ボツワナの中国人商人たち――チャイナショップが生み出す消費社会

はじめに――アフリカイメージの変化

 

何世紀にもわたってアフリカは、貧困や紛争のようなネガティブなイメージとともに語られてきた。しかし、近年の中国によるアフリカ進出によって、アフリカには新たな活力が注がれている。日本やアメリカの企業家たちがアフリカの市場に目を向けるようになったことの一因は、中国のアフリカ進出があったからであろう。

 

こうした状況下で、中国-アフリカ関係を対象とした研究は、マクロな視点から、中国のアフリカ援助や貿易関係に焦点を当てるものが主流となった。しかし、アフリカの人々は援助や貿易関係よりも、むしろ日常的な中国人商人とのやりとりや中国製商品そのものを通して中国の存在を実感している。つまり、中国とアフリカの関係において、国家や企業規模ではない個人間の関係、いわば草の根レベルの繋がりが重要な役割を担っていると考えられる。

 

本稿では、中国人商人の生活体験談や、ボツワナで販売している中国製商品を共時的・通時的に分析し、商売関係を通じて中国-アフリカ関係がボトムアップで築かれる過程を明らかにしていく。そのうえで、中国人商人のアフリカ進出が現地の人の生活にもたらした影響を検討する。

 

 

背景

 

ボツワナの概要

 

ボツワナは南部アフリカに位置する内陸の国である。国土面積は日本の約1.5倍あるが、人口は200万人程度で、「人より家畜のほうが多い」と冗談半分に揶揄されることもある。1966年に独立してからはダイヤモンドと牛肉がおもな輸出品となっており、近年は観光業も盛んになってきている。国内市場が小さく、工業製品や食品のほとんどを南アフリカからの輸入に頼っているため、製造業はなかなか発展せず、GDPに占める割合はわずか5%に留まる(The Mbendi information service, 2014)。

 

独立後長い間、白人とインド人がボツワナの経済を主導し続け、ボツワナ人の経済・貿易参加は比較的に遅かった(Best, 1970)。それゆえ、ボツワナの国内市場は白人やインド人の卸売業者と小売商人に依存し、今日に至ってもShoprite、Pick n Pay、Sparのような南アフリカ資本のチェーン店に頼り続けている。

 

このような背景のもと、ニューカマーである中国人商人が登場する。中国とボツワナが国交を結んだのは1975年だった。そこから両国の関係が技術と経済領域の協力によって深まっていく(Embassy of China, 2008)。それと平行して、多くの中国人商人が現地で商店を開いて中国産の製品を販売することになった。

 

2011年9月に私がフィールド調査をおこなった際には、ボツワナ全国においておよそ1000軒の中国人経営者による商店――チャイナショップ(China Shop)があった(Zi, 2015)。首都のハボローネにはじまり、都市部から離れたブッシュマンの村まで中国人商人がビジネスを展開していた。私がハボローネに滞在していた時も、道端の現地人に「あなたの店はどこにあるの」と問いかけられたことが何度もあった。まるでボツワナにいる中国人の全員が、チャイナショップの経営者だと現地の人が捉えているかのようだった。このような事例からも、現地におけるチャイナショップの存在感の大きさがわかる。

 

 

都市中心部にあるチャイナショップ

 

村にあるチャイナショップ

 

 

中国人商人はなぜボツワナに来たのか?

 

ボツワナにいる中国人商人はそのほとんどが福建省と江西省の出身で、ボツワナに来る前はこの国の存在さえも知らなかった人が多い。多くの中国人商人は都市から離れた村落部の出身で、地元では工場で働いたり、商売をおこなったりしていた。高騰する物価にプレッシャーを感じ、一攫千金を夢見て、半ば冒険気分でアフリカにやってくる。英語はほぼ話せず、実際に商売を始めてから、毎日OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)といった感覚で、店の中の雑貨を指す言葉を一つずつ覚えていく。ある中国人商人は「来たばかりの時には、半分ジェスチャーで、半分電卓に頼る感じで現地のお客さんに対応したよ」と自嘲気味に語っていた。

 

ボツワナに来る中国人商人は大きく三つのグループに分けられる。第一に、南アフリカで商売をおこなったが、徐々に激しい競争に絶えられなくなり、隣国のボツワナにビジネスを移したグループ。第二に、90年代に建築プロジェクトの関係で初めてボツワナに来たが、ボツワナ国内の需要を見出し、プロジェクトの終了後に商売を始めたグループ。そして第三に、親族関係を通してやって来たグループである。中国人商人はビジネスを展開する際に、中国にいる親戚をアシスタントとして雇う傾向がある。中国では理想とする職を得られず、アフリカで商売をしている親戚のアシスタントをしながら、アフリカで起業しようとする20代の若者は数多くいる。

