自由こそ治療だ!――精神病院のない社会をめざして

“イタリア精神保健の父”として知られ、精神保健の世界を刷新した精神科医フランコ・バザーリアの講演録の翻訳を、2017年10月に岩波書店より刊行しました。『バザーリア講演録 自由こそ治療だ! イタリア精神保健ことはじめ』(フランコ・バザーリア著、大熊一夫/大内紀彦/鈴木鉄忠/梶原徹訳)です。

 

ここでは、まずイタリア精神保健改革と『バザーリア講演録』について、次にバザーリアの思想と実践が日本の精神医療やそれ以外の分野にどのような問題を投げかけているかといったことをめぐって、訳者の鈴木鉄忠と大内紀彦が対話形式で話を進めたいと思います。

 

 

『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』(装丁・帯なし) (1)

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イタリア精神保健改革と『バザーリア講演録 自由こそ治療だ!』

 

大内 この本の原題は、『ブラジル講演(Conferenze brasiliane)』で、1979年、バザーリアがブラジルで行った連続講演の記録がもとになっています。そして、そのブラジル講演を行った翌年の1980年、バザーリアは56歳という若さでこの世を去りました。ですから、この講演録は、結果として彼の「遺言」といえるものになっています。本書は、バザーリアの思想と実践の集大成が、まさに余すところなく語られた一冊といえると思います。

 

鈴木 バザーリアが行った精神保健の改革は、日本では1980年代以降、少しずつ紹介されてきました。ですが、バザーリアの著作が日本語に訳されるのは、本書『バザーリア講演録』が初めてということになります。

 

昨年の9月に私たち二人が翻訳した『精神病院のない社会をめざして バザーリア伝』(ミケーレ・ザネッティ/フランチェスコ・パルメジャーニ著、鈴木鉄忠/大内紀彦訳)は、バザーリアと二人三脚でイタリアの精神保健改革を行った、トリエステの当時の県代表ミケーレ・ザネッティが著したバザーリアの伝記ですが、イタリアの精神保健改革に直接関わった当事者たちの著作が、少しずつ日本語でも読めるようになってきました。イタリアの精神保健の研究を専門にする日本人研究者も現れはじめています。

 

大内 日本でもイタリアの精神保健改革の思想と実践をじっくり検討できる段階に入りつつあるといえますね。

 

鈴木 今回の『バザーリア講演録』の刊行には、立場や経歴の異なる4人が訳者としてかかわっています。大熊一夫さんは、『ルポ・精神病棟』で日本の精神病院の問題を社会に訴えたジャーナリストとして広く知られています。大熊さんは日本の精神病院の問題の「解決策」として、公立精神病院の全廃にむかったイタリアの改革にいちはやく着目し、1986年にはトリエステを実際に訪れています。そのときの一行に参加したのが、本書の訳者の一人でもある精神科医の梶原徹さんでした。大熊さんも梶原さんも、日本の精神医療の問題を痛感し、それを何とか改善できないかと模索するなかで、イタリアの改革と出会ったという共通点があります。

 

大内 それに比べると、私と鈴木さんはある種の偶然から、イタリアの精神保健改革を知ったわけですね。

 

鈴木 そうですね。大内さんがイタリアの精神保健改革を知ったのは、どんな経緯だったのですか。

 

大内 2004年から、私は日伊文化交流史の研究のためにヴェネツィア大学に留学していました。その間、日本語を教える仕事を掛け持ちしていたのですが、そのうちの一つが、トリエステ市民大学での日本語講師の職でした。週に1度、ヴェネツィアからトリエステまで列車で通っていました。

 

トリエステの街のなかを移動するときには、よくバスを利用していたのですが、バス停で待っていると、見知らぬ人に突然話しかけたり、独り言をつぶやいていたりという一風変わった人たちを見かけることがありました。あるとき、そうした人たちがバスに乗って向かう先が、かつてマニコミオ(精神病院の俗称)があったサン・ジョヴァンニ地区であることに気づいたのです。

 

ある日その場所を訪ねてみると、広大な敷地の一角にイタリアの精神保健改革を紹介している展示室がありました。そこでトリエステの精神病院の歴史やバザーリアのことを知ったのです。

 

鈴木 精神病院の跡地を訪れてみて、どのような印象を受けましたか。

 

大内 そこは、かつて精神病院だったとは思えない開放的な場所で、まるで公園のようでした。敷地の中には、レストランもありました。それ以来、バザーリアとはどんな人物だったのか、イタリアの精神保健改革とはどのようなものだったのか、ということに関心を抱くようになったのです。

 

鈴木さんはどのようなきっかけでイタリアの精神保健改革を知ったのですか。

 

