2015.10.20

難民危機のなかのEUの挑戦――人権と主権とを長期的な視野のなかで調停できるか

佐藤俊輔 EU政治

国際 #難民#EU

欧州難民危機――難民保護という理念と現実の間

ヨーロッパへ渡る難民の数は2011年頃から急増し、EU全体で30万人程度であった庇護申請者の数は2014年には62万6715人にまで達した。2015年には難民の数はさらに増え、80万件を超えると予測されている。増え続ける難民の波、そして相次ぐ混乱や悲劇にヨーロッパの人々の意識も人道主義と現実に生じるだろう問題への懸念との間で揺れ動いているように見える。

実際、この一月ほどの間に欧州のメディアで難民危機について報じられない日はなかった。なかでも9月初めにトルコの海岸に漂着したシリア人幼児の遺体が撮影され、拡散されたことは欧州の人々の意識を難民との連帯へ大きく傾けたようであった。

これに続いてハンガリーの首都ブダペストでせき止められていた難民をドイツやオーストリアが受入れる姿勢を示し、難民達を乗せた列車がミュンヘンで人々に歓迎を以って迎えられる様子が多くのメディアで報道されると、ヨーロッパの各地で難民への歓迎を示す市民運動が展開された。

たとえば筆者が在住しているベルギーのブリュッセルでは難民への連帯を示すRefugees Welcomeの行進が行われ、これには1万5千人ほどの人々が参加したとされる。

しかし他方では人々の懸念も高まっている。緊急の受け入れ措置から一か月が経過してもヨーロッパへ向かう難民の流れは衰えを見せず、EUは全部で16万人の難民を加盟国に割り当てる措置を決定したとはいえ、その過程では難民受け入れに反対するハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ルーマニアといった中東欧諸国とその他諸国との亀裂が明らかとなった。

また最大の受け入れ国であるドイツでは、反移民運動を行うPEGIDAのような運動だけではなく、メルケル首相の属する保守政党の内部や、また通常は移民に対して寛容と考えられている中道左派の社民政党の側からも難民の流入を懸念する声が表明されている。

それでもメルケル首相は先週7日のテレビショーで「ドイツは難民を歓迎する国だ」、「我々はやり遂げられる」と述べ、あくまで国境を閉ざさず従来の方針を維持する姿勢を見せたが、徐々に深まる世論の不安は拭いきれていない。

ドイツのある世論調査によれば先月には66%の人々がメルケル首相の決断を支持したのに対し、10月初めには59%がこの決断を間違っていたと回答しており、理念と現実との間で揺れる人々の心をよく反映しているように思われる。

果たしてこの難民危機は何に起因し、ヨーロッパにとって何を意味するのだろうか。そしてこの危機に際して、ヨーロッパはどのように応答をしようとしているのか。ここでは、筆者の専門とするEUの政治、移民政策の観点から暫定的な回答を試みたい。

欧州共通難民システムの機能不全

すでにみたように、難民危機は各国のレベルでも大量の難民受け入れに起因する様々な課題をつきつけているが、EU全体として見れば、この危機はこれまでEUが構築を進めてきた欧州共通難民システム(CEAS)の限界を明らかにするものだったと言える。

もちろん、これは一方で過去と比較して圧倒的な規模の人の移動がもたらした、ある意味ではヨーロッパの外部から訪れた危機であり、決してシステムのみの問題とは言えない。しかし、それと同時にEUの難民システムに当初から内在し、徐々に明らかとなっていた問題がこの危機で一挙に露わになった点も指摘することができる。

それはEUの対外国境管理と庇護申請者の受入れ・審査から生じる負担の、加盟国間での配分の不均衡の問題である。

歴史的にヨーロッパ統合が何よりも単一市場形成を中心として発展してきたことはよく知られている。そしてEUでその原理を象徴的に体現しているのが域内での人の自由移動を実現したシェンゲン圏であろう。

しかし、域内での自由移動を許すということはシェンゲン参加国が対外的国境を共有することをも意味する。そのため、難民の出身地から遠く、また対外的な国境を持たないシェンゲンのいわば「内陸部」にある北西欧の諸国―これら諸国は多くの難民の目的地でもある―にとっては、EU域外と国境を接する国々との間で共通の国境管理政策を発展させることがシェンゲン維持のためにも要求されたのである。

