2017.06.16

”グローバル・ジハード”と旧ソ連地域のエスノナショナルなイスラーム主義:ISの出現による競合・統合・内紛・瓦解・再編

富樫耕介 紛争研究 / 旧ソ連研究

国際 #IS#コーカサス#イスラーム国#中央アジア#グローバル・ジハード

はじめに

読者の中にはシリアやイラクを論じる際に中央アジアやコーカサスを持ち出すこと、あるいは、そもそも旧ソ連研究者が「イスラーム国」(以下IS)を論じることを奇妙に感じる方もいるかもしれない。しかし実は、現在、旧ソ連地域の住民がシリアやイラクで無視できない役割を果たしているという状況がある。

例えば、Soufan Groupの報告(2015年)によれば、2014年から2015年にかけてISにおける旧ソ連地域出身の戦闘員の数は3倍に増加しており、出身国別で見るとロシア(2400人)は、チュニジア、サウジアラビアに続く3位となっている。また中央アジア諸国出身者を足すと、その数は4400人に膨らむ。

加えて、旧ソ連地域出身者は、近年主要国で発生した急進的イスラーム主義者によるテロにも関与している。具体的には、トルコのアタチュルク国際空港(2016年6月)及びナイトクラブにおけるテロ(2017年1月)、先のサンクトペテルブルクの地下鉄爆破テロ(2017年4月)、スウェーデンでのトラックによる殺傷テロ(同月)などが挙げられる。

このような事実を前にすると、これまで十分に注目されていなかった旧ソ連地域の急進的イスラーム勢力の動向を理解することは、現在のシリア情勢、あるいはISなどの「グローバル・ジハード」運動の趨勢を理解する上でも重要だと言えよう。本論は、まさにこのような視点を提供すること、すなわち旧ソ連地域という「イスラームの辺境」におけるエスノナショナル(土着的)な急進的イスラーム主義勢力を分析することで、中東という「イスラームの中心地」を起点とするISをめぐる問題を考察することを目的にしている。

ISと旧ソ連地域出身の義勇兵の関係を考察する際に、ごく一般的に観察される不安や懸念は、冒頭に挙げたテロに見られるように、ISのイデオロギーや動員手段が旧ソ連ムスリム地域に浸透することによってテロリストが生まれたり、この地域が不安定化したりするのではないかというものである。

他方で、本論がこのような疑問に対して提示する回答は、むしろ、こうした懸念とは逆のものである。すなわち、本論は、ISなどの「グローバル・ジハード」運動がむしろ旧ソ連地域の土着的な急進的イスラーム運動を分断し、内紛に向かわせ、その結果として組織の崩壊や再編を招いていることを明らかにする。筆者は、これまでにもISと旧ソ連地域の急進的イスラーム主義勢力のアンビバレントな関係(動員対象が競合し、潜在的な対立関係を抱えているものの、完全に距離を置くことが困難な関係)を明らかにしてきたが(注)、本論では、それらの議論を土台に、その後の展開も踏まえつつ論じる。

(注)富樫耕介(2015)「『コーカサス首長国』と『イスラーム国』:なぜ『チェチェン人』がシリアやイラクで戦っているのか」『中東研究』第522号、pp.72-85 −(2016)「ユーラシアにおけるエスノナショナルなイスラーム主義運動の凋落」『PRIME』第39号、pp. 15-31

以下では、ISが旧ソ連地域にどのように浸透し、なぜ土着的なイスラーム主義運動がISに忠誠を誓ったのかを明らかにする。本論は、旧ソ連地域の急進的イスラーム主義組織が、ISに忠誠を誓うことで劣勢にある自らの組織に対する支援を獲得しようとしたことを明らかにする。次にISに忠誠を誓った後の急進的イスラーム主義組織の実情を扱う。ここでは、期待していた支援は得られずに、むしろ内紛に起因する諸問題で一層窮地に追い込まれていることを明らかにする。

