高田松原。7万本の松林がほぼ更地になった中で、この松だけが残された。(写真:安田菜津紀)

「伝えるもの」以上の写真

荒井 ぼくも3.11のあとにいろいろなことを考えました。おふたりは個人的なことも含め、大変なご苦労をされたんだろうと思います。「写真に何ができるんだろう」って随分悩まれたんじゃないでしょうか?

佐藤 そうですね、写真に何ができるのかは考え続けています。やっぱり撮れなかったもんね。

安田 うん。

荒井 撮れなかったものの方が圧倒的に多いわけですよね。

佐藤 そうですね。それはどの現場でもそうですし、撮れなかったもののほうが心にグサリと残っていたりもします。

安田 最初は、思うんですよね。別にシャッターを切ったからといって瓦礫がどけられるわけでもないですし、病気が治るわけでもない。こんなときに写真を撮っている場合かって。自分自身のなかから、そして人から、そういう声をかけられました。

でも写真って、写真で伝えることももちろんそうですけど、いろいろな役割があると思います。手元に思い出を残すことかもしれませんし、心のなかを表現して誰かと繋がるという、アートと同じような意味合いを持つかもしれない。

例えば、震災直後にある学校で入学式が開かれることになったとき、町の写真館が津波で流されてしまっていたので、記念写真のお手伝いをさせてもらったんですね。そこで子供たちに、役割分担なんだなって教えてもらいました。

入学式って、たった一日ですよね。でもその日のために奔走してきた先生がいて、避難所暮らしを耐えてきた親御さんがいて、「現地にはいけないけれど」と言って物資を送ってくださった方がいて、直前まで泥かきをしてくれたボランティアがいる。写真は、本当に最後のワンピースくらい。でもそこで「私は何の写真が撮れるんだろう」ではなくて「この町で私の写真がどんな役割を果たせるか」って発想を変えるようにしようかなって思ったんです。だってあの日は、一人ひとりがそれぞれの役割を果たすことで、乗り越えられた日だったから。

写真の役割を「伝えるもの」と考えていた私たちは、震災で、写真のことをもっと広い意味で考えられるようになった気がします。

佐藤 安田とほとんど一緒ですね。でもぼくの場合は、半分当事者だった部分があって、伝えるためにシャッターを切ったかというと実はそうでもありませんでした。むしろカメラがなかったらあそこに立っていることができなかったと思うんですよね。

今にして思うと、震災の前の年からフォトジャーナリストとして仕事をはじめて、世界中のあちこちの状況と対峙してきたのは、今回の震災に備えた準備期間のようにさえ思っているんですよね。この期間がなかったら、おそらくぼくは震災で何もできなかったでしょうし、瓦礫と化した市街地で、母という大切な人を探すという過酷な行為に耐えられなかったと思います。荒井さんの本に書かれていたように、写真はあのとき、ぼくにとって呼吸することと変わらないくらいのものだった。ぼくが認識できない現実を、カメラというツールで認識できる、知覚器官の延長線上にあったなあと思うんですよね。

変わり果てた陸前高田市の市街地跡で。写真を撮るという行為は、僕にとって目の前の信じがたい現実と向き合うための手段でもあった。(写真:佐藤慧)
変わり果てた陸前高田市の市街地跡で。写真を撮るという行為は、僕にとって目の前の信じがたい現実と向き合うための手段でもあった。(写真:佐藤慧)

「それでいいんだよ」

荒井 震災のときに、みんないろいろな言葉をかけあっていましたよね。

安田 そうですね。

荒井 ぼくは文学研究者なので、どんな時代に、どんな言葉が必要とされるのか、とても気になってしまいます。たまに学生に「いじめ」を扱った文学作品を読ませて、「いじめられている子を励ましてあげてください」って課題を出すんです。ちなみに、「励ましの言葉」ナンバーワンって何だと思いますか?

