2017.07.20

クルド・国なき民族のいま――シリア北部は「民主連邦」の実験場

勝又郁子 ジャーナリスト

国際 #クルド#民主連邦#クルド人の風景

シリーズ「クルド人の風景」では、日本で報道が少ないクルド地域について、毎月専門家がやさしく解説していきます。(協力:クルド問題研究会)

はじめに

オスマン帝国の末期とその後の中東では、「民族」が大きなテーマとなった。新たな国が名乗りをあげていくなかで、その潮流に乗り遅れたのがクルドだ。理由は多々あげられる。帝国の辺境にあって民族主義が遅れてやってきたこと、アラブ、トルコ、ペルシャという中東の三大民族がせめぎ合う狭間にクルディスタンが存在する不運、クルド同士で繰り返す覇権争いの愚。

さらに、いったん引かれた国境を変えることは安定した秩序を乱すから、国際社会がこれを応援することはない。ましてやクルドを内包する国が自国の領土をクルドに差しだすはずがない。ところが、1世紀にわたってクルディスタンの内部に縦横に引かれていた堅固な国境が、揺らぎはじめた。

二つの路――独立国家と民主連邦

クルドとクルドを内包する主要国(トルコ、イラク、イラン、シリア)の関係は固定的ではない。それでも、おおむね言えることがある。第1に、中央政府は自国のクルドと敵対的だが、対立する隣国のクルドとは容易に手を結ぶ。第2に、国内基盤を固めるために自国のクルドに対する宥和策をとることがある。そして第3に、クルドを内包する主要4カ国が「必要以上にクルドを強くさせない」ことでは一致している。さらに4カ国の背後で米ロが綱引きをする。そうした利害関係の網にクルド問題が絡んでいると言ったらいいだろうか。

クルドが求める理想もひとつではない。国によってクルドの置かれた状況が異なるためだ。方向性が明確なのはイラクとシリアだ。イラクは連邦国家である。といっても、連邦区は「クルディスタン地域」ただひとつである。その「クルディスタン地域」を形成するクルド勢力が独立を模索している。内部では覇権争いが、宿命かと思われるほど延々と続いてはいるが、独立の意志を問う住民投票を行う段階まで、こぎつけた。

これに対してシリアで台頭しているクルド勢力が目指すのは、既存の国家の枠組みにとらわれないネットワークの構築だ。彼らはこれを「民主連邦」と呼ぶ。提唱したのは、トルコのクルド武装組織クルディスタン労働者党(PKK)の党首で獄中にいるアブドッラー・オジャランである。1999年に逮捕されたオジャラン党首は、獄中で米国のアナーキスト思想家のマレイ・ブクチンに傾倒した。そこから導き出したのが「民主連邦」だ。

オジャランPKK党首:ベカー高原で1992年8月撮影
オジャランPKK党首:ベカー高原で1992年8月撮影

PKKを含めた関連組織を統轄する立場のジェミル・バイクは、「民主連邦」を「排他的な権力が支配しているネーション・ステートに替わるべきシステム」と説明する。宗教、民族、性、そのほかいかなる差異も差別されない。小さなコミュニティが主体となり、地区や町を形成し、ボトムアップ方式で連邦を形成していく。国家という枠が先にあるのではない。たとえば、国境は「あってもいいが、重要な意味はなくなる」。

PKKを含む関連組織を統轄するジェミル・バイク:カンディール山で2015年6月撮影
PKKを含む関連組織を統轄するジェミル・バイク:カンディール山で2015年6月撮影

シリアで影響力を強めるPKK

シリアでは内戦と「イスラム国」との戦いが同時並行的に行われている。クルドは反体制派ではあるが、アサド政権と協調する場面もみられる。クルドにとっては、クルドの権利を正当に認める政権であればアサド政権であってもかまわない。ポスト・アサドの政権がクルドの権利を正当に認めるという保証がない限り、むしろ現政権から具体的な譲歩を引き出す方が現実的だと考えるだろう。

