コピー・ケータイの道義性――もうひとつの資本主義をめぐる人類学

コピーを売らない商人もいる

 

もちろん、すべての小売店がコピーを販売するわけではない。エディ(仮名、30代半ば、男性)は、オリジナルのケータイしか販売していない。その理由について、次のように語った。

 

エディは、オリジナルをムワンザ市内の輸入商から仕入れて小売店で販売することから、ケータイ商売をはじめた。しかし、いつまで経っても売れず、経営は赤字だった。コピーを販売している周囲の店はみな儲かっているようだった。友人の小売店主に「なぜコピーを売らないのか。オリジナルは3か月経っても売れないことがあるが、コピーなら2日と店にとどまることはないぞ」と諭された。

 

そこでエディもコピーを仕入れてみた。その翌日に事件は起きた。一人の客にレシートを要求された。販売したのはコピーだったので、嘘のサインを書いて渡した。エディは、客に「コピーじゃないだろうな」と何度も念を押された。隣の店主には、「気にするな。何を聞かれてもコピーじゃないと突っぱねればいい」と励まされた。しかしその客は、翌日にまたやってきて「テクノの直営店に行き、オリジナルのケータイを調べてきた。昨日買ったケータイはコピーだと思う」と怒った顔でいう。

 

エディは、「コピーはカメラのレンズが艶々していないが、これは…」などと嘘を並べてコピーではないことを説得しようと試みたが、客は納得しなかった。隣の店の主人には「この客にはもう全部ばれている。これ以上、説得しようとしてこじれると、(ケータイ会社の)中国人や警官がやってきて店中を調べられる。そんなことになれば、もっと面倒なことになる。悪いことは言わない。さっさと彼に金を支払ったほうがいい」と昨日とは180度違うことを言われた。結局、エディは返品を受け入れたうえ、口止め料(迷惑料)としてその客に10万シリング(約5,040円)も支払うことになった。それ以来、エディは面倒に巻き込まれることを恐れ、正規のケータイしか販売しないのだという。

 

 

ロイとエディの対立――コピーの販売をめぐる是非

 

じつはこの話をエディから聞いているとき、先に紹介したロイも居合わせていた。ロイに流通経路についてインタビューしているときに、偶然に別の友人にエディを紹介されたため、二人に了解を得て、同時に話を聞くことになったのだ。

 

ところが、オリジナルしか売らなくなったというエディの話に、ロイが「コピーの販売は、悪くない」と反論したため、二人(と彼らをわたしに紹介した商人たち)はコピー販売の是非をめぐって議論しはじめた。ロイと彼を援護した商人たちの主張を要約すると、次のようになる。

 

 

タンザニアにおいてコピーを欲しがる客がいるのは、仕方のないことだ。それらの客はカネがないので、コピーがなくても、どっちみちオリジナルなスマートフォンは買えない。コピーが買えなければ、インターネット機能のないケータイしか手に入らない。インターネットが使えなければ、人生の多くのチャンスを逃す。また、路上商人たちは、コピーの販売で商売のニッチを得ているのだから、コピーがなくなったら、仕事がなくなる。

 

わたし(ロイ)は、路上商人として商売をした経験が長いので、コピーを売りさばくネットワークを数多く持っている。エディに足りないのは、路上商人との連携だ。また、そもそもタンザニアにおいて、「まっすぐな道」を歩んでいる零細商人は一人もいない。エディもたまたま仕入れた翌日に面倒な客に遭遇したから、コピーの販売をやめただけで、そうでなければ、いまもコピーを販売しているはずだ。

 

コピーにはコピーの道があり、オリジナルにはオリジナルの道がある。オリジナルを欲しがる客に無理やりコピーを売ると、客は不満をもつ(ただし、騙されたことに気づかない客は、満足しているのだから問題はない)。オリジナルを購入できる(カネ持ちの)客にコピーを販売すると、中国人(ブランド企業)は客をとられたと怒る。だから俺たちは、この二つの道の交通整理をうまくやって、みんなの需要を満たす。俺たちの仕事はそういうふうに世の中を回すことだ。

 

 

それに対してエディと彼を援護した商人たちは、そういう考え方こそが、サムスンやノキアといった外国企業、あるいは中国のコピー製造業者の思うつぼだと反論した。彼らの主張は、次のとおりだ。

 

 

中国人がコピーをつくり、俺たちが「カネがないので中国産のコピーでいいや」とするせいで、オリジナル企業は安くて質の良いケータイをつくろうとせず、ケータイの価格はいつまでも高いままだ。例えば、サムスンの××のシリーズは、見た目は変化しているが、中身(性能)はほとんど同じだ。この大企業がやっていることは詐欺だろう。