では、なぜISは、支援を提供しなかったのかだろうか。ここでは、ISという組織が支援の「出し手」ではなく、「受け手」であるという特徴を捉えた上で、人的資源の供給地として旧ソ連ムスリム地域への働きかけを強めていたことを明らかにする。最後に、ISに忠誠を誓う過程で生じた内紛によって旧ソ連地域の急進イスラーム主義組織はその勢力を減退させ、残存する勢力が組織再編の動きを見せていることに触れる。そして、今後の展望を論じる。

1.旧ソ連地域へのISの浸透:競合から統合へ

ISは、その誕生以来、アル=カーイダとも対立を厭わない最も過激かつ攻撃的な言動で、他地域の急進的イスラーム組織をも惹きつけてきた。これは旧ソ連地域の急進的なイスラーム主義運動についても同様で、中央アジアの中心的なイスラーム過激派武装勢力であるウズベキスタン・イスラーム運動(Islamic Movement of Uzbekistan:以下IMU)は、2014年10月にその頭領のウスマーン・ガッジ(あるいはガーズィー)がISへの忠誠を表明した。IMUは、翌年8月には自ら組織の解散を宣言、ISが創設を主張するホラサーン州に加わるとした。

またチェチェン独立運動に起源を持ち、2007年に創設されたコーカサス首長国(以下、首長国)は、2014年12月にダゲスタン司令部がISへの忠誠を表明すると、2015年6月には首長国の「全司令官の名の下に」再度ISへの忠誠を表明した。これを受けてISは、コーカサス地域に新たな州の創設を宣言した。このように中央アジアとコーカサスに基盤を持ち、武力闘争を継続してきたイスラーム主義運動は、ISに事実上、吸収されることになったのである。

両組織(表参照)は、ペレストロイカ期に組織の起源を持ち、旧ソ連地域の代表的な急進的イスラーム主義組織である。両組織共にカリフ制国家の樹立を掲げるものの、土着的な要素を有し、IMUは中央アジア、首長国はコーカサスという地域・文化的同質性を基盤とし、エスノナショナルな紐帯によって成り立っている(しかし、IMUの拠点は2000年代以降、中央アジアではなくアフガニスタンやパキスタンにある)。このような伝統のある組織がISに忠誠を誓ったことは、ISの旧ソ連地域における浸透を示す大きな出来事であった。

筆者は、両組織のISへの統合は、両組織が存亡の危機に晒されている中で、「生き残り戦略」として採られた側面が強いことを指摘してきた。すなわち、首長国においては、その勢力減退をテロ件数の減少、戦闘員の死傷者数増加、ロシア軍による指導部の相次ぐ殺害などから観察可能であり、IMUにおいてはそもそも組織基盤が元来脆弱で、今まで自組織を庇護してくれる様々な同盟相手と組み闘争を継続してきたが、パキスタンの拠点を失うことで組織存亡の危機に陥ったことから明らかにした。

首長国とIMUの比較

表:首長国とIMUの比較

出典:富樫(2016,p.17)より

*表は、両組織(あるいは、その司令官の大部分)がISに統合する以前の両組織の特徴をまとめたもの

このように両組織の勢力が減退していく過程では、シリア危機やISの出現も少なからぬ影響を与えた。すなわち、シリア内戦の発生でこれまでIMUや首長国を支援していたディアスポラ組織がシリアのイスラーム勢力の支援に注力することとなり、またISが世界中の衆目を集め、新たな「グローバル・ジハード」運動の旗手として台頭することで首長国やIMUがこれまで連携していたアル=カーイダの正統性が揺らいだのである。これらに加え、ISが展開する広報戦略、義勇兵に支給する金銭等の高い動員力によって、首長国やIMUは自らの組織が基盤を置く地域においてすら十分な人材や資源を確保することが困難になった。

こうして勢力を減退させる両組織の中では、闘争を継続し、動員資源を確保するために自組織を解体し、ISの傘下に加わるべきだと考える勢力が出現したのである。首長国では、それは反主流派勢力であり、首長国指導部(主流派)は独自路線を追求した。この結果、個々の司令官がISに忠誠を誓うという形態をとった。逆にIMUでは、ガッジをはじめとする指導部、すなわち主流派がISへの忠誠を誓い、IMUという組織そのものを解体した(なお主流派/反主流派という分類は、質的特徴(指導部か否か)に着目した便宜的用法であり、その勢力の量的特徴(多数派/少数派)を捉えたものではない)。

