2018.10.16

ボツワナの中国人商人たち――チャイナショップが生み出す消費社会

シ・ゲンギン 地域研究、文化人類学

国際 #アフリカ

はじめに――アフリカイメージの変化

何世紀にもわたってアフリカは、貧困や紛争のようなネガティブなイメージとともに語られてきた。しかし、近年の中国によるアフリカ進出によって、アフリカには新たな活力が注がれている。日本やアメリカの企業家たちがアフリカの市場に目を向けるようになったことの一因は、中国のアフリカ進出があったからであろう。

こうした状況下で、中国-アフリカ関係を対象とした研究は、マクロな視点から、中国のアフリカ援助や貿易関係に焦点を当てるものが主流となった。しかし、アフリカの人々は援助や貿易関係よりも、むしろ日常的な中国人商人とのやりとりや中国製商品そのものを通して中国の存在を実感している。つまり、中国とアフリカの関係において、国家や企業規模ではない個人間の関係、いわば草の根レベルの繋がりが重要な役割を担っていると考えられる。

本稿では、中国人商人の生活体験談や、ボツワナで販売している中国製商品を共時的・通時的に分析し、商売関係を通じて中国-アフリカ関係がボトムアップで築かれる過程を明らかにしていく。そのうえで、中国人商人のアフリカ進出が現地の人の生活にもたらした影響を検討する。

背景

ボツワナの概要

ボツワナは南部アフリカに位置する内陸の国である。国土面積は日本の約1.5倍あるが、人口は200万人程度で、「人より家畜のほうが多い」と冗談半分に揶揄されることもある。1966年に独立してからはダイヤモンドと牛肉がおもな輸出品となっており、近年は観光業も盛んになってきている。国内市場が小さく、工業製品や食品のほとんどを南アフリカからの輸入に頼っているため、製造業はなかなか発展せず、GDPに占める割合はわずか5%に留まる(The Mbendi information service, 2014)。

独立後長い間、白人とインド人がボツワナの経済を主導し続け、ボツワナ人の経済・貿易参加は比較的に遅かった(Best, 1970)。それゆえ、ボツワナの国内市場は白人やインド人の卸売業者と小売商人に依存し、今日に至ってもShoprite、Pick n Pay、Sparのような南アフリカ資本のチェーン店に頼り続けている。

このような背景のもと、ニューカマーである中国人商人が登場する。中国とボツワナが国交を結んだのは1975年だった。そこから両国の関係が技術と経済領域の協力によって深まっていく(Embassy of China, 2008)。それと平行して、多くの中国人商人が現地で商店を開いて中国産の製品を販売することになった。

2011年9月に私がフィールド調査をおこなった際には、ボツワナ全国においておよそ1000軒の中国人経営者による商店――チャイナショップ(China Shop)があった(Zi, 2015)。首都のハボローネにはじまり、都市部から離れたブッシュマンの村まで中国人商人がビジネスを展開していた。私がハボローネに滞在していた時も、道端の現地人に「あなたの店はどこにあるの」と問いかけられたことが何度もあった。まるでボツワナにいる中国人の全員が、チャイナショップの経営者だと現地の人が捉えているかのようだった。このような事例からも、現地におけるチャイナショップの存在感の大きさがわかる。

都市中心部にあるチャイナショップ

村にあるチャイナショップ

中国人商人はなぜボツワナに来たのか?

ボツワナにいる中国人商人はそのほとんどが福建省と江西省の出身で、ボツワナに来る前はこの国の存在さえも知らなかった人が多い。多くの中国人商人は都市から離れた村落部の出身で、地元では工場で働いたり、商売をおこなったりしていた。高騰する物価にプレッシャーを感じ、一攫千金を夢見て、半ば冒険気分でアフリカにやってくる。英語はほぼ話せず、実際に商売を始めてから、毎日OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)といった感覚で、店の中の雑貨を指す言葉を一つずつ覚えていく。ある中国人商人は「来たばかりの時には、半分ジェスチャーで、半分電卓に頼る感じで現地のお客さんに対応したよ」と自嘲気味に語っていた。

ボツワナに来る中国人商人は大きく三つのグループに分けられる。第一に、南アフリカで商売をおこなったが、徐々に激しい競争に絶えられなくなり、隣国のボツワナにビジネスを移したグループ。第二に、90年代に建築プロジェクトの関係で初めてボツワナに来たが、ボツワナ国内の需要を見出し、プロジェクトの終了後に商売を始めたグループ。そして第三に、親族関係を通してやって来たグループである。中国人商人はビジネスを展開する際に、中国にいる親戚をアシスタントとして雇う傾向がある。中国では理想とする職を得られず、アフリカで商売をしている親戚のアシスタントをしながら、アフリカで起業しようとする20代の若者は数多くいる。