 

中国人は賢い。なぜなら、彼らはタンザニアの消費者の心をとらえている。俺たちは、最新モデルをみると、コピーでもいいから欲しいと考える。でも本当は少し前のモデルで俺たちは十分に必要性をみたすことができる。そこで中国人は、少し前のオリジナル・モデルと同じ性能で、見た目だけ最新モデルのコピーをつくり、最新オリジナルよりも安く売って儲けている。

 

俺たちがまっすぐな道を歩んでいないというなら、俺たちも中国人のやり方を真似して、自分たちでコピーをつくればいい。中国人のコピーがなければ、タンザニア人自身が必要性に迫られて、ケータイをコピーしようと試みるはずだ。そしたら俺たちは、もっと儲かる。

 

 

ケータイを通じた送金サービス(M-pesa)代理店。タンザニアには、700軒余りしかない銀行に対して、15万3369軒ものM-pesa代理店がある。

ケータイを通じた送金サービス(M-pesa)代理店。タンザニアには、700軒余りしかない銀行に対して、15万3369軒ものM-pesa代理店がある。

 

 

コピーの道義性と下からのグローバル化

 

この二人の意見は、アフリカやアジア、ラテン・アメリカ諸国からコピーや模造品を買いつけようと中国に押し寄せた零細商人たちの、トランスナショナルな交易をめぐる近年の文化人類学の議論と合致している。たとえば、ゴードン・マシューズとグスタヴォ・リベイロ、カルロス・ヴェガが編集した論集は、中国に押し寄せた商人たちの大群を「下からのグローバル化」と呼び、先進諸国の多国籍企業による「上からのグローバル化」と対比しながら、次のような議論を展開している(Mathews, Ribeiro and Vega eds. 2012)。

 

 

下からのグローバル化の推進者は、資本主義経済を嫌ってはいない。この経済の内部には、ラディカルな革命家も、反グローバル運動家もいない。それどころか、国家や企業によるあらゆる規制を回避し、騙しや詐欺もふくめた自由な市場取引を好んでいる彼らは、「より徹底的に新自由主義化」した経済秩序を形成しつつある。しかし、この経済はより「人間的」な新自由主義で動いており、上からのグローバル化(主流派の経済システム)に抵抗するよりも、それが生み出している問題や不公正を自力で解決する場となっている。

 

たとえば、このトランスナショナルな交易のメインであるコピーや模造品は、ブランド企業の知的財産権を脅かしているかもしれないが、他方で、それまで活躍の場がなかったアマチュアやオタクと呼ばれる人びとの創造性や社会ネットワークの力を解放する場ともなっており、またこれらの商品がなければ、グローバルな流行や技術にアクセスできなかった発展途上国の貧しい住民の物質的な豊かさを、部分的にではあれ実現している。

 

そのため、下からのグローバル化は、逆説的なことに上からのグローバル化(多国籍企業など)に向けられるべき不満をみずから解消し、主流派の経済を存続・繁栄させる役割を担っているのだ。法には違反しているが、社会的には認められている領域によって、下からのグローバル化は形づくられている。たとえば、アフリカにおいて路上商人は、税金や営業許可料を支払わず、道路交通法に違反しながら営業しているという意味で不法労働者であるが、彼らから商品を購入するアフリカの消費者は、彼らをドラッグの密売人のような「犯罪者」とみなしているわけではない。同じようにコピーの生産や交易をになう者たちは、自分たちの活動を道義的には合法だとみなしている。

 

 

ロイのコピー販売に対する意見は、下からのグローバル化の道義性に関する文化人類学者たちの議論と同じだ。一方、エディの意見は、下からのグローバル化(中国のコピー生産者と彼らからコピーを買う自分たち)は、上からのグローバル化(オリジナル企業)に対抗しているのではなく、じつはその存続・繁栄に寄与しているという事実を見抜いたうえで、さらに下からのグローバル化の内部にも同じような構図(中国人とタンザニア人との関係)があることを指摘するものだ。それゆえ、自分たちもコピーをつくり、中国が推進する下からのグローバル化に新たなニッチを得ようと提案していた。そして実際に、後述するように、彼らは自分たち自身で新しいコピーをつくりはじめた。

 

 

コピーのゆくえ――新たなインフォーマルビジネスの興隆

 