鈴木 私もある意味で偶然でした。私はイタリアの国境問題を調査研究したいと思い、2006年の春過ぎからトリエステに滞在していました。ちょうどその年の夏、日本のある団体がイタリアの精神保健活動の視察を目的として、トリエステを訪れることになりました。

 

精神保健福祉交流促進協会が企画した視察ツアーで、当時代表を務められていたのが精神障害者の地域支援の拠点「やどかりの里」の活動で知られる谷中輝雄さんでした。そして視察のオーガナイザーをされていたのが上智大学の藤井達也さんでした。私はイタリア地域に関する共同研究チームに参加しており、藤井先生はそのメンバーのお一人でした。「鈴木さん、トリエステにいてちょうどいいから視察ツアーの通訳をやってください」とお声がけいただいたのがはじまりでした。

 

大内 そのときイタリアの精神医療については、どの程度知っていたのですか。

 

鈴木 まったく知りませんでした(笑)。これでは通訳など務まらないと焦り、「お勧めの本を教えてください」と尋ねると、藤井先生は石川信義さんの『心病める人びと』とL・R・モシャーとL・ブルチの『コミュニティメンタルヘルス』の本を教えてくれました。この2冊を慌てて読んで、通訳に臨んだのです。

 

大内 実際に現場を訪ねてみて、どうでしたか。

 

鈴木 私はヴェローナとトリエステの視察に参加して、精神保健局や地域で活動する様々な団体をまわったのですが、本当におもしろかった。トリエステでは、精神保健局にはじまり街中にある精神保健センターを2か所、社会的協同組合が4か所、そしてセルフヘルプグループもいくつかまわりました。

 

その場には、おそらく精神障害を抱える当事者たちもいたのですが、精神医療の世界を知らない私には、誰が障害者なのかほとんど区別がつきませんでした。そして当事者と呼ばれる人たちのほうから、「疲れていないか、コーヒー飲むか」とか「イタリア語が分からなければ、ボディーランゲージで“通訳”してやるよ」とか声をかけてくださり、いろいろ助けてもらったのです。

 

大内 誰が健常者で誰が障害者なのか区別がつかないほど、障害を抱えた方々も地域のなかで自然体で暮らしている姿を見たのですね。

 

鈴木 そうなのです。そのときに、トリエステの精神保健局の関係者からもお話を聞いたのですが、話題がバザーリアのことにおよぶと、熱のこもった語り方といったらすごいのです。「バザーリアは…」と話し始めると、話が途切れないことがよくありました。通訳者の存在を忘れて話し続けてしまうため、どこで話をさえぎって通訳したらよいのかわからなくなって困り果てました(笑)。

 

バザーリアが亡くなってから、当時でもすでに26年が過ぎていましたが、「トリエステの精神保健局で働く人たちのなかでは、バザーリアは生き続けているのだ」と実感しました。すっかりバザーリアに魅了された私は、視察ツアーでいただいた通訳の謝礼金をそっくり持ってトリエステの一番大きな書店へ向かい、「バザーリア」と名のついた本を片っ端から買いあさりました。それが私とイタリアの精神保健との出会いでした。

 

大内 日本の精神医療の現状に危機感を抱くなかでイタリアの精神医療に出会った大熊さんと梶原さん、そしてイタリア留学中に偶然イタリアの精神医療と出会った私と鈴木さん、こうした異なる立場や背景を持った4人がともに、現在の日本に『バザーリア講演録』を紹介する意義を確信して、今回の翻訳に取り組んでいます。 

 

 

 

バザーリアとは誰か、イタリアの精神保健改革とは何か

 

大内 さて、『バザーリア講演録』をめぐって話を進めるにあたり、まずバザーリアとは誰か、イタリアの精神保健改革とはどのようなものだったのか、簡単に振り返っておきたいと思います。

 

バザーリアは、1924年にヴェネツィアに生まれました。日本と比較すると、いわゆる戦後の団塊の世代の一つ上の世代に属しています。バザーリアは、高校を卒業すると名門パドヴァ大学の医学部に進学し、当初は、研究者になるべく研究に没頭していました。しかしながら、当時流行していた実存主義や現象学といった最先端の学問に触れていたバザーリアは、旧態依然としていて保守的な大学の世界に違和感を覚えるようになっていきます。

 

鈴木 大学の教授たちも、そんなバザーリアを疎ましく思っていたようです。トリエステ精神保健局に務めている精神科医で、バザーリアに関する本格的な著作を出版しているマリオ・コルッチさんからうかがったのですが、バザーリアは大学の同僚のなかでも並外れて優秀であり、若くしてすでに何本もの専門的な論文を発表していたといいます。

 

