第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)から読み解く日本と世界の未来――1993年に日本で始まった3つの試みからカイゼンまで

2008年、再び産業政策に脚光が――アフリカ開発とアジアの成長経験

 

この第4回のTICADで、JICAは緒方貞子・顧問(当時は理事長)を中心に「アフリカ開発とアジアの成長経験」と題するイベントを行った。パネルに参加したのは、エチオピアのメレス首相、タンザニアのキクウェテ大統領(いずれも当時)などで、スティグリッツ教授もビデオで参加した。このイベントで議論されたのが、まさにアフリカにおける産業政策の可能性であった。アフリカの首脳達は強く産業政策の重要性を語り、スティグリッツ教授がそれに理論付けを行うというものであった。

 

しかし、何より特筆すべきであるのは、緒方貞子・顧問自身が市場における政府の役割に強くこだわったことである。この点は中央公論(2007年10月号)の紙面で行われたスティグリッツ教授と緒方貞子・顧問の対談でも強調されている。トップのこうしたコミットメントの強さが、以降のカイゼンを含む産業政策支援の基調を作っていくことになった(イベントの報告はこちら)。

 

緒方貞子・顧問だけではなく、すでにその時点で設立に向けて準備されていたJICA研究所の前身でも、「アフリカ開発とアジアの経済成長」の研究会が組織され、政策提言に満ちた報告書が発表される。ここには日本―世銀論争の中心的存在であった下村恭民教授や、後にエチオピアでの産業政策対話に深く関わる大野泉GRIPS(政策研究大学院大学)教授をはじめとして、多くの研究者とともに実務家も参加し、実務と研究を橋渡しするような報告書が準備されていたのである。1993年から15年。時代の扉は一回転し、ふたたび、産業政策に光をあてる試みが始まったのである。

 

こうした流れの中で開始されたのが、エチオピオのカイゼン・プロジェクトと、政策レベルでの産業政策対話であった。TICADのイベントにも登壇したメレス首相から協力の要望があったのである。(これらの協力に日本の一線級の研究者が参加したことも特筆しておきたい。カイゼンにはGRIPSの大塚啓二郎教授(現、神戸大学)、園部晢史教授、産業政策対話には同じくGRIPSの大野健一教授・大野泉教授)。これが今回の第6回TICADでも高い関心を呼んだ、エチオピアからアフリカ全体に広がったカイゼン・プロジェクトの始まりであった。

 

アフリカの民間セクター開発の重要性は、TICADが始まった頃から認識されてきたが、それがTICADを通じて成果を上げ、そして本格的にアフリカの経済成長を押し上げようとしているのである。もちろん、ここで述べたのはアフリカにおけるカイゼンの取り組みの単に始まりの物語だけである。そこから今日まですでに8年。多くの関係者の努力なしには現場における成功はなかった。字数の関係からこれについては別の機会に述べることとし、ここでは先を急ぎたい。

 

 

新たな段階を迎えた産業政策論争――2016年、ナイロビでの第6回TICAD

 

2008年の第4回TICADをきっかけに始まったのは、エチオピアでの協力だけではない。筆者がニューヨークの国連代表部の在勤中に出入りしていたスティグリッツ教授が率いる政策対話イニシアティブ(IPD: Initiative of Policy Dialogue)とJICA研究所が、アフリカを中心とした産業政策に関する共同研究を開始したのである。日本からはJICA研究所の細野昭雄シニア・リサーチフェローや筆者が参画してきている。

 

産業政策をめぐっては賛否両論があり、未だに援助ドナーの間でもコンセンサスが得られていない政策である。カイゼンやスティグリッツ教授らとの共同研究が始まった2008年の時点で、援助国の間で産業政策に積極的な議論をしていたのはJICAのみで、いわばかなり特異な存在であった。しかし、そんな状況が少し変わったのが、ちょうどこの2008年の後半に起こったリーマン・ショック以降である。

 

リーマン・ショックによって国内経済が大きな影響を受けたアメリカやフランスなどが、自国経済のために積極的な産業政策の方角に舵を切ったのである。ハーバード大学のダニ・ロドリック教授はこうした動きを「産業政策が帰って来た(The Return of Industrial Policy)」と呼び、援助機関の中でもようやく産業政策について少し見直しが始まるのである。

 

