2017.02.28

誰が電気を止めたのか――カメルーン東南部国境地域における妖術をめぐって

山口亮太 文化人類学、アフリカ地域研究

国際 #等身大のアフリカ/最前線のアフリカ#カメルーン#妖術

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。

はじめに

2014年夏、カメルーンのとある町、M市に関する情報を収集していた筆者は、衝撃的なネットの記事に行き当たった。

カメルーン:不満を持った妖術者たちが、開発プロジェクトを妨害」という見出しの記事には、電力会社が設置した発電施設を妖術者が「不思議な力」で停止させてしまい、M市街が長期の停電に見舞われたと書かれていた。このような出来事は、実はそれほど驚くことではない。噂として現地ではしばしば耳にするためである。人間関係のもつれが呪った/呪われたの妖術騒動に発展することも多々あり、当事者同士の話し合いや、村長や長老などの権威者の仲介により、内々で解決されることがほとんどである。

しかし、筆者が衝撃を受けたのは、ある行政書類のコピー画像が添付されていたからである。この地域を統括する郡長の名前で発行されたその書類には、彼が催した妖術者たちに対する事情聴取の結果と、電力会社に対する要求が記されており、ご丁寧に公印とサインまで入った正式な行政書類の体裁がとられていた。つまり、妖術者たちが発電施設に対して妨害を行ったという疑いが、単なる噂や人間関係のもつれを越えて、郡の行政のレベルで対処されたのである。いったい何故、そのような大事になってしまったのだろうか。

本稿では、ネット上にも公開された問題の行政書類の内容と、筆者がその確認のために行った現地調査の結果をもとに、M市街の停電事件がどのように対処されたのかについて検討する。それを通じて、カメルーン東南部地域における開発と妖術をめぐる言説と実践の一端を明らかにしたい。

アフリカの妖術、もう少し範囲を広げて呪術やまじないなどに対して、アフリカの後進性――ときには「未開」性――を想起して、「遅れたアフリカ社会」という偏見をもつ方がいるかもしれない。教育が行き届いていないために、開発が進んでいないために、呪術などと言う「迷信」を信じるのだ、という見方である。

ところが、少し考えてみれば、これが大きな誤解であることは明白である。例えば、日本においても、呪術やまじないはいたるところに存在している。正月には、初詣のついでにおみくじをひき、交通安全、学業成就、航空安全などのお守りを買い求める方は多いのではないだろうか。そしてこれらのお守りは、自家用車の普及、受験戦争、飛行機での移動の一般化といった社会状況やその変化と分かちがたく結びついている。アフリカの妖術や呪術も、これと同じことがいえる。では、以下でみていく停電事件と妖術をめぐる言説と実践は、いかなる現代的な状況から立ち現れてきたのだろうか。

熱帯林の田舎町

筆者が2008年より調査を行っているカメルーン東南部国境地帯は、コンゴ盆地の熱帯林の西北端に位置しており、鬱蒼とした森が広がる。この地域は、カメルーン国内においても「森しかない田舎」と見なされており、ネットのニュース記事で取り上げられることは珍しい。まれに、国立公園内におけるゾウ密猟や象牙取引の取り締まりが報じられる程度である[大石 2016b]。

本稿の舞台となるM市は、カメルーンとその南のコンゴ共和国の国境沿いに位置しており、首都ヤウンデから東へ向かう国道を800kmあまり行った終端に位置している。市役所のほかに郡を統括する郡庁も設置されており、それを司るのが上述の郡長である。かつては野生ゴムの生産で栄えたが[Geschiere 2005; 大石 2016a]、現在ではカカオが主な換金作物として栽培されている。

インフラの整備状況は2014年の時点においても十分でない。上下水道はなく、飲み水はポンプでくみ上げている。電力は、電力会社が街の外れに設置した大型の発電機によってまかなわれているが、この発電機がしばしば故障し、そのたびに500km以上離れた州都から技術者を呼び寄せるため、停電が数日間続くことも珍しくない。

通信は、電話会社のアンテナが立っているため、携帯電話が使用可能である。他の地域の例に漏れず、カメルーン東南部でもこの数年のあいだにスマートフォンが瞬く間に普及し、携帯電話網を介してSNSを利用する者も少なくない。

東部州の道路。未舗装の道路は、雨季になると粘土のようになり、車両の通行を阻む。
東部州の道路。未舗装の道路は、雨季になると粘土のようになり、車両の通行を阻む。
天日干しされるカカオ。この地域の主要な換金作物である。
天日干しされるカカオ。この地域の主要な換金作物である。

停電事件の概要――郡長の報告書より

本稿で取り上げる停電事件が発生したのは、2014年の3月末から4月初頭であったようだ。郡長の名前で作成された報告書の作成日は2014年4月8日、事情聴取が行われたのは4月4日のことであったと記載されている。報告書の宛名は、電力会社の最高責任者となっている。以下では、ネット上にアップロードされている報告書の内容を紹介する。

報告書によると、事情聴取は郡長のオフィスで行われた。同席した人びとの役職がリストアップされている。主立った行政の責任者たちや憲兵隊の隊長、警察幹部、M市の市長、「伝統首長」の代表として、近隣の村長たちの代表者、そして村の一つ上の行政単位である「カントン」の長が招集された。

カントン長と村長が行政によって定められた役職でありながら「伝統」の名を冠して呼ばれるのは、彼らが慣習に基づいた住民間のもめ事の処理を任されていることと、その役職は地元住民の特定の家系で実質的に世襲されているためである。上記の人びとに加えて電力会社の代表者2名が同席の元で、妖術者であるとされた高齢女性たちからの事情聴取が行われた。

この会合の趣旨は以下の二つであったと明記されている。1.一連の発電機の故障と爆発について終止符を打つこと、2.全ての部品が正常であるにもかかわらず、二日間も電気が戻らない現状を早急に回復させることである。1は、上述のように発電機が頻繁に故障していたことに言及していると思われる。故障しがちな発電機を修理しながら使用していたが、何らかの不具合が発生し、ついに爆発を起こしたのだろう。しかし、爆発は大規模なものではなかったようだ。2にあるように、事情聴取が行われた時点で、すでに発電機の修理は完了していたことが窺える。この時点で問題となっていたのは、修理が完了した後も発電機が作動しなかったことである。

この会合で女性たちからの事情聴取を行ったのは、市長と伝統首長たちであった。彼らによる執拗な追求が行われた結果、妖術者であるとされた高齢女性たちは電気が直ちに戻るように手配したと書かれている。彼女たちは、もう二度とこのようなことをしないと誓ったという記載が続く。そして、事情聴取にあたった市長と伝統首長たちの電力会社への意見として、妖術者として名前をあげられた人びとが満足するように、贈り物は確実に行われるべきだという主張が記されている。

贈り物とは、妖術者たちからの電力会社に対する要求としてリストアップされた、諸々の物品のことである。大量の食料品、調味料、アルコール飲料、それにウシ一頭など、パーティーでも開催するかのような品々の他に、山刀などの日用品や現金も含まれており、総額で100万FCFA(日本円で約20万円程度)はくだらない物品の要求が13項目にわたってあげられていた。

妖術者とされた高齢女性たちは、この要求の根拠について二点に言及している。A.発電施設の導入にあたって、何らの正式な除幕式も行われなかったこと、B.高圧(線)があるために、彼女たちの「妖術の飛行機」をM市街から17kmも離れたN町に着陸させなければならず、そのため、バイクをレンタルしてM市街へ戻る必要があり、無駄な出費がかさんでいることである。

バイクは、住民の足として重要。未舗装路の長距離移動には欠かせない。
バイクは、住民の足として重要。未舗装路の長距離移動には欠かせない。

「妖術の飛行機」とは、妖術者が妖術の力で作り出す「飛行機」のことである。妖術を持たないものには乗ることはもちろん、目で見ることさえできないとされている。かつての妖術使いはフクロウやヤシの葉に乗って移動したというが、近頃の妖術使いは、「飛行機」に乗って、他の妖術者との会合に向かったり、フランスのパリまで観光に行ったりするといわれる。妖術業界にも、近代化と国際化の波が押し寄せているのだろうか。

これらの、いわば妖術者の言い分を記載した直後に、「格別なる敬意を表して」と結びの言葉が入り、報告書は終わっている。その下には、郡長の公印と自筆のサインが入れられており、これが正式な行政書類であることがわかる。

郡長の報告書からわかった停電事件の概要をまとめる。電力を止めたとされるのは、妖術者とされる高齢女性たちであった。彼女たちに対して、郡長は市長をはじめとする行政関係者や警察、憲兵、さらには伝統首長たちをまねいて、事情聴取の場を設けた。市長と伝統首長たちによる聞き取りの後、高齢女性たちは電気を回復させ、二度とこのようなことをしないと誓約しつつ、電力会社に対して多くの物品の要求を行った。これに対して、市長と伝統首長らはそれが確実に実行されることを電力会社に求めている。