しかし大学のポストには恵まれませんでした。バザーリアの指導教授は、バザーリアにイタリアの北東部の町ゴリツィアにあるマニコミオの院長のポストを勧めます。パドヴァ大学の助手からマニコミオの院長というコースは、明らかに「左遷」を意味していました。

 

大内 しかしバザーリアは、みずからの「左遷」を受け容れたのですよね。図らずもマニコミオの悲惨な現実に対峙することになったわけですが、この時に受けた衝撃の大きさは、大変なものだったようですね。バザーリアは、学生時代にファシズム体制の反対運動にかかわっていて、ある仲間の密告により投獄されてしまった経験があります。ゴリツィアのマニコミオに入ったとき、そこでの様子と自分が投獄された経験とが重なった、と述べています(『バザーリア講演録』p.69)。

 

鈴木 バザーリアがマニコミオを目にしたときの衝撃は相当なものだったと、彼の愛弟子の一人で、トリエステの元精神保健局長のペッペ・デッラックアさんも話していました。バザーリアの脳裏には、この仕事を投げ出して、大学の世界に戻ることも頭をよぎったようです。しかしそこで彼を支えたのは、妻のフランカ・オンガロでした。彼女が「あなたはマニコミオを変える立場にいて、しかも変えられる力をもっているのだから、やるべきよ!」とバザーリアの背中を押したのです。実際にバザーリアといっしょに仕事をした人に話を聞くと、妻のオンガロの存在が非常に大きかったのだと、あらためて思います。

 

大内 トリエステの精神保健改革のもう一人の立役者であるザネッティさんも、バザーリアの伝記のなかでそう書いていますよね。「(オンガロは)バザーリアにとってある種の文化的な伴走者であった」と(『精神病院のない社会をめざして』p.18)。実際にオンガロは、バザーリアのほぼすべての著作の共著者であり、改革にも当初から全面的にかかわっていました。バザーリアの死後は国会議員として、政治の場で精神保健改革の定着に奔走しました。

 

鈴木 バザーリア夫妻については、イタリアを代表するトリエステの作家で、ザネッティの義理の兄でもあるクラウディオ・マグリスも書き残しています。オンガロを「規律正しく虚栄心とは無縁の厳しい女性」と評し、一方のバザーリアを「多くの困難を抱え緊迫した局面にあっても、軽やかさや皮肉を交えること、そして、高らかに笑うことを忘れなかった」と二人の関係性を描いています。バザーリアの強烈なカリスマ性やリーダーシップがしばしば強調して語られますが、実際の改革は、こうした妻のオンガロとの二人三脚で始まったといえます。

 

大内 マニコミオの惨状を目にしたバザーリアは、マニコミオを改善、改良するのではなく、マニコミオ自体を閉鎖する方向へ、大きく舵を切ることになります。「マニコミオは、精神病者たちを管理するための施設であって、彼らを治療するための施設ではない」というのが、バザーリアの強い信念でした。1961年にバザーリアがゴリツィアの精神病院院長に就任して以降、こうして改革運動が開始されるわけです。

 

鈴木 バザーリアは、まず改革に賛同する仲間を集めることから始めました。そして、窓の鉄格子を撤去、拘束衣の使用禁止、白衣の着用の廃止などを次々と実践していきました(『精神病院のない社会をめざして』p.40)。

 

また、医師や看護師、そして患者自身が対等な立場で参加するアッセンブレアと呼ばれる集会が、定期的に実施されました。そこでは、患者たちが、病院のあり方について意見を述べたり、自分の希望を打ち明けたりすることができました。

 

大内 このアッセンブレアは、バザーリアたちの改革において非常に重要な取り組みだったと思います。『バザーリア講演録』のなかでも、医師や患者といった地位や立場を超えて、「一人ひとりが変革に貢献しようとしていた」とバザーリアは語っています(『バザーリア講演録』p.35)。

 

鈴木 『蛇の寓話(La favola del serpente)』というドキュメンタリーの映像に、当時のアッセンブレアの様子が残されています。ペッペ・デッラックアさんに教えていただいたのですが、これは1968年のゴリツィア精神病院の内部を撮影した番組だそうです。当時、定期的に行われていたアッセンブレアの様子がわかる貴重な映像で、現在はYou Tubeで視聴することができます(https://www.youtube.com/watch?v=WCjh0M7a4P0)。

 

 

映像には、アッセンブレアに参加する50名あまりの人々が映し出されていますが、そこでは、このドキュメンタリーの放映の賛否が、議題になっています。ある患者は、「我々がこんなに酷い状況に置かれていることをもっと社会に知らしめるべきだ」と発言したり、またある患者は、「映像は私たちのなかで留めるべきで、放映しない方がよいのではないか」などと意見を述べたりして、白熱した議論が交わされています。

