番組で不満を叫ぶ――アフリカのラジオリスナーがつくるもう一つのデモクラシー

アフリカに関する記事は、牧畜、農耕社会村落部の生活の描写か、国家レヴェルでのアフリカ社会を扱う政治学的な論稿かの二区分であるようだ。

 

そのなかでラジオ、テレビ、携帯電話などのメディアに親しむアフリカ人像は凡庸にうつるかもしれない。アフリカ牧畜民が携帯電話で電子送金するような際立った構図のほうが耳目を引きやすい。

 

ここでとりあげるような都市や村落部でラジオに聞き入るアフリカ人の事例は、ありふれた事例ではある。だが、私たちのとは少し違ったメディアやデモクラシー(民主主義)のありかたに気づかせてくれるものとして紹介してみたい。

 

 

アフリカンメディアとデモクラシー

 

上述のとおり、今日のアフリカ社会では、テレビやインターネット、携帯電話が普及する都市部だけでなく、村落部においても、ラジオの音楽が日々の暮らしの一部となっている。

 

地域にねざした情報、たとえば葬儀や集会の連絡、知人への伝言を伝えてくれることから、アフリカにおいてメディアは広く浸透し、その影響力の大きさが指摘されてきた。

 

とりわけラジオの普及は20世紀半ばに100万台超ほどであったのが、20世紀末には10億台にまでなり、今世紀に入っては一家族に1台以上は所有されている。10万人のコミュニティで少なくとも1局以上の地域ラジオ局を容易に聴取することができる。

 

フランスラジオ国際放送(RFI)が世界に4600万人のリスナーがおり、そのうち2750万人がアフリカのリスナーだと宣伝するのも、局の広告とともにこのメディアをとおしてアフリカ社会でいかに情報流通が盛んとなっているかを窺える数字である。

 

むろん電気の使える都市部ではテレビ、インターネット、携帯電話(やスマートフォン)の普及は著しい。携帯電話の広がりは2000年に1500万人の利用者が2010年に5億4千万人、年平均増加率が30%超という統計とともにその急速さがよく知られている。

 

日本と違い、SIMフリーの携帯電話は一人が2―3台もつのが当たりまえである(注)。そして、この携帯電話でラジオは聴くものから参加するものへと拡張したのである。

 

(注)携帯電話は店舗、定期市、路上商などの多くの場所で販売され、値段も1万CFAから2万5000CFAで新品が購入できる。円とCFAの交換レートは\1≒4.55CFA (2012年)。プリペイドの電話代は使用状況によって異なるが、通常は月額1万5000―2万CFAを超えない。

 

アフリカ社会のメディア研究は民主化とのかかわりのなかで論じられてきた。1990年代に東欧民主化を背景として、国民会議や普通選挙の実施、複数政党制などの政治体制の大きな変化がアフリカ社会にも訪れた。権威主義やマルクス―レーニン主義から民主国家形成への転換である。

 

新聞、ラジオ、テレビなどのメディアをとおした情報環境の変化は人々の社会や政治への関心を喚起しつつ、不確実で偏向した報道と情報操作や新たな排他主義という負の可能性も生じた。

 

1994年のルワンダ紛争とジェノサイドの悲劇では、ラジオ・ミルコリンヌ(千の丘)の放送がエスニック間の恐怖心と対立を扇動する担い手となったことが知られている。伝統的に無文字である多くのアフリカ社会では音や語りを伝えるメディア、とくにラジオの影響は大きく、両刃の剣となる。

 

メディアが伝えるべき情報とはなにか。みんなのため=公共とはなにか。欧米のメディア研究では1980年代以降、公共圏について広く議論されてきた。社会学で提起された意味では、平等で市民に開かれた対話の場を公共圏と呼ぶ。メディアが開く言論の場は公共圏のひとつであり、今日形式化、機能不全化するデモクラシーの問題点を明らかにし、展望を見出す視角をこの議論は提供した。

 

上述のとおり今日のアフリカでは、ラジオ、テレビを受信する複合機器ケータイの浸透で、これらを移動中、外出先で視聴し番組に電話参加することが容易となっている。双方向的なメディア公共圏の到来である。

 

参加型番組では、リスナーからの電話がデモクラシーを発展させると呼びかける。このいわばラジオ版参加型民主主義を、番組内容と個性的なリスナーを紹介しつつ考えてみたい。

 

 

photo1 kiosq

朝の一仕事のあと、キオスクにてラジオに聞き入りつつ新聞を立ち読みする人々

 

 

ベナンのメディア事情

 

