進撃する「イスラーム国」はイラク政治をどこへ連れて行くのか

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「イスラーム国」がもたらした「クーデタ」と政変

 

さて、「イスラーム国」の台頭とモスル陥落がイラク政治に与えた影響は、以上のような治安問題や宗派対立の一時的な激化だけではなかった。それは「クーデタ」による政変をも、もたらしたのである。

 

当時のイラクでは、2期首相を務めたマーリキーが、3期目を目指して様々な工作を進めていた。2006年5月に成立した第1次マーリキー政権下では、内戦の克服と治安の安定化という功績があったが、2010年12月に発足した第2次マーリキー政権下では、司法を用いた政敵の排除によって、自らの権力を盤石にしようとするマーリキー首相への反発が強まっていった。

 

そして、2014年4月に実施された第3回国会選挙前後には、首相三選を目指すマーリキーと、それをなんとかして阻止しようとする他の政治エリートのあいだで、激しい対立が生じた。ほとんどの勢力が、マーリキー首相の三選を阻止しようと奔走していたが、選挙の結果は、マーリキー首相率いる勢力の大勝に終わった。

 

それにはもちろん理由があった。マーリキー首相の退陣という一点では合意できた勢力が、他の争点をめぐって分裂し、票割れを起こしたからであった。また、マーリキー首相が、土地や住宅などの国家の資源をばら撒き、集票マシーンとして利用したことも、選挙での勝利を担保する要因となった(選挙については、SYNODOSの山尾大「分裂とばら撒きがもたらした勝利」(https://synodos.jp/international/9032)を参照のこと)。選挙に勝利したマーリキー首相は、首相三選を実現することは民主的な正当性を持っていると高らかに宣言した。

 

だが、選挙結果が発表されてからほどなくしてモスルが陥落すると、マーリキーの首相三選には一気に暗雲が立ち込めることになった。モスル陥落の責任はマーリキー首相にあるとの見解が次第に正当性を獲得するようになり、一連の「マーリキー下ろし」が開始されたからである。

 

戦後イラクの政党は、マトリョーシカ人形のように、小さな政党が複数で政党連合を形成し、いくつかの政党連合が集まって大連合を結成する、という構造を持っている。たとえば、マーリキー首相は「ダアワ党」の党首であり、ダアワ党といくつかの政党が連合して「法治国家同盟」という政党連合を結成している。さらにそれにいくつかの連合が組み合わさり、「国民同盟」という大連合が作られた。国民同盟は、マーリキー政権のいわば「与党」の役割を果たしてきた。

 

その国民同盟の議長が、モスル陥落後にマーリキー首相の三選に明確に反対し始めたのだ。つまり、マーリキー首相は、自らの政権基盤から引導を渡されたことになる。

 

さらに、イラク国内でとくにシーア派の住民とイスラーム主義政党に大きな影響力を持つシーア派宗教界も、マーリキーの首相三選に反対姿勢を示し始めた。シーア派宗教界は、選挙で勝利した者ではなく、「国民に広く受け入れられる首班指名候補者」を要求し、暗に首相三選に反対したのだ。

 

これを受けて、ダアワ党が、マーリキー首相の首班指名を取り下げると発表した。シーア派宗教界の要請には反対できない、というのがその理由であった。マーリキー首相は、自らが党首を務める党に見限られたことになる。いわば、ダアワ党が自らの党首の首を切るという「クーデタ」を起こしたのである。

 

ここで潮目が完全に変わった。マーリキー首相の側近からも、マーリキーの首相三選に反対する「裏切り者」が続出した。追い詰められたマーリキー首相は、一時的に軍を動かして大統領府を包囲した。誰もが軍事クーデタを予期した。だが、マーリキー首相は最終的に軍を数時間で引き上げた。その隙に、マーリキー首相と同じダアワ党から、アバーディーが新たに首班指名されたのである。

 

アバーディーは、同じダアワ党でもマーリキーとは別の派閥に属する人物である。サッダーム・フセイン時代、ダアワ党は亡命反体制活動を展開していたが、マーリキーはダアワ党のダマスカス支部(シリア)の代表を務めていた。一方で、アバーディーはダアワ党ロンドン支部(英国)の幹部であった。

 