賛否両論を呼んでいる中国産製品

中国人商人がボツワナに入ってくる前は、多くの商店は都市部に集中し、庶民が簡単に購入できないほどの高価格で商品が販売されていた。チャイナショップが入ってきたことによって、現地の人々、とくに農村部に住んでいる人々が便利なサービスを享受できるようになった。また、商品の価格も下落した。

しかし、チャイナショップで販売されている中国産製品は、徐々に現地の人に貶されはじめ、アフリカにおいて広く批判されるようになる。中国産製品は安っぽく、模造品、偽物という意味から現地で「フォンコン(fong kong)」と呼ばれている(Barrett, 2007; Park, 2013)。フォンコンは広く批判され、その販売が違法行為扱いされた。その一方、フォンコンは価格の安さによって現地の貧困層と中間層の生活水準を高め、ボツワナ社会の平準化を推進する役割も担っている。

ここで注目すべきなのは、中国産製品が最初から嫌われ、フォンコンと名付けられたわけではなかったことである。中国人商人の話によると、20年前に売っていた商品の質は本当にひどかったという。皮肉なのは、むしろその時期こそが中国人商人が大歓迎された時代であったということだ。この経緯を時間軸に沿って述べてみたい。

様々な商品を扱うチャイナショップ

悪質商品

前述したように、中国人がボツワナに進出する前、ボツワナの市場は白人とインド人に支配されていた。パイオニア的な中国人商人がボツワナにやってきたのは1990年代の初めであった。そのころは、商品を非常に安い値段で売らないと現地の人が購入できないため、中国から持ってきた商品の質はとても低かった。以下は中国人商人Cさんの話である。

当時多くの現地人は裸足だった。白人が開いた店では1足の靴が300 Pula (当時1 Pula=0.5USD) もするのに、現地人の月給はわずかの200 Pula だった。それを見て僕は中国で倒産した工場から在庫の靴を買い取った。それを現地の人が負担できる値段である10-20 Pulaで売っていた。その靴は長い間倉庫に入っていたため、長持ちしなかった。しかし、現地の人にとって長持ちしない靴でも、買えないよりはましだった。だって、靴が一足で300 Pulaもかかるなら、貯金する習慣のない現地の人は一生涯裸足のままでいるしかない。(インタビュー、2014)

当時のボツワナ現地人にとって、衣服や靴はあるだけでありがたく、ファッション性や生地、品質はあまり問題ではなかった。ハボローネの中心地に15年以上チャイナショップを経営しているXさんの記憶によると、中国産製品は重宝されていたようである。

その時、私の店にはハンガーさえなかった。中国から郵送してきた服の束から一種類ずつサンプルとして出しては、そのまま地面に広げていた。毎日、店の外で長い列ができた。毎回10人ぐらい店に入れて、買い物が終了した後に次の10人を入れるという感じで商売を回した。当時、現地の人は中国人に対してとても優しかったし、積極的に挨拶してくれた。私にお金を渡す時には両手で渡してくれたよ。今では考えられないことだけど。(インタビュー、2015)

当初はどのような服や靴でも現地人に歓迎された。その後、現地の需要が増加し、電器製品もチャイナショップから購入できるようになった。問題はそこから始まったのではないかと思われる。激安の中国産衣服はただ生地の違いや加工の加減くらいにしか差は出ないが、電器製品になると話がややこしくなる。

テレビ1台を普通に買おうとすると2000~3000 Pulaするが、チャイナショップではなんと600 Pula (US$ 62)という激安価格で販売された。これほど安く販売できたのは、中国人商人が中国で安いテレビを買い取ってからボツワナに郵送したからである。中国人商人が言うには「おそらく、これらの中身は中古テレビで、外に新しいケースを付けただけだ」。

このように、チャイナショップは消費者の購買力に合わせて商品を提供していた。現地人が何も持っていなかった時には中国製の低品質品でも喜んで受けいれた。しかし、ボツワナの経済が成長するに従って、現地消費者の需要も変わりつつある。その中で低品質品を販売し続けていたチャイナショップは、知らず知らずのうちにネガティブなイメージを作ってしまったのである。

