3.11後の「表現すること」の戸惑い

ボランティアに「行けてしまった」社会

 

荒井 震災のあと、「ひとりじゃない」だけじゃなくて、「絆」って言葉も流行りましたよね。「絆」って字はもともと「ほだし」と呼んで、どちらかというとネガティブな意味合いを含んだ繋がりのことなんですよね。「情にほだされる」と言うときの「ほだし」です。

 

佐藤 なるほど、絶ちきれない。後ろ髪引かれる思い。

 

荒井 そうです。震災当時、ぼくの妻が出産の3カ月前でお腹が大きかったんですね。ぼくも被災地にいって何かの役に立ちたいという気持ちがありましたけど、家や仕事のことを考えると、どうしたって行けない。結局いろんなことが手につかず、訳の分からない焦りと不安を抱えながら、身動きできない憂鬱な時間を過ごしていました。

 

あのとき、すごい数のボランティアが被災地に入りましたよね。それは本当に素晴らしいことだし、その人たちの善意はまったく疑いません。きっと大変なご苦労をおして行かれた人もいるはずで、行けなかったぼくの分まで働いてくれのだと、とても感謝しています。でも、多くの人たちが被災地に「行ってくれた」ことの意味を考える一方で、なかには被災地にパッと「行けてしまった」人たちも少なからずいたということについて、時間をかけて考えた方がいいのかもしれないと思っています。

 

佐藤 良い言葉でいえば身軽、悪い言葉でいえば大切なものがそれだけ希薄なのかもしれないということですね。被災地支援に動いた大学生のなかには、自分の居場所を探している人もいたかもしれません。国際協力の現場でも、誰かに必要とされることを通して居場所を作りたいという切実な思いを抱えている若者はいました。

 

安田 カンボジアのスタディーツアーを毎年やっているんですけど、参加者のほとんどが大学生なんですね。その大学生のなかにも、国際協力に関心の高い子もいれば、自分と向き合うことを目的に来る子も多いんです。そして、現地でいろいろな状況や人々と触れ合うなかで、それぞれの課題に気付いていく。

 

そういう気づきが、海外に出なくても、日本のなかでできたらいいのにって思いますね。東北にボランティアに行った子のなかには、出会いのなかに新しい気付きをもらって、自分に還元して子もいるかもしれない。

 

 

子どものたちが持っている力を信じる

 

荒井 いまぼくは育児に奮闘中です。もうすぐ三歳なんですけど、最近気付いたのは「子どもって、ちゃんと見守っていれば大抵のことは大丈夫なんだな」ってことです。

 

震災直後、福島県相馬市の子どもたちに絵本と画材を贈ろうという呼びかけがありました。〈造形教室〉でも画材を集めて、スタッフさんの車で相馬市まで運んで行ってもらったんですね。ぼくもとても信頼している宇野さんというお兄さんで、宇野さんは現地で出会った人たちと、避難所で「お絵かきワークショップ」みたいなことをやってきたそうです。

 

贈る画材のなかにアクリル絵の具をワンセット入れておいたんですね。アクリル絵の具って、油絵の具よりも扱いやすくて、水彩絵の具よりはいろいろなところに描けます。画用紙を大量にもっていけるわけではないので、アクリルなら落ちている石とか木片にも描けるからいいかな、と思って。でも結局アクリル絵の具は使わなかったんだそうです。

 

佐藤 どうしてですか?

 

荒井 その後、子どもたちが描いた絵を展示するイベントが都内で開催されて、現地の小学校の元校長先生がいらっしゃったので話を聞いたら、どうやら子どもたちが瓦礫に絵を描くのを嫌がったそうなんです。その瓦礫で、大切な人が失われているかもしれないから。

 

子どもたちが描いた絵は画集になっているんですけど、波が横から襲いかかってきたり、画面全体が水に飲み込まれてしまっているような絵があるんです。アートを治療の手段だと考える人のなかには、そういう絵は情動を刺激するのでよくないという人もいます。少なくとも、医師や臨床心理士などの専門家が寄り添うべきだと。その意見もとてもよくわかるんですが、でも、子どもたちは子どもたちなりに、その時に必要な絵を描いたわけで、それはきっと必要な自己表現だったのではないか、と思ったりするんですね。