佐藤 うーん、なんだろう。

荒井 やっぱり「がんばれ」なんですね。あとは「負けないで」「大丈夫だよ」。きちんと統計をとってるわけじゃないですけど、不動のトップ3だと思います。でも「がんばれ」とか「負けないで」って、人を叱る言葉でもありますよね。「叱咤激励」って言葉があるように、日本語だと「励ます言葉」と「叱りつける言葉」って隣りあわせなんです。「大丈夫だよ」も難しいですね。「大丈夫」って、ここ数年で「ノーサンキュー」って意味に変わりましたから。「コーヒーもう一杯飲みますか?」「あ、大丈夫です」って。

佐藤 なるほど。

荒井 日本語のなかには、どのような文脈でも、どのような受け取り方でも、純粋に人を励ませる言葉ってないんですね。だからみんな震災のとき悩んだのでしょう、「ひとりじゃない」って言葉がでてきたんです。時代が新しい励まし表現を生んだんです。でも「ひとりじゃない」も難しい表現ですよね。「悲しんでいるのはあなたひとりじゃない」って、その人の悲しみを分かち合う表現でもあれば、共感や共鳴を拒否する表現にもなってしまう。

佐藤 「あなたの悲しみは特別じゃない」と言い切ってしまうかもしれない。

荒井 そうすると、ぼくたちは純粋にひとを励ますことってできるんだろうか……そんな風に悩んだ時に、それでも人を励ましたいと思って表現を必死に模索する。文学やアートって、そこから生まれるんだと思うんですね。おふたりの写真は、もしかしたらそこを目指しているのかもしれないって感じたんです。

安田 荒井さんの本で、「治療」と<癒し>を違うものとして書いていますよね。

医療ってやっぱり「早くよくなってね」っていうものなんですよね。そのために「あの薬を試しましょう、この薬を試しましょう」。

でも人の心ってそういう風に扱うものなのかなってずっと疑問に思っていて。震災が起きたあと、「早く前に進もう!」「がんばれがんばれ!」「復興へ!」って雰囲気に違和感がありました。

震災のときカンボジアにいたんですけど、震災の翌日、カンボジアで日本語を勉強している学生が「募金活動をしよう!」「ものを集めて送ろう!」ではなくて、「まずは集まろう、そして死を悼み、祈りをささげよう」って言っていたんです。

「ああ、それだなあ」って。彼らの感覚に感謝しています。どんな復興も、どんな希望も、まずは死を悼む、人の歩くペースを尊重する。それを抜きにしたら脆いものになってしまうと思います。長い時間をかけてでもいいから、自分のペースを刻みながら生きていけるようになったらいいなって、そういう柔らかいメッセージがもっともっとあふれて欲しいです。

荒井 確かに、人の心のペースってびっくりするくらいゆっくりなんですよね。それでいいんじゃないかと思うんだけど、なかなかそうはさせてくれない世の中なんですよね。

佐藤 どうしてもチクタクチクタク聞こえてくる。

励ましの言葉って、言ってしまえば「いまのあなたは駄目」と言われてるように解釈することもできちゃうじゃないですか。そんなこと言われたら「やっぱり自分は何もできないのかな」って思ってしまう人もいる。ぼくも父には、「いくらでも駄目になっていいんだよ」って言葉をかけてあげたい。それが人間だし、それぞれの人の悲しみは、誰かと比べることができるようなものではないので、その人が苦しいと思ったらそれは宇宙一苦しいんだし、「世界なんて壊れてしまえ」と思ってしまっても横暴とは言い切れない。それを「みんなつらいんだ」なんて、その人の苦しみを否定するようなことを言っちゃいけない。誰かと比較することでしか苦しめないなら、逆に幸せですら相対的な基準でしか感じることができなくなる思います。あなたの喜びも、悲しみも、あなたが決めていいし、みんなが「それでいいんだよ」と言える社会が優しい社会なんじゃないかなって思います。