激安電器製品

模造品

今日、中国産製品はアフリカ全体において批判を受けている。安っぽい、コピー品、偽造のものという意味で「フォンコン」呼ばわりされるのだが、しかし実際には、ボツワナのチャイナショップで厳密に「フォンコン」というジャンルに入るものは限られている。模造品ばかりではないのに、中国産製品がひとまとめに「フォンコン」と呼ばれているのである。

チャイナショップでの調査によると、現地で一番人気があるのは、NikeやAdidasのロゴが付いた非正規のスニーカーとシャツ、AppleやNokiaのシールが貼られた別メーカーの携帯電話、そして海賊版DVDといった「フォンコン」である。テレビの普及によって、現地人の間でファッションに対する関心が徐々に高まってきた。それゆえ、普通の商品より値段はやや高いが、質も高く、格好よく見せられる模造品が大歓迎されている。

フォンコンのせいで、中国人商人も、中国系ビジネスもネガティブなイメージで覆われるようになった。その結果、中国人の商売がボツワナ政府の規制を招いてしまった。初期の中国人商人は儲かったが、今日の中国人商人は骨折り損のくたびれ儲けになっていると言っても過言ではない。それは近年ボツワナ政府の取り締まりによって中国人商人がおおやけに模造品を売ることができず、中国人商人よりは現地の露天商とボツワナ商人が「フォンコン」の受益者になっているからである。中国人のYさんは露天商について次のように語る。

露天商は結構儲かっているよ。私が知っているあの子は私のところに来るたびに20~30足の偽ブランドを買っていた。私は彼に50 Pula/足(US$ 5.2)という卸売の値段で売っていたが、彼はなんと300 Pula/足(US$ 31)で現地人に売っていたよ。それでも、彼は毎回私に値下げをせがんでいた。彼は偽ブランド商売のお陰で3年もしないうちに立派な家を建てられた。(インタビュー、2014)

また、ボツワナの路上商人Zさんは規制の影響についてこう語っている。

私はかつて、チャイナショップからブランドの靴を仕入れていたが、最近中国人がそれを売れなくなった。仕方なく、私が毎月1回仕入のために、南アフリカまで行かなければいけなくなっている。

こういうわけで、たとえボツワナにいる中国人商人が模造品の販売を禁じられたとしても、流通ルート自体は遮断されることなく、現地の商人によってちゃんと回されている。また、近年、ボツワナ人が「スーツケース商人」(Mathews, 2012)として直接中国の国内市場から商品を輸入しているケースも増加しつつある。ボツワナ政府がいくら「模造品禁止」というキャンペーンをおこなっても、国内のニーズがある限り、模造品は様々なルートを通して入ってくるだろう。じつは模造品の排除はどちらかというと口実で、ボツワナ人商人の育成がボツワナ政府のねらいだったのかもしれない。

模造品の件に関して、中国人商人はたくさんの非難を受けているが、彼らが非難されるべき張本人なのか、それともスケープゴートなのか、私には判断が着かない。面白いことに、中国人商人は自身が悪いことをしているとは思っていないようである。

「ぼったくりのブランド品が今は誰でも楽しめるようになったし」

「ブランドの会社に害なんか全然およぼしていない。だって、われわれの店で買い物する現地人がブランド品を買う金を持っているか」

「模造品だって、ブランド品の宣伝にもなるだろう」

オリジナルブランド

模造品はおおやけに販売することができなくなったが、高品質な商品に対する需要は増加する一方である。そこで、何人かの中国人商人は、自前のブランドを作り始めた。彼らは中国の工場で上質な材料を注文し、ボツワナ人の好みに合わせたスーツや革靴を作ってもらった後に、自前のブランドシールを貼りつけた。有志の中国人商人はこの方法でチャイナショップの悪名「フォンコン」を洗い清めようとした。

今では、われわれの商品の品質が悪いわけではなく、チャイナショップで売っているから質が悪いという現地人の偏見がわれわれを裁いている。だから、チャイナショップのイメージを作り変えなければ、すべての努力は無駄になる。(インタビュー、2015)

チャイナショップが雑貨ばかり売っているため、忙しいし、利潤の少ない商売をしている。商売である以上、お金持ちのお金を狙わないと。(インタビュー、2015)

 

とPさんが言っていた。Pさんはボツワナに来る前、中国でエンジニアとしてヨーロッパ資本の企業に勤めていた。中国で一番大きいダムの設計に関わった経験をよく自慢話にしていた。その後、今から10年前に、親戚の繋がりでボツワナにやってきた。彼女は現在ボツワナの富裕層をターゲットにして高級スーツを売っている。政府の官僚もよくスーツを買いに来るそうである。