2016年6月17日深夜。タンザニア通信規制局は予告どおり、コピーの通信サービスを停止した。その翌日、タンザニアの友人たちから私のパソコンメールにたくさんのメッセージが届いた。「オリジナルだった!!」と。「焦って売らなくてよかった」「誰にも売れなかったから、ずっと不安だった」と追記されたメールを見る限り、どうやら私の友人たちはみな自分のケータイをコピーだと疑っていたようだ。

 

BBCニュースによると、この日に強制的に通信停止となったケータイは、約63万台だった。さらに120万台のケータイの通信がシャットダウンされる予定であるという。これは、全登録台数の約3%に相当する。しかし多くの人びとは、この台数は予想を大きく下まわる数だとみなした。上述した通り、2月に告知されたとき、多くのメディアは、38%から40%のスマートフォンがコピーであると推計した。6月17日が来たら赤字を挽回しようと耐えていたケータイ小売店主や路上商人からは、あからさまに気落ちしたメールも届いた。

 

通信停止されたケータイはその後、どうなったのだろう。気になってメールで聞いてみた。友人からの現地レポートによれば、通信サービスが停止したコピーの多くは、インフォーマルな修理業者に引き取られた。ケータイ修理業は、いま最も儲かる商売だという。友人のケータイ修理屋は、サムスンの液晶パネルの交換で5万シリング(約2,020円)の修理代をとる。このうち液晶パネルそのものの代金は、1万シリング(約404円)である。修理屋たちは正規代理店で部品を仕入れることもあるが、多くの部品は人びとから「壊れたケータイ」を二束三文で買い集めることで手に入れている。

 

液晶パネルやハウジング、キーボード、スピーカー、カメラのレンズなどは、同じメーカーの携帯であれば、交換できる。一部のブランドの部品のなかには、別のメーカーの部品と取り換え可能なものもある。レアメタルの宝庫であるケータイは、リユースできない部品についても、リサイクルディーラーに転売可能だという。つまり、修理屋にとっては「通信がシャットダウンされたケータイ」は、解体すれば、宝の山であったのだ。コピーを売っていた路上商人たちは、修理業に転職した。

 

先にも触れたが、近年、テクノやアイテル、ファーウェイなどの中国企業は、良心的な価格で質の良い正規のケータイをつくり、アフリカ市場においてサムスンなどの既存のケータイ会社を追い抜く勢いだ。ロイたちが言うように、中国人は賢かったようだ。中国は「下からのグローバル化」の道義性に対応しながら、「上からのグローバル化」に参入し、新たな経済秩序を創出する活力の源になっている。じつはいまタンザニアにおいてもっとも精力的にコピーの取り締まりを政府に働きかけているのは、中国のブランド会社である。彼らは、中国ケータイ=コピー/粗悪というイメージを払拭すべく、タンザニアに直営店を開き、自社ブランドのケータイに保証期間を設け、無料の修理サービスを提供すると同時に、コピーの掃討を草の根作戦で展開している。

 

 

「スワヒリ語のスマートフォンをプレゼントにしよう」。中国のブランド会社TECNOの最も安いスマートフォンは、9万9千シリング(約5000円)。

「スワヒリ語のスマートフォンをプレゼントにしよう」。中国のブランド会社TECNOの最も安いスマートフォンは、9万9千シリング(約5000円)。

 

 

インフォーマル経済、コピーの道は、資本主義経済の外側につくられるのではなく、その内側から立ち上がってくる、もう一つの資本主義経済、海賊的な領域だ。それらの海賊的領域が力をもてば、それに対する国家の法が整備され、それに応じて海賊的領域は変身を遂げ、やがて主流派の資本主義経済を構成する一部になる。すると、また新しいインフォーマル経済、海賊的な領域が立ち上がってくる。

 

タンザニアの修理屋たちが製造したのは、本体は別のメーカーのケータイに、ハウジングや液晶パネルだけ、別のブランドの最新モデルがついた「コピー」「偽物」である。最近では、修理屋たちが、中国から機材を輸入し、ケータイ部品を寄せ集めてつくった「カスタマイズ・ケータイ」の販売もしている。中国ブランドのケータイはサイズや仕様が似ており、カスタマイズが容易だという。修理屋に転身したコピー商人はいう。「中国産のコピーの規制は、俺たちにとっては新たなチャンスだ。俺たちの手によるコピーのな」と。

 

 

参考文献

 

Mathews, G., G.L. Ribeiro and C. A. Vega (eds.) 2012 Globalization from Below: The World’s Other Economy. London and New York: Routledge.

 

 

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

 

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