このため、難民政策の分野では、1999年のアムステルダム条約で共通政策を策定する権限を得て以降、EUは主に

(1)庇護申請・審査の手続きを定めた「庇護手続き指令」

(2)住居や食料など、申請者の物質的な受入れ環境について最低限の条件を定めた「受入れ条件指令」

(3)難民の地位または補完的保護の資格とそれに付随する権利について定めた「難民資格指令」

(4)庇護申請手続きに対し責任を負う国を特定するための「ダブリン規則」

(5)ダブリン規則の効果的な適用のため、庇護申請者の指紋のデータベース化を定める「Eurodac規則」

の5つを柱として共通欧州難民システムの建設に努めてきた。

そして、その共通システムの最前線にあったのがダブリン・システムである。ダブリン・システムは域内にすでに申請者の家族がいる場合や加盟国の発行した居住許可、ビザなどを所持している場合を除き、原則的に最初に入国した加盟国でのみ庇護申請を行えることを定めている。

これはEUへ一旦入国した難民申請者がより良い受入れ条件を求めて様々な国で申請を行う「庇護ショッピング」や、申請が不許可となった後も他の国へと周回して庇護申請を行い、滞在を続ける事態を避けるためだとされ、もし他の加盟国を経由して来た難民が庇護申請を行ったならば、申請を受け取った国はその難民が最初に経由した加盟国へ申請者を移送し、手続きを委ねることが出来る。

ところが、これまでダブリン規則に対しては域外国境を有する南東欧諸国へ不均等な負担を強いるものだとの強い批判がなされてきた。【次ページに続く】

たとえば、Eurostatによれば2013年にダブリン規則に則って庇護申請者を他の加盟国へ送り返すよう要請した国のトップ3はドイツ、スウェーデン、スイスといった北西欧諸国であり、これに対してその受入れ要請を受けた国のトップ3はイタリア、ポーランド、ハンガリーといった南東欧諸国となっており、地理的に難民の影響を受けやすい国々により大きな負担がかかっていることが見て取れるだろう。(スイスはEU加盟国ではないが、2008年ダブリン規則とシェンゲン圏へ参加している。)

さとう

そのうえ、それらのEU域外と国境を接する諸国は十分な難民受入れの能力や設備を備えていない場合も多い。たとえば2013年に約7000件の申請を受けたブルガリアは容量超過に陥り、UNHCRは一時ダブリン規則に基づく移転を止めるよう要請した。また2014年のレポートではイタリアの庇護権審査が非常に長期に渡ることや、申請者の宿泊施設が足りていないことなどを指摘している。

さらに、すでに2000年代の前半にはギリシャが受け入れ体制や庇護権審査の過程でEU法の基準を満たせていないことが指摘されていたが、2011年にはついにヨーロッパ人権裁判所、次いでEU裁判所の判決によってこの点が確認され、他の加盟国からギリシャへの庇護申請者の移送が差し止められる事件が起こっていたために、この対外国境にあたる南東欧諸国の収容能力の問題は数年前から繰り返し明らかとなっていた。

加えて難民の辿る道は年々変化しており、あらかじめ流れを予測することも難しい。いまだ混乱の続いているハンガリーについてみても、2012年には2155件であった難民申請が2014年には42755件、2015年には既に10万件へ届く勢いとなった。その強硬な対応には多くの問題があるとはいえ、その急激な変化を考えれば混乱が起きるのはやむをえないところではある。

このように、どこかの時点でダブリン・システムの機能不全が起きることは長らく予測されており、今回の危機はその来るかもしれないと思われていた臨界点が訪れたということでもあったように思われる。

EU対外的国境の再編成へ向けて

しかし、対外的な国境管理の機能不全はいずれ対内的な自由移動の空間、シェンゲン圏の機能不全へとつながる。9月23日、ポーランドのトゥスク欧州理事会議長はまさに「かかっているのはシェンゲンの未来だ」との見方を示し、いかに対外的な国境を再編成するかが現在のEUにとって喫緊の課題だとした。

現在までのところ、EUは欧州の共通難民システムを含む対外国境の強化へ努める一方で、欧州の国境を越え、難民の経由地であるシリアの周辺諸国との連携を強化することで難民の流れを緩和しようとしている。

前者について、EUはこれまでに16万人の難民をイタリア、ギリシャから再配分することを決定し、また23日のEU首脳会議ではギリシャ、イタリアなど最前線にある加盟国を支援するためにホットスポットと呼ばれる難民の受入れセンターを創設すること、国境警備などを通じて境界管理を強化することなどに合意した。

後者についてはやはり23日の首脳会議で欧州の境界を越えレバノンやヨルダン、トルコなどシリアの周辺国への支援を強化し、UNHCRなど国連機関に10億ユーロ(約1350億円程度)の追加拠出を行うこと、トルコとの連携を強化することなどが決定された。