安田 親が亡くなっていたり、重い障害をもって働けない子どもたちの奨学金をだしているあしなが育英会は、コミュニティをすごく大事にしているんですね。

学生を集めてキャンプみたいなことをやらせるんです。10人くらいのグループになって、「ここで話すことは絶対に誰にも漏らさない」と約束した上で、自分史語りをさせるんです。反発する子もいて、私も傷の舐めあいみたいで最初は嫌だったんですけど。

友達に親が死んでいることを話すとき重い空気にならないように「親が死んじゃってさー、ハハハッ」って話してしまいますよね。でもそのときは、ものすごく静かに、真剣な雰囲気のなかで話をするんです。「リストカットしました」って誰かが言っても、「そんなことしちゃ駄目だよ」なんていわない。そんな約束していないけど、誰も。話しているうちに泣き出してしまっても、その子が次の言葉を紡ぎだすまでじっと待っている。その空間に私は感動を覚えて。ただ受け止めてもらえるだけの空間が欲しかったんだなって。

荒井 〈造形教室〉って、本当にそんなところなんですよね。みんな好きな時間にやってきて、好きな絵を描いて。で、相談したいことがある人はスタッフを呼んで話をしたりとか。そのスタッフも美術家というところが面白んですけど。なんとなくみんなそこにいて、なんとなく調子悪いなって人がいて。何気ない空間のなかに、さりげなくやわらかに溶け込んでいる。そういうところが、ぼく自身にとっても必要な場所だったのかなって思っています。

ボランティアに「行けてしまった」社会

荒井 震災のあと、「ひとりじゃない」だけじゃなくて、「絆」って言葉も流行りましたよね。「絆」って字はもともと「ほだし」と呼んで、どちらかというとネガティブな意味合いを含んだ繋がりのことなんですよね。「情にほだされる」と言うときの「ほだし」です。

佐藤 なるほど、絶ちきれない。後ろ髪引かれる思い。

荒井 そうです。震災当時、ぼくの妻が出産の3カ月前でお腹が大きかったんですね。ぼくも被災地にいって何かの役に立ちたいという気持ちがありましたけど、家や仕事のことを考えると、どうしたって行けない。結局いろんなことが手につかず、訳の分からない焦りと不安を抱えながら、身動きできない憂鬱な時間を過ごしていました。

あのとき、すごい数のボランティアが被災地に入りましたよね。それは本当に素晴らしいことだし、その人たちの善意はまったく疑いません。きっと大変なご苦労をおして行かれた人もいるはずで、行けなかったぼくの分まで働いてくれのだと、とても感謝しています。でも、多くの人たちが被災地に「行ってくれた」ことの意味を考える一方で、なかには被災地にパッと「行けてしまった」人たちも少なからずいたということについて、時間をかけて考えた方がいいのかもしれないと思っています。

佐藤 良い言葉でいえば身軽、悪い言葉でいえば大切なものがそれだけ希薄なのかもしれないということですね。被災地支援に動いた大学生のなかには、自分の居場所を探している人もいたかもしれません。国際協力の現場でも、誰かに必要とされることを通して居場所を作りたいという切実な思いを抱えている若者はいました。

安田 カンボジアのスタディーツアーを毎年やっているんですけど、参加者のほとんどが大学生なんですね。その大学生のなかにも、国際協力に関心の高い子もいれば、自分と向き合うことを目的に来る子も多いんです。そして、現地でいろいろな状況や人々と触れ合うなかで、それぞれの課題に気付いていく。

そういう気づきが、海外に出なくても、日本のなかでできたらいいのにって思いますね。東北にボランティアに行った子のなかには、出会いのなかに新しい気付きをもらって、自分に還元して子もいるかもしれない。

子どものたちが持っている力を信じる

荒井 いまぼくは育児に奮闘中です。もうすぐ三歳なんですけど、最近気付いたのは「子どもって、ちゃんと見守っていれば大抵のことは大丈夫なんだな」ってことです。

震災直後、福島県相馬市の子どもたちに絵本と画材を贈ろうという呼びかけがありました。〈造形教室〉でも画材を集めて、スタッフさんの車で相馬市まで運んで行ってもらったんですね。ぼくもとても信頼している宇野さんというお兄さんで、宇野さんは現地で出会った人たちと、避難所で「お絵かきワークショップ」みたいなことをやってきたそうです。

