「国際関係」か「民主主義」か?――英国のEU離脱と現代欧州解体の構造

序 英国のEU離脱「ブレグジット」の位相

 

2016年6月23日は、国際関係に関心のある人間にとっては、歴史上の大きな出来事の起こった日として、強く心に残る日となったといえる。英国は、欧州連合(EU)の一国という「国際的な地位」を、投票という「民主的な手続き」によって否定したのであった。つまり、英国はEUからの離脱を選択したのである。

 

投票結果は、残留が48.1%であったのに対して、離脱が51.9%という僅差であった。また、投票率は72.2%を数え、国民の関心の高さを反映するものであった。

 

この英国のEUからの離脱は、国民投票が現実味を帯びてきた2015年ころから、「ブレグジット(Brexit)」という言葉を用いて議論されてきた。これは欧州通貨危機、いわゆる「ユーロ危機」に関して、ギリシャがEUから離脱することを、切り離すという「グレグジット(Grexit)」として揶揄した用語を意識したものである。英国の決定は、現代社会にとってどういった意味があるのであろうか。

 

英国のEU離脱は、単に一国が、国際組織の一つから脱退するということのみを意味するのではない。これは現代の国民国家や、国際関係における大きな変動を示唆していると理解することも可能であろう。

 

 

1.英国離脱とグローバル経済

 

EUからの英国一国の離脱というのは、単に欧州連合内第2位の経済大国であり、世界第五位の経済大国が、欧州統合から離脱するという経済的な側面からのみ語られるべきではない。なるほど、短期的にみれば、英国の離脱という報道は、市場には大きな影響を与えるものであり、長期的にも英国とEUとの間で、関税が復活することにより、英国に進出している企業の行動に影響を与えるものであろう。

 

実際に、開票結果が明らかとなった6月24日の金融市場では、世界同時株安の様相を呈しており、日本でも東証の日経平均株価は、終値で1200円以上下落し、15000円を割り込んでいる。通貨不安から相対的に安全な通貨である円が急騰するという現象も起こった。

 

これらは、それ自体重要な影響を与えていくだろうが、EU離脱交渉の猶予が2年、さらにそれ以上かかる可能性があることを考えれば、経済の急激な変動も長期的には鎮静化し、鈍化するであろう。国民投票の実施を決定し、残留運動を展開した英国のデビッド・キャメロン首相は、離脱が決定した24日に混乱を安定させたうえで10月の保守党大会までに首相を辞任する意向を表明し、離脱交渉を次の首相に託すことを明らかとした。

 

また、EUの側でも、ドナルド・トゥスクEU大統領(欧州理事会常任議長)や、ドイツのアンゲラ・メルケル首相、フランスのフランソワ・オランド大統領など、他の主要国の首脳が、EUから英国が離脱することに対応して、経済環境の急激な変化に対する措置を採ることを表明していることもある。さらに、こうした環境の変化に対応して影響を最小限にすべく、加盟国からは英国のEU離脱交渉を速やかに進めることを求める声明が相次ぐこととなった。

 

ここでは、まずそうした環境に影響を与えていった、国家を超え拡大していく「市場経済のグローバリズムの問題」、それに対する、国家に限定され収斂していく「国民国家のアイデンティティー(文化)の尊重」の関係について考察を行っていきたい。

 

 

2.欧州離脱の背景

 

フランスとドイツ(当時西ドイツ)など原加盟国6か国に端を発する欧州統合の流れは、ヒト・モノ・カネの自由な移動を目標とした欧州共同市場の創設により、多くの欧州諸国にとって、経済的な市場の拡大という誘因を提起してきた。この経済的なインセンティブにより、冷戦の崩壊をまたいで、冷戦期に中立政策を採っていた北欧諸国や、「鉄のカーテン」の向こうにあった東欧諸国など、加盟国を増やしながら拡大、EUは現在では、28か国が属する国際組織へと成長した。

 

このEUは、共通通貨ユーロを導入するなど、経済的な統合については一つの到達点をみた。さらにEUは、1990年代ごろより、市場統合のみならず、政治統合も進め、欧州大統領の創設など、権限を強化するに至った。そうして権限を強化し、官僚化していくEUに、各国の民意が必ずしも十分に反映されていないという批判は、従来より根強いものであった。

 

加盟諸国の民意を十全に反映すべく、初めて全加盟国で行われた2014年のEU議会選挙において、EU懐疑派が大躍進したのは皮肉な結果であった(「欧州統合は『国民国家』から『国際帝国』へ――2014年欧州議会選挙を中心に」白鳥浩 / 現代政治分析論 https://synodos.jp/international/9955)。

 

このEU議会選挙において最も影響を及ぼした争点は、2010年からのユーロ危機に対してあまりにEUが脆弱であったということであった。加盟諸国は、自国と関係のない理由で経済的混乱に投げ出されるという経験をしたのであった。自らの力の及ばない、予期せぬところでおこる経済的危機は、EUに加盟していなければ、それほど影響を受けるものではなかったのではないかという疑念は、加盟諸国に強いものであった。このEU議会選挙では、英国においては英国独立党(UKIP)が、最大の議席を獲得していたことは記憶に新しい。

 

 

3.シリア難民問題の影響

 