今回の危機が欧州内の難民システムの問題であるだけでなく、むしろ欧州の外で生み出される難民達による圧力をどのように低減するかの問題でもあり、また短期的に解決できるものというよりは中・長期的な視点に立っていかにこれを制御し、上手く付き合うかの問題でもある以上、これらEUの内と外へ同時に働きかけるイニシアチブは概ね正鵠を射ているように思われる。

UNHCRによれば、2011年から2015年9月までにヨーロッパで行われたシリア人による難民申請がおよそ50万件であるのに対し、実にその8倍、およそ420万人の難民がシリアの周辺国に留まっている(トルコ190万人、エジプト、イラク、ヨルダン、レバノンで210万人)。そして今回の危機の一因はそれら諸国が難民の負担に耐えられなくなりつつあったためだともされており、難民の波をあらかじめ減じ、あるいはその流入時期や経路を早期に予測し、対策を講じるうえでも周辺諸国との連携は重要であろう。

より長期的には、EUの内部、共通欧州難民システムについても今後数年の間に改めて見直しが日程に上ることとなるだろう。欧州委員会は9月23日に提出した「難民危機を管理する」と題したコミュニケーションにおいてダブリン規則の見直しに触れ、ダブリン・システムが危機に陥ったときのため、今回緊急に採択されたものと同様の再配分メカニズムを設置することを提案している。

これを後押しするかのように、10月7日欧州議会で行われた独仏首脳の共同演説においてメルケル独首相は「現行のダブリンは時代遅れのものとなってしまった」との認識を示した。「当初は良いアイデアだったのかもしれないが、危機の時代の域外国境においてはそうとは見えない。公正と連帯に基づいた新たなアプローチが必要だ」と。そして「我々は各国のみで行動しようという誘惑に打ち勝たねばならない。より多くのヨーロッパが必要なのだ」とも。

現在のままで危機を乗り切ることが困難だとすれば、シェンゲン圏のなかった、国境によってヨーロッパの領域が区切られていた時代へ逆戻りするのか、それともさらに連帯を強め、「より多くのヨーロッパ」を実現することによって難民システムを改良し、開かれたヨーロッパを維持するのか。実際には後戻りすることが困難な状況のなか、ヨーロッパ統合はしばしばこのような選択肢のない選択を迫る。「危機の時代にこそ統合が進展する」とはよく使われる言葉であるが、それは故のないことではない。

とはいえ、その挑戦がうまくゆくかどうかはいまだ不透明である。10月15日に開催された欧州理事会で、首脳たちはトルコとの行動計画に合意し、金銭的支援やトルコからEUへのビザの自由化、トルコのEU加盟交渉の再活性化などの約束と引き換えにトルコへ国境管理への協力を求めた。しかしこれは大枠の合意であって、その内容には今後確定されるべき部分も多い。

また、この理事会では国境管理の強化が改めて確認された一方で、欧州委員会の提案したEU域内での難民の再配分メカニズムの設置については特に中東欧からの反発が強く、合意が見送られた。メルケル首相は会議を「生産的だった」と形容したものの、難民の負担配分という部分では根本的な見直しには程遠い内容ともなった。

しかし一国での行動が危機を解決するわけではない。10月16日、ハンガリーがセルビアとの国境につづきクロアチアとの隣接国境もフェンスによって閉鎖した。今後しばらく難民の流れはクロアチアを通過し、人口200万人ほどのスロヴェニアからシェンゲンへ入ることとなるだろう。スロヴェニアはドイツやオーストリアが難民を受け入れる限りは国境を開き続ける方針だが、この事例は南東欧諸国の国境管理の機能不全が、究極的にはそのまま難民の大部分を受け入れるドイツやその他一部の北西欧諸国の負担となることを示しており、ドイツが欧州委員会の再配分案を支持する背景にはこのような考えがある。

この危機の中、果たしてEUは国家間の利害対立を調停し、人道主義の理念と受け入れの現実とを長期的に均衡させる域外国境の在り方を見つけてゆけるのか。その挑戦の行方を今後も見守り続ける必要があろう。

プロフィール

佐藤俊輔EU政治

東京大学博士課程満期退学。EUの基金によるエラスムス・ムンドゥス。GEMプログラムの研究員としてブリュッセル自由大学・ジュネーブ大学。大学院博士課程に在籍。専門はEUの政治、ヨーロッパ政治、移民政策。

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