贈る画材のなかにアクリル絵の具をワンセット入れておいたんですね。アクリル絵の具って、油絵の具よりも扱いやすくて、水彩絵の具よりはいろいろなところに描けます。画用紙を大量にもっていけるわけではないので、アクリルなら落ちている石とか木片にも描けるからいいかな、と思って。でも結局アクリル絵の具は使わなかったんだそうです。

佐藤 どうしてですか?

荒井 その後、子どもたちが描いた絵を展示するイベントが都内で開催されて、現地の小学校の元校長先生がいらっしゃったので話を聞いたら、どうやら子どもたちが瓦礫に絵を描くのを嫌がったそうなんです。その瓦礫で、大切な人が失われているかもしれないから。

子どもたちが描いた絵は画集になっているんですけど、波が横から襲いかかってきたり、画面全体が水に飲み込まれてしまっているような絵があるんです。アートを治療の手段だと考える人のなかには、そういう絵は情動を刺激するのでよくないという人もいます。少なくとも、医師や臨床心理士などの専門家が寄り添うべきだと。その意見もとてもよくわかるんですが、でも、子どもたちは子どもたちなりに、その時に必要な絵を描いたわけで、それはきっと必要な自己表現だったのではないか、と思ったりするんですね。

子どもたちは瓦礫には絵を描かなかったという話を聞いて、そういう「心のリアリティ」みたいなものを、子どもたちはぼくらが想像するよりも強くもっていたんだなって思いました。石や木片に絵を描くのは嫌だろうな、というところに思い至らなかった自分の鈍感さを恥じると同時に、子どもたちってすごいなって思ったんです。

佐藤 それも子どもたちは、「よし、傷と向き合うぜ!」って描くわけじゃないですよね。自然と何かがでてくる。ぼくたちは腫れ物に触るように、心をかき乱してしまうんじゃないかと心配になってしまうけれど、実は人間のなかには悲しみに向き合う機構みたいなものがあるんですよね。

ぼくは震災後、自分のなかの恐怖を撮り続けていると思うんです。頭のなかで考えているわけじゃないんだけど、頭の上にもうひとりの「ぼく」がいて、ぼくが怖がっているものを、ぼくのかわりに撮ってくれている部分がある。ぼくが向き合いたいものを、「ぼく」が向き合わせてくれている。そうやって心のなかが洗われていく。表現ってそういう力があるんだって感じます。

安田 震災の後、被災地で写真教室を開いたんですね。そのときの、大人に気を使って津波の話をしないようにしていたんですね。

佐藤 すごく明るかったんですよね。キャピキャピ騒ぐし、泣かない。

安田 それでいて、誰かに受け止めて欲しがっていて。

ある綺麗な田んぼの写真を撮ってきてくれた女の子に、「綺麗だね、どうして撮ったの?」って聞いたら、「町の風景がこうなって欲しい」って自分の言葉で彼女は言ったんです。むしろ私たちがそれにタジタジしてしまったくらい、彼女は強い意志をもってその写真を撮っていたんですね。

お父さんが津波で流されてしまって、家も全壊してお母さんとふたりきりになった子は写真教室でも、友達の家族、友達の家ばかりにシャッターが向いていたんです。「心配だね」って話していたんですけど、一年後に同じ子たちを対象に写真教室を開いたら、その子は、ワンちゃんを飼っていて、そのワンちゃんが大好きなのがとってもよくわかる写真を撮ってくれたんです。

そのときに、子どもたちは自分自身の力で大切なものを見つけ出してくれるってことがよくわかりました。私たちが心を癒してあげる対象ではなくて、子どもたちの持っている力を信じることが大切なんだって。

