悲劇のヒロインでもスーパーマンでもない――『難病カルテ 患者たちのいま』(蒔田備憲)ほか

『難病カルテ 患者たちのいま』(生活書院)/蒔田備憲

 

原因不明で、治療法が未確立な「難病」。今回紹介するのは、難病と共に歩む患者や家族の生活を丁寧に描き出した『難病カルテ』である。毎日新聞佐賀県版に掲載されるも、またたくまに全国的に大きな反響を呼んだ人気連載の書籍化だ。

 

『難病カルテ』では様々な疾患を包括的に扱っている。「難病」と一言で言っても、様々な疾患がある。パーキンソン病、ALS、多発性硬化症……。患者の数だけ、様々な困りごとがあることに気がつく。

 

たとえば、関節リウマチの女性は、東日本大震災後の計画停電の可能性に、薬の保管場所に不安を抱える。薬は冷凍保存が必要で、長時間の停電で薬効が消える恐れがあった。しかも薬は高価で、生活費の余裕もない……。後縦靭帯骨化症の女性は、激しい痺れがあるにも関わらず、外見からはわからない。勤めていた会社では、走ることや重いバケツをもつことを求められ、障害者手帳を出して病気の説明をしても、「どこが障害者なの」と冷たい視線を浴びてしまう……。それぞれのニーズは「難病」という一面的な切り取り方では決して見えてこないものだ。

 

また、一つ一つの記事で書かれているのは、あくまでも患者の日常だ。彼ら、彼女らは悲劇のヒロインでもスーパーマンでもない。治らない病気を抱えて生きる「難病患者」を特別な人間ではなく、友人や家族やといった身近な人たちとして想像することができる。

 

私事で恐縮だが、私には2つ下の従妹がおり、幼いころから仲良く遊んできた。ある日、元気だった彼女は突然、免疫系の疾患にかかってしまう。「フランスに行ってパテシェの修行をしたい」と一生懸命に勉強していたが、今は進学をあきらめ家で療養している。年の近い彼女の、その姿を見た私は「道半ばであきらめるしかなかった彼女の分まで、頑張らないといけない」と思い、今の今まで思ってきた。

 

しかし、『難病カルテ』で患者の日常を読み、目から鱗が落ちた。難病になったからといって、生活はずっと続いていくのだ。「道半ば」なんて、とても失礼な話だ。彼女は体調が良いと、家でパンを作る。そのパンはその辺のパン屋さんよりとても美味しく、親戚中から大人気だ。お菓子作りが苦手な私には逆立ちしても出来ない、とてもとても彼女らしい生活だ。

 

患者としての困りごとは多種多様で、生き方も人それぞれである。そんな一見当たり前のことを、『難病カルテ』は鮮やかに提示しているように思う。(評者・山本菜々子)

 

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

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