私が人類学的調査をしている西アフリカ、ベナンの事例を紹介したい。現在人口960万人ほどのこの国は、かつてはダホメと呼ばれフランスによる植民地支配を受け、1960年に独立した。これと前後して1953年にはフランス語のラジオ放送が始められている。

 

1970年代のマルクス―レーニズム時代をへて、1990年に国民会議を開き、民主化へと転換した。新聞メディアは民間紙があったが、TVとラジオは国営放送だけであった。だが1997年に放送網が開放され、とくに開局が容易なFMラジオの民営局が一気に増大した。現在では3局のTV局と70以上の民営ラジオ局が稼働している(2006年)。

 

一般の人々はメディアをどう利用しているのだろうか。2007年―2008年に都市部コトヌ在住の115名にラジオについてアンケートをした結果が以下だ(注)。

 

(注)このアンケートは、2007年―2008年度に調査の協力を仰いだ7名に、それぞれの住居、職場の近隣の人々、知人に対してフランス語表記の質問表の留め置き記入方式で回答を依頼した。協力者の住居、職場とも別々なため、回答者の重複はない。概観を得るアンケートのため、聴取時間や局名などの客観的事実の質問に限定した。

 

 

図1.ラジオ聴取に関するアンケート集計(アトランティック県、コトヌ市周辺、2007-2008年実施)

修正・田中グラフ

N=115(M=74,F=41)

 

 

これによれば、全く聴かないという人はほとんどいない。多くが自分のラジオをもっているか購入したと答えている(98回答)(注)。3時間から5時間までかなりの時間聞き流す人が多い(89回答)中で、では視聴者参加番組に加わったという人は、少数派ではある(19回答)。だが、自由記述では参加型番組をよく聴くという回答が目立つ。

 

(注)購入価格の目安となる現地の給与事情は流動的だが、小学校教員の月給は7万-9万CFAほど。ほかのアフリカ諸国と同様、都市部でも現金の定期収入の職をみつけるのは難しい。

 

つねに音楽が流れるラジオがつけ放しになっている状況は、アフリカを知る人ならばすぐに思い浮かぶイメージである。ラジオは暮らしや仕事の合間に聴けるという手軽さと、ローカル言語の放送から得られる情報の多面性が評価されているようだ。

 

民営局のうち、いち早く開局したゴルフFMは参加型の番組を積極的に組み込み、人々の支持をえた。トークが主体のこうした番組(トークラジオ、コールイン・ラジオ)は、欧米では1940―1950年代から始まり、ホストからゲストへのインタヴューや、トピックを設定したリスナー参加などが主な内容である。

 

アフリカでは、とくに政治に関する討論は白熱する。討論が過熱して相互対立を生んだり、当局から放送停止処分を受けた番組について東アフリカ、ウガンダからの事例報告もある。参加型番組が一般の人々に及ぼす影響は小さくない。場所や空間を超えて、等身大の人と人とが双方向に交流する公共圏をメディアは切り開くからだ。

 

 

地域の伝統司祭を招いてのトークラジオ。リスナーからの質問を受けつける。

地域の伝統司祭を招いてのトークラジオ。リスナーからの質問を受けつける。

 

 

番組で不満を叫ぶ

 

私がラジオに興味をもったのは、コトヌに寝泊まりしていたある晩、寝入りばなに窓の外でラジオを聞いて笑いあっている人声が聞こえてきたのがきっかけであった。

 

番組から流れる声は怒っているようでもあり、アナウンサーではなく一般の人の語りのようだった。彼らが熱心に話せば話すほど、聞き手のほうはクスクスと笑いを誘われているらしい。

 

翌朝、声が聞こえてきた辺りを探して人に尋ねてみると、深夜のあの番組は再放送で、だれもが不満を話せる番組だという。朝の本放送を聞いてみなよと教えてもらったのが始まりだ。

 

毎朝6時半からの「朝の不満Grogne Matinale」は民営局ゴルフFMで開局以来続いている看板番組である。朝の支度をいそぐ人々の眠気覚ましとして今や定着している。番組名物のテーマソングはこう歌う。

 

「[…]困ってることを打ち明けろ。不満に思うことを叫べ。[…] 表現の自由があるんだ。汚職。癒着。えこひいき…。黙ってることないさ。話す権利があるんだ。恨みっこなし、嘘つきもなし。ベナンのデモクラシーが進歩するのに協力しようじゃないか。[…]」

 

ベナンのミュージシャン、トオンTOHONはテンポの良いラップ調で「デモクラシー」へといざなう。世の中の虚偽や不正は必ず誰かが気づいていて、そして誰もが不満に思っている。それをまず話して公けにすることが、デモクラシーの第一歩だ。

