「ただ祈る、ということを肯定したい」――美術家・椛田ちひろが描く世界

何が描かれているか、どう見られるか

 

荒井 椛田さんは、いつ頃から絵を描こうと思うようになったんですか?

 

椛田 まったく覚えていないのですが、どうやら2歳の頃には「絵描きになる!」と言っていたみたいです。進路として決めたのは中学生のときですね。自分にできることはなにかって消去法で考えたんです。体育は駄目。数学も駄目。ああ……絵なら……って(笑)。それで美術のクラスがある高校に進学しました。あとはもう迷いなく。

 

荒井 素材にボールペンを使いだしたのはいつ頃ですか?

 

椛田 高校生の時に、紙の上でフル・マラソンの距離42.195キロをボールペンで引いたのが最初です。すぐ真っ黒になって、さらに描いていくと紙が破けて真っ白になったりして、最終的には鉛の板みたいに黒光りする作品になりました。その後、今から7年くらい前ですが、2007年に参加したグループ展でもう一度ボールペンを使ってみようと思ってからはずっとですね。いまは油絵具よりもボールペンのほうが合っている気がしています。

 

荒井 以前、椛田さんは「(自分の絵は)ボールペンがあれば誰でもできますよ」ってお話しされてましたけど、やっぱり練習も必要でしょうし、それなりの技術も必要ですよね?

 

椛田 その発言は誤解があったかもしれませんね。手法として、とても単純な方法、身近な方法を用いているということで、そこらへんに転がっているボールペンで作品を作れるということです。乱暴に説明すると、描きつぶしているだけなんですけど、もちろん、練習も技術も、それから根気も必要(笑)。でも大切なのは根気があるとか、どの画材を使っているとかじゃない。誰だってペンを握って描くことはできますが、大切なのはその哲学の部分、そこに何が描かれているか、そして、どう見られるか、という部分ではないでしょうか。

 

 

椛田ちひろさんのお気に入りのボールペン

椛田ちひろさんのお気に入りのボールペン

 

 

目には見えないものを描きたい

 

荒井 この数年は海外でも製作されていますよね。1月から2月はじめまでシンガポールに行かれていましたが、椛田さんにとってシンガポールってどんな土地なんですか?

 

椛田 2011年ごろから毎年、何らかの形でシンガポールに関わっています。いまシンガポール政府は芸術活動に積極的にお金を使っていて、私みたいな外国人の作家を呼び込んでいるんです。シンガポールのお国事情の話ではあるけれど、私を必要としてくれる場所。そういったような意味で、シンガポールと私は繋がっているのだと思います。きっかけとしてはこんな感じですが、いまは現地の友だちに会うのも楽しみで、いちばん頻繁に行っている外国ですね。

 

荒井 以前うかがった話だと、海外に滞在されていても、アトリエからほとんど出ないそうですね?

 

椛田 滞在先の近くにマーライオンがあったのですが、3年通っているのに観たことがありません。完全に引きこもりですね(笑)。

 

いまいる場所、いま考えていることが大切なんです。それから、母国から離れているという実感は重要に思っています。母国って自分をかたちづくっている歴史や世界そのものです。母国の外にいるというのは、外から自分自身に触れられるということなのかもしれません。

 

荒井 「外の世界に出会う」というより、「自分の内に潜る」という感じですか?

 

椛田 そうですね。遠くに行けば行くほど、自分の内側に近づいていける気がします。せっかく呼んでくれた人には引きこもってばかりで申し訳ないような気がしますが(笑)。

 

荒井 ぼくは逆ですね。「明日もまた今日の如く」が座右の銘なくらいで(笑)。昨日と同じ場所で、昨日やっていたことの続きを繰り返すのが理想的な過ごし方です。

 

椛田 研究者向けですね! 私の理想は、やっぱり物理的に外に出て…そこで引きこもる(笑)ことですね。

 

