2016.09.23
ドゥテルテという劇薬――フィリピンを治すのか、壊すのか?
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が、その尋常ならぬ言動で国際的な注目を集めている。2016年6月末に就任して以来、犯罪者の超法規的処刑を擁護し、それを批判する政敵を罵倒し、オバマ米大統領に暴言を吐き首脳会談をキャンセルされた。まさに前代未聞だ。フィリピンの知識人には、眉をひそめて彼の言動を批判する者も少なくない。
しかし、ドゥテルテへの支持率は9割から8割を維持したままだ。しかも、貧富の差、言語集団の多様性、豊かな都市と貧しい農村、キリスト教とイスラーム教の分断といった、あらゆる社会亀裂を乗り越えて、彼は支持を集める。なぜ、こんな人物が多様な人びとから高い支持を集めているのだろうか。
規律ある国家の希求
ドゥテルテとその支持者を、「途上国の衆愚政治」と冷笑するのは容易だ。ただし、ドゥテルテを当選させたのは、フィリピンを今こそまともな新興国に変えたいと願う人々のリスクある賭けだったことを忘れてはいけない(日下渉「フィリピン大統領選挙――なぜ、「家父長の鉄拳」が求められたのか?」SYNODOS)。しかも、出口調査によれば、より階層と学歴が高い者ほどドゥテルテを支持する傾向があった。教育のない貧者がドゥテルテに操られて熱狂的に支持しているのではない。
従来の大統領が「豊かさ」を国民に与えると約束したのに対して、ドゥテルテは厳格な「規律」を与えることを掲げた。人々が「規律」を支持したのは、自分勝手な者たちが自由を食いものにしてきた結果、国家の制度が機能しなくなっているという苛立ちのためである。またGDP成長率7%前後という高い経済成長を続けるなか、より多くの人々が安易な「ばら撒き」ではなく、「規律」による社会改革を支持するようになったこともあろう。フィリピンの問題は、役人が法規制を利用して収賄に精を出すので、金さえあればどんな法規制も歪めたり、回避できることだ。
たとえば、大企業は国税庁に賄賂を払って脱税する。密輸業者は税関に賄賂を払ってビジネスをする。公共バスやジープの経営者は監督する委員会に賄賂を払って車両の整備を怠る。交通違反者は警察に賄賂を払って見逃してもらう。警察に賄賂を渡せば、違法伐採も違法漁業も黙認される。役所の窓口前には「フィクサー」という呼ばれる仲介者がいて、彼らにお金を払えばあっという間に書類を手に入れることができる。2015年には、空港の職員が検査時に旅行者の手荷物に銃弾を入れて、賄賂を要求していたことが明らかになった。
こうした腐敗が長年にわたって繰り返されると、それは非公式ながら制度化され、法治主義に基づく公式の制度を侵食していく。この非公式な制度は、短期的には法規制を歪めることで少なからぬ人々に利益を与える一方で、長期的には公的サービスを機能不全に陥らせる。
ドゥテルテの「規律」が支持されたということは、このジレンマを解消したいと考える人々が増えてきたことを意味する。彼らはドゥテルテが非効率で腐敗したシステムを破壊し、厳格な規律でもって公式の制度を再生させてくれることに期待を寄せたのだ。
アキノ前政権は、政治家の腐敗を取り締り、優秀な政策ブレーンを迎えて改良的な政策形成に取り組ませた。これは公式の制度を漸進的に改善していく実践だった。しかし、アキノ政権という処方箋は、効果が出るまでに時間のかかる「良薬」だった。アキノ自身が強力な指導力を誇示しなかったこともあり、ドゥテルテ支持に回った人々は「いつまで待ったらいいのだ」としびれを切らし、この危険な「劇薬」を選んだのだった。
ただし、「改革」のためには処刑も厭わないという劇薬は副作用も大きい。公式の制度を機能させるために、非公式な手段に訴えるという選択は、公式の制度をいっそう弱体化してしまう危険を伴う(注)。
(注) 川中豪氏も「強い薬には強い副作用がつきものだ」という比喩でドゥテルテを分析している。(川中豪「危険過ぎる男、ドゥテルテ大統領が支持される理由」『Yomiuri Online』、2016年9月12日)