 

ここでは、いわば言論の自由、表現の自由をデモクラシーと捉えて、それへの参加を促している。もちろんリスナーの電話がすべてデモクラシーについて語るわけではない。だが人々がメディアをとおして社会をどのように捉え、どう関わろうとしているのかが、それら生の声から伝わってくる。番組の実際をみてみよう。

 

 

【事例 2006年8月8日、女性リスナーの不満】

 

アナ(ウンサー、以下同様)「もしもし、マダム」

 

リスナー「もしもし、私が話したいのは…」

 

アナ「すみません、マダム、まずお名前を仰ってください。」

 

リスナー「ああ、マダムG[…仮名]よ。」

 

アナ「ではどうぞ」

 

リスナー「私が話したいのは、[…某]会社でこのまえ実施されたテストのことよ。まず体力テストから始まった。(入社)志望者が自分の結果を伝えて監督官が認めたのよ。彼らはそれを書類に書き込んで、テストはすべて終了した。でも、これは良くたしかめるべきよ。誤った数字を志望者に割り当ててしまっていた。彼らは自分に有利になるような数字を調査官に伝えてしまった。私たちがわかったのは…」

 

アナ「失礼ですが、マダム、」

 

リスナー「はい」

 

アナ「今のお話しは重大なことのようです。何かあなたがみつけた証拠はありますか」

 

リスナー「これはたしかなことよ」

 

アナ「私たちにあなたの証拠をみせてもらって良いですか」

 

リスナー「わかったわ、約束しましょう」

 

アナ「後ほど、局までもってきていただけますか。それがあればより良く話し合えると思います。では、次のリスナーに移りましょう[…]」

 

 

この番組はリスナーが主役だ。アナウンサーは無理に話をさえぎったり議論したりせず、できるだけ聞き役に徹し、不満を発散するままに任せる。話者はまず名前を述べ、2―3分間で不満を話す。一回の放送中には電話は各人一度限り。アナウンサーは次々とかかってくる人々の不満を、淡々とさばき、次のリスナーへ切り替えてゆく。

 

この事例では、某社での業務の杜撰さが告発されている。受験者全てが公平にテストされなくてはならないところを、監督官の怠慢から手続きに混乱が生じたという。だが、単なる思い込みや誤解にもとづく批判は避けなくてはならない。話者には発言の根拠やきちんとした証拠が求められている。告発の相手とのトラブルが生ずる可能性があるからだ。

 

生放送の緊張があるとはいえ、話者の真剣な口調から、早朝のこの番組はなかなか熱気を帯びているのがわかる。

 

不満は日々の生活で困っていることなどの身近なものから、テレビ、ラジオを通じて知った政治や経済の動向まで、トピックに制限はない。ただ、個人的な連絡ごとやメッセージではなく、ラジオをとおして公けにすべき事柄であるようだ。個を超えたなんらかの公共性を意識した内容といえる。

 

ある参加リスナーはこう言う。「何か問題があれば、それは我らみんなの問題だ(エニンドプロブレムデワミウェビシタウェ)。」個人が抱える問題を彼らは集団に向けて開こうとするのである。

 

一週間の電話の内容を調べてみると、第一に多いのは、電気、水道などのライフライン、道路などのインフラに対しての不満という暮らしに関するものであった。ついで給与、物価などの経済問題の指摘。これは不正や汚職への不満といった行政の批判とも不可分の内容であった。現政権への賛辞や批判を含めて、政治に関する言及も多いことから、総じてリスナーの政治への関心は高い。【次ページにつづく】

 

 

 

シノドスのサポーターになっていただけませんか?

98_main_pc (1)

 

 セミナー参加者募集中!「スノーデンと監視社会の現在」塚越健司

 

 

無題

 

vol.232 芸術にいざなう 

 

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

・【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

・【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

・増田穂「『知見』が有効活用されるために」

 

vol.231 ひとりひとりが生きやすい社会へ 

・森山至貴氏インタビュー「セクシュアルマイノリティの多様性を理解するために」

・【障害児教育 Q&A】畠山勝太(解説)「途上国における障害児教育とインクルーシブ教育」

・【あの事件・あの出来事を振り返る】矢嶋桃子 「草の根の市民活動「タイガーマスク運動」は社会に何をもたらしたのか」

・成原慧「学び直しの5冊 <プライバシー>」

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.232 特集:芸術へいざなう

・吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

・【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

・【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

・増田穂「『知見』が有効活用されるために」