世銀の主流派の考え方は現在でも、産業政策のように政策に介入すべきではないとするものである。むしろ政府の介入は「投資環境整備」だけに限るべきで、それ以上、市場に介入するべきではないという。もちろん、世界銀行の中も一枚岩ではない。たとえば、2008年からチーフエコノミストであった中国人のジャスティン・リン(現在、北京大学教授)は、産業政策に積極的なNSE (New Structural Economics) を提唱し始めていた。しかし、この議論により世銀内の主流派との間の論争が激しくなり、彼は2012年に世界銀行を去ることになってしまった。

 

 

今回のTICAD VIで行われたサイドイベントで筆者がモデレーターを務めたパネル。スティグリッツ教授、アクバル・ノーマン教授とともに。

今回のTICAD VIで行われたサイドイベントで筆者がモデレーターを務めたパネル。スティグリッツ教授、アクバル・ノーマン教授とともに。

 

 

今回のナイロビのTICADでも、北岡伸一JICA理事長、ヘレン・クラークUNDP総裁、スティグリッツ教授や筆者が参加し、「産業政策を通じたアフリカの構造転換とアジェンダ2063の実現」というイベントが行われた。このイベントは、JICA研究所とスティグリッツ教授らの共同研究の成果であり、スティグリッツらの編によるIndustrial Policy and Economic Transformation in Africaがコロンビア大学出版会から出版されたのを記念して行われたものである。筆者もこの本でエチオピアのカイゼンについて章を担当した(本書はAmazonなどで入手可能、内容詳細については、JICA研究所のHPを参照のこと。本稿では論じていない産業政策の論点についてもまとめており、ぜひ読んでいただきたい。)

 

さて、先ほど述べたナイロビでの今回のイベントで印象的な発言があった。筆者がモデレーターとして司会をするセッションで、セレスティン・モンガ・アフリカ開発銀行チーフエコノミストが述べたことである。

 

 

アジアの産業政策の経験というが、「アジアの」という部分は必要ない。アジアが行ったことは実は普遍的な政策で、アジアだけでなく西洋でも行われてきたものである。これからのアフリカはこの普遍的な政策である産業政策を実行に移していくべきだ。

 

 

セレスティン・モンガ氏も我々の共同研究者であり、彼の発言の背景には、同じく共同研究者の一人でもあるケンブリッジ大学のハージュン・チャン教授による経済史の研究の成果が反映されている。彼は丁寧に史実に当たることで、これまで産業政策を取ってこなかったと思われていたアメリカ、イギリス、スイス、フィンランドに至るまで先進国は全て産業政策を積極的に実施してきた歴史を「再発見」したのである。

 

1993年に日本が始めた日本―世銀論争。その政策論争はまだ続いているが、このセレスティン・モンガ氏の発言はアフリカの進む道を示しており、その議論は新しい段階に入りつつあるように思われる。最近の議論の進展をふまえ、JICA研究所とスティグリッツ教授らによる本が、11月下旬にコロンビア大学出版会より新たに出版される予定である。

 

タイトルは、Efficiency, Finance, and Varieties of Industrial Policy – Guiding Resources, Learning, and Technology for Sustained Growthであり、ジャスティン・リンを始めとする産業政策研究の一線級の研究者が参加しており、産業政策としての金融の役割に焦点が当たっている。筆者の担当した日本の章では日本開発銀行といった開発金融や、カイゼンの日本における導入の歴史について書いているので、ぜひ手に取っていただきたい。アマゾンのKindle などでも入手が可能である。詳細はHPでご覧いただきたい。

 

1993年に日本の始めた大きな援助潮流をつくる試みであるアフリカ開発と産業政策。23年の時の流れを経て現場でも、援助政策の部分でも少しずつ成果を出しつつある。しかし、また揺り戻しがないとは限らない。揺り戻しがある前に、現場での成果をさらに積み重ね、研究によって理論を固めていく必要がある。この日本発の壮大なプロジェクトは未完であるが、アフリカのみならず世界の未来につながる試みだと思う。次回の第7回TICADは東京で開催される。さらなる展開を期待したい。

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

・川口俊明「全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である――専門性軽視が生み出した学力調査の問題点」
・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
・大賀祐樹「懐疑的で楽観的な哲学――プラグマティズム」
・平井和也「世界の知性は新型コロナウイルスをどう見ているのか」
・川名晋史「誰が、なぜ、どこに基地を隠したか」
・石川義正「「空洞」の消滅──現代日本「動物」文学案内(4)」