タンザニア、土地不足とダム建設をめぐる人びとの葛藤

タンザニアの首都移転計画

 

ところで、タンザニアの首都がドドマであるということを知っている読者はどのくらいいるのだろうか。インターネットでタンザニアの地図を画像検索してみても、日本で手に入る地図帳を眺めてみても、ど真ん中のドドマではなく、インド洋に面した都市ダルエスサラームに首都記号が入っていることが多い。

 

確かに、もともと首都はダルエスサラームだった。それがドドマに移転したのは1980年代後半のことで、ダルエスサラームの一極集中を避ける目的と防衛の観点から、国家の中央部であるドドマが最適だということになった。その後、国会議事堂がドドマにつくられ、唯一、国会だけはドドマで開催されるようになったものの、各省庁や大統領府、首相官邸などの行政機能、各国大使館や国連など国際機関のオフィスは依然としてダルエスサラームのままだ。ドドマは雨が少ない半乾燥地帯で、昔から飢饉の常襲地帯として知られてきた地域であり、ずっと「お荷物首都」だった。

 

 

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首都ドドマ(引用: allAfrica, http://allafrica.com/stories/201607280060.html

 

 

しかし2007年、そのドドマにタンザニアで二校目の総合大学が誕生した。国中から若者が集まり、ドドマの街中やその周辺は、にわかに建設ラッシュになった。ドドマとダルエスサラームのあいだを運行するバスのチケットが取れないという、それまでには考えられなかった状況まで生まれた。

 

そして、2015年に発足した新政権はついに、名ばかりの首都だったドドマに、完全に首都機能を移転すると発表した(注3)。「いつになることか」という疑心はあるものの、もしドドマを首都として本格的に機能させるとなると、まずは何といっても水問題を解決せねばなるまい。年平均降水量が600mm程度であるドドマには、増え続ける人口に供給できるほど十分な水はない。

 

(注3)新政権によるドドマ移転のニュースは、根本利通 (2016) “Kuelekea Dodoma” Habari za Dar es Salaam No.174が詳しい。

 

 

ダム建設、住民移転、行き場のないスクマ

 

ドドマの人口増加にともなう水不足に対応するために、ドドマから100キロメートルも離れたサンダウェの居住地内の2村(M村とB村)にまたがるようにダムがつくられる計画が立ち上がった。スクマが移住してきたあの2村だ。

 

インターネットでざっと検索してみると、2010年頃からこのダム計画が報告されるようになっているが、実際にサンダウェがこの計画を話題にするようになったのは2015年のことだ。この地域にはブブという河川が流れている。ブブ川はタンザニア北部のマニャラ湖辺りを源流とし、サンダウェの居住地域を北東から南西へと流れ、最終的にはドドマの西に広がる大きな湿地を形成している。当然、ブブ川は川沿いに暮らす多くの住民に、生活用水や魚場を提供してきた。その川の一部をせき止めてダムを作り、ドドマの街までパイプラインを通して生活用水を供給するという計画だ。

 

ダム建設のためには、M村の大半の住民とB村のほぼ全員が移住を余儀なくされる。わたしは当初、かれらは自らの移住を伴うダムの建設計画に反対するだろうと思っていた。しかし聞き取りをしていると、意外なほどに計画への反対意見は出てこない。「ダムができたら魚をとって稼げるよ」、「ダムをつくるのに雇用が生まれるから、カネを稼ぐチャンスだ」、「補償金も支払われるからだいじょうぶ」などと、みんなの意見は、行政の役人が説明会で話したことをそのままわたしに伝えてくれているかのようだった。一方で「政府に反発すれば逮捕されるかもしれないし、カネを払ってくれるならそれに従ったほうがいい」という人も少なくなかった。

 

 

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乾季のブブ川で魚をとる子どもたち。雨季になると水量が増え、背面の岩々が水につかる。

 

 

