2015.05.02

1915年事件の「現実」――「ジェノサイド」と言おうが言うまいが

国際 #SYNODOSが選ぶ「日本語で読む世界のメディア」

このような悲劇は、100年前我々の国で、我々の土地で、我々のそばで、我々の内部で起きた。オバマ大統領やほかの誰かがどのような言葉を使おうと使うまいと、我々にとって「歴史と向き合う」義務がなくなるわけではない。

オバマ大統領は今回、1915年事件の100周年で「ジェノサイド」と言うだろうか、言わないだろうか。

仮に言わなかったとしても、1915年に何が起きたか、何が起きなかったかの事実は変わるだろうか?アメリカ政府筋は、「ジェノサイド」と言わずに再び「メッツ・イェグヘレン」つまり(アルメニア語で)「大きな悲劇」という言葉を使うとしている。トルコの所管大臣もオバマ大統領が「ジェサイド」という言葉を使うと予想していない。「予想であり、合理的に考え至った私見では、アメリカ大統領がこの表現を使わない方向でいる。用いられた場合、このような表現がもたらす結果が地域と世界の平和のために誤った結果となると考えている」と述べた。

なぜ、「地域と世界平和のために誤った結果」となるのか?これはどういう意味か?

恐らく、トルコはアメリカに対してそういった反応を見せるだろう。アメリカと協力する分野の活動を放棄し、アメリカの国益と国際益はこの対応から被害を被る、といった要求をアメリカに突きつける。そうすれば、オバマ氏は、全てのこれらを計算にいれて、「トルコ人を怒らせると、彼らは私に不利益となることをするだろう。どうすればいいか。以前言ったように、「メッツイェグヘルン」といって対処しよう」とし、「ジェノサイド」の言葉を使わない。

この状況で、オバマがこう振舞うことは「1915年の事実」に関心がないということが暗に認めたということになる。このように振る舞って、オバマはアンカラ政府の「恐喝」を考慮せず、「現実的政策」の必要性を尊重したことになるであろう。

オバマが個人として、1915年の事件を「ジェノサイド」として見ることには問題はない。 なぜならオバマは、トルコ政府の「ジェノサイドの否定」が正しいとは信じていないからだ。我々はそのことを、彼が2008年のアメリカ大統領選挙の候補であった時の声明から知っている。

彼はなんと言っていたか?

「大統領として、アルメニア虐殺を認定する」このように表現した。大統領に就任してからは、この表現を用いることを避けた。ニューヨーク・タイムズ は「トルコの意図的な忘れたふり」という見出しで、オバマのこの件に関する態度に注目し、「アメリカは否定的な態度へ(もう)目をつぶるべきではないのだ。オバマも自ら、前任者同様、重要なNATOのメンバーを失望させることを避けた。トルコと良い関係を守ることは重要だ。しかし、少なくともアメリカは、ヨーロッパとフランシス教皇の側につきつつ、トルコにとって最大の脅威が、誰が「ジェノサイド」の言葉を用いるかではなく、100年前に起きたことを認めることを拒むことであることを、エルドアン大統領に明白に説明するべきである」と書いていた。

つまり、オバマの「ジェノサイド」という言葉を使うか使わないかは、この100周年で彼自身の政治的モラルの基準によるものなのだ。オバマの選ぶ言葉は、100年前に起きた事実を覆すものではない。

その事実を、オバマも知っている。したがって「大きな悲劇」という言葉を使っている。「ジェノサイド」と彼が言わないことは、トルコとアメリカの中東政策で「その表現を用いた」ことを考慮に入れた「現実的政策」の必要性によってである。その歴史的事実に彼も気づいている。

 100年前の何十万ものアルメニア人は、「移動」の最中に様々な形で、様々な政治的事実の結果として、亡き者とされた。アルメニアの民の大多数はその祖先の土地から抹消された。

事実はこれである。「我々は皆苦難を経験した。私の祖父も…」で始まる「苦難の共有」を目的としたストーリーは、この事実を覆い隠せるものではない。オスマン帝臣民の全てと世界の人びとの多くが第一次大戦の時期に-その前後に-計り知れない大きな苦難を経験したのだ。しかし民の大半が祖先の土地から抹殺された、といういかなる民もないのだ。いかなる子供たち、女性たち、老人たちも、移動の中でアルメニア人のように抹殺されなかった。