しかし、報告書を読んだだけでは分からない点がいくつかある。一つ目は、事情聴取の対象であった高齢女性たちがいったい何者なのか、そして、なぜ妖術者として彼女たちの名前があげられたのかという点である。二つ目は、なぜ事情聴取を主に行ったのが市長と伝統首長たちであったのかという点だ。この会議に招集されたメンバーの中には、警察や憲兵の幹部もいたにも関わらず、彼らが事情聴取に関わったという記述はない。三つ目に、郡長がしたことについて何も書かれていない点である。報告書の記述を素直に読めば、郡長は参加者を招集し、自らのオフィスを会場として提供したということ以外には何もやっていないということになる。彼はこの会議の間、何をやっていたのだろうか。

発電施設を止めた女たち―現地での聞き取り

その後、2014年11月の数日間、M市でこの件について調査を行う機会があった。郡長に申し込んだ面会は拒否されてしまったが、事情聴取の場に同席していたM市のある地区の区長から直接話を聞くことができたほか、発電施設の近くに住む男性から、高齢女性たちの名前があげられた経緯についても詳細に聞くことができた。以下では、その内容について整理する。

発電施設の近くに住む男性からは、妖術者であると名指しされた高齢女性たちのうち、「首謀者」といわれる女性Bさんが電気を止めた経緯が語られた。発電施設の周囲には、いくつかの家族が居住しており、Bさんもその中の一人であった。ある日、彼女と隣家の妻とのあいだで、数時間にわたる口論があった。お互いへの罵りあいはエスカレートし、ついに隣家の妻は、Bさんの家につながる電線を切ってしまった。電気は、隣の家からBさんの家に向かって流れていた。隣家の妻は、「あなたの行動のせいで、もうそちらに電気が流れることはない」と述べた。これに怒ったBさんは、「もしそうならば、私たちの家の周りで、誰も電気を得ることはないだろう」と言い返したという。

数日たった後も、二人の口論は継続していた。隣家の妻はBさんを罵倒し続け、それに対して激怒したBさんは、二人の妖術者と組んで、発電施設の燃料の入ったドラム缶の中に妖術でヘビを送り込み、それが燃料の流れを止めてしまった。その結果、発電施設は正常に作動しなくなり、M市街への電力供給が断たれた。

その数日後、彼女たちの口論が再開した。隣家の妻は、BさんこそがM市街の停電を引き起こした張本人であると、人びとに言いふらした。彼女たちの一件は、郡長の関心をひき、伝統首長たち、市長と憲兵などに呼びかけ、Bさんから事情聴取を行うことになったということであった。

事情聴取の経緯については、M市の区長の一人から聞くことができた。Bさんの住居と発電施設が彼の管轄する地区内にあるため、招集されたということであった。

彼によると、Bさんは当初、自分は何も知らないと主張したそうだ。そのため、郡長は憲兵らに対して、彼女を打つように言い、さらに刑務所に入れて反省させるべきだと主張したという。

これに対して異を唱えたのが、市長と伝統首長たちであった。筆者が話を聞いた区長もこちらの立場である。このとき彼らは郡長に対して、これは慣習の問題であり、郡長ではなく我々の管轄であると述べたのだという。彼らの申し出は認められ、上記の報告書にもあったように、その後の事情聴取は彼らが主体となって行うことになった。

区長によると、Bさんが事情聴取の場で行った説明は、郡長の報告書とはやや異なる。その説明とは以下のようなものである。Bさんの夫が生前に、彼女が家を建てるための土地を購入した。しかし、夫の死後、彼女には家を建てるだけの財力も体力もなかった。そこに電力会社があらわれ、彼女の土地に発電施設を建設してしまい、しかも彼女に対する支払いは行われなかった。彼女は、発電施設の責任者たちにうったえかけたが、満足のいく返答は得られなかった。以上が一つ目の説明である。

二つ目の説明は、郡長の報告書にあったように、発電施設の存在によって妖術者の会合に「飛行機」で参加することを妨げられていること、そして、他の参加者たちも、「飛行機」でM市街に着陸できないため、移動のための不要な支出がかさんでいるというものである。

この説明を受けた市長と伝統首長たちが、Bさんに対して、電気を返してもらう代わりに何か要求はあるかと尋ねたところ、彼女は首肯した。そして、必要なものを言うように促されたとき、彼女が言葉を発する前に、郡長のオフィスの電灯は再び明るく灯りはじめたという。

この状況をみて、郡長は納得したようだったという。彼は、その場にいた全員のまえで、その女性があげる物品を書き留めるように言った。郡長は電力会社の責任者たちに対して、報告書を送ったが、要求された物品が届けられることはなかった。そのかわり幾人かの村長たちが、お金を出し合い、Bさんとその仲間たちに渡した。その後、発電施設は以前のように頻繁に故障することもなく、順調に稼働しているとのことであった。

