アジアはアジアの夢を見るか?――学生と解き明かす、東アジアの胸の内

アジア統合のカラダとココロ

 

――第3部「東アジア共同体への胎動?」はいかがでしょうか。「ジャパン・ポップはソフト・パワーとして機能するか」(第7章)、「東アジア共同体成立の心理的基盤を探る」(第8章)、「学生の意識に見るアジア統合の展望」(第9章)と、近年話題に上ることが多い東アジアの地域統合についての論考が並びますね。

 

全体として、「地域統合論が期待するほど、アジアの地域統合は人々の日常生活に定着していない」ということが、言えるでしょう。

 

国際政治学を中心に、制度的な枠組み作りをめぐる議論が先行しています。ですが、「アジアは一つ」と口で言うことはできても、そこに至る道を、アジアに生きる人々は具体的にイメージできていないのではないかと思われます。政治制度として統合はありえても、自分の人生としては見ていない、ということでしょうか。

 

こうした点への配慮なしに、制度設計をすることには無理があるのではないか、と考えています。ただ、だからといって、統合は無理だといった悲観論に立っているわけではありません。

 

各章の議論を見てみましょう。第7章では、近年もてはやされがちなソフト・パワーについて論じられています。ソフト・パワーは、一般的に思われているような、自国のイメージを良くする「万能薬」のようなものではありませんが、友人関係を持つことが部分的にはイメージ改善につながる。このことを、日本の映像コンテンツの視聴頻度と、韓国・中国における対日イメージの関連を分析することで示しています。

 

また第8章では、グローバリゼーションへの接触度が高く、英語ができる者ほどアジア人意識が強まる傾向が示唆されています。ただ、日本人のアジア人意識が一貫して低いことは、日本におけるアジア地域統合に対する関心の低さを端的に表しているといってよいでしょう。

 

最後に第9章では、アジア人意識の規定要因や、アジアにおける共通の脅威認識の有無について考察しています。そこでは、経済統合の進展がアジア人意識の生成に貢献している一方、アジア各国に共通する脅威が存在していないことが確認されています。

 

 

――共通する脅威が存在していない、というのはどういうことでしょうか?

 

地域統合を考える上で、何か共通の問題があり、それに共に対処しなければならない、という認識が共有されることは非常に重要です。つまり、共通する脅威があることは、統合を促進すると考えることができるわけです。

 

しかし、アジア各国における脅威認識を分析してみると、例えば日本で大きな脅威として認識されている「社会の高齢化」「少子化」といった項目は、タイやフィリピンではほとんど脅威として認識されていません。逆に、これらの国々で脅威とされている「貧困」や「違法薬物や薬物中毒」は、日本や韓国では脅威としては認識されていません。

 

似た脅威認識を持つ国々をグループ化してみると、東アジアの国々は大きく4つのグループに分けられそうです。

 

第1は日本・韓国・台湾からなるグループで、これらの国々では経済発展が進んでいて、政治的にもそれほど脅威がありません。これらの国々における脅威は「高齢化」などです。第2のグループは、フィリピンとタイからなり、発展途上国として共通の経済的・政治的問題(「人口過剰」「難民と亡命問題」など)を有しています。

 

次に第3のグループを構成しているのは、中国とベトナムで、共産党の支配が同様に続いていて、「汚職」など、政治的問題において似た脅威認識を有しています。最後にシンガポールですが、シンガポールは先進国である一方、東南アジアに位置しているため、第1のグループ、第2のグループのどちらとも脅威認識をある程度共有していると考えられます。

 

このように東アジアでは、かなりばらつきのある脅威認識を持っている国々が集まっているので、少なくとも心理的・社会的な面で統合を進めるのは容易ではない、と思われますね。

 

 

学部生にもここまでできる!