このような悲劇は、100年前に我々の国で、我々の土地で、我々のそばで、我々の内部で起きた。オバマもしくは他の誰かがあれやこれやの言葉を言っても言わなくても、我々にとって「歴史に向き合う」義務はなくならない。

1915年はこのような問題であるため、まず人間としては「良心の」、トルコとムスリムの個人という点からは「倫理の」、万人を関係付けるという点でいうと「政治の」問題である。

「1915年の犠牲者」の子孫たちは、「アルメニア」人としてごく僅か-ほぼすべてイスタンブル-トルコにいる一方、世界の数多くの場所へ離散して暮らしている。祖先の経験した大きな悲劇の苦しみやトラウマについて「集合的な知識」と 「共通の記憶」と生き続けている。

つまり、1915年の事件は、「誇りをかぶった文書館」の史料ではない。従って、「歴史家に任せる」という類の、専ら「アカデミック」なテーマとしてのみ取り上げるべきではない。

トルコ政府が長年定番料理のように繰り返してきた「紋切り型のテーゼ」は、この問題を「歴史家へ任せる」ことだ。 その後、全世界へ向き直り「文書を公開している。来て、見てください」と言って、1915年事件が「ジェノサイド」でないことに関しとても注目に値する「自信」を示している。

どの文書か?

統一と進歩委員会総本部、つまり統括本部が、特殊部隊の(第一次対戦の深層国家)と当時の内務省の「強制移住」に関する部署の文書の全てを焼いたことは周知である。

「強制移住」つまりアルメニア人が「土地を変えさせられたこと」、シリアの暮らし難い砂漠へとキャラバンの状態でここごとく出発させられたことが、「戦争条件下」で生じ、これが「軍事的措置」であったことが繰り返され続けている。

しかし、「強制移住」は、全アナトリアを、更にトラキアを含んでいる。もっと言うなら、アルメニアの男性たちはそれ以前に軍隊に取られ「後方支援部隊」で武装解除されていた。これらは文書の調査を必要としない「歴史的事実」である。

先週の初めに、イスタンブルでフィナンシャル・タイムズ誌の外信部のデビッド・ガードナーと会った。彼の手を見ると、Eugene Roganの広い関心を引き起こした新刊「オスマン帝国の崩壊-中東の大戦争」があった。

我々は本について話し始めた。「アルメニア人の全滅」という章を読んだかどうか聞いた。彼は「まだそこまで読んでいない」と言い、こう付け加えた。「しかし、週末出版される同紙で、1915年事件に関して新しく出された本と、この問題に関して以前に出版された書籍とはまったく異なる三冊の本に関して批評が掲載されるだろう。トルコ関係者がこれを読めば、私のことを恐らく怒るだろう…。」

ガードナーは、「死と否定」という見出しのとても重要な記事のある箇所に「エルドアン大統領の、文書を世界中の専門家に公開する」との提案とは対照的に以下のような表現を用いた。

「全員が受け取りうる専門的出版物がここまで充実しているため、(1915年における)事実を明らかにするには、世界の専門家に文書を公開することは(もう)ほとんど必要ない。」

事実は、1915年にアナトリアのアルメニアの民が全滅させられたたことである。トルコは、アメリカ大統領が「大きな悲劇」と言うだろうと喜ぶかも知れないが、ト ルコ社会は、アルメニア人が「大きな悲劇」に見舞われたことについて、喜ばない日が来るまで、「歴史にしがみつくこと」から解放されえない。自由になれない。

我々は、まずオバマ氏が何をいうかではなく、トルコの人びとを自由にすることに関心を抱くべきだ。

100周年で1915年の事実は変わらない。あるアメリカ大統領が100周年で口にできない事実を、101周年もしくはその後いかなる年に語ろうと、変わらない。フランシス教皇以前の教皇がそれを言ったか言わないかといって、「1915年の事実」は変わるだろうか?

「1915年の事実」は、アナトリアのアルメニアの民が全滅されたことだ。

まぎれもない事実である…。

Radikal紙(Cengiz Candar、2015年04月23日付)/ 翻訳:矢加部真怜

■本記事は「日本語で読む世界のメディア」からの転載です。