ところがここでも、クルドはまとまらない。数十年の歴史をもつ既存の中小クルド政党は、ムスタファ・バルザーニやジャラール・タラバーニらが率いてきた隣国イラク・クルドの影響を受けている。いずれも武装組織は限定的で、政治的にはイラクのクルド政党への依存度が高い。これらの政党と対立するのが2003年に設立された民主連合党(PYD)だ。PYDは人民防衛隊(YPG)という強力な武装組織をもち、PKKと密接な関係にある。だからトルコは、PYD/YPGはPKKと同じテロ組織であるとの立場だ。

このPYD/YPGが、内戦でクルド人の多いいくつかの町を支配した。その過程でYPGはアサド政権と本格的な交戦をしていない。政府軍が撤退し、そこにYPGが入った。クルド人が多いのは北部のトルコとの国境地帯だ。アサド政権には、ダマスカスやアレッポなど重要な都市と幹線に戦力を集中させ、とりあえずクルドとの交戦は避けるという判断があったのだろう。政府軍が撤退した町々で、あるいは棲み分けをしながら、クルドによる自治が始まった。次第に、反PYD政党は脇に追いやられ、PYD/YPGが中心勢力として定着していく。

PYD/YPGが「イスラム国」との戦いで世界の脚光を浴びたのは、コバネの戦いだった。2014年9月、クルドが自治を行っていた国境沿いの小さなコバネの町が「イスラム国」の猛攻を受けた。トルコ側の丘から見える距離での攻防戦である。戦いはメディアを通じて刻々と報じられた。戦闘員に多くの女性がいることも、ボランティアが戦いに馳せ参じるのも、見る人々の胸を打った。世論に背を押されるように、米軍のヘリがイラク・クルドの武器をコバネに投下し、続いてYPGを支援して空爆を開始した。PYD/YPGとは何かにつけて対立の絶えないイラク・クルドも、この時ばかりは支援部隊を送り込んだ。支援部隊がトルコ領内を通過してコバネに入ることができるよう、米国がトルコを説得した。コバネ防衛戦が契機となり、米国とYPGは他の戦線でも連携して「イスラム国」を撃破し、追い詰めていく。

その後、YPGと協力関係にあるアラブ人武装組織も加え、2015年10月に「シリア民主軍」(SDF)という連合体が結成された。クルド地域の防衛だけでなく、アラブ人などの多い地域の奪還作戦まで任務が拡大してきたからだ。だが、トルコ向けに、「クルドだけの部隊ではない混成部隊」をアピールする意味も大きい。米国が直接YPGに武器支援をすればトルコを刺激する。だからSDFのメンバーであるアラブ人組織に武器を提供する、という建前をつくった。もちろん、それでもトルコは猛反発した。エルドアン大統領は、「あなた方(米国)は我々の味方なのか、テロリストPYDとPKKの味方なのか」と憤懣をぶちまけた。

シリアにおけるトルコの戦い

トルコは2016年8月、ついにシリアに地上軍を投入した。トルコが訓練・支援する親トルコのシリア反体制派の部隊とトルコ軍による共同作戦は「ユーフラテスの盾」と命名され、翌2017年3月まで7カ月におよんだ。

作戦の目的は、ユーフラテス川西岸にある町ジャラーブルスからアアザーズまで、全長100キロの国境から「イスラム国」を排除し、同時にクルド勢力が支配地を拡大しないよう、完全に制圧することだった。一帯は有志国軍が支援する反体制派諸派と「イスラム国」が入り乱れていたが、その両側ではクルド勢力が自治を行っている。

トルコは「ユーフラテスの盾」作戦をテロとの戦いと位置づけ、同時並行してPKKが拠点を置くイラクのカンディール山への越境空爆を続けた。トルコ軍が標的とする「テロ組織」は、「イスラム国」、PKK、PYD/YPGだ。米国は、PKKはテロ組織だがYPGは別の組織だと言い訳するが、「いいテロ組織と悪いテロ組織の区別はない」というのがトルコの主張である。

カンディール山にあるPKKゲリラの墓地:2015年6月撮影。この墓地は2017年、トルコの空爆によって破壊された。
カンディール山にあるPKKゲリラの墓地:2015年6月撮影。この墓地は2017年、トルコの空爆によって破壊された。

「ユーフラテスの盾」作戦で地上軍を投入するにあたって、トルコはロシアとの関係を修復した。ロシアがアサド政権を支援するのに対して、トルコは政権打倒に固執してきた。そこに2015年11月、トルコ軍によるロシア戦闘機の撃墜事件が起きた。トルコ軍がシリア空爆の任務に向かうロシア機を領空侵犯したとして撃墜、パラシュートで脱出したパイロットがシリアのトルコマン部隊に殺害されたのである。