 

子どもたちは瓦礫には絵を描かなかったという話を聞いて、そういう「心のリアリティ」みたいなものを、子どもたちはぼくらが想像するよりも強くもっていたんだなって思いました。石や木片に絵を描くのは嫌だろうな、というところに思い至らなかった自分の鈍感さを恥じると同時に、子どもたちってすごいなって思ったんです。

 

佐藤 それも子どもたちは、「よし、傷と向き合うぜ!」って描くわけじゃないですよね。自然と何かがでてくる。ぼくたちは腫れ物に触るように、心をかき乱してしまうんじゃないかと心配になってしまうけれど、実は人間のなかには悲しみに向き合う機構みたいなものがあるんですよね。

 

ぼくは震災後、自分のなかの恐怖を撮り続けていると思うんです。頭のなかで考えているわけじゃないんだけど、頭の上にもうひとりの「ぼく」がいて、ぼくが怖がっているものを、ぼくのかわりに撮ってくれている部分がある。ぼくが向き合いたいものを、「ぼく」が向き合わせてくれている。そうやって心のなかが洗われていく。表現ってそういう力があるんだって感じます。

 

安田 震災の後、被災地で写真教室を開いたんですね。そのときの、大人に気を使って津波の話をしないようにしていたんですね。

 

佐藤 すごく明るかったんですよね。キャピキャピ騒ぐし、泣かない。

 

安田 それでいて、誰かに受け止めて欲しがっていて。

 

ある綺麗な田んぼの写真を撮ってきてくれた女の子に、「綺麗だね、どうして撮ったの?」って聞いたら、「町の風景がこうなって欲しい」って自分の言葉で彼女は言ったんです。むしろ私たちがそれにタジタジしてしまったくらい、彼女は強い意志をもってその写真を撮っていたんですね。

 

お父さんが津波で流されてしまって、家も全壊してお母さんとふたりきりになった子は写真教室でも、友達の家族、友達の家ばかりにシャッターが向いていたんです。「心配だね」って話していたんですけど、一年後に同じ子たちを対象に写真教室を開いたら、その子は、ワンちゃんを飼っていて、そのワンちゃんが大好きなのがとってもよくわかる写真を撮ってくれたんです。

 

そのときに、子どもたちは自分自身の力で大切なものを見つけ出してくれるってことがよくわかりました。私たちが心を癒してあげる対象ではなくて、子どもたちの持っている力を信じることが大切なんだって。

 

荒井 「持っている力を信じる」というところがいいですね。『生きていく絵』のなかでも書いた例え話ですけど、スプーンで海の水をすくっても、合理的に考えれば海の水は減りません。でも、スプーン一杯分は減ったのだと創造的に信じることはできます。人が生きていくためには、そんなふうに「創造的に信じる」ことが必要なときがあると、ぼくは思っています。

 

 

「想像力」のあり方

 

荒井 ぼくの研究は、ハンセン病の人たちや障害を持つ人たちの文学について考えることからはじまりました。大学院生時代は療養所や福祉施設に通いつめていたんですけど、同じようなボランティアの大学生が何人もいて、なかにはある種の使命感に駆られてしま人がいるんですね。文学部に通っていた学生が医療者を目指してしまったり、なんてこともありました。

 

安田 へー!

 

荒井 さっき安田さんが「写真撮ったって瓦礫が片付くわけじゃない」っておっしゃっていましたけど、似たような感覚かもしれません。「文学なんてやっててどうなるんだ」って。現実の重みみたいなものに負けてしまうんですね。

 

ぼく自身もひどく悩んでいたときがあって、5~6年くらい小説が読めなかったんです。「こんなもの読んでいても意味ないじゃん」って思ってしまって。

 

でも最近になって、ようやく「フィクション」というものの力を信じられるようになりました。佐藤さんが先ほどおっしゃったように、ひとそれぞれ抱えている苦しみが違うなかで、個々人の苦しみにどう寄り添っていくかといったら、やはり想像力を膨らませて共感するように努めるしかないんです。