また、近年建てられた高級ショッピングモールでは、多くの現地人商人が店を開いている。話を聞くと、多くの商品が中国から輸入したものだという。毎月中国に行っているボツワナ人商人Bさんは以下のように語っていた。

他の商店で売っているドレスはチャイナショップで売っているドレスと似ているので、高級ショッピングモールに来るお客さんにとってはあまり魅力的じゃない。だって、女性はほかの人と同じようなドレスを着ているのが嫌だろう。だから、私は中国でユニークなデザインのものを探してくるのだ。ボツワナで唯一のドレスだと紹介したらお客さんが喜ぶわけで、少々高い値段をつけても売れる。

したがって、一見どの店も同じように見えるチャイナショップだが、売っている商品の品質の幅は広く、様々な収入層の現地人のニーズを満たしている。一部の商品の質が悪いからといってひとまとめに「フォンコン」と呼ばれることに対して、反発する中国人商人の気持ちはよく分かる。今後、ボツワナ消費者の購買力が高まることによって、オリジナルブランドや中国から直接ユニークな商品を輸入するようなことが増えていくだろう。

中国産製品の善し悪し

中国人商人のアフリカ進出は賛否両論を呼んでいる。1990年代に来た中国人商人たちがよく反省して語るのは、「ボツワナ人は、以前はもっと純粋だった。今のようにお金ばかり求めるようになったのは中国人の影響を受けたからじゃないかなぁ」、「以前は高速道路で車が壊れたら村人がよく助けに来たが、今同じ状況だったら、現地の強盗に遭うんじゃないかと心配するよね。」といったものである。現金社会になりつつあるボツワナ社会では人間関係が変質しつつある。これは中国人商人によって現金が現地社会に浸透したことが一因だと考えられる。

一方、ボツワナ現地人の生活水準は、中国人商人のアフリカ進出によって確実に高まっている。今日、ボツワナでは都市から一番辺鄙な村まで、どこでもチャイナショップのサービスを受けられるようになっている。電器製品をはじめ、家具、衣服、日常用品まで、なんでも手頃な値段で購入できるようになってきた。

つい最近まで、日々の生活における必需品を入手する方法さえ持たなかったボツワナ人は、中国人商人によって消費社会に巻き込まれるようになった。今ボツワナ人は本当に満足しているのか、それとも今後はますます欲求不満に陥るのか。

引用文献

・Barrett, G. 2007. October 15. fong kong. A Way with Words. Retrieved August 09, 2012, from http://www.waywordradio.org/fong_kong_1/

・Best, A. C. 1970. General trading in Botswana, 1890–1968. Economic Geography, 46, 598–611.

・Embassy of the People’s Republic of China in the Republic of Botswana. 2008a, February 1. An overview of the relations between China and Botswana. Retrieved August 09, 2012, from http://bw.china-embassy.org/eng/sbgx/t404979.htm

・Mathews, G. 2012. Neoliberalism and globalization from below in Chungking Mansions, Hong Kong. In G. L. Gordon Mathews (Ed.), Globalization from Below: The World’s Other Economy (pp. 69-85). Routledge.

・MBendi Information Service. 2014. Manufacturing in Botswana – Overview. Retrieved October 18, 2014, from http://www.mbendi.com/indy/mnfc/af/bo/p0005.htm

・Park, Y. J. 2013. November. “Fong Kong” in Southern Africa: Views of China-made Goods & Chinese Migrants. African Studies Association 56th Annual Meeting, Baltimore, MD, USA.

・Zi, Y. 2015. The ‘Fong Kong’ Phenomenon in Botswana: A Perspective on Globalisation from Below. African Eastern-Asian Affairs, 1, Centre for Chinese Studies, Stellenbosch University.

プロフィール

シ・ゲンギン地域研究、文化人類学

立教大学異文化コミュニケション学部教育研究コーディネーター。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程後期修了後、京都大学アフリカ地域研究資料センター特任研究員、ケープタウン大学客員研究員、ケルン大学客員研究員を経て現職。現在、南部アフリカにおけるアジア人コミュニティの形成に関する共時的・通時的な分析を深めるとともに、南アフリカに進出したアジア系企業における雇用関係の現状と問題点についても調査している。主著としてIron Sharpens Iron: Social Interactions at China Shops in Botswana「鉄は鉄を研ぐ―ボツワナのチャイナショップにおける社会的インタラクション―」(Langaa Research & Publishing Common Initiative Group)。

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