麻薬対策による恐怖と変化
ドゥテルテの「改革」で、もっとも物議をかもしているのは麻薬対策だ。国際メディアは超法規的殺害の横行を激しく批判するが、国内での支持は高い。その理由は、麻薬問題がフィリピンにはびこる腐敗したシステムの象徴だと考えられているからである。警察は押収した麻薬を密売者に横流ししたり、賄賂を受け取るかわりに密売を黙認したりしてきた。ドゥテルテは、この非公式な制度にメスを入れたのだ。
従来フィリピンでは、小袋に入った少量の覚醒剤や大麻を、数百ペソで簡単に手に入れられた。覚醒剤は日本と同様に「シャブ」と呼ばれ、粉末を載せたアルミホイルをライターで炙って鼻から摂取するのが一般的だ。覚醒剤が屋内で人目を避けて使用されるのに対して、大麻はしばしば屋外でも吸われる。どちらも仲間と一緒に使用されることが多い。
富裕・中間層の若者が「娯楽」で使うこともあるし、夜通し働く運転手が「仕事用」に覚醒剤を使用することもある。私がかつて住み込み調査をしたマニラのスラムでも、麻薬は日常の一部で、目つき、行動、噂で、誰が覚醒剤の常習者や売人なのかすぐに分かった。覚醒剤の常習者には年配が多いのに対して、大麻はより若年層に人気がある。なぜかと聞いたら、「オーガニックで健康志向」だからだそうだ。
投票日前の5月初旬に、私はスラムに暮らす麻薬常習者の友人たちに、どの大統領候補を支持するのか聞いて回った。すると驚いたことに、多くの者たちがドゥテルテを支持すると答えた。放送禁止用語や下品なジョークを連発し、何かと笑いのネタになる彼の存在が好きだというのだ。
そのうちの一人、ボボイ(仮名)に「本当かい。殺されちゃうかもしれないよ」と言うと、「そんなことはないさ。彼が大統領になればすべて自由になる」と彼は大麻をくゆらしながら答えた。この言葉の意味が分からず混乱したのだが、話しているうちに分かってきた。彼は麻薬浸りの生活から抜け出したいと思っているのだが、友人付き合いもあり、なかなかできないできた。しかし、ドゥテルテが大統領になれば、この悪癖から解放されるかもしれないというのだ。
8月にボボイを再訪してみた。すると、彼は取り締まりに恐れをなして、大麻も覚醒剤もすっかり絶っていた。売人も姿を消したという。警察が麻薬常習者や密売人に自首しなければ処刑するぞと脅したので、このスラムでは30名ほどが名乗り出て広場に集まったという。
警察は、こうした情報をもとに監視リストを作った。そして週に2回ほど、夜10時から11時頃に、数十人の私服警官が手分けして家々を巡回し、監視にあたっている。ただし、従来からこの地区を担当していた警察は、地域の住民と深く関わりあい様々な不正にも関与していたので、厳格な取り締まりをできない。
そのため、別の管区を担当していた部局の警官が、この地域の取り締まりにあたっている。ボボイの家も監視の対象だ。ある時、彼が仕事で夜遅くに帰宅すると、妻子が泣いていた。寝ていたら警察がやってきて脅されたというのだ。夜にいきなり戸をノックされることから、住民はこれを「コンコン作戦」と呼んで恐れている。
フィリピン中で、自ら名乗り出て監視リストの作成に協力したにもかかわらず暗殺されたり、無実の者が巻き添えで殺される事件が相次いでいる。超法規的殺人の背景として一番多いと言われているのが、これまで麻薬の密売に関わってきた警察らが、逮捕された売人や常習者に自分もグルだったと密告されるのを恐れて口封じに処刑しているケースだ。元常習者らは、ドゥテルテを信用して自首したにもかかわらず、いきなり処刑されるのは不当だと怒り、次は自分の番かもしれないと恐れている。
ボボイは暗殺の恐怖に脅え、「ドゥテルテに投票したのは少し後悔している」という。だが、麻薬と手を切って配管工として働き、「おれはもう生まれ変るんだ」(magbago na ako)と語る。この言葉は、キリスト教文化における罪の赦しと新生の物語を想起させるとともに、ドゥテルテの語る「変革」(pagbabago)とも重なる。彼に、人権擁護を訴えるデ・リマ上院議員と、ドゥテルテのどちらを支持するかと聞いたら、しばしの沈黙の後、「まだドゥテルテの方がいい」と答えた。ボボイの妻も警察にひどく脅されたにもかかわらず、ドゥテルテのおかげで夫が悪癖を止められて本当に良かったと涙する。
