難民危機のなかのEUの挑戦――人権と主権とを長期的な視野のなかで調停できるか

欧州難民危機――難民保護という理念と現実の間

 

ヨーロッパへ渡る難民の数は2011年頃から急増し、EU全体で30万人程度であった庇護申請者の数は2014年には62万6715人にまで達した。2015年には難民の数はさらに増え、80万件を超えると予測されている。増え続ける難民の波、そして相次ぐ混乱や悲劇にヨーロッパの人々の意識も人道主義と現実に生じるだろう問題への懸念との間で揺れ動いているように見える。

 

実際、この一月ほどの間に欧州のメディアで難民危機について報じられない日はなかった。なかでも9月初めにトルコの海岸に漂着したシリア人幼児の遺体が撮影され、拡散されたことは欧州の人々の意識を難民との連帯へ大きく傾けたようであった。

 

これに続いてハンガリーの首都ブダペストでせき止められていた難民をドイツやオーストリアが受入れる姿勢を示し、難民達を乗せた列車がミュンヘンで人々に歓迎を以って迎えられる様子が多くのメディアで報道されると、ヨーロッパの各地で難民への歓迎を示す市民運動が展開された。

 

たとえば筆者が在住しているベルギーのブリュッセルでは難民への連帯を示すRefugees Welcomeの行進が行われ、これには1万5千人ほどの人々が参加したとされる。

 

しかし他方では人々の懸念も高まっている。緊急の受け入れ措置から一か月が経過してもヨーロッパへ向かう難民の流れは衰えを見せず、EUは全部で16万人の難民を加盟国に割り当てる措置を決定したとはいえ、その過程では難民受け入れに反対するハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ルーマニアといった中東欧諸国とその他諸国との亀裂が明らかとなった。

 

また最大の受け入れ国であるドイツでは、反移民運動を行うPEGIDAのような運動だけではなく、メルケル首相の属する保守政党の内部や、また通常は移民に対して寛容と考えられている中道左派の社民政党の側からも難民の流入を懸念する声が表明されている。

 

それでもメルケル首相は先週7日のテレビショーで「ドイツは難民を歓迎する国だ」、「我々はやり遂げられる」と述べ、あくまで国境を閉ざさず従来の方針を維持する姿勢を見せたが、徐々に深まる世論の不安は拭いきれていない。

 

ドイツのある世論調査によれば先月には66%の人々がメルケル首相の決断を支持したのに対し、10月初めには59%がこの決断を間違っていたと回答しており、理念と現実との間で揺れる人々の心をよく反映しているように思われる。

 

果たしてこの難民危機は何に起因し、ヨーロッパにとって何を意味するのだろうか。そしてこの危機に際して、ヨーロッパはどのように応答をしようとしているのか。ここでは、筆者の専門とするEUの政治、移民政策の観点から暫定的な回答を試みたい。

 

 

欧州共通難民システムの機能不全

 

すでにみたように、難民危機は各国のレベルでも大量の難民受け入れに起因する様々な課題をつきつけているが、EU全体として見れば、この危機はこれまでEUが構築を進めてきた欧州共通難民システム(CEAS)の限界を明らかにするものだったと言える。

 

もちろん、これは一方で過去と比較して圧倒的な規模の人の移動がもたらした、ある意味ではヨーロッパの外部から訪れた危機であり、決してシステムのみの問題とは言えない。しかし、それと同時にEUの難民システムに当初から内在し、徐々に明らかとなっていた問題がこの危機で一挙に露わになった点も指摘することができる。

 

それはEUの対外国境管理と庇護申請者の受入れ・審査から生じる負担の、加盟国間での配分の不均衡の問題である。

 

歴史的にヨーロッパ統合が何よりも単一市場形成を中心として発展してきたことはよく知られている。そしてEUでその原理を象徴的に体現しているのが域内での人の自由移動を実現したシェンゲン圏であろう。

 

しかし、域内での自由移動を許すということはシェンゲン参加国が対外的国境を共有することをも意味する。そのため、難民の出身地から遠く、また対外的な国境を持たないシェンゲンのいわば「内陸部」にある北西欧の諸国―これら諸国は多くの難民の目的地でもある―にとっては、EU域外と国境を接する国々との間で共通の国境管理政策を発展させることがシェンゲン維持のためにも要求されたのである。

 

このため、難民政策の分野では、1999年のアムステルダム条約で共通政策を策定する権限を得て以降、EUは主に

 

(1)庇護申請・審査の手続きを定めた「庇護手続き指令」

(2)住居や食料など、申請者の物質的な受入れ環境について最低限の条件を定めた「受入れ条件指令」

(3)難民の地位または補完的保護の資格とそれに付随する権利について定めた「難民資格指令」

(4)庇護申請手続きに対し責任を負う国を特定するための「ダブリン規則」

(5)ダブリン規則の効果的な適用のため、庇護申請者の指紋のデータベース化を定める「Eurodac規則」

 

の5つを柱として共通欧州難民システムの建設に努めてきた。

 

そして、その共通システムの最前線にあったのがダブリン・システムである。ダブリン・システムは域内にすでに申請者の家族がいる場合や加盟国の発行した居住許可、ビザなどを所持している場合を除き、原則的に最初に入国した加盟国でのみ庇護申請を行えることを定めている。

 

これはEUへ一旦入国した難民申請者がより良い受入れ条件を求めて様々な国で申請を行う「庇護ショッピング」や、申請が不許可となった後も他の国へと周回して庇護申請を行い、滞在を続ける事態を避けるためだとされ、もし他の加盟国を経由して来た難民が庇護申請を行ったならば、申請を受け取った国はその難民が最初に経由した加盟国へ申請者を移送し、手続きを委ねることが出来る。

 

ところが、これまでダブリン規則に対しては域外国境を有する南東欧諸国へ不均等な負担を強いるものだとの強い批判がなされてきた。【次ページに続く】

 

 

 

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