なぜ香港の若者は「中国嫌い」になったか――香港民主化運動に見る中国の弱点

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反洗脳

 

2012年9月8日、「反国民教育集会」のポスター、「洗脳教育」に反対(撮影 :倉田徹)

2012年9月8日、「反国民教育集会」のポスター、「洗脳教育」に反対(撮影
:倉田徹)

 

 

一方の香港市民に言わせれば、中国政府こそが「偉そうに説教」してくる側との感覚がある。北京がしばしば問題視したのは、教育の足りない香港市民の「愛国心のなさ」であった。香港市民は中国系が圧倒的多数とはいえ、歴史的経緯から共産党に抵抗を持つ者が多い。これに危機感を持つ北京はしばしば「人心の回帰」を課題として挙げる。主権・土地・人民は英国から返還されたが、人の心がまだ祖国に復帰していないというのである。

 

この課題に対し、北京が実施しようとしたのは「愛国教育」という対処法であった。2007年の返還10周年の記念パーティの際、香港を訪れた胡錦涛国家主席は演説において、香港に愛国教育の強化を求めた。北京が香港の若者に知ってもらいたいのは、中国の苦難の近現代史と、現在置かれている厳しい国際環境であるという。かつては欧米列強や日本から恣に侵略され、今は米国や日本などからの封じ込めに遭っている中国の過去と現在を知れば、敵対的な外国勢力に警戒して共産党を中心に団結しようという気持ちが自然に湧くはずだと、北京は考えたようである。

 

しかし、外国への敵愾心と猜疑心をバネにしてナショナリズムを高揚させようとする教育は、大陸ではいざ知らず、世界とのネットワークを生命線とする国際都市・香港の、日本アニメで育った若者に響くわけがない。香港の若者が常識として知っている文化大革命や天安門事件についての共産党側の評価も、全く奇妙なものである。例えば、2011年3月25日、中央政府の香港出先機関・中央政府駐香港連絡弁公室の宣伝部長の郝鉄川が、「理解の不足している」香港人を説得するつもりで香港紙『明報』に掲載した文章では、「文革は母親が子供を間違って叩いたようなものであり、共産党60年の統治の功績から見れば重要性の低いもの」とする。膨大な死者を出した事件を「大した問題でない」とするような価値観を示すことで、この人物はどんな「教育」効果を狙ったのであろうか。

 

実際、「愛国教育」は香港で若者の激しい抵抗を受けた。香港政府は2012年9月からの小・中・高への「国民教育科」導入を目指して準備を進めたが、左派系の団体が作成した国民教育科の副教材に、中央政府指導層は進歩的で無私で団結している、米国の政党の悪質な闘争で人民が苦しんでいるなどの表現があることが報じられ、国民教育科が大陸的な「洗脳教育」になるとの懸念が急速に広がった。保護者や学生は速やかに団体を結成し、連日政府庁舎前で数万人規模の「反洗脳」をスローガンとする集会を行い、ついに「国民教育科」導入を撤回させたのである。

 

 

中共の威嚇を懼れず

 

「反国民教育運動」は大胆な行動であった。政府本部前の広場で学生が何日も座り込んでハンストをしたことは、天安門事件当時を想起させる。しかもこの広場は人民解放軍の香港部隊本部と目と鼻の先の場所であった。ベテランの民主派は弾圧を恐れ、学生に行き過ぎないよう戒めたという。

 

しかし、結局学生たちはこの時は国民教育科を政府に断念させ、「勝利」してしまった。彼らの世代は天安門事件を目で見ていない。共産党がどれほど強大でも、そして、大陸で彼らがどれほど民主活動家を弾圧していたとしても、香港の市民運動に対して彼らが打てる手は極めて限られていると、学生たちは見透かしていた。北京は香港のデモや集会などに対して、一般の学生や市民に参加を思いとどまらせるような効果的な「脅し」をかけることができなかったのである。

 

今年の7月1日デモでは、6月に北京が初めての「一国二制度白書」を発表し、北京が香港に対して「全面的統治権を持っている」と表現したり、「オキュパイ・セントラル」が実施した行政長官普通選挙案を選ぶ民間電子投票のサイトに大がかりなハッカー攻撃が仕掛けられたりと、締め付けの強化のイメージが広がった中で行われたが、デモ主催者は「無懼中共威嚇(中共の威嚇を懼れず)」という、7月1日デモとしてはかなり踏み込んだスローガンを採用した。デモは10年ぶりの規模の動員となった。

 

露骨に共産党を挑発するスローガンが使われたこのデモを受けて、北京はどのような反応を示したか。デモ翌日、北京では財政部と人民銀行が記者会見した。財政部は香港で6年にわたり総額960億人民元の国債を発行してきたことなど、香港の繁栄と安定のために大陸が大きく貢献してきたことを説明した。人民銀行は、香港が世界の人民元オフショア市場の53%を占めていることを指摘し、この不断に大きくなるパイを香港は大事にすべきだが、「食べたくないというなら香港の勝手だ」と警告した。相も変わらずの「ビッグ・プレゼント」論である。今時このような「脅し」が、むしろ景気後退で不動産が安くなることすら期待している香港の若者に通用するはずがない。北京の切るカードは、10年前とは異なり、香港のニーズとはすっかりずれてしまっていた。

