集団的自衛権への対案――武力を使わない、世界に先駆けた、最新の“ポスト集団的自衛権”

国連PKO上級幹部として、東ティモール、シエラレオネの戦後処理を担当。また日本政府特別代表としてアフガニスタンの武装解除の任に就き、「紛争解決請負人」「武装解除人」として、戦場でアメリカ軍、NATO軍と直接対峙し、同時に協力してきた東京外国語大学教授の伊勢崎賢治氏。

 

日本人で最も戦場と言う名の現場を知る氏が昨年刊行した本『戦場からの集団的自衛権入門』の中から、【武力を使わない、世界に先駆けた、最新の“ポスト集団的自衛権”の行使」――日本の将来の国益を損なう「集団的自衛権の行使容認」に対する対案であり、アメリカの国益と世界益にもかなう――ジャパンCOINの具体的な中身】の部分を引用する。(構成 / 編集集団WawW ! Publishing 乙丸益伸)

 

 

9条という名のイージスの楯

 

ここで指摘しておきたいことがあります。安保法制懇の第2回目の報告書に書かれている次の文言についてです。

 

 

「なお、集団的自衛権の行使を認めれば、果てしなく米国の戦争に巻き込まれるという議論が一部にあるが、そもそも集団的自衛権の行使は義務ではなく権利であるので、その行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である。」

 

 

この文言を見る限り、安保法制懇の皆さんは、「日本は、いつなんどきでも、アメリカからの要請を断ることもできるのだ」と言っているように見えます。しかし、我々国民がここで考えなければいけないのは、「日本がこれまで、遮二無二自衛隊の海外派遣へと突き進んできた原動力は何だったか?」ということです。

 

その答えは、「湾岸戦争のトラウマ」であり、アフガニスタン戦争への自衛隊の派遣の時の「Show the flag」だったのです。

 

※「湾岸戦争のトラウマ」と「Show the flag」については、前々回の記事『「集団的自衛権の歴史」を一気に学ぶ』の「湾岸戦争のトラウマ」以降と、「「Show the flag」の真意」以降を参照(構成者注)

 

「湾岸戦争のトラウマ」を感じ、自ら進んで自衛隊を海外に派遣し続けてきた時代。「Show the flag」と言われ、自衛隊派遣の賛成と反対に国論を二分しながらも、世界中のどの国よりも早く自国の軍隊(自衛隊)をインド洋に派遣した時代……。それまでの日本は、「憲法9条」による、「集団的自衛権は持つが、行使はできない」というしばりを明確にかけていました。いわば、自衛隊を海外に派遣できない理由として、「憲法9条という名の楯」を持っていたのです。

 

にもかかわらず、アメリカがそれを求めているからと――より正確には、アメリカがそう求めていると勘違いをして――、〝自ら〞〝進んで〞、自国民を海外に派遣し続けてきたのは、日本自身なのです。

 

はっきり言って、「集団的自衛権は行使できない」というしばりをかけていた時代――すなわち「我が国は集団的自衛権を行使できないため、自衛隊を海外に送ることはできない」と、まだ言えた時代――であってさえも、我が国は、アメリカの意向(であるように感じたもの)に、一切逆らうことができていない状況だったのです。

 

いや、逆らうどころか、自らアメリカの意向らしきものを汲み取って、進んで踏み込み続けてきたといっていいでしょう。

 

(解釈改憲によって実質的に)9条という楯までもが完全に破壊されてしまった状況で、「そもそも集団的自衛権の行使は義務ではなく権利である」、「その行使は飽くまでも我が国が主体的に判断すべき問題である」と、アメリカに強く主張する日本政府の勇ましい姿が想像できるでしょうか?

 

「集団的自衛権の行使はできない」というしばりを持ちながらも自国民を海外に派遣し続けてきた日本が、「集団的自衛権を行使できる」時代を迎えた時、自国民を海外には派兵しないという選択を〝主体的に〞判断できる国になるとは、私にはどうしても思えないのです。

 

確かに改憲派の人たちが言う通り、当初9条は、日本の軍部を無力化したいアメリカから押し付けられたもの――言うなれば日本にしばりをかけるもの――でした。しかし今では、当のアメリカでも後悔し、出口戦略に苦悩する(ここをしかとご理解ください)集団的自衛権の行使に、日本が勝手にアメリカの意向を汲み取って、自らを引きずり出すことを、ある程度抑制できる「しばり」になっていました。

 

※「アメリカでも後悔し、出口戦略に苦悩する集団的自衛権の行使」とは何か? については、前々回の記事『「集団的自衛権の問題点」を一気に学ぶ記事』の「アフガン戦争は、最悪の方法で終わろうとしている」以降を参照(構成者注)

 

「9条を押し付けたのは、あなただもんね」と。

 

日本が海上自衛隊に配備しているイージス艦の「イージス」の語源が何かを知っているでしょうか。これは、ギリシャ神話の最高神ゼウスが娘のアテナに与えたアイギス(Aigis)という名の楯のことで、アイギスの楯にはあらゆる邪悪を払う力が宿るとされています。

 

日本にとって真のイージスの楯は、日米同盟を強化するために配備された、建造費1400億円、年間維持費40億円の6隻のイージス艦という物理的実行力だけではなく、憲法9条そのものでもあるのです。

 

 

9条という名のグングニルの槍

 

また9条は、より攻撃的なグングニルでもあります。グングニルとは、北欧神話の主神オーディーンが持つ槍のことです。狙った的を射そこなうことは決してなく、この槍を持った軍勢には必ず勝利がもたらされる、とされています。

 

なぜ、9条はグングニルだと言えるのか? それは、私自身が、アフガニスタンで武装解除の任務遂行中に、憲法9条を武器にすることで、ネゴシエーション(交渉)の成果をあげた経験があるからです。