いずれにしても、重要なことは、「イスラーム国」によるモスル陥落のインパクトは、民主的な選挙の結果よりも大きく、「マーリキー下ろし」という「クーデタ」を引き起こしたのである。モスルが陥落しなければ、「マーリキー下ろし」も、アバーディーの登用もなかったかもしれない。そう考えると、この政変はいわば「イスラーム国」がもたらしたものであった。

 

 

外部介入と古くて新しい対立

 

もうひとつ、「イスラーム国」がイラク政治にもたらした厄介な問題がある。それは、外部介入と旧体制派をどう取り込むか、というふたつの古くて新しい問題である。

 

上で述べたとおり、モスル郊外で少数派の人権を侵害し始めた「イスラーム国」に対して、米国を中心とする有志連合による空爆が始まった。ところが、空爆が規模を拡大するにつれ、外部の介入に反対する声も大きくなっていった。典型的なのは、イラク戦争後に一貫して反米姿勢をとっているサドル派であった。サドル派は、かつての占領軍であった米軍と、「イスラーム国」掃討作戦で協力することを拒否し、米軍地上部隊の派遣に強く反対した。空爆だけで「イスラーム国」を駆逐できないことは百も承知であるが、こうした国内世論に鑑みると、イラク政府も公式には地上軍の派遣に反対する他なかった。

 

このように、「イスラーム国」の排除には米軍をはじめとする国際社会の協力は不可欠であるが、それに対しては国内から主権侵害や介入との批判が百出する。これは、イラク戦争直後から続いてきた対立構造であり、深刻な政治対立を惹起している。

 

さらに、旧体制派をどのように取り込むかという問題もある。CPAが旧体制派をパージしてから、マーリキー政権も真剣に問題解決に取り組んでこなかったため、不満をため込んだ旧体制派が「イスラーム国」と手を組んでモスルを陥落させたのだ。旧体制派が「イスラーム国」と分裂した現在、旧体制派を取り込んで、「イスラーム国」掃討作戦に活用することは、実に理にかなっている。「イスラーム国」を孤立させるためにも、現地の部族の支持を獲得するためにも、旧体制派の取り込みが極めて重要なのである。

 

だが、これには根強い反対がある。とくに、旧バアス党政権から弾圧を受けた人々の反対は大きい。サドル派はその典型である。サッダーム政権から苛烈な弾圧を受け続けた勢力は、旧国軍ならまだしも、旧バアス党幹部の復権については、決して首を縦に振らない。ここにも、一筋縄ではいかない事情があるのだ。

 

対米関係と旧体制派の問題は、戦後の政治対立を惹起してきた最も深刻な争点で、「イスラーム国」の台頭は、まさにこの古くて新しい問題を再び顕在化させたのだと言えよう。

 

 

ふたつの「クーデタ」と激動のイラク政治

 

このように、第一義的には旧体制派による「クーデタ」であったモスル陥落事件は、その後イラクに宗派対立の嵐をもたらした。とはいえ、一時的に吹き荒れた嵐も、ほどなくして「イスラーム国」と旧体制派の対立という事態の勃発を前に、次第におさまり始めた。そして、「イスラーム国」がもたらした混乱は、膠着状態になっていた政治対立を打開し、「マーリキー下ろし」の「クーデタ」を引き起こした。こうして、民主的な選挙の結果を排した「クーデタ」による政変が生じたのである。それに加え、旧体制派や地元部族との戦いで守勢に立たされた「イスラーム国」が少数派の人権侵害に走ったことは、外部介入を呼び起こし、それがイラク国内の米軍に依存した治安政策/反米と、旧体制派の包摂/排除という、イラク戦争後一貫して存在する古くて新しい問題を、先鋭化させることに繋がったのである。この間生じたふたつの「クーデタ」は、はたしてイラクをどこに連れて行くのだろうか。

 

本稿で展開した議論に加えて、「イスラーム国」そのものやクルド問題、シリア紛争、「イスラーム国」が国際政治に与えた影響については、吉岡明子・山尾大編『「イスラーム国」の脅威とイラク』(岩波書店、2014年12月26日刊行)のなかで詳細に分析されている。同書は現時点で「イスラーム国」とイラクをめぐる最も包括的で多角的、かつ学術的な書物となっているので、ぜひ手に取っていただければ僥倖である。

 

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