かつて、アルバート・O・ハーシュマンは、『離脱・発言・忠誠―企業・組織・国家における衰退への反応』の中で、構成員は、自らの声を上げる機会がなければ、忠誠が下がり、組織から離脱するというメカニズムを述べたが、英国の離脱は、その権限を強めていく官僚主義的なEUの性質の中で、自らの声が反映されることが難しいことを背景としたものであった。国民国家としての英国は、EUに属することによって、その行動の自由を制約されてきた。「英国の主権を取り戻せ」という訴えは有権者に強くアピールするものであった。

 

同様の思いを抱いている国家は英国だけではない。他のEU諸国においても、国際統合は国民国家の行動の自由を阻害する、という訴えを行うEUに懐疑的な「ニュー・ライト」政党は、その支持を広げてきた。

 

代表的な政党として、先述の英国独立党の他、フランスの国民戦線、ドイツのドイツのための選択、スウェーデンの民主党、オーストリアの自由党などが挙げられる。これらの政党は「極右政党」と紹介されることが多いが、この用語法は否定的な意味を内包する。また、これらの政党は、かつてのナチとも異なるため、ここでは価値中立的な「ニュー・ライト」という用語を使用する。

 

こうした「ニュー・ライト」政党は、2014年EU議会選挙で台頭したが、さらにその勢力拡張に拍車をかけたのが、2015年のシリア難民問題である。100万人を超える中東からの大量の難民が、地中海を超えて欧州に押し寄せたのである。

 

この時すでに英国では、欧州拡大により経済的に貧しい加盟国からの移民によって多くの職を奪われており、国家主権がなければ、労働環境を含めて、独立した英国のアイデンティティーが損なわれていく危険性がある、と考えている有権者も少なくなかった。シリア難民の流入は、彼らの反EU感情を喚起するのに十分な出来事であった。さらにこうした難民を、EUは加盟国に移民として受け入れることを提案したこともあった。そしてまた、将来的にトルコがEUに加盟するならば、労働者の更なる流入も予想されるという主張もなされるようになってきた。

 

こうして欧州共通市場のメリットによる「バラ色の未来」だけを考えてきた多くの英国の有権者にとって、こうした移民の流入は想定外であったといえよう。経済のグローバル化によって生み出される大量の移民に対して、EU加盟国は重い課題を背負わされることとなった。こうした状況が英国のEU離脱を後押しすることとなった。グローバル経済は、英国のアイデンティティーに対する実に重大な挑戦であったのである。

 

 

4.欧州統合の解体と国民国家の解体

 

英国の離脱は、単に加盟国のうちの一国がEUを離れるのみで、収まる話ではない。この離脱の影響は、EUに懐疑的な「ニュー・ライト」政党の主張に説得力を与えるものである。彼らは、英国と同様に国民投票を要求している。それによって英国のケースをEUからの離脱の「民主的な正統性」を担保するリーディング・ケースとする動きに出ている。

 

英国から発したEU離脱の波は各国に波及し、場合によっては、ドミノ倒しのように、各国の国民投票による離脱を誘発し、欧州統合の解体へとつながる可能性をはらんでいる。こうしたEU離脱の「ドミノ効果」は、ある意味で「国際関係における官僚主義」と「国民国家の民主主義」の相克といった側面をはらんでいる。

 

欧州統合は、官僚主導で進んでいった。そして構築されたEUの機構は、最終的にはEUを、ユーロという共通通貨を有する、多様な文化を内包した「国際帝国」へと変貌させる方向で、国民国家を超えて、権限を強化していくものであった。かつてシュタイン・ロッカンが描き出したように、いにしえのローマ帝国が、経済的な都市を中心とした交易ベルトを構築し、文化的なキリスト教をその版図に拡大したように、「現代のローマ帝国」にもなぞらえられるEUは、経済的に共通市場へと加盟する経済規律と、文化としての民主主義を欧州諸国に要求する「国際帝国」となったのである。

 

現代における「国民国家」を統合して「国際帝国」を形成するという流れは、近代の過程を逆転させる壮大な試みであったともいえる。思えば、かつての「帝国」であった古代ローマ帝国も、神聖ローマ帝国も、多様な文化をその中に内包していた。しかし、内包されていた多元的な文化のゆえに、個々の文化的なアイデンティティーを志向する勢力によって解体されていった。

 

「帝国」から固有のアイデンティティーを持った「国民国家」の形成こそが近代であったわけだが、現代における「国民国家」から、それを統合した「国際帝国」としてのEUの形成は重要な岐路に立たされることとなった。近代の過程と同じように、「国際帝国」としてのEUは、場合によっては個々の「国民国家」へと解体し崩壊するかもしれない。そうした端緒になる可能性を英国のEU離脱は含意しているのである。

 

しかしながら、英国離脱の影響は、そうした国際的なものばかりではない。「国民国家のアイデンティティーの尊重」の問題は、別の「地域的なアイデンティティーの尊重」の問題を引き起こし、英国という国民国家の解体をも誘発しかねない問題を含んでいる。「国際帝国」の崩壊から、「国民国家」の離脱へ、さらに「国民国家」から、「国内地域」の自立へといった可能性を持っているのである。【次ページにつづく】

 

 

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