2014.05.17

悲劇のヒロインでもスーパーマンでもない――『難病カルテ 患者たちのいま』(蒔田備憲)ほか

今週のオススメ本 / シノドス編集部

情報 #synodos#シノドス#難病カルテ#蒔田備憲#教育の力#苫野一徳

『難病カルテ 患者たちのいま』(生活書院)/蒔田備憲

原因不明で、治療法が未確立な「難病」。今回紹介するのは、難病と共に歩む患者や家族の生活を丁寧に描き出した『難病カルテ』である。毎日新聞佐賀県版に掲載されるも、またたくまに全国的に大きな反響を呼んだ人気連載の書籍化だ。

『難病カルテ』では様々な疾患を包括的に扱っている。「難病」と一言で言っても、様々な疾患がある。パーキンソン病、ALS、多発性硬化症……。患者の数だけ、様々な困りごとがあることに気がつく。

たとえば、関節リウマチの女性は、東日本大震災後の計画停電の可能性に、薬の保管場所に不安を抱える。薬は冷凍保存が必要で、長時間の停電で薬効が消える恐れがあった。しかも薬は高価で、生活費の余裕もない……。後縦靭帯骨化症の女性は、激しい痺れがあるにも関わらず、外見からはわからない。勤めていた会社では、走ることや重いバケツをもつことを求められ、障害者手帳を出して病気の説明をしても、「どこが障害者なの」と冷たい視線を浴びてしまう……。それぞれのニーズは「難病」という一面的な切り取り方では決して見えてこないものだ。

また、一つ一つの記事で書かれているのは、あくまでも患者の日常だ。彼ら、彼女らは悲劇のヒロインでもスーパーマンでもない。治らない病気を抱えて生きる「難病患者」を特別な人間ではなく、友人や家族やといった身近な人たちとして想像することができる。

私事で恐縮だが、私には2つ下の従妹がおり、幼いころから仲良く遊んできた。ある日、元気だった彼女は突然、免疫系の疾患にかかってしまう。「フランスに行ってパテシェの修行をしたい」と一生懸命に勉強していたが、今は進学をあきらめ家で療養している。年の近い彼女の、その姿を見た私は「道半ばであきらめるしかなかった彼女の分まで、頑張らないといけない」と思い、今の今まで思ってきた。

しかし、『難病カルテ』で患者の日常を読み、目から鱗が落ちた。難病になったからといって、生活はずっと続いていくのだ。「道半ば」なんて、とても失礼な話だ。彼女は体調が良いと、家でパンを作る。そのパンはその辺のパン屋さんよりとても美味しく、親戚中から大人気だ。お菓子作りが苦手な私には逆立ちしても出来ない、とてもとても彼女らしい生活だ。

患者としての困りごとは多種多様で、生き方も人それぞれである。そんな一見当たり前のことを、『難病カルテ』は鮮やかに提示しているように思う。(評者・山本菜々子)

『教育の力』(講談社現代新書)/苫野一徳

数年前に、気が遠くなるほど長い議論の末に「教育を変えなくてはいけないんだ!」という結論に至った討論番組をみた。そりゃあ教育が変われば、なんらかのかたちで社会も変わるだろう。だからといってすべてが劇的に良くなるとは到底思えないし、そんな結論に至るなら最初から教育のあり方について議論すべきだったのでは……? お尻の痺れと腰の鈍痛を感じながらゲンナリしたのをよく覚えている。

さて、本書では教育にはいったい何ができるのか、そしてその力を最大限発揮させられる構想とはどのようなものか、過去の議論を踏まえながら具体的な方法論について論じられている。

紹介されている議論や具体的なプロジェクトはもちろんなのだが、特に注目したいのは、その論じ方だ。序章で筆者は、「ゆとり教育か、否か」といった単純な二項対立の問いによって、思わず「どちらかが正しい」と考えがちになることが、教育議論を不毛なものにしているとする。そしてそのような議論に陥らないためには、教育の目的のできるだけ共通理解可能な“答え”を解明することだと説く。大きなビジョンが共有されれば、あとは具体的な方法について建設的な議論が展開できるためだ。このフレームワークは、教育論議に関わらず非常に大切なことだろう。

筆者の考える教育の原理(目的)は、「各人の<自由>および社会における<自由の相互承認>の、<教養=力能>を通した実質化」であり、現代という状況に応じて、その目的を達成する教育のあり方を考えていくべきとする(「目的・状況相関方法選択」の原理)。

この二つの原理に繰り返し立ち返りながら、これまでの議論の変遷を辿り具体的なプロジェクトを検証する。そしてそこから、これからの教育の基本ビジョンは、(1)学びの「個別化・協同化・プロジェクト化」の推進(2)教師の実践と成長を支えるための、教育行政による「支援」の充実(3)自己組織化する学びのネットワークの、<一般福祉>促進のための“再ネットワーク化”として、議論が展開されている。

それぞれの詳しい内容についてはぜひ本書を手に取っていただきたい。おそらく自分が体験してきた教育との違いに困惑する人もいるだろう。しかし本書で紹介される議論やプロジェクトは、おそらく、すでに変わりつつある教育の片鱗に過ぎない。教育改革が進むいま、未来の教育のあり方について、提示されたフレームワークとその実践をなぞりながら考えを深められる、そんな一冊だ。(評者・金子昂)

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シノドス編集部

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