 

そして、9月28日、「オキュパイ・セントラル」が発生した。

 

 

中国の弱点:ソフト・パワーの欠如

 

こうして過去10年間の北京の対香港政策を振り返ると、その限界が浮き彫りになる。北京が使った最大の武器は経済カードであった。金と人の移動の管理にまつわる規制や政策を利用してマクロ経済を刺激するのは、大陸においても北京の得意とするところであり、マクロ経済が低迷していた当時の香港に対しては効果があった。しかし、北京は財界の利益を重視するあまり、市民生活の利益を犠牲にする過度な「中港融合」政策を、その問題点を認識しないまま注ぎ続け、「中港矛盾」の原因を作ってしまった。大陸の人々の言動はまた対立を悪化させた。香港市民の心理的反発に対して、北京が打てる具体的な対策は「教育」しかなかったが、説得力を欠く意見の強制はさらなる反発を呼んで逆効果を招いた。大陸であれば、反発は力で封じることもできたが、大陸と異なる制度を持つ国際都市・香港で、世界の監視の目の前で、学生デモを武力鎮圧するようなことはできないはずと、北京は学生側にもなめられていた。

 

結局、中国政府に圧倒的に欠如していたのは、経済力・軍事力などのハードな強制力が利かないときに、魅力・説得力によって人を動かす力、即ち「ソフト・パワー」である。共産党への忠誠心を喚起しようとする宣伝や教育活動が効果を生まなかったのは、多元的な言論や価値が競争している香港社会で、共産党の言論が市場競争で市民の支持を勝ち取れていないからである。香港の学生たちが真の民主主義が欲しいと主張するのは、世界の多くの政府や著名人が香港の学生支持を表明したことからも分かるように、世界的な価値基準から見て正当な要求である。中央政府は外国勢力の影響が国の安危に関わるなどとしてそれを拒んだのであるが、香港の若者に対して説得力は不十分である。

 

こういう「ソフト・パワー」の存在価値自体に、北京は十分気づいているとは言えない。今回のデモに対して、北京はその資金源や組織原理を気にしているという。巨大なピラミッド構造を特徴とする中国の体制内の人たちは、自らの組織と行動から香港の状況を推測し、金と組織的権力というハード・パワーがなければ動員はできないと発想しているのであろう。しかし、今の若者は共通の理念とインターネットがあれば、小遣い銭を持ち寄るだけでかなりの運動を実行できてしまうということに、北京は気づいていないか、気づこうとしていない。中国政府系メディアは米国の基金から民主派の労組系の議員が幾ばくかの資金援助を受けていたというような細かい事実を探し当てては、鬼の首を取ったように「西側勢力の関与」を喧伝しているが、これではデモの真相には決して迫れない。

 

現在の中国は、経済力のみならず、様々な面において世界第二の大国になった。米国とは異なる政治・経済・価値の体系を持っているという意味において、一部からは米中の「G2」時代とも称されるように、中国は米国と並び立つ潜在力のある唯一の国家と言っても過言ではない。欧米型の、自由民主主義の政治体制と市場経済を信奉する体制を「ワシントン・コンセンサス」と称するのに対し、権威主義体制と国家資本主義の中国式体制を「北京コンセンサス」と呼ぶ論者もいる。

 

しかし、「北京コンセンサス」は、途上国の発展モデルの一つとしては有効であり、アフリカなどにはその信奉者は少なくないが、その弱点は先進民主主義国に対して全く魅力がないことであろう。中国は欧米型のデモクラシーにも欠陥が多いことをあげつらい続けているが、自らが欧米型へのオルタナティブを提示して、欧米にインパクトを与えることは全然できていない。自由な国には、自国が中国のような社会になって欲しいと考える者は極めて少ない。この点では、特に学生運動など、西側諸国の若者の間に少なからぬ支持者を持った冷戦期のソ連と比べても全く劣っている。中国の場合、都合の悪い世界標準の民主や自由を受け入れないために「中国の特色」を強調することで、何かと「西側勢力」に対してとげとげしい態度をとることになり、結果として北朝鮮のような「悪友」とばかり親しく交わることを余儀なくされ、ますます世界の主要国との関係緊張を拡大するという悪循環に陥っていると見える。

 

欧米と政治的価値観で争えないならば、せめて文化人や映画スター・歌手など、何か中国の魅力を代表する人物でもいれば、世界の若者や大衆の心理に影響できたかも知れない。しかし、かつての香港スターのような、世界に知られる中国のスターが出現する気配は感じられない。

 

どんな国もその軍事力と経済力で全世界を支配することはできない。味方を増やせる魅力・説得力のない国の影響力はどうしても限られる。中国が、単なる「超大きな国」から、世界に影響力のある「超大国」へと脱皮するには、このソフト・パワーの弱点を克服する必要があるが、そのハードルは、香港行政長官選挙への民主派の出馬のハードルと同様に、非常に高いようにも見える。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

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