当初、政府は両村の住民にたいして移住先の候補地を提案していた。しかしその候補地は今の居住地域からずいぶんと遠く、かれらにとっては「知らない土地」だった。知らないところへ移住するのはイヤだと訴えたかれらに、政府は「それなら自分たちで(移住先を)決めればいい」といった。そこでM村の住民たちは、M村とF村の境界付近で、1970年代の集村化によって多くの住民が去っていった地域を選んだ。政府はM村の小学校や村のオフィスをそこに建てることを約束した。

 

 

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「ここから向こうはダムに沈む」と説明してくれるM村の人びと

 

 

さて、問題は多くのスクマが暮らすB村だ。第一の候補を拒否した後、B村の人びとは、村の北側地域へ移住するよう政府から再び提案されたという。ほとんどがダムに沈むことになるB村の、ほぼ唯一ともいえる「沈まない場所」だ。しかし、スクマの移住により急増した人口を抱えるB村の全員が、そこへ移住し、農地を確保することはできない。また、そこは丘のふもとで湿地ではない。雑穀栽培をおこなうサンダウェには好都合でも、稲作をおこなうスクマにとって、そこへ移住することは、稲作をやめることを意味した。移住者であるB村の村長は、わたしにこう語った。「わたしたちは湿地でコメをつくってきた。コメをつくる人に砂地をくれても意味がないし、逆に、トウジンビエをつくる人に湿地をくれても意味がないんだよ。」

 

B村のサンダウェたちはもともと人口も少なく、かれらは自分たちの地縁、血縁関係を頼って、他村に行くことを選択している。F村の村長は「B村のサンダウェはいくらでも受け入れるよ。だってみんな親族みたいなものだから。でもスクマはイヤだ。うちの村まで一面水田になるのはゴメンだ」といった。行き先の決まらないスクマたちは、補償の話もなかなか進まないなかで移住先を探さなければいけない状況にたいして腹を立てているが、今のところこれといった解決策はない。

 

村近郊の動向に詳しいF村の年長男性によると、実はこのダム計画は、植民地期以降に何度も現れては消えていったという。「だから今回、この計画を聞いても、サンダウェは驚かなかったよ。だって昔から何度も聞かされてきたからね。でもスクマはそのことを知らないでこっちに来た。移住してきて、土地を買占め、挙句の果てにダムができて追い出されるから文句をいう、それはかれらが悪い。」

 

加藤(2016) は、タンザニアの一地域を事例に、地域住民と移住者であるスクマとの対立が、異常気象や社会的外圧といういわば「共通の敵」の出現によって解消されていったと報告している。しかし、サンダウェとスクマの場合、同じようにダム建設という「共通の敵」が到来したはずだが、政府の説明を「素直に」受け取るサンダウェにとって、それはたいした「敵」ではないと認識されているようだ。一方で、スクマにとってダム建設は、自分たちの生存を脅かす「厄介な敵」だった。それゆえ、共に戦う機運は高まらない。わたしがB村にダムの話を聞きに行っても、村長はじめ数人の移住者は自分たちの困難を語ってくれるが、その場にサンダウェは混ざってこない。

 

 

誰にとっての「よい暮らし」?

 

ふり返っておくと、ダムはドドマに暮らす都市住民の生活用水のためにつくられる。しかし、村の代表者らを対象にした説明会では、このダムによって、村々の水事情が改善されること、魚がとれるようになることなど、「よいことづくし」だと説明されている。しかし、計画は完全に政府主導で進められており、村人が説明を受けるのは、ずいぶん遅れてからだ。ダム計画自体にはあまり反対を示さないサンダウェも、「説明会がほとんど開かれない」「補償についてはいつになったら説明されるのか」といった政府の対応への不満は多い。もちろんスクマも同じ不満を抱いている。この進め方には、都市住民の生活のために地方に暮らす人びとが土地を追われる、ということへの配慮が欠けていると思えてしかたない。