2.ISへの統合の結果得たもの:組織の内紛と分裂、瓦解

自らの生存を担保し、闘争を継続するために自組織を解体・分断するという矛盾に満ちた決断をした両組織であったが、忠誠を誓った結果生じたのは、ISからの支援の確保やISの支部であることによる動員資源の担保などではなく、組織分裂に付随した問題が顕在化するという事態であった。

すなわち北コーカサスでは、首長国の分裂という好機をロシアは逃さず、首長国指導部に対する徹底的な殲滅作戦を実施した。首長国は、指導部を除き主要な司令官のほとんどがISに忠誠を誓ったため、ロシア側の殲滅作戦に十分に抵抗をする能力も有していなかった。これによって首長国は壊滅的な被害を受け、現在、組織としてほぼ消滅したのではないかと見られている。何故ならば、首長国指導者(アミール)であるアリアスハブ・ケベコフ(別名:アリー・アブー・ムハンマド)とマゴメド(もしくはムハンマド)・スレイマノフ(別名:アブー・ウスマーン・ギムリンスキー)がそれぞれ2015年4月と8月に当局によって殺害されて以降、後任の指導者が一向に選出される気配はなく、首長国を名乗るテロも発生していないからである。

ISに忠誠を誓った元首長国反主流派も厳しい状況にある。彼らがISに忠誠を誓ったのは、2015年4月だが、実際にテロなどの武力闘争を開始できたのは、同年末になってからである。翌2016年は、ISが対露ジハードを正式に宣言した年であり、確かにデータを見ると、テロの発生件数も武力闘争による当局側の死傷者数も2015年比で、それぞれ2倍に増加している(Кавказский Узелのデータ。死者数はグラフを参照。テロの件数は2015年が11件に対して2016年は23件である)。しかし、比較対象の2015年とは、首長国が劣勢に追い込まれる中でテロやそれに伴う死者数が最も減少した年なのである。しかも、同年末にはボルトニコフ・ロシアFSB(連邦保安庁)長官がISに忠誠を誓った首長国の主要な司令官26人のうち既に20人を殺害したと発表しており、IS支持勢力も劣勢に追い込まれていると見られる。

北コーカサスにおける武力衝突に伴う死者数推移(2010-2016年)

図2

出典:Кавказский узелより筆者作成

主流派がISに忠誠を誓ったIMUもISによる支援によって組織や活動を立て直すどころか、ISに忠誠を誓った結果生じた内紛によって、壊滅的な被害を受けた。IMUは、もともと首長国と異なり盤石な組織基盤はなく、拠点も転々としており、その都度、連携や同盟の相手を変えてきた。このため、運動の方向性を巡り組織分裂を繰り返しており、IMUから派生した組織も多数ある。テロに関しても、最盛期には年間200件以上のテロを実行した首長国と異なり、IMUが実行したとされるテロは決して多くない。

このようにそもそもIMUは、単体の組織として活動するというよりも連携する組織の庇護下で武装闘争を展開していた。IMUがパキスタン軍の攻勢によってワジリスタンを敗走し、組織存亡の危機に瀕していた時、彼らをアフガニスタンで受け入れたのは、2000年代に米国とのアフガニスタン戦争をIMUと共に闘ったタリバーンやアル=カーイダであった。両組織は、「グローバル・ジハード」運動の旗手を巡ってISと対立していたが、IMUはそのような最中にISに忠誠を誓ったのである。

