地中に残された物的痕跡から明らかにする歴史――南米先史時代の多民族社会「シカン」の繁栄と衰退の謎

青銅器時代の無文字社会

 

日本から見て地球の裏側に位置する南アメリカの人々は、通説ではシベリア一帯に起源を持ち、約5~1万年前にベーリング海峡から新大陸に渡ったと考えられています。同じくモンゴロイドの血を引くという意味で我々と共通点がありますが、文化的には色々な面で異なります。

 

たとえば、彼らは16世紀にスペイン人がやって来るまで文字を知りませんでした。文字の他にも、旧大陸で文明の礎となった鉄器や車輪、活版印刷といった技術を一切持ちませんでした。16世紀の前半(日本でいえば戦国時代真っ只中!)にインカ帝国がスペイン人たちに征服されるまで、南米の人々は青銅器時代を生きていたのです。

 

この地域や時代について、現在日本で使われている世界史の教科書にはあまりにも記述が少ないので、多くの方々が世界遺産で有名なマチュ・ピチュのことくらいしか知らないのも無理はありません。私はそんな南米の先史社会について研究している考古学者です。

 

私の専門は、インカ帝国よりも約500年前、現代の私たちからすれば約1000年前にペルーの北部海岸・ランバイェケ地方で栄えたシカンと呼ばれる社会と、当時の人々が担った文化についての研究です。日本がそうであるように、他の地域や時代では、考古学調査といえども同時代に残された文字記録(木簡や石碑の碑文など)に頼れるケースが多いのですが、無文字社会の彼らについて知るには、地中に残された物的痕跡から「読み取る」他に術がありません。これはとても困難な仕事ですが、それがこの地の考古学研究の醍醐味と言えます。

 

 

ペルーの海岸地域

ペルーの海岸地域

 

シカン美術を代表する金属製品(金属製品)

シカン美術を代表する金属製品(金属製品)

 

シカン美術を代表する工芸品(黒色単頸壺)

シカン美術を代表する工芸品(黒色単頸壺)

 

ペルー北海岸ランバイェケ地方

ペルー北海岸ランバイェケ地方

 

 

唯一記録された口頭伝承:ナイムラップ伝説

 

“ランバイェケの人々は、数えられないほどの大昔に、このピルーの北からバルサ筏の大船団でやってきたと言われる。その首長で、ナイムラップと呼ばれる、偉大な勇気と優れた資質に恵まれた男は、たくさんの妾やセテルニと呼ばれる正妻、続いてやってきた船長や統領たちなど、多くの人々を引き連れてきた。とりわけ高貴な40名の家臣たちの中には、大きなほら貝を吹くピタ・ソフィや、首長の御輿や腰掛の世話をするニナコラ、首長の飲み物を瓶で運ぶニナヒントゥエ、首長が歩くところに貝殻の粉を撒く役目を持ったフォンガ、料理人のオクチョカロ、聖油や首長の顔に塗る顔料を扱うシャム・ムチェク、首長を風呂に入れるオリョプコポク、羽で出来た装身具などを扱う係りの者、リャプチルリと呼ばれる首長の息子などがおり、(首長のナイムラップは)これらの役割を持った人々に加えて、その他にも多くの着飾った権威ある人々を連れてやってきた。”『Miscelánea Antárctica (1586) 』ミゲル・カベヨ・バルボア

 

 

この一節は、エクアドルのキートで司祭の地位にあったミゲル・カベヨ・バルボアが、1582年にペルー北海岸のヘケテペケ川下流域・グアダルーペにて現地の人々から聞き知った、古くから伝わる口頭伝承です。

 

ちなみにグアダルーペは、シカンの中心地があったと考えられているラ・レチェ川中流域・ポマ地区から南東へ約90キロのところに位置する町です。この口頭伝承は「ナイムラップ(またはナイランプ、ニャインラップ、ニャイランプ)伝説」と呼ばれ、シカンを語る際にしばしば引き合いに出されます。冒頭の一節はさらに以下のように続きます。

 

 

“すべての財産とともに、ナイムラップは今日「ファキスヤンガ」と呼ばれる川の河口に上陸し、そこに港を築いた。乗ってきたバルサ筏をそこに放棄して、彼らは定住地を求めて内陸へと進んだ。そして半リーグほど内陸に入ったところに宮殿を築き、「チョトゥ」と名付けた。この宮殿で彼らは携えてきた偶像を、野蛮な献身をもって崇拝した。ナイムラップに似せて緑色の石から作られたこの偶像を彼らはヤンパイェックと呼んだ。これはナイムラップの生き写しであった。

以降、長年にわたって人々は平穏に暮らし、ナイムラップは多くの子宝に恵まれた。ナイムラップの死期を悟った側近たちは、偉大なる首長も死を免れることはできなかったと家臣たちに悟らせるべきではないとし、ナイムラップの遺骸を宮殿内の彼の自室に秘密裏に埋葬し、一方で広く一般には「首長は翼を得て飛び去った」と告示した。”

 

 

ナイムラップ上陸のシーンを再現したもの(チャンチャン遺跡)

ナイムラップ上陸のシーンを再現したもの(チャンチャン遺跡)

 

 

考古学者の中には、この記述を史実とみなし、考古学的解釈の土台とする者が少なくありません。つまり、ナイムラップは実在の人物であり、ランバイェケ王朝(=シカン)を築いた。そして、シカン美術の品々に頻繁に描かれる人物像はそのナイムラップを模したものであるとする考え方です。しかし、後の研究でシカンが興ったのは紀元後850~950年あたりだと分かりましたから、この伝説との間には少なくとも半千年紀もの時間的隔たりがあることになります。

 

ナイムラップ伝説を史実と信じる研究者たちは、ランバイェケ川(“ファキスヤンガ川”?)下流に位置するチョトゥーナ遺跡もしくはその近隣のチョルナンカップ遺跡が、ナイムラップが宮殿を築いた「チョトゥ」ではないかという推測のもと、両遺跡において発掘調査を行いました。ハインリッヒ・シュリーマンのトロイ遺跡の発掘を思わせるこの試みは、多くの考古学者たちの興味を引きました。

 

 

チョトーゥナ遺跡

チョトーゥナ遺跡

 

 

カルロス・ウェステル率いる国立ブルューニング博物館の調査隊は2006~2009年の発掘で、貴族の宮殿らしき建築物を発見しました。王座とみられるものも完全な保存状態で見つかりました。ところがナショナル・ジオグラフィックは「ナイムラップの子孫と考えられる貴族の宮殿が見つかった」と報じます。

 

これは、発掘区から見つかった物的痕跡はほとんどすべてがシカン後期か、さらに後の時代を示すものであったためです。33人の女性の生贄を埋葬した墓は見つかりましたが、「宮殿内の自室に埋葬された」とされるナイムラップの遺体も、緑石製のヤンパイェック像も見つかりませんでした。結局、期待されたナイムラップ伝説とシカンとの間のミッシングリンクを考古学的に証明することはできなかったのです。【次ページにつづく】

 

 

ナショナル・ジオグラフィックによる報道

ナショナル・ジオグラフィックによる報道

 

 

 

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