暗殺の黙認と家父長の道徳
ドゥテルテが就任してから、適正な法手続きを経ることなく3000人以上もの人間がすでに殺されている。上院ではデ・リマが先陣に立ち、超法規的殺害に関わったという人物に証言させるなど人権侵害を激しく告発した。国内外のメディアからも批判的な意見が出ている。しかし、政権への批判は広がらない。なぜだろうか。
まず、市民社会に着目すると、これまで政権を批判してきた共産党系の団体がおとなしい。共産党の創設者がドゥテルテの大学時代の教師だったこともあり、共産党系の知識人が社会福祉や農地改革の閣僚になった。彼らは初めて政権内で政策形成に関与する機会を得たわけで、ドゥテルテとの関係を悪化させることは避けたい。その他にも、多くの市民団体が、大規模鉱山開発の規制やLGBTの権利拡大といった様々なイシューに対するドゥテルテの「改革的な態度」に期待を寄せており、政権批判を強められないでいる。
次に、ドゥテルテは、麻薬取締りの対象をエリート層にも向けているかのようにアピールしている。麻薬犯罪に関わっているとして、地方政治家、裁判官、警察官、元閣僚の家族などを含む150人以上の名前を公表した。富裕・中間層の若者が集うナイトクラブ等にも捜査の手を伸ばしている。
たしかに、ボボイのようにスラムで処刑に脅える者は、「警察が殺すのは貧乏人だけだ。金持ちとは話し合ってうまくやるのさ」と気づいている。だが、エリート層にも断固として立ち向かうかのような姿を見せたことは、一般の支持者に痛快感を与えた。
そして、「殺されているのは頑固な犯罪者だから仕方ない」との言説が流通している。犯罪者の命は、フィリピンが発展するために払わなくてはならぬコストだというのである。もちろん、こう言い放つ者たちも、いきなり犯罪者を処刑するのは良くないと考えている。しかし、「あれだけ警告されて立ち直るチャンスを与えられたのに、まだ麻薬をやめない石頭が悪い」というのだ。実際には、麻薬を止めても問答無用で処刑されるケースが相次いでいるのだが、そのことに対する批判の声はまだ少ない。
こうした見解は、ドゥテルテが国家の法秩序を超える「家父長の道徳と秩序」に訴えてきたことと重なる。これは「国民」を一種の家族共同体とみなし、グレてしまった子供やケンカし合う子供たちを鉄拳でもって従わせることを正当化するものである。この想像力のもと、人権侵害や超法規的処刑さえも、厳格な父親が子供をしつけるための「家庭内暴力」と矮小化され、免責されている。また国際的な批判も、家族のしつけに対する近所からの不当な介入と批判される。
こうした家父長の道徳と秩序は、かつてマルコス権威主義が用いたものに近い。実際、ドゥテルテは、自分の父がマルコスと近かったこともあり、マルコスの英雄墓地埋葬を支持するなど、マルコス派を隠さない。マルコス政権下で人権侵害を受けた者たちが反対の声を上げるが、いまひとつ盛り上がりに欠ける。
民主化以降、「独裁者マルコス=悪、民主化の英雄アキノ=善」という「ピープル・パワー物語」が、支配的な道徳言説となってきた。しかし、「マルコスの時代には規律があって良かった」と語る人々も少なくない。日本で「戦後民主主義からの脱却」が語られるのと同様、フィリピンでも「ピープル・パワー物語からの脱却」というかたちで、支配的な民主主義の道徳言説に対する反動、そして強権的なリーダーへの渇望が生じているようだ。
改革のアジェンダと課題
ドゥテルテには、既存の行政機構や法制度を軽視する傾向が強い。2017年度予算案に着目しても、治安維持と犯罪対策を強化するためとして、大統領の裁量で執行できる臨時費に55億ペソ、会計監査委員会の監査を受けない機密諜報費に前年の300倍という20億ペソを請求している。他方で、行政が肥大化し権限が重複するなど非効率になっているとして、200ほどの部局を廃止しようとしている。また、麻薬や汚職に関する情報を、国民から市民サービス委員会に直接通報させることも試みている。