荒井 「持っている力を信じる」というところがいいですね。『生きていく絵』のなかでも書いた例え話ですけど、スプーンで海の水をすくっても、合理的に考えれば海の水は減りません。でも、スプーン一杯分は減ったのだと創造的に信じることはできます。人が生きていくためには、そんなふうに「創造的に信じる」ことが必要なときがあると、ぼくは思っています。

「想像力」のあり方

荒井 ぼくの研究は、ハンセン病の人たちや障害を持つ人たちの文学について考えることからはじまりました。大学院生時代は療養所や福祉施設に通いつめていたんですけど、同じようなボランティアの大学生が何人もいて、なかにはある種の使命感に駆られてしま人がいるんですね。文学部に通っていた学生が医療者を目指してしまったり、なんてこともありました。

安田 へー!

荒井 さっき安田さんが「写真撮ったって瓦礫が片付くわけじゃない」っておっしゃっていましたけど、似たような感覚かもしれません。「文学なんてやっててどうなるんだ」って。現実の重みみたいなものに負けてしまうんですね。

ぼく自身もひどく悩んでいたときがあって、5~6年くらい小説が読めなかったんです。「こんなもの読んでいても意味ないじゃん」って思ってしまって。

でも最近になって、ようやく「フィクション」というものの力を信じられるようになりました。佐藤さんが先ほどおっしゃったように、ひとそれぞれ抱えている苦しみが違うなかで、個々人の苦しみにどう寄り添っていくかといったら、やはり想像力を膨らませて共感するように努めるしかないんです。

佐藤 そうなんですよね。

荒井 その想像力を膨らませてくれるのがフィクションだと思うんです。

いま村田沙耶香さんという作家に一番注目しています。女性のセクシュアリティを生々しく描き出す人で、みなさんそこにばかり目が行くんですけど、ぼくから言わせてもらうと村田さんは「孤独」の書き方がうまいんです。「孤独」って「ひとりぼっち」っていうイメージですよね。社会を歯車で例えると、みんなが噛み合ってまわっているなかで、自分だけ隅っこの方にいて噛む相手がいない。「孤独死」や「無縁社会」という言葉から思い浮かぶ「孤独」のイメージって、そんな感じだと思います。

でも、村田さんの書く孤独は違うんです。はたから見ると歯車が噛み合っているように見えて、よくみるとひとりでまわっている、そんな感じの孤独です。下手すると「しっかりしろ!」「難しく考えすぎだって!」という一言で済まされてしまいそうな、というか現実にはそうやって済まされてしまっている「孤独」なんだと思うんですね。というのは、村田さんの作品の主人公は、家族もいて、貧乏じゃなくて、学校にも通っている。でも、最終的には破滅的なところにまでたどり着いてしまう。

ぼくは、決して数は多くないですけど、精神科病院や福祉施設を歩いて人の話を聞いてきました。もちろん、いろんな事情を抱えた人たちがいるんですけど、一番言葉にしにくかったのは、そういったタイプの「孤独」なんです。そのイメージが、あまりにも見事に言葉にされているので驚きました。

「見えない痛み」や「見えにくい痛み」に、人の想像力を及ぼすことができる力がフィクションにはあるんだって、ようやく思えたんです。そういう想像力が自然と働くようになったら、少しは社会が変わるんじゃないかなって思うようになりました。

佐藤 それはぼくらのジャーナリズムの根幹かもしれません。みんながみんな大変な経験をしなければその痛みがわからないのだとしたら、人類は簡単に絶滅してしまうはずなんですよ。

安田 同じ経験をしないとわかりあえないという風潮があると思うんですけど、親を失った子どもと言っても、自殺かもしれないし他殺かもしれないし病気かもしれない。完全に同じ経験を共有することなんてできないし、すべてを理解することなんてできないんですよね。

