ロヒンギャ難民問題――現地調査から見えてくる現状と課題

帰還に対する難民たちの思い

 

筆者の滞在期間中の2018年1月22日は、バングラデシュ、ミャンマー両政府が合意した、ロヒンギャ難民の帰還開始の日であった。帰還は進むのか? 自主的な帰還なのか強制的な帰還なのか? この日がどのような日になるか、その日にそこにいた人間としては強い関心を抱いていた。もっとも同日になって、バングラデシュの法務大臣が、「強制的な帰還はさせない」旨を表明した。そもそも、難民たちは、帰還についてどのように考えているのだろうか?

 

筆者に話しをしてくれた難民たちは、難民キャンプでの困難な生活に置かれているにもかかわらず、みながミャンマーには帰りたくないと語っていた。

 

ある男性は、「ミャンマーには帰りたくない。帰るなら、自分たちにもロヒンギャとしての権利をミャンマー政府に認めてほしい。そして失った財産を賠償してほしい。帰れる条件が整うまでは、ここで難民として暮らしたい。バングラデシュで死んでもいい。」と語っていた。そして1月22日から帰還をさせる話は聞いているが、詳しいことはよく分からないとのことであった。

 

ここで彼が言った「条件」とは、ミャンマー政府が認めるべき5つの項目のことである。すなわち、①国籍の付与、②宗教の権利、③加害者への裁判、④被害に対する補償、⑤他の民族と同等の権利の付与の5つを指す。彼が「バングラデシュで死んでもいい」と語っていたのは、決して自暴自棄になっているわけではなく、もし死んだらイスラム教にのっとって埋葬をしてほしいということだった。ミャンマーでは、それも認められなかったとのことである。コーランを読むことも禁じられたという難民もいた。したがって、同じイスラム教徒が多数を占めるバングラデシュなら、イスラムの葬儀をしてくれるだろうと考えているようだった。

 

同様に別の男性も、「ミャンマーで権利を認めてくれれば、歩いてでも自分から帰りたい」と語っていた。しかし彼は、「ラカイン州にもロヒンギャの収容所があり、今、帰国しても、そこに行くことになるだろう。バングラデシュの難民キャンプの方が、そこに比べると行動の自由はある」とも語っていた。これも難民たちが帰還をためらう一つの要因であろう。

 

他にも、筆者が出会った難民たちはみな同じように、権利と安全が保障されない限り、帰還はしたくないと語っていた。そして強制的に帰還させられることを恐れていた。帰還してもまた同じように迫害を受けることが分かっていれば、それは当然であろう。

 

帰還開始とされた1月22日の午後、筆者はナヤパラ難民キャンプにあるUNHCR(国連難民行動弁務官事務所)のJoint One-Step Data Centerのオフィスを訪問し、同センター所長と面会した。所長によると、帰還計画としては、各難民キャンプ内に帰還を希望する難民のための集合場所をいくつかの設け、そこから船で帰還させようとしているとのことであった。だが、バングラデシュ側の送り出し拠点と、ミャンマー側の受け入れ拠点が完成していないため、帰還の開始はまだ先になるだろうとも語っていた。

 

帰還希望者の集合は難民たちにアナウンスされていたらしく、筆者は同センター所長に教えられた帰還希望者の集合場所を訪れた。だが、そこには誰もいなかった。つまり誰も帰還を希望しなかったということだ。集合場所の近くで商店を営む40歳の難民の男性に話を聞いた。彼は2017年11月にキャンプに到着し、妻と子ども4人の6人で暮らしている。ミャンマーにいた時、兄弟が一人、ミャンマー人(民間人)によって殺害されたとのことであった。彼自身もUNHCRの帰還計画は聞いていたが、自分はロヒンギャの権利が保障されなければ帰還する気はないし、ここにいるが誰も集まっていないと話していた。

 

そしてその後も、帰還は進んでいない。

 

 

ロヒンギャ難民とARSA――難民キャンプは暴力の温床?