画像04
M市の郊外にて。カヌーを用いた河川交通や、漁撈活動も行われている。

誰が、どのように妖術の問題を取り扱うことが適切か

区長と発電施設周辺の住民からの聞き取りによって、郡長の報告書にあったいくつかの疑問点を解き明かすヒントがみえてきた。

まず、事情聴取の対象となった高齢女性たちの背景である。その一人、Bさんの名前があがったのは、発電施設周辺に居住していたこと、大規模な停電が発生する数日前に隣人とのいざこざで電力を断たれてしまったこと、そして停電後に、いさかいの相手が、停電はBさんの妖術によるものだと言いふらしたことが原因であった。Bさんの他に名前があげられた女性たちは、彼女の仲間とされたのである。

これに対して、郡長と伝統首長たちがそれぞれの権限で対応を行おうと試みたのが、今回の停電事件に関する事情聴取であった。まず郡長は、事情聴取のための会場を提供しただけではなかった。彼は、Bさんたちを逮捕し、刑務所に送るように主張していたのである。郡長がそのような主張をしたのには、いくつかの理由があるだろう。

そのひとつに、カメルーンで公的に広く言及される「妖術は開発の妨げである」という言説がある。住民間の妖術騒動は、人びとが連帯して開発プロジェクトに参加することを困難にするためである。また、妖術を行う者は、カメルーンの刑法に従って罰せられることになっている。特に、本稿の舞台となったカメルーン東部州は、裁判所で妖術に関わる案件がしばしば取り扱われている。妖術使いとして訴えられた被告は、裁判ではほぼ有罪となり、刑務所で服役しなければならない[Geschiere 1997]。

ところが、郡長のこのような対応は、市長と伝統首長たちが慣習の問題であると主張したことによって不発に終わった。伝統首長たちは、自らの管轄する村落などで発生した問題をはじめに裁定する、ローカルな紛争処理の機能を担っている[平野(野元)・レンジャ=ンニェムズエ 2016]。停電事件が、Bさんと近隣住民とのトラブルの末に発生したのだとすれば、この問題は、まさしく彼らが取り扱うべき問題なのだ。市長は地元住民から選出されるため、中央から派遣される郡長よりも伝統首長たちに近い立場である。Bさんの事情聴取が市長と伝統首長たちを中心に行われたのは、以上の理由からであった。

しかし、法律と慣習にもとづいた解決の試みは、いずれもBさん自身の発言によってくじかれてしまった。そもそも、Bさんと隣人のいさかいについては、郡長のオフィスで行われた事情聴取では全く言及されなくなった。そこで行われた彼女の主張は、電力会社が彼女の土地に発電施設を導入したにもかかわらず、何の補償も行われていないということ、そして、発電施設の存在によって妖術者としての活動に支障が出ているということであった。

この主張に従うと、Bさんが妖術の力で発電施設を止めた理由は、隣人とのいさかいに起因するのではなく、発電施設の存在による不利益の補償を電力会社に対して求めるためだったということになる。こうして、妖術によるM市街の停電事件は、慣習と法律のいずれを参照することによっても対処の枠組みを構築することが難しい、境界的な事例となってしまった。

慣習に基づいた解決の試みが目指すのは、電力を回復させるために、妖術でそれを妨げている彼女の怒りをひとまず静めてもらう。しかし、そのために電力会社による補償を求めることは、慣習の及ぶ範囲を大きく超えてしまっている。そのため、市長と伝統首長は、Bさんの要求が達成されることを望むという提言を行うにとどまったのではないだろうか。

一方、法律に基づいて事態に対処しようとした郡長もまた、はじめに彼が主張したように、Bさんを妖術者だとして問答無用で刑務所に入れてしまうことはできなかった。なぜなら、Bさんは、妖術を用いたとは述べたものの、自らを電力会社による権利侵害の被害者だとも主張しているからだ。さらに、市長と伝統首長が彼女の言い分を支持している以上、放置するという選択をすれば、郡長は妖術による停電の問題を解決する気がないと彼らから非難されていただろう。このように、Bさんの主張に対する郡長と市長・伝統首長たちの権限と思惑が微妙にズレながら交錯したところに、報告書は成立したのであった。

この報告書は、電力会社からは無視され、実のところ何の効果も発揮していない。Bさんへの補償もなされておらず、一連の騒動の決着はついていない。しかし、電力はすでに回復しており、対処すべき問題自体は解決しているのである。おそらく、この報告書に記された要求が注目を集めることになるのは、再度停電が頻発するようになる時だろう。それまで、この問題は棚上げにされたままになるのだろう。

