記憶というもうひとつのグローバル・コンペティション 

フランスのニュース専門チャンネルをみていて、日韓併合条約発効100年に際して、「日本が戦後はじめて韓国に謝罪した」とのテロップが流れるのを目にした。8月10日に発表された首相談話のことである。

 

 

記憶の再構成の時代

 

1995年の村山談話以前から、首脳による反省と謝罪の念はずっと表明されてきたのだから、「はじめて」とするのはまったくの誤報である。抗議の電話をしようかと思ったものの、夜半だったためそのまま諦め、そして翌日には忘れてしまった(所詮テロップで流れる程度のニュースである)。

 

そもそも日本のマスメディアで流されるアメリカやヨーロッパ、その他の国々についての「誤報」のことを考えても、無知は一方的なものではない。そして、それは日常の一部にすぎない。

 

グローバル化は、決して画一的な政治空間を作り上げるものではない。そこでは人とモノと情報が、一瞬にして世界を駆けめぐると同時に、明確な道標(レファレンス)が失われる。それゆえそれは、過去の記憶が人為的に表象され(『再帰的伝統主義』)、その歴史認識の正統性を互いに競い合う、もうひとつのグローバル・コンペティションの時代を意味するのだ。

 

20世紀が強烈な事実の集積の時代だったとすれば、21世紀は記憶の再構成の時代を迎えたといえるかもしれない。

 

 

「歴史の記憶に関する法」

 

いくつかの事例を紹介しよう。

 

バチカンは、もともと領域性に依存しない国家だが、スペイン内戦(1936年~)で命を失った信者を2007年に殉教者として祀った。そして、スペインもまた、内戦とフランコ独裁時代(1939~75年)に被害を被った人びとに対する補償を認める、その名も「歴史の記憶に関する法」を同年、採択した。

 

「短い20世紀」(E.ホブズボーム)のほぼ全時代を占め、この時代を生きた人びとが人口の少なくない割合を占めるなかで、歴史に道徳的な「ケリ」をつけようとしたのである。

 

歴史の暗部に手を突っ込むのには痛みも伴う。実際、保守派は過去の傷に塩を塗るようなものと非難したが、それはカトリック教徒を迫害した共和派の側の罪を歴史の明るみに出すことにもつながった。

 

 

 

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