これにより、IMUはタリバーン側から苛烈な報復を受けることとなった。いわば、タリバーンは、IMUの「裏切り」に対して、処罰を下すことでガッジらとの関係を清算しようとした。すなわち、タリバーンは2015年末にISに忠誠を誓ったIMUの頭領ガッジとIMUの構成員をザーブル州で殺害し、ソーシャル・ネットワーク上で死体を公開したのである。これ以降、ISに忠誠を誓ったIMUの活動は表立って見られない。ウズベキスタンで誕生し、中央アジアで様々なテロに関与、アフガニスタンでは米国と対峙した著名なイスラーム過激派組織であるIMUは、皮肉なことに、かつて同じ理念を掲げ、共に闘ったタリバーンによって殲滅されたのである。

このように首長国やIMUは、ISに忠誠を誓うことで恩恵や利益を得るどころか、深刻な組織分裂や内紛が生じ、その勢力の大部分が殲滅させられるという状況が生じたのである。ではなぜISは、コーカサスや中央アジアのエスノナショナルなイスラーム主義勢力の忠誠表明に対して十分な支援で返答しなかったのであろうか。

3.なぜISは支援を提供しなかったのか:周縁からの資源の収奪

筆者は、IMU及び首長国の司令官たちによるISへの忠誠の表明と、ISによるホラサーン州やコーカサス州の設置がISのヴァーチャルな版図を広げることになったとしても、それがユーラシア地域におけるISのテロの頻発に直結する訳ではないと論じてきた。

その背景には、ISがシリアやイラク以外には十分な組織基盤を有しておらず、また自組織に忠誠を誓った勢力に対して十分な物的支援を行う能力や意志があるとは思えないという理解があった。ISは、その広報戦略によって新たな「グローバル・ジハード」運動の旗手としてのイメージを植え付け、世界中から闘争のための資源をかき集めてきた。よって、ISは元来、支援の「出し手」ではなく、「受け手」なのである。

このようなISの特性から、筆者は、首長国の多くの司令官やIMU指導部がISに忠誠を誓うことで、ISから十分な支援を得られると真剣に考えていたとは必ずしも思わない。むしろ、ISに流れてしまったエスノナショナルな紐帯(これまで自組織を支援していたディアスポラ組織、動員対象である自民族)を、ISの支部としての看板を掲げることで引き戻そうとした要素の方が強いと考えている。しかし、このような目的すらも実際には達成することができなかったのである。

このようにISがその支部に闘争資源を供給するのではなく、むしろ、これらの周縁地域から資源を収奪するという状況は、シリア内戦が激化する中で一層顕著に進んでいったように思われる。ISには、ロシア語、ウズベク語、カザフ語、キルギス語など様々なSNS及びツイッターの広報アカウントが存在する。Soufan Groupによれば、旧ソ連地域出身者がISで3番目の規模を誇るという状況を反映し、ロシア語はアラビア語や英語に次ぐ広報言語として使用されているという。

ブルッキングス研究所中東政策センターのマッキャント上級フェローは、「ISは意味なくコンテンツを乱発しているのではなく、戦略的アプローチを採用している」と述べている。キルギスの政治学者ウラン・ベトベコフは、マッキャントと同様の立場に立ち、2016年4月に公開されたISのロシア語広報部Furat Mediaのビデオに言及しながら、中央アジアを対象としたISの動員戦略に変化が生じていると述べる。

ISによって2016年4月に公開された動画とは、ウズベク人の老戦闘員とカザフ人戦闘員が家族と共に登場し、ISに加わるよう求める動画を指している。一つ目の動画は、これまでパキスタンやアフガニスタンでウズベク系の急進イスラーム勢力であるイスラミック・ジハード連合(IMUから分裂した組織)に加わっていたと述べる60歳代の老戦闘員(アブ-・アミン)が妻や娘、孫を連れてISに参加したと述べた後、全世代のウズベク人にISへの参加を求める内容となっている。動画はウズベク語で製作され、ロシア語字幕がつけられていた。カザフ人戦闘員が登場する二つ目の動画も戦闘員と共に乳児や幼児も映し出され、家族とともにIS支配地域に参集することを求めている。

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アブー・アミンの動画の広報バナー

出典:Радио Азаттыкより。なお同様の動画として北コーカサスのカラチャイ・チェルケスから来た老戦闘員とその家族へのインタビューもある。また2016年9月には、ロシア人義勇兵による広報動画も作成・公開された。

ベトベコフは、中央アジアでは家族機構の役割が大きく、このような事情に対応しようとして、ISの新しい広報動画が作られたと主張する。確かに、今までのISの動画は残虐な処刑シーンが多く、例えば中央アジア出身の少年たちが捕虜を殺害する動画など、注目を集めることを最も重視していたように見える。だが、この動画は、基本的に静寂な場所で戦闘員が質問に答えるという形式をとっており、今までと異なった印象を与える。家族を動画に登場させ、移住を促している点も特徴的である。

ベトベコフは、このような動画が出てきた背景として、ISが支配領域を徐々に失い、戦闘による犠牲者数増加等の問題に直面している状況があると述べる。ISの損失とは、2015年9月に開始されたロシア軍による空爆とアサド政権の反転攻勢を主因とするものである。つまり、ISは人的損失によって旧ソ連地域からの動員を強める必要性に直面する中で、新しい動員戦略を模索していることが動画から観察可能だという理解である。

個々の動画が実際にどれほどの影響力や効果が有するのかについては留保する必要があるだろう。しかし、こういった動画によってISが中央アジア地域からさらなる人的資源を獲得しようとしていることが伺える点は重要である。何故ならば、ISは旧ソ連地域で自らの支部組織(元IMUや首長国の司令官)が闘争を継続している状況を知りながら、彼の地でのジハードに参加することではなく、あくまでもシリアに来ることを求めているからである。つまり、ISという看板を得ることで自らに必要な動員資源を獲得するというIMUや首長国の司令官たちの思惑すらも、現実にはIS本部からは十分に配慮されていないのである。

このような傾向は、シリアでISと対立するアル=カーイダ系のヌスラ戦線(2017年1月より「シャームの征服戦線」と名称変更)が精力的に旧ソ連地域からの動員を試みていることも影響していると思われる。例えば、ヌスラ戦線と連携するウズベク系イスラーム過激派組織のイマーム・ブハリ旅団とタウヒード・ジハード大隊は、これまで各種広報動画を公開してきたが、2016年10月には「軍事教育ビデオ」という新しいシリーズを配信した。この動画は、武器の使用方法や戦闘の訓練などについて説明し、戦闘員の心構えも教授する内容である。ヌスラ戦線もロシア軍の空爆とアサド政権の巻き返しによって人的損失を強めていると言われているが、これを補うために旧ソ連地域に目を向け、動員戦略を練っている点では、ISと同様である。つまり両組織は、中央アジアからの動員を巡っても競合しているのである。

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イマーム・ブハリ旅団の戦闘員がカラシニコフの操作方法を説明している動画

出典:筆者が動画を画面撮影。

4.ISからの離反が意味すること:黄昏の中での組織再編

このようにISに忠誠を誓った勢力は、ISから支援を受けることは勿論、動員資源を担保する上での配慮すらしてもらえない状況下で瓦解していった。このことは、少なくともアフガニスタンのウズベク系イスラーム過激派勢力にとっては、一層の組織再編への呼び水となった。IMUでは、ガッジなど主流派がタリバーンに殺害された後、今まで沈黙を守っていた反主流派が2016年6月に声明を出した。この声明の冒頭では、自らをIMUと名乗り、ガッジがISに忠誠を誓った後に組織が分裂したことを明らかにしている。そして、IMUとして引き続きタリバーンやアル=カーイダに忠誠が残っていると表明し、(反主流派を中心とした)IMUの活動が終わっていないと宣言している。

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IMUの声明を掲載したツイッター・アカウント

出典:筆者による画面撮影。現在、当該アカウントは凍結されている。

英語、アラビア語、ウズベク語で書かれた声明(ロシア語版はない)は、直前に作られたツイッター・アカウントに当該文書をダウンロードできるファイル共有サイトのアドレスが記載される形で掲載されていた。また声明では、IMUとしての活動の継続を宣言したが、彼らの指導者は誰なのかは触れられておらず、しかも自らを少数集団(声明では「ガッジがISに忠誠を誓った際に少数集団はIMUに残り、その活動の継続することとした」)とし、「量的には以前のようにとは行かないが、活動は継続する」と述べていた。