こうした改革のなかには、好ましいものもある。たとえば、地方政府に対して、投資家が必要な全てのビジネス許認可を2日以内で発行するように命じた。海外出稼ぎ労働者が一度で必要な書類を全て集められるようにする「ワンストップ・ショップ」化も進めている。複雑で腐敗した行政手続きをトップ・ダウンで簡素化する手法は、グローバル経済とも親和性がある。
それから、労働者に不安定な雇用を強いる短期契約労働をやめさせようとしている。これまで企業が労働者を6ヶ月間雇用すると正規にしなくてはならないという労働法第281条を逆手にとって、5ヶ月間で雇い止めにする慣行が横行していた。これに対して、従業員の8割を正規雇用にするよう企業に要請し、それを守らない企業は業務を停止させると脅している。正規の従業員になれば、社会保障、有給休暇、健康保健、一か月分のボーナスなどを享受できる。これによって国内企業の競争力低下や海外投資の減少も懸念されているが、国民からは好評だ。
しかし、これらは大統領の行政命令や閣議決定で対応できるものであって、より根本的な改革には議会の承認を得た法律の制定が必要である。ドゥテルテ政権は、今年度の優先法案として、劣悪な交通渋滞を改善するためのインフラ整備に関する非常事態大権、税制改革による所得税と法人税の減税、前政権から引き継いだ情報公開法、そして憲法改正による連邦制の導入などを掲げる。では、議会との関係はどうか。
上院に対しては、ドゥテルテによる超法規的殺人を追及したデ・リマ上院議員を司法・人権委員長から引き摺り下ろさせるなど、重要な局面では多数派工作に成功している。ただし、野心ある上院議員はイシューによっては大統領と対立することで世論の支持を集めようとするので、ドゥテルテの支持率が下がれば上院のコントロールは難しくなるだろう。
下院に対しては、議員が裁量で執行できる「ポークバレル予算」(下院議員は一人あたり8000万ペソ)を別の形で復活させて、その配分で支持を取り付け、多数派工作に成功している。ポークバレル予算は、2013年に最高裁判所によって違憲判決が下された。予算案が決定した後に、国会議員が裁量で予算を執行できるのが違憲という判断だった。
だが、ドゥテルテ政権は、予算決定前に各議員が関係省庁を通じて実施したいプロジェクトを予算管理省に請求できるようにして、これを復活させたのだ。それゆえ、下院で通った法案が上院で激しく争われるというパターンが繰り返されるものと考えられる。
制度を弱体化させる危険
ドゥテルテ政権の最大の懸念は、公式の制度が機能する「強い国家」を実現しようとするにあたって、トップ・ダウンで非公式な手段を用いたり既存の制度を軽視することで、いっそう国家の諸制度を弱体化させてしまう矛盾である。手段が目的を喰ってしまう危険は大きい。
ドゥテルテは政敵を威嚇する際に、しばしば戒厳令の可能性に言及してきた。ただ、これまでのところ、議会の多数派工作には成功しており、最高裁判決に有利な判決を下させるなど司法にも影響力を行使している。そのため、現時点であえて議会や司法を停止する戒厳令を発する必要性は少ない。
むしろ現実的なのは、令状なしに容疑者を逮捕できるようにする人身保護令状の停止である。実際、デ・リマに変って、上院の司法・人権委員長についたリチャード・ゴードン上院議員が、より効率的な犯罪対策のために人身保護令状の停止を訴えるなどしており、注視が必要だ。
身内を守り、政敵を攻撃するあからさまな派閥主義も、制度を弱体化するだろう。関係の近いアロヨ元大統領に対する略奪罪の告訴を最高裁に取り下げさせたのは、その一例だ。しかも公務員の汚職追及を使命とする行政監察院への予算も削減しようとしている。
行政監察院長官のカルピオ・モラレスは高潔な人柄で知られ、アロヨ政権期に最高裁判事として大統領の介入に反発し続け、アキノ前大統領に任命された。ドゥテルテは、彼女を「アキノ派」と見て排除したいのだ。政敵を攻撃する手段も乱暴だ。デ・リマに対しては、確たる証拠もないまま、麻薬シンジケートの一味と主張して議員辞職まで迫っている。