 

サンダウェはこの地域のたくさんの丘、岩、水場、林などに、過去の出来事やそこに生育する動植物にちなんだ名前を付けて、細かく区別してきた。植物、土壌、地形などの差異を認識し、使い分けてきた。一緒にブッシュを歩くと、かれらがここの自然を詳細に理解しており、その知識がいかにかれらの生活の基盤になっているかがよくわかる。そうしたすべての活動の場が、100キロメートル先の都市に暮らす人たちのために、ダムに沈む。

 

「先祖の土地も、おじいちゃんの墓も、すべてが沈むんだよ?」と、経済的なメリットだけでは解決されないと感じる点を、わたしは何度かサンダウェに話したが、かれらは「しかたがないよ」というばかり。過去にもさまざまな社会変容を乗り越えてきたかれらの柔軟性は、わたしも十分に理解しているつもりだ。だから、きっと今度起きるかもしれない変化にも、かれらは「それなりに」対応していけるはずだと思うしかないのだろうか。

 

政府による村人への配慮のなさは、スクマにとっても同じだ。かれらはウシを飼い、コメをつくるための十分な土地を求めて移住してきた。今さらつくったこともないトウジンビエ栽培に切り替えることはできない。「作物を変える」ことは、農作業、食生活、食や生業にまつわる文化など、さまざまなことに変化を加える一大事なのだ。おそらくスクマが腹を立てているのは、かれらが知らなかったダム計画そのものよりも、農耕のやり方や求める資源にたいする民族間の差異が一切考慮されないことにたいしてだろう。

 

B村のスクマたちは、このダムに絡む補償の問題をなんとか少しでも好転させたいと願い、Cesope (Civil Education is the Solution for Poverty and Environmental Management) というドドマに本部を置くNGOに協力を求めた。このNGOは、持続的な環境利用と教育を基盤とした貧困削減を目指しており、現在はドドマ州内でのウラン開発計画に伴う環境破壊を訴える活動がメインだ。Cesopeはダム建設に関連する正負いずれの情報も、政府は地域住民にたいして十分に伝えるべきだと訴えている(Cesope, オンライン)。

 

人口が増え続けるタンザニアにおいて、土地不足を解決することは至難の業だ。一方で、農村部の人びとにとって、土地は彼らの生活を支えるもっとも重要な資源であり、簡単に土地を手放してはいけないはずだ。ダム建設がいつ着工するのかは、わたしもまだ聞かされていないし、当の村人たちも知らない。しかし、遠くない将来に、きっとやってくるのだろう。果たしてこの計画が、都市住民にとってだけでなく、村の人びとの暮らしにとっても、政府が説明するような「よい結果」をもたらすのかどうか、村人と一緒に注視していきたい。(注4)

 

(注4)本稿のもとになった現地調査は、科学研究費「アフリカ半乾燥地の農牧民社会における食料安全保障と土地収奪の政治経済学的研究 (代表: 鶴田格, 26300014)」の助成を受けた。

 

 

引用文献

泉直亮 2013 「東アフリカ農牧社会における経済活動の現代的展開―タンザニア・スクマの移住と豪農化」『年報人類学研究』3: 42-73.

加藤太 2016 「民族の対立と共存のプロセス―タンザニア・キロンベロ谷の事例」重田眞義・伊谷樹一編『争わないための生業実践―生態資源と人びとの関わり』京都大学学術出版会, pp. 51-83.

峯陽一 2014「経済の激動と開発援助」松田素二編『アフリカ社会を学ぶ人のために』世界思想社, pp.196-210.

山本佳奈 2013『残された小さな森―タンザニア 季節湿地をめぐる住民の対立』昭和堂.

Cesope (Civil Education is the Solution for Poverty and Environmental management) Online, Research on the Dam Construction Project at Farkwa in Chemba District Dodoma Region. (2017年3月28日閲覧).

 

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