事件を機に、一気にロシアとクルドが接近した。ロシアは親トルコの反体制派に対して懲罰としか思えないほどの空爆を行い、隣接地域からYPGがじわりと支配地域を拡大し始めた。「敵の敵は味方」とはこのことだ。危機感を募らせたトルコは2016年6月末、エルドアン大統領が謝罪の書簡をプーチン大統領に送った。アサド政権打倒を棚上げしてロシアに歩調を合わせ、失策続きだったシリア対策の失点を少しでも挽回する方向に舵をきった。

「民主連邦」の行方

シリア:YPGとSDFが展開する地域と「自治州」 赤枠がクルド主導で「自治州」を名乗っている地域、赤字は「自治州」の中心の町
シリア:YPGとSDFが展開する地域と「自治州」
赤枠がクルド主導で「自治州」を名乗っている地域、赤字は「自治州」の中心の町

現在、国境のジャラーブルスとアアザーズ間はトルコ軍と親トルコの反体制派が支配し、その両側にYPGやSDFの部隊が展開している。地図の赤線で囲まれている3つの地域が、PYD/YPG主導で2014年1月に宣言された「自治州」だ。それぞれ西からエフリーン州、コバネ州、ジャジィーラ州(主都はカミシリ)と呼ばれる。2016年3月に「自治州」と新たに解放された地域を含めた「北シリア民主連邦」を宣言した。

シリアはもはや国家としての統治機能をもたない。クルド勢力が支配する地域では、クルド勢力が行政を取り仕切る。その意味では他勢力の支配地域も似た状況かもしれない。だが、クルドの場合は当初からPKKのオジャラン党首が提唱する「民主連邦」を築くという明確な方針があった。武装組織や治安組織だけでなく、教育や経済活動、対外交渉などを担う行政システムを整え、独自の選挙も行っている。「北シリア民主連邦」は憲法に相当する社会憲章も採択した。

YPGやSDFによって「イスラム国」から解放された地域も地元の評議会を設立し、防衛組織や行政組織を立ち上げている。先行するクルドの「州」がモデルだ。

こうしてシリア北部はオジャラン党首が提唱する「民主連邦」の実験場となった。だが、問題は山積している。イラクでモースルが解放されたあと、「イスラム国」が支配する最大都市、ラッカ奪還作戦が最終段階に入っている。地上部隊の主力はYPGを主力とするSDFだ。ところが背後から、トルコがクルド地域への越境攻撃をエスカレートさせている。とくにほかの自治州から孤立しているエフリーンへの攻撃が目立つ。トルコの攻撃に対して、ロシアも米国も有効な手を打たない。クルドには、「イスラム国」の脅威が去った後、ロシアも米国も自分たちを見捨てるのではないかと疑心が募る。

クルド内の対立も深刻だ。PYDに強い不満をもつ既存の中小クルド政党は、PYDの強引な手腕を批判する。反対政党の指導者らが「自治州」の治安組織に逮捕されたり、互いの支持者が衝突する事件も起きている。また、シリア・クルドの人や物の安全な出入り口はイラクのクルディスタン地域との国境だが、PKKやPYD/YPGとの関係がこじれるたび、クルディスタン地域政府が国境を閉鎖してしまう。逆に、イラク・クルドが訓練したシリア難民の戦闘員がPYD/YPGに帰国を拒否されている。

最も根本的な問題は、「北シリア民主連邦」が、戦いと混乱の期間限定のかたちだということだ。バイクが言うように「ネーション・ステートに替わるべきシステム」であるなら、地域の国々にとっては秩序破壊の危険な存在でしかない。そもそも、トルコの強い反対によってPYD/YPGはシリアの今後を話しあう国際会議から除外されている。ポスト「イスラム国」とポスト内戦の秩序づくりに、彼らの居場所はあるのだろうか。

プロフィール

勝又郁子ジャーナリスト

静岡県出身。ジャーナリスト。

著書に『クルド・国なき民族のいま』(新評論)、『イラク わが祖国に帰る日』(NHK出版)。

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