それでも人が人を救う瞬間って、きっと自分たちの経験を繋ぎ合わせて、想像力を働かせることはもちろん、理解できないけれど理解したいと相手が務め続けてくれること、その姿勢に救われるんじゃないかなって思っていて。

佐藤 震災直後にガザ地区のドキュメンタリーを撮っている方と一緒に避難所に行ったとき、おじいちゃんおばあちゃんにポロっとその話をしたら「いままでわからなかったけど、それはつらいことだよね」って共感してもらえたと言います。同じ環境じゃないけれど、傷ついたという体験が想像力の架け橋になっているんですよ。

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荒井 ぼくがすごくお世話になった障害者運動家の方は、「分かり合う」という言葉が嫌いでした。「分かり合う」ことの大切さはだれも否定しません。でも「分かり合う」ことを強調しすぎると、「分かり合えない人とは一緒にいなくてもいい」「分かってもらおうと努力しない人はあっちにいってくれ」ということになりかねない。それにぼくたちは往々にして、「弱い立場の人」に対して「分かってもらうための説明責任」を押し付けてしまいがちです。

ぼくがその方から教わったのは、たとえ分かり合えなくても、どこかで「繋がる」ことが大事だってことです。相手の苦しみの中身は分からなくても、その人がかけがえのない存在で、こちらが軽んじてはならない尊厳をもっていて、きっと苦しんでいるのだと想像することはできる。その想像力を繋がりの糸にして、「一緒にいたい」「一緒にいてもいい」と思うことが大切だと思うんですよね。おふたりの写真は、その「糸」を紡いでいるのかもしれませんね。

「欠片」を拾い集めて、日常を再生する

荒井 おふたりの写真の何がいいって、何気ない日常が映っているところなんですよね。すみません、ちょっと言葉が適当かどうかわからないけど「どうでもいい」ような、あんまり「意味」がない日常の風景じゃないですか。

安田 あはは(笑)

佐藤 そうですね(笑)

荒井 「心」って、何かとてつもなく崇高なものでできているというよりは、一見どうでもいいような、日常の塵みたいなものが積もっていって「質量」が出てくると思ってるんですね。「昨日のテレビみた?」とか「さっきのご飯、あんまり美味しくなかったね」とか、何気ない会話とか場面が塵のように降り積もっていく。おふたりの写真は、「心の質量」になる塵が積もっていく瞬間を撮ってくれている。

佐藤 すごくうれしい言葉です。ぼくは欠片と言っているんですけど、シャッターを切る瞬間は、その欠片を集めているってことなんです。

震災の後「瓦礫」って言葉が本当に怖かったんですね。一週間ほど前は日常の生活の一部だったものが、粉々になって、何も表していない言葉になってしまっているじゃないですか。でもそのなかで、大切なものをみつけることができるんじゃないかと思って、シャッターを切って欠片を拾い集めたんです。そうすれば失われてしまったと思っているものから日常が再生できるんじゃないかなって。

いまでも母との思い出がぽつぽつ出てくるんですよね。あんなことしてたな、あのお茶が好きだったよなって。そういうどうでもいいことが。

荒井 大切な人との思い出ってそうですよね。どうでもいいことばかり思い出しますよね。

佐藤 そういったものが積み重なっていくとぬくもりを感じるようになるんです。ぼくにとって欠片は、どうでもいい粒じゃないんです。全体を構成するのは、そういう小さなものなんですよね。

「おふたりの写真の欠点ってなんですか?」

荒井 最後に、ひとつ質問させてください。これはぼくがお世話になった方から教えてもらった質問で、いま、いろいろな方にお聞きしています。おふたりの写真の「欠点」ってなんだと思いますか?