元来、IMUの戦闘員については、アフガニスタン南部で活動を展開する勢力以外にも、北部でタリバーンやアル=カーイダと連携する勢力の存在が指摘されていたので、この声明それ自体は驚くべきものではない。しかし、この声明に反応するような形で2016年8月にIMUのムフティーであり、著名なジハーディストでもあるアブ-・バルミ(別名:アブ-・アッザーム)が、ISの蛮行に対して自らが沈黙していたことを謝罪し、彼らから離反する旨のウズベク語メッセージを発したことの意味は少なくないだろう。

アブ-・バルミは、IMUの武装闘争をイスラーム・イデオロギー面で支えてきた人物であり、ガッジと共にISに忠誠を誓ったIMU主流派の残党でもある。そのような人物が自らの誤りを認め、IS(ホラサーン州)から離脱し、暗にタリバーン及びアル=カーイダ(そしてこれらに忠誠を誓うIMU非主流派)の正しさを認めた点でメッセージには大きな意味があった。彼は、自らがかつて出した声明を理由として中央アジアの同胞諸兄が「虚偽のカリフ国家」(IS)に留まることはしないで欲しいと述べ、真の信徒たち、正しい方法に従いジハードを遂行する集団(タリバーン及びアル=カーイダ)に加わるよう勧めている。

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アブー・バルミの音声動画の映像

出典:筆者が動画を画面撮影。モザイク加工は筆者による。

動画では、ISの戦闘員が斬首した頭部と共に写っている写真がスライドとして何枚も表示され、ISの蛮行を強調する作りになっている。筆者もモザイクなしの動画を見たが、動画を通して視聴者にISの行動に対する疑問や嫌悪感を抱かせる効果はあると思われる。このような写真を通して、アブ-・バルミは一度ISに忠誠を誓った後、離反するという矛盾に満ちた自らの決定の正当化しようとしているのである。

北コーカサスでも、FSBがISの北コーカサスにおける司令官(4人)の1人として名指ししていたザリム・シェブスホフが2016年1月に首長国に再度忠誠を誓う音声データを公開したと報じられている。シェブスホフについては、そもそもISに忠誠を誓っていたのも不確かと言われるが、彼が司令官を務めるカバルダ・バルカル共和国のイスラーム過激派勢力においては、現状でもIS支持派と首長国支持派に分裂・対立していることになる。

このようにISに反発したり離反したりする動きは、アフガニスタンのウズベク人の間でも、北コーカサスの諸民族の間でも見られるが、その背景にISそのものの求心力の低下(組織としての弱体化、義勇兵への報酬等の支払い能力低下、これらに伴う動員力の低下など)が指摘されている。

このため、今後は、シリアやイラクへ向かう人々の流れよりも、シリアやイラクから各地(北コーカサスや中央アジア、そしてアフガニスタンなど)に戻ってくる人々の動きの方が多くなると分析する向きもある。そしてアナリストたちは、このような勢力が戻ってくることによって当該地域が不安定化すると警鐘を鳴らしている。このリスクは帰還する義勇兵の数が多ければ多いほど高まるため、旧ソ連地域では大きなリスクになり得る。しかし、ISから離反した勢力が戻る先には、かつてのようにこの地域を代表するエスノナショナルな急進的イスラーム主義組織の姿はもはやなく、ISという「グローバル・ジハード」運動によって分裂と内紛、そして再編を強いられ、瀕死の状態で点在するイスラーム過激派武装勢力が残っているだけなのである。

おわりに

本論では、ISという「グローバル・ジハード」運動と旧ソ連地域のエスノナショナルなイスラーム主義運動の関係を考察し、ISによって旧ソ連地域のイスラーム主義組織がいかなる影響を受けてきたのかを明らかにした。そしてISの浸透がむしろ旧ソ連地域のイスラーム主義勢力を内紛に向かわせ、弱体化を一層加速させている側面があることを示した。こうした中でISから離反する勢力も出始めており、現状、急進イスラーム勢力の新たなる再編が進んでいるようにも見える。しかし、それは、活力に満ちた躍動的な再編ではなく、緩やかに黄昏に向かっている再編だと筆者は考える。