 

 

賛否両論を呼んでいる中国産製品

 

中国人商人がボツワナに入ってくる前は、多くの商店は都市部に集中し、庶民が簡単に購入できないほどの高価格で商品が販売されていた。チャイナショップが入ってきたことによって、現地の人々、とくに農村部に住んでいる人々が便利なサービスを享受できるようになった。また、商品の価格も下落した。

 

しかし、チャイナショップで販売されている中国産製品は、徐々に現地の人に貶されはじめ、アフリカにおいて広く批判されるようになる。中国産製品は安っぽく、模造品、偽物という意味から現地で「フォンコン(fong kong)」と呼ばれている(Barrett, 2007; Park, 2013)。フォンコンは広く批判され、その販売が違法行為扱いされた。その一方、フォンコンは価格の安さによって現地の貧困層と中間層の生活水準を高め、ボツワナ社会の平準化を推進する役割も担っている。

 

ここで注目すべきなのは、中国産製品が最初から嫌われ、フォンコンと名付けられたわけではなかったことである。中国人商人の話によると、20年前に売っていた商品の質は本当にひどかったという。皮肉なのは、むしろその時期こそが中国人商人が大歓迎された時代であったということだ。この経緯を時間軸に沿って述べてみたい。

 

 

様々な商品を扱うチャイナショップ

 

 

悪質商品

 

前述したように、中国人がボツワナに進出する前、ボツワナの市場は白人とインド人に支配されていた。パイオニア的な中国人商人がボツワナにやってきたのは1990年代の初めであった。そのころは、商品を非常に安い値段で売らないと現地の人が購入できないため、中国から持ってきた商品の質はとても低かった。以下は中国人商人Cさんの話である。

 

 

当時多くの現地人は裸足だった。白人が開いた店では1足の靴が300 Pula (当時1 Pula=0.5USD) もするのに、現地人の月給はわずかの200 Pula だった。それを見て僕は中国で倒産した工場から在庫の靴を買い取った。それを現地の人が負担できる値段である10-20 Pulaで売っていた。その靴は長い間倉庫に入っていたため、長持ちしなかった。しかし、現地の人にとって長持ちしない靴でも、買えないよりはましだった。だって、靴が一足で300 Pulaもかかるなら、貯金する習慣のない現地の人は一生涯裸足のままでいるしかない。(インタビュー、2014)

 

 

当時のボツワナ現地人にとって、衣服や靴はあるだけでありがたく、ファッション性や生地、品質はあまり問題ではなかった。ハボローネの中心地に15年以上チャイナショップを経営しているXさんの記憶によると、中国産製品は重宝されていたようである。

 

 

その時、私の店にはハンガーさえなかった。中国から郵送してきた服の束から一種類ずつサンプルとして出しては、そのまま地面に広げていた。毎日、店の外で長い列ができた。毎回10人ぐらい店に入れて、買い物が終了した後に次の10人を入れるという感じで商売を回した。当時、現地の人は中国人に対してとても優しかったし、積極的に挨拶してくれた。私にお金を渡す時には両手で渡してくれたよ。今では考えられないことだけど。(インタビュー、2015)

 

 

当初はどのような服や靴でも現地人に歓迎された。その後、現地の需要が増加し、電器製品もチャイナショップから購入できるようになった。問題はそこから始まったのではないかと思われる。激安の中国産衣服はただ生地の違いや加工の加減くらいにしか差は出ないが、電器製品になると話がややこしくなる。

 

テレビ1台を普通に買おうとすると2000~3000 Pulaするが、チャイナショップではなんと600 Pula (US$ 62)という激安価格で販売された。これほど安く販売できたのは、中国人商人が中国で安いテレビを買い取ってからボツワナに郵送したからである。中国人商人が言うには「おそらく、これらの中身は中古テレビで、外に新しいケースを付けただけだ」。

 

このように、チャイナショップは消費者の購買力に合わせて商品を提供していた。現地人が何も持っていなかった時には中国製の低品質品でも喜んで受けいれた。しかし、ボツワナの経済が成長するに従って、現地消費者の需要も変わりつつある。その中で低品質品を販売し続けていたチャイナショップは、知らず知らずのうちにネガティブなイメージを作ってしまったのである。【次ページにつづく】

 

 

激安電器製品

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.256 

・熊坂元大「「道徳教育」はこうすれば良くなる」
・穂鷹知美「終の住処としての外国――スイスの老人ホームにおける 「地中海クラブ」の試み」
・徳山豪「アルゴリズムが社会を動かす」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(1)――シンクタンク創設への思いとその戦い」