 

そして議論の最後になって、放映の是非をめぐって、挙手による採決が行われます。「全員が賛成というわけではなく、反対の立場の人も同じ場に居合わせている、というのが大切なことだ。その場に集まった人たちの真剣な表情が、映像のなかに見事に収められている。これがまさしく原風景だったんだ」とデッラックアさんは解説されていました。

 

バザーリアは、そうしたマニコミオ内部の様子を撮影させて、テレビ番組としてイタリア全国のお茶の間に放映したり、著名な写真家を招いてマニコミオの惨状を写真集にして発表させたりしました。こうした取り組みをまとめた『否定された施設』が1968年に発表されると、6万部をこえる当時のベストセラーとなりました。こうしてイタリア全土にバザーリアたちの改革が知られることになったのです。大熊一夫さんは「バザーリアのこのジャーナリスティックなセンスと戦略には脱帽させられる」と言っています。

 

大内 しかし、こうしたゴリツィアでの取り組みは行き詰ってしまいますよね。改革に対するゴリツィア行政の理解が得られなかったことに加えて、患者が引き起こした殺人事件が重なったからです。結局バザーリアは1969年にゴリツィアを去り、その後にパルマの精神病院院長になりますが、これも政治的な利害などに阻まれ、改革は志半ばで中断させられてしまいました。

 

鈴木 こうした時期に、バザーリアに声をかけたのが、当時トリエステの県代表を務めていた政治家のミケーレ・ザネッティでした。ザネッティさん自身も県代表になるまでは、精神病院の惨状についてまったく知らなかったといいます。県代表就任後に、サン・ジョヴァンニ地区のマニコミオを実際に訪れてみて、「これは人間としてあってはならないことだ」と痛感したといいます。そしてこの現状を変えることができるのはバザーリアしかいないと考えて、ヴェネツィアまで直談判に行くのです。

 

これはザネッティさんから直接うかがったことですが、トリエステ行きの話を切り出したとき、妻のオンガロは難色を示したといいます。当時のバザーリア夫妻には、思春期を迎えた二人の子供がいるという家族の事情もありました。またバザーリアとザネッティとのあいだで政治的な信条が異なることも、オンガロが懸念する理由の一つだったようです。しかしバザーリアは、最終的にはザネッティさんの誘いを受け容れ、トリエステ行きを決断したのです。もしザネッティさんの粘り強い説得とバザーリアの決断がなければ、その後のトリエステの改革はなかったのかもしれません。

 

バザーリアが急逝した1980年、ヴェネツィアで行われた葬儀のとき、妻のオンガロから弔辞を頼まれた唯一の人物がこのザネッティさんでした。トリエステでの改革を通じて、バザーリア夫妻とザネッティさんの3人の間には、非常に深い信頼関係が築かれていったことがわかります。

 

こうして改革はトリエステの地で再開し、最終的にはヨーロッパで初の公立精神病院の完全閉鎖と地域精神保健サービスの開設にいたるわけです。

 

大内 こうしたトリエステでの様々な取り組みの成果をもとに、法律がつくられました。それが「バザーリア法」とよばれる1978年に施行された180号法で、この法律によって、「新たな公立精神病院の建設の禁止」、「既存の公立精神病院への新たな入院の禁止」、「公立精神病院の段階的な閉鎖」が定められました(『バザーリア講演録』資料p.3)。

 

この法律により、精神病院の廃止と、精神病治療の地域への移行という道筋がイタリア全土に作られました。しかしこれ以降も、改革は地域の様々な事情や利害対立に阻まれて、順調に進んだわけではありませんでした。それでも、約20年後の1999年には、イタリアの保健大臣は、全国の公立精神病院がすべて閉鎖されたことを公式に宣言しました(『バザーリア講演録』p.92)。来年の2018年は、バザーリア法の制定から40年ということになりますね。トリエステ精神保健局は40周年の記念イベントを準備していると聞いています。

 

鈴木 「バザーリア以降、精神医学は以前のままではありえず、事実としてそれ以前のままではない。なぜなら精神医学は、マニコミオをもたない医学となったからである」とザネッティさんは書いています(『精神病院のない社会をめざして』p.17-18)。この一文は、まさしくバザーリアが生涯をかけて成し遂げた仕事の大きさを端的に言い表していると思います。

 

大内 バザーリア以前は、人々は「精神病院があるのが当たり前の社会」で生きていました。それに対して、バザーリア以降、人々は「精神病院のない社会」を実現できる、ということを知りました。実際に現在イタリアでは、人々は精神病院のない社会で暮らしています。これは、革命的といえるパラダイム・シフトだったといえるでしょうね。【次ページにつづく】

 

 

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