暴言癖が地域秩序を不安定させる懸念もある。ドゥテルテは暴言と頑迷な態度で知られるが、麻薬以外のイシューでは意外に柔軟な現実主義者だ。暴言で恫喝して相手の出方を伺い、裏で有利に駆け引きをしようとするのが彼の手法にみえる。自身が権力の頂点にいる国内政治では、この手法によって、これまで議会での多数派工作、政敵の牽制、共産ゲリラとの和平などに成功している。
国際政治でも、暴言を吐いて他国にとってのフィリピンの戦略的重要性という弱みに付け込みつつ、密使を派遣して利益を引き出すべく交渉しているといわれる。しかし、ハッタリをかましまくる小国の瀬戸際戦術が、本当により安定した地域秩序の再構築と、国益の促進につながるのかは疑わしい。
カリスマと民主主義
なぜフィリピン人の多くがドゥテルテに変革の期待を寄せてしまうのか、私には実感としてよく分かる。適切に機能しない国家への怒り、エリートにも物怖じしない断固たる態度、フィリピンを子分のように扱う旧宗主国への反発といった、これまで人々を拘束してきた既存の秩序に対する反逆が痛快なのだ。
彼のような「アウトサイダー」ならば、そこから私たちを解放してくれるかもしれないと期待してしまう。私自身、彼の演説を聴いているうちに「何をバカなこと言っているんだ」と失笑しつつ、ドゥテルテと支持者の熱狂的な相互応答の中に巻き込まれて、危険なカリスマの魅力を感じてしまったことは否定できない。
たしかに、民主主義は異なる諸勢力の対立を調整していく作業を必要とするので、決して効率的に問題を解決しないし、腐敗も防げない。しかし、ドゥテルテが既存の秩序を破壊していった後の空白地帯には、権力者が家父長の名のもとに恣意的に権力を濫用する危険な秩序が侵入している。人々が家父長の支配を正当とみなすのは、彼が自らの秩序に従う者を温情的に庇護してくれると期待するからである。しかしドゥテルテは、彼に降参した者への暗殺さえ黙認するので、家父長の義務と期待を裏切っている。
最後に今後の見通しについて検討してみたい。ドゥテルテは既存の秩序を壊そうとするので、舵取りを誤れば、既得権益層の反発によって政治が行き詰まったり、敵対者による暗殺やクーデターが生じる懸念も付きまとう。それでも、彼が6年の任期を全うできるのならば、どんな可能性があるだろうか。まず、ドゥテルテの秩序破壊に人々が拍手喝采をおくっているうちに、民主制度や行政機構、人権さえも軽視する政治が支配を強める危険性が高いと言わざるを得ない。
だが、人々が冷静さを取り戻してドゥテルテの暴走を批判し、より温情的なものへと家父長の秩序を修正させていくこともありえよう。あるいは、既存の民主主義が疲弊し信頼を失ってしまった現状だからこそ、人々がドゥテルテという劇薬を、既存の不平等な秩序を破壊し、より民主的な制度を再構築していく契機として活用することも、難しいが不可能ではないかもしれない。
現在、高すぎる支持率が大統領を増長させているようだが、支持率が下がれば彼はより柔軟な現実主義を選ぶかもしれない。この国の未来は、フィリピン人がドゥテルテに託した希望を成就させるべく、いかに彼を飼いならしていけるかにかかっている。
プロフィール
日下渉
名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。専門は政治学とフィリピン研究。1977年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、九州大学大学院比較社会文化学府博士課程単位取得退学、京都大学人文科学研究所助教等を経て、2013年より現職。博士(比較社会文化)。主要著作に、「秩序構築の闘争と都市貧困層のエイジェンシー――マニラ首都圏における街頭商人の事例から」『アジア研究』53(4):20-36頁(2007年、第6回アジア政経学会優秀論文賞受賞)、『反市民の政治学――フィリピンの民主主義と道徳』(法政大学出版局、2013年、第30回大平正芳記念賞、第35回発展途上国研究奨励賞)など。