安田 ごめんなさい、ちょっと(安田さん席を外す)。

佐藤 ぼくの欠点は、写真だけで何かを伝えることができないことですかね。かならず言葉をつけます。写真だけの表現を追求している人からは「写真を愚弄しているのか」とか言われることもありますが、あんまり気にしないようにしています。

荒井 この質問、受け売りでいろんな方に投げかけているうちに気づいたんですけど、「欠点を語ってください」ってお願いすると、最終的に自分の長所を話してくれるんですよ(笑)。もちろん「ひとを選ぶ」質問なんですけど、きっとおふたりにはバッチリはまるんじゃないかと思っていました(笑)。

佐藤 あー! なるほどなあ(笑)そうですね、変えるつもりないですもん。そうかあ、欠点って特徴ってことなんですね。

荒井 そうなんです(笑)。「長所を語ってくれ」って言うと固まっちゃうことが多いんですけど、短所を聞くと生き生きと話してくれるんですよね。不思議ですよね(笑)

安田 すいません、戻りました。

荒井 安田さんはどうですか、ご自身の写真の「欠点」って何だと思いますか?

安田 えー! 自分の写真の欠点は、よく言われることなんですけど、ひとに近すぎることですね。

佐藤 ふふふ(笑)。

安田 なんで笑ってるの?

荒井 どうぞ続けてください(笑)

安田 どうしても人に近づきすぎてしまって、一歩引くことができないんですよね。「大好き大好き!」ってなっちゃうんです。私たちは一枚の写真を「バンッ!」と見せることもあるんですけど、物語を紡ぐように、写真と写真の間に想像力が働かせられるように、写真を連ねていかないといけないんですね。だから「大好き!」って距離感はそのままでいいと思うんですけど、俯瞰した視点も持たなくちゃいけないのかなって。

……なんでふたりとも笑ってるんですか?

荒井 ほらね(笑)

佐藤 種明かしは記事をお楽しみに(笑)

安田 えー、なんだろう?

佐藤 荒井さんはご自身の欠点はどこにあると思いますか?

荒井 そうですね。最初にお話した矛盾点だと思います。文章を書くのは臆病なくせに、書いたら傲慢になってしまう。傷つけたくないと思いながら書いて、でも自分のストーリーのなかに相手を押し込んでしまう。だけどこのやり方でしか生きていけないって自覚しています。

……そろそろ時間ですね。またぜひ近いうちにお話をさせてください。

佐藤 わあ、もうこんな時間なんですね。あっという間でした。

安田 全然話足りないです。

佐藤 またぜひ、もっとたくさんお話させてください。

(2014年3月4日 恵比寿にて)

プロフィール

荒井裕樹日本近現代文学 / 障害者文化論

2009年、東京大学大学院人文社会系研究科修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院人文社会系研究科特任研究員を経て、現在は二松学舎大学文学部専任講師。東京精神科病院協会「心のアート展」実行委員会特別委員。専門は障害者文化論。著書『障害と文学』(現代書館)、『隔離の文学』(書肆アルス)、『生きていく絵』(亜紀書房)。

この執筆者の記事

佐藤慧ジャーナリスト

studioAFTERMODE所属ジャーナリスト。1982年岩手県生まれ。大学時代は音楽を専攻。世界を旅するなかで世界の不条理にきづく。2007年 にアメリカのNGOに渡り研修を受け、その後南部アフリカ、中米などで地域開発の任務につく。2009年にはザンビア共和国にて学校建設のプロジェクトに携わる。現在はアフリカを中心に取材を進めている。写真と文章を駆使し、人間の可能性、命の価値を伝えつづける。2011年世界ピースアートコンクール入賞。東京都在住。近著「ファインダー越しの3.11」

この執筆者の記事

安田菜津紀フォトジャーナリスト

studio AFTERMODE 所属/フォトジャーナリスト。上智大学卒。2003年8月、「国境なき子どもたち」の友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。2006年、写真と出会ったことを機に、カンボジアを中心に各地の取材を始める。現在、東南アジアの貧困問題や、中東の難民問題などを中心に取材を進める。2008年7月、青年版国民栄誉賞「人間力大賞」会頭特別賞を受賞。2009年、日本ドキュメンタリー写真ユースコンテスト大賞受賞。共著『アジア×カメラ「正解」のない旅へ』。

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