 

佐藤 そうなんですよね。

 

荒井 その想像力を膨らませてくれるのがフィクションだと思うんです。

 

いま村田沙耶香さんという作家に一番注目しています。女性のセクシュアリティを生々しく描き出す人で、みなさんそこにばかり目が行くんですけど、ぼくから言わせてもらうと村田さんは「孤独」の書き方がうまいんです。「孤独」って「ひとりぼっち」っていうイメージですよね。社会を歯車で例えると、みんなが噛み合ってまわっているなかで、自分だけ隅っこの方にいて噛む相手がいない。「孤独死」や「無縁社会」という言葉から思い浮かぶ「孤独」のイメージって、そんな感じだと思います。

 

でも、村田さんの書く孤独は違うんです。はたから見ると歯車が噛み合っているように見えて、よくみるとひとりでまわっている、そんな感じの孤独です。下手すると「しっかりしろ!」「難しく考えすぎだって!」という一言で済まされてしまいそうな、というか現実にはそうやって済まされてしまっている「孤独」なんだと思うんですね。というのは、村田さんの作品の主人公は、家族もいて、貧乏じゃなくて、学校にも通っている。でも、最終的には破滅的なところにまでたどり着いてしまう。

 

ぼくは、決して数は多くないですけど、精神科病院や福祉施設を歩いて人の話を聞いてきました。もちろん、いろんな事情を抱えた人たちがいるんですけど、一番言葉にしにくかったのは、そういったタイプの「孤独」なんです。そのイメージが、あまりにも見事に言葉にされているので驚きました。

 

「見えない痛み」や「見えにくい痛み」に、人の想像力を及ぼすことができる力がフィクションにはあるんだって、ようやく思えたんです。そういう想像力が自然と働くようになったら、少しは社会が変わるんじゃないかなって思うようになりました。

 

佐藤 それはぼくらのジャーナリズムの根幹かもしれません。みんながみんな大変な経験をしなければその痛みがわからないのだとしたら、人類は簡単に絶滅してしまうはずなんですよ。

 

安田 同じ経験をしないとわかりあえないという風潮があると思うんですけど、親を失った子どもと言っても、自殺かもしれないし他殺かもしれないし病気かもしれない。完全に同じ経験を共有することなんてできないし、すべてを理解することなんてできないんですよね。

 

それでも人が人を救う瞬間って、きっと自分たちの経験を繋ぎ合わせて、想像力を働かせることはもちろん、理解できないけれど理解したいと相手が務め続けてくれること、その姿勢に救われるんじゃないかなって思っていて。

 

佐藤 震災直後にガザ地区のドキュメンタリーを撮っている方と一緒に避難所に行ったとき、おじいちゃんおばあちゃんにポロっとその話をしたら「いままでわからなかったけど、それはつらいことだよね」って共感してもらえたと言います。同じ環境じゃないけれど、傷ついたという体験が想像力の架け橋になっているんですよ。

 

 

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荒井 ぼくがすごくお世話になった障害者運動家の方は、「分かり合う」という言葉が嫌いでした。「分かり合う」ことの大切さはだれも否定しません。でも「分かり合う」ことを強調しすぎると、「分かり合えない人とは一緒にいなくてもいい」「分かってもらおうと努力しない人はあっちにいってくれ」ということになりかねない。それにぼくたちは往々にして、「弱い立場の人」に対して「分かってもらうための説明責任」を押し付けてしまいがちです。

 

ぼくがその方から教わったのは、たとえ分かり合えなくても、どこかで「繋がる」ことが大事だってことです。相手の苦しみの中身は分からなくても、その人がかけがえのない存在で、こちらが軽んじてはならない尊厳をもっていて、きっと苦しんでいるのだと想像することはできる。その想像力を繋がりの糸にして、「一緒にいたい」「一緒にいてもいい」と思うことが大切だと思うんですよね。おふたりの写真は、その「糸」を紡いでいるのかもしれませんね。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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