ISが旧ソ連地域に提起している問題には多様な側面がある。シリア内戦の発生やISの登場によって多くの義勇兵がシリアやイラクに向かっており、この中には必ずしもこれまで急進的なイスラーム運動に参加していなかった人々も多いとされる。その意味で、ISの登場は、旧ソ連ムスリム地域における急進的イスラーム主義運動の活性化や起爆剤になり得る側面もある。現に未遂に終わったものも含めれば、ISの潜在的支持分子によるテロや武装蜂起に関する報道は多数出ている。また今後も単発的なテロがロシアや中央アジアで発生する可能性は排除できないし、その脅威を過小評価するべきではない。

しかし、こうした流れが既存の急進的イスラーム勢力を活性化させたり、勢い付かせたりする状況には必ずしもなっていない。本論は、その理由の一つとして、ISの出現によって旧ソ連地域の急進的イスラーム主義運動が様々な問題に直面し、それらに十分に対処することができなかったことを明らかにした。そして、ISの台頭によって、むしろ旧ソ連地域のエスノナショナルなイスラーム主義運動が退潮に向かうという逆説的な状況が生じていることを示した。

今後、仮に旧ソ連地域出身の義勇兵がシリアやイラクから帰還し、単発的なテロが発生したとしても、それが長期的に見て、旧ソ連地域における急進的イスラーム主義運動の活性化に繋がるのだろうかという問題がある。つまり、単発的なテロのリスクだけではなく、政権を脅かす継続的な武装蜂起やテロが差し迫った脅威として存在するのかという問題である。筆者は、現状、前者のリスクは引き続き高いと考えるが、後者については必ずしも高いとは言えないと考える。

ISによって同じ民族が分断され、同じ急進的イスラームをイデオロギーとして掲げる組織が武力衝突したという事実、あるいはコーカサスなどで窮地に陥りながらも闘争を展開した勢力と、彼らを見捨てシリアやイラクに向かった勢力がいたという事実は、旧ソ連地域におけるイスラーム勢力の団結や連帯を阻害するわだかまりとして残るだろう。よって、バラバラになった勢力がすぐに再編・統合され団結する可能性は低いと考える。そして、少なくとも北コーカサスにおいては、ロシアがこのような状況はテロリスト殲滅の好機だと見なし、粛々と、しかし苛烈な攻撃を加えるだろう。こうした状況の中で、旧ソ連地域のエスノナショナルなイスラーム主義運動が反転攻勢へと転じることは容易ではない。

勿論、バラバラになった勢力の統合を目指す強いリーダーシップが働けば、旧ソ連地域のイスラーム主義運動が新たな局面を迎える可能性も排除できない。しかし、このような指導者が既にほとんどいない中で誰が彼らをまとめることができるのかという問題は、それでも残り続けているのである。

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富樫耕介 (著)

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プロフィール

富樫耕介紛争研究 / 旧ソ連研究

1984年生まれ。横浜市立大学国際文化学部卒業、東北大学国際文化研究科博士前期課程修了、東京大学総合文化研究科博士後期課程修了(博士(学術))。外務省国際情報統括官組織専門分析員、ユーラシア研究所研究員、日本学術振興会特別研究員PDなどを経て、現在、東海大学教養学部国際学科講師。専門は、紛争研究、旧ソ連研究(とくにチェチェン紛争)。主要な業績として、『コーカサス』(2012年、東洋書店)、『チェチェン』(2015年、明石書店)、”Risks of Conflict Recurrence and Conditions for Prevention: The Paradox of Peacebuilding”, Asia Peacebuilding Initiatives (Aug. 2015 Osaka University)、「北コーカサスを理解するための分析視角」『ロシア・ユーラシアの経済と社会』第994号 (2015年、ユーラシア研究所)。

この執筆者の記事