おわりに

以上のように、本稿で取り扱った停電事件と妖術をめぐる言説と実践は、この地域への電力会社の進出をきっかけとして、司法や行政がどこまで妖術の問題を取り扱うことができるのか、企業によって不利益を被った個人は、いかなる手段でその事実をうったえ、補償を求めうるのかという現代的な状況を巻き込みながら展開していることがわかる。その過程で、行政が問題視するところの開発を妨げる妖術でもなく、慣習にのっとって対処すべき人間関係のもつれによる妖術でもない、個人対企業という妖術の作用する新たな領域が立ち現れたのである。

カメルーン東南部の妖術をめぐる事例から見えてくるのは、妖術が現代的状況と切り離されることなく、常に新たな状況の登場に伴って更新され続けている様子である。もしそうでなければ、妖術の語りはすぐに古くさいものとなり、リアリティを失ってしまうだろう。言い換えれば、妖術には常に様々な社会状況を巻き込み、取り込んでいく作用があるのだ(注1)。

その過程で、ある人の行動が本人の意図を離れた思いがけない帰結をもたらすこともありうる。例えば、郡長は妖術者を取り締まろうと動いたわけであるが、その行動は妖術者の主張と要求を公文書化して電力会社に報告するという帰結をまねいた。こうした郡長の行動が、個人と企業の間で作用する妖術のリアリティを強化するような方向で影響を与えることは想像に難くない。望むと望まぬとにかかわらず、人びとは妖術に巻き込まれていくのである(注2)。

このように、妖術は常に様々な社会の変化や新たな要素と結びつき、ダイナミックに変容してきたものである。妖術は、「未だに残っている」のではなく、それが作用しうる領域を社会の状況と共に少しずつ拡張させ、変化させてきた。そういった意味で、妖術は、常に最先端なのである。

(注1)このような妖術信仰のあり方を、浜本は「個人のプライベートな生から共同体の政治までもを貫く複雑な出来事の連鎖を生み出しつつ、自己を再生し続けている巨大な物語装置のように見えてくる」[浜本 2014: 507]と表している。

(注2)このように妖術に巻き込まれていくのは、現地の住民だけではない。フィールドに住み込んで調査を行う筆者もまた、その片鱗に直面し、戸惑うことがある[山口 2012]

参考文献

・Geschiere, P. 1997. The Modernity of Witchcraft: Politics and the Occult in Postcolonial Africa. Charlottesville and London: University of Virginia Press.

・―. 2005. Tournaments of Value” in the Forest Area of Southern Cameroon: ‘Multiple Self-realization’ Versus Colonial Coercion During the Rubber Boom (1900–1913). In W. van Binsbergen & P. Geschiere eds., Commodification: Things, Agency, and Identities (The Social Life of Things Revisited). New Brunswick and London: Transaction Publishers, pp. 243–263.

・浜本満.2014.『信念の呪縛―ケニア海岸地方ドゥルマ社会における妖術の民族誌』九州大学出版会.

・平野(野元)美佐, アンジュ・B・レンジャ=ンニェムズエ.2016.「現代に開かれた伝統という潜在力―カメルーン・バミレケ首長制社会の紛争処理と伝統的権威」太田 至 シリーズ総編集/松田素二・平野(野元)美佐 (編)『アフリカ潜在力 1 紛争をおさめる文化―不完全性とブリコラージュの実践』京都大学学術出版会.pp. 57-91.

・大石高典. 2016a. 『民族境界の歴史生態学―カメルーンに生きる農耕民と狩猟採集民』京都大学出版会.

・―. 2016b. 「ゾウの密猟はなぜなくならないか―グローバルな取り組みと狩猟採集民コミュニティの葛藤」2016年8月31日.

・山口亮太. 2012. 「『はざま』で考える―カメルーン東南部におけるエリエーブの言説をめぐって―」『アジア・アフリカ地域研究』12(1): 137–140. 

(ウェブサイト『中部アフリカ研究 in Kyoto』でも読むことができます:

プロフィール

山口亮太文化人類学、アフリカ地域研究

京都大学アフリカ地域研究資料センター研究員。博士(地域研究)。2008年より、カメルーン共和国東南部で、農耕民バクエレの妖術について調査を行っている。人々の日常的な語りやオーラルヒストリー、カメルーン東南部の政治・経済的な変遷などに着目して研究をすすめている。2011年からは、コンゴ民主共和国で生態人類学的な調査を行っている。

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