 

――本書の執筆者の多くは学部生です。何か特別なお考えがあったのでしょうか。

 

自分の論文を出版する機会は、大学院生でもなかなかありませんから、学部生にそれをさせるのには、大きなリスクがあります。途中でモチベーションを失ってしまったり、頑張ったけれどもよい論文が書けなかったり、というような可能性が高くなるわけです。

 

ただ、これまでの経験から、ある程度こうしたプロジェクトの実現可能性については、自信がありました。というのも、私は東京大学へ来る前は早稲田大学に、その前には中央大学にいたのですが、2000年頃から、中央大学の学部生を対象にしたゼミで、毎年学生のイニシアティブによるプロジェクトを行ってきました。それを繰り返していくうちに、私のなかで「ここまでは学部生でもできる」という、おおよその感覚が身についていったのです。

 

学部生にはもちろんできないことも多いですが、彼らにしかないみずみずしい視点というものもあり、無茶な議論や計画をしてしまうことがあったとしても、それが無茶であるということがわかった時点で学部生として十分学ぶことがあるのです。

 

 

――早稲田に移られてからはいかがでしたか?

 

早稲田で私が務めていたのは、アジア太平洋研究科という学部を持たない大学院でした。そのため学部で違う専門を勉強していた学生も多く、実質的には学士入学のような状態でしたから、それほど学生のレベルが変わったという気はしませんでした。ここで先に申しあげたように第1回のアジア学生調査を行ったのですが、その翌年の2009年に、学生からこのデータを使った論文が書きたい、という申し出を受けました。

 

そのとき、このアジア学生調査が学生を主体としたプロジェクトであっても良いのではないか、また学生調査という性質からもそれが望ましいのではないか、という考えが芽生えました。

 

 

――そこで東大に移られたあと、第2波を学生主体で行おうと思われたのですか。

 

いえ、実は東大に来た当初は、あまりこれを東大で行おうとは考えていませんでした。というのも、早稲田では30人くらい修士・博士の学生がいて、プロジェクトを実行するだけのマンパワーが容易に確保できたのですが、東大で私の所属している教育課程では、学生がさほど多くない上に日本人の学生が少なく、しかも早稲田の学生に比べて東大の院生はグループワークに慣れていないため(笑)、ここでプロジェクトを行うのは難しい、と思ったためです。

 

 

――ではどのようにして今回のプロジェクトにたどり着かれたのでしょう?

 

東大で大学院生対象のプロジェクトが難しいとなったとき、頭に思い浮かんだのが学部生でした。これまで3つの大学で学生を見てきて、経験が蓄積され、学生をどのように誘導してあげればプロジェクトがうまく進行するのか、私なりにわかっていましたし、「東大なら学部生でも出来るはずだ」という過分な期待もありました。2013年に無事に第2波の調査を終えることができたので、論文執筆も当然できるだろう、とも思いました。データを集めるほうが、それを加工するよりも難しいですから。

 

 

――それはなぜですか?

 

データを集めるためには質問文を考えないといけませんが、質問文を考えるには、その先にある答えがぼんやり見えていないといけません。一般的に、オリジナルなデータを学生に取らせることはなかなかありません。というのも、そのためには深い知識が必要で、力がなければ問いを考えることはできないからです。

 

しかも、質問がどのような意味を持つのか、ある程度の予測を立てるには、研究の文脈を理解していないといけません。調査対象者に何をどう聞けばよいのか、該当のテーマに関してこれまでにどのような研究がなされてきたのか。これらの知識がないと、データを集めるのが非常に難しくなります。

 

 

――最後に『連携と離反の東アジア』刊行に際して、感想をお聞かせください。

 

職業柄、いろいろな先生の教育活動に注目してきましたが、一際目立っていたのが、東大の法学部で行われていた蒲島郁夫先生(現熊本県知事)のゼミでした。毎年何らかのテーマについて、学生がプロジェクトを実行し、出版にまでこぎつける――こうしたゼミのあり方に感心し、「一度自分もこういったゼミがやってみたいなあ」と思っていました。

 

アジア学生調査は「学生」調査ですから、学生の方がより内在的に考えることができるのではないかという思いもあって、今回のプロジェクトを企画したわけです。結果的に、学部生でもここまでできるんだ、ということを示せたのではないかと思います。これが一番、ウレシイですね。

 

 

 

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