 

アフガニスタンで軍閥の武装解除を行っていた時、一つの障壁となっていたのは、当時のアフガニスタンの国防省自体でした。アフガニスタンの暫定政府は、東ティモールの暫定政権のように国連が運営しているものではなく、米・NATO連合軍が、軍事占領する形でアフガニスタンに入っていき、Insurgent(タリバン・アルカイダ残党)と闘いながら打ち立てたものです。つまり、米・NATO連合軍が、元の政府であるタリバンを武力で排し、タリバンと戦った軍閥たちを新たな暫定政権に迎え入れる形で樹立されたものなのです。

 

私が政府から委任される形で行った日本の武装解除は、新国軍をアフガン唯一にして最強の軍隊にすることで、アフガンに秩序をもたらすことを目的として実施したものです。ですからこの作業は、日本が、アフガンの国防省から依頼を受けたという名目で――すなわちアフガンの国防省名義で――実行に移したものでした。

 

しかし、武装解除を管轄するアフガン国防省が、その時、一つの軍閥に支配されていたのです。その一つの軍閥の支配下にある国防省が、他の軍閥の武装解除を行うという構図は、一つの軍閥が他の軍閥から強引に刀狩りをおこなっているようなもの。完全に中立性を欠いてしまっていたのです。

 

このままだと、我々の武装解除は、〝ネーション(国家)〞を樹立するためという大義を失い、国防省を牛耳っている一つの軍閥のみを利する行為となってしまいます。そんな腐敗した国防省が実施する武装解除に、「はいそうですか」と、易々と応じてくれる軍閥などありません。そこで、武装解除を実施する前に、この国防省自体を改革しなければならなかったのです。

 

一つの軍閥が牛耳るトップの人事を総入れ替えして、他の軍閥にも均等に分配することで、公平な国防省にすることからはじめなければいけません。しかし、この国防省の改革が、アフガン新国軍建設を担当しているアメリカにはできなかった。アメリカを中心とする超大国は今まで、アフガニスタンの歴史を踏みにじってきました。軍閥たちの超大国に対する根強い反発心を最も強く肌身で感じていたのは、実は、アメリカ自身だったのです。

 

そこで、日本は、アメリカ軍の最高司令官と、国連代表のブラヒミさんと協議をし、日本の名前を前面に押し出す形で、この国防省を牛耳る最強軍閥の長に迫りました。

 

「国防省が『軍閥』である限りは、日本の支援が一つの武装勢力を利することになってしまう。これは日本にとって違憲行為だ。だから、国防省を改革しない限り、日本の血税は1円も使わせない」

 

「日本の60億円をはじめとし、100億円もの国際支援が集まった。もう後には引けない。君の軍閥が、いや君が、世界を敵に回すなら話は別だが」

 

半年かかりましたが、日本は国防次官以下、すべての主要ポストを入れ替えることに成功したのです。その間、軍閥の子飼いの鉄砲玉たちから(と思われますが、真相は定かではありません)、日本大使館に対して殺害予告も受けたりもしました。当時まったく警備体制が整っていなかった大使館の私たちは、その予告に縮みあがったものです。

 

こうして日本は、アメリカのCOINにおいて、最難関であった国防総省改革と武装解除に成功しました。これは、9条を武器にした日本がアメリカと世界に対して「大きな主体性」を発揮できた、分りやすい実例だと思います。

 

9条は世界との交渉の場において、「支援を行う代わりに日本が口を出す」ことを可能にしてくれる、強力な武器でもあるのです。

 

ここで考えていただきたいのは、これまで、かすかに発揮できていた日本の「主体性」は、何によって保たれていたのか、ということです。確かに自衛隊の活動範囲が広がってきており、9条の文面と現実の乖離は、埋めようがありません。その意味で9条は、〝いつかは〞、変えなければならない時がくるのでしょう。

 

でも、9条を変える決定を下すその前に、日本がInsurgentと対峙し、交渉していく際の「グングニル」として、9条を使っていくというのはいかがでしょうか?

 

今、我々の一番大事な友人であるアメリカが、COINの実践においてこれほど苦悩している時に、その槍は大変な威力を発揮するはずです。

 

私が、「集団的自衛権の行使容認」に反対している、最も物理的な理由は、憲法9条の実質的な(解釈)改憲となる「集団的自衛権の行使容認」によって、この9条という名の「アイギスの盾」と「グングニル」を日本が永遠に失うことになってしまうためです。その損失は計り知れない規模のものになってしまうのです。(略)【次ページにつづく】

 

 

 

シノドスをサポートしてくれませんか?

 

誰でも自由にアクセスできる本当に価値ある記事を、シノドスは誠実に配信してまいります。シノドスの活動を持続的なものとするために、ぜひファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」のパトロンをご検討ください。⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

無題

 

・人文・社会科学から自然科学、カルチャーまで、各界の気鋭にじっくりインタビュー
・報道等で耳にする気になるテーマをQ&A形式でやさしく解説
・研究者・専門家たちが提案する「こうすれば●●は今よりもっとよくなるはず!」

・人類の英知を伝える「知の巨人」たち
・初学者のための「学びなおしの5冊」

……etc.  

https://synodos.jp/a-synodos

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.246 特集:「自己本位」で考える

・福田充「危機管理学」とはどんな学問か

・山本貴光「「自己本位」という漱石のエンジン」
・寺本剛「高レベル放射性廃棄物と世代間倫理」
・高田里惠子「ちゃんとアメリカの言うことを聞いたら「大学生の教育」はもっとよくなる」
・絵:齋藤直子、文:岸政彦「沼から出てきたスワンプマン」