荒井 4月にフォトジャーナリストの佐藤慧さんと安田菜津紀さんと鼎談させてもらいました(3.11後の「表現すること」の戸惑い 荒井裕樹×佐藤慧×安田菜津紀)。そしたら椛田さんが「写真家は描くべき世界が外にあるんですね」という感想を送ってくださって、ハッとしました。

 

椛田 ああ、いい言葉が言えたんですね(笑)。カメラという装置自体の話なのでしょうね。光を取り込んで画像をつくるのって、カメラって外の世界を扱うのに向いているんだなあって、鼎談を読んだ時に思ったんです。何をしたいかによって、選ぶべき道具は変わりますね。いえ、実際には、やりたいことが道具に選ばれる、っていうことのほうが多いのかもしれませんが。文学も、このテーマには何語で書くのが向いているかって、きっとあるんじゃないですか。

 

絵を自分の表現手段として選んだのは、小さい頃から絵が好きだったこともあるから、卵が先か鶏が先かのような話でもあるんですけれど。あえて言うなら、描いたものが自分の心象風景の証明になる、というところが魅力だったからです。実際にはあり得ないあんなこともこんなことも、見たこともないようなことだって、描くことができるから。目には見えないものを、目に見えるものとして描くことができるからです。私ね、見えないものを描きたいんです。

 

 

「表現する」ことと「伝える」ことの距離感

 

荒井 よく「現代アートってむずかしい」という言葉を耳にします。「どう見ればよいのかわからない」「何を伝えたいのかがわからない」と考える人は多いようですね。

 

椛田 それは残念です(泣)。現代アートのなかには、いわゆるアートのためのアートのような、鑑賞に思想史や美術史などの専門的な知識を必要とする作品もありますが、そういうものを知っていなくても楽しめる作品もまたたくさんたくさんたくさ〜んあるわけで、ぜひ構えずに実際に観に来ていただけたらと思います!

 

物語を超えたいですね。「私の物語」を超えて、「あなたの物語」になりたい。そういった見えない部分について、見えないからこそ、視覚的なところで思いっきり勝負したい。そして、「あなたの物語」になるためには、観客が必要です。つまり何が言いたいのかというと、「どうか観に来てください」と(笑)。

 

荒井 「私の物語を超えて、あなたの物語になりたい」というところ、すごく興味があります。というのは、3.11のあとから、「表現する」ことと「伝える」ことが、ぐっと距離を縮めているような気がしているんです。「表現する」というのは、文字通り作品をつくること。「伝える」というのは、その作品によって誰かを励ましたり、誰かに何を考えてもらうためのメッセージを発したり、という意味です。

 

この対談企画の第1回目の佐藤さんと安田さん、それから第2回目の齋藤陽道さん(その傷のブルースを見せてくれ――写真家・齋藤陽道のまなざし 荒井裕樹×齋藤陽道)、みなさん「表現する」ことと「伝える」ことに独自の距離感を模索されていました。いま、この社会の中で、同世代の表現者たちがその距離感をどのように捉えようとしているのかを知りたいというのも、この対談企画の一つのねらいです。

 

椛田さんは「表現する」ことと「伝える」ことの距離感をどのようにお考えでしょうか? もっと単純に言うと、「自分の内に潜る」ようなかたちで制作されていても、そこにはやはり「伝えたいこと」は含まれているのでしょうか?

 

椛田 作品をつくることと、観客にメッセージを伝えることは、同じ場所にあると思うんです。それが内に潜る行為であったとしても、外にテーマを求める行為であったとしても。

 

例えば、記録映像作品でしばしば行われている「〜という問題に関心を持ってもらいたい」といった活動のように、具体的ではっきりした実体を伝えようとするものではないけれど、いま生きているこの世界との関わり方を描きたいと思っています。

 

私たちの暮らす社会という共同体の中には、たくさんの「私」がいますよね。椛田ちひろもその中のひとりだし、荒井さんもそのひとりだし。個人は、その暮らす世界とは離れることはできません。私たちは皆、表現し、伝えることで、自分たちの住む世界をつくっていくのじゃないのかなって。

 

 

 

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