 

●ARSAについての難民たちの考え

 

ロヒンギャの人々によって結成された反政府武装組織であるARSAは、2016年10月に国境検問所などを襲撃し、それが2017年8月のミャンマー軍による大規模攻勢を招いた。そのARSAについて、ロヒンギャ難民たちはどのように考えているのか、質問を試みた。ARSAに関する話題は、非常にセンシティブな問題であるため、衆人環視のもとでは、取材相手である難民の安全を考え(キャンプ内に密告者がいるかもしれないため)、質問を差し控えざるを得ない状況もあった。そのような中でも、何人かに話を聞くことができた。

 

アブドゥル・ラーマン氏(22歳、男性)は、ミャンマーにいた頃に、彼の友人がARSAについて話しているのを聞いたことがあると語った。ミャンマー軍はその友人を疑っており、彼を逮捕したのち、拷問をして自分はARSAだと自白を強要させたとのことである。アブドゥル・ラーマン氏自身はARSAとの関与を疑われたことはなかったが、彼の親戚は疑われ、その親戚は軍によって銃殺刑にされたとのことである。彼は、ARSAの関係者と接触したことはないが、ARSAに武装闘争への参加を勧誘されたら、自分は参加をすると語っていた。

 

アリ・ジャハッド氏(40歳、男性)も、彼自身はARSAのことは聞いたことはあるが、会ったことはないとしていたものの、ARSAの活動についてはミャンマー人と戦っていることを支持していると語っていた。

 

ミャンマー軍に家を焼かれた18歳の少年ジョバイエットは、ミャンマー人に対して、口では言い表せないほどつらい気持ちを持つと話しており、ARSAに誘われたら参加して戦うとのことであった。そして、そばにいた彼の友人(22歳、男性)も参加すると語っていた。

 

このように、難民キャンプ内には、自分たちを迫害してきたミャンマー人への憤りが少なからず温存されているという印象を受けた。

 

●難民キャンプとARSAの暗躍――現地人ジャーナリストの見解

 

既出の現地人ジャーナリストのムハンマド・シクダル氏は、難民キャンプとARSAの武装闘争について、自身の取材などに基づく見解を示してくれた。

 

彼によると、ARSAは2016年の10月の国境検問所襲撃の際に、バングラデシュ軍からも武器を奪ったという。それも武装闘争に使用しているそうだ。そして2017年8月の難民大量発生の前にも、難民キャンプでリクルートを試みていたとのことである。

 

2017年8月に大量の難民がバングラデシュに押し寄せ、難民キャンプを形成したのち、バングラデシュのトブリック(暴力的イスラム教徒)が、各地のモスクで同じイスラム教徒であるロヒンギャのための募金を集めていた。そしてキャンプ内にモスクを合計2000か所立てたとのことである。ムハンマド・シクダル氏は、それらのモスクが情報交換の拠点や武器の手配なども行っていると指摘した。実際に、300人のトブリックがバングラデシュの警察に逮捕されたとのことである。余談であるが、このような事態に鑑みて、バングラデシュ政府は、外部団体が援助物資や現金を無断で配布することを禁じるようになったのである。

 

またムハンマド・シクダル氏は、国際援助機関やNGOは、キャンプで難民をスタッフとして雇用しているが、その給料の一部がミャンマー側のARSAに流れていることについても指摘する。それによってミャンマーの他の反政府勢力から武器を調達したり、難民自身がキャンプからミャンマー側に移動して、問題を引き起こしているという。

 

●難民キャンプと政治化

 

難民キャンプがさらなる暴力の温床になりうることは、1994年のルワンダ難民キャンプでも問題となった。1994年4月、国内で発生したジェノサイドと、その後のルワンダ難民問題は、最悪の人道危機として世界の注目を集めた。だが隣国のザイール(現・コンゴ民主共和国)のキャンプに逃れた難民の中には、ジェノサイドに加担したインテラハムウェ(当時のルワンダの民兵集団)たちも混在していた。

 

インテラハムウェたちは、人道援助機関の支援物資を秘密裏に売却し、ルワンダへ武力をもって帰還すべく、準備を整えようとした。つまり、「かわいそうな難民」のための国際支援が、あらたな暴力を引き起こすために使用されようとしていたのである。国境なき医師団(MSF)はこの状況に鑑みて、ルワンダ難民キャンプでの支援活動を中止するという決定を下した。

 

このように難民キャンプとは、難民にとっては人道上の救済の場であると同時に、キャンプそのものが政治化する場合もある。ロヒンギャ難民問題の長期化もまた、人道的問題であると同時に、さらなる暴力を助長しかねない問題としても検討されるべきである。

 

●ホストコミュニティへの影響

 

ロヒンギャの問題に限らず、世界各地の難民問題においては、なぜ人々は難民になったのか(ならざるを得なかったのか)、あるいはどのような状況に置かれているのかなどについて、世界の関心は集まる。しかし筆者が今回行った現地調査においては、その一方で見過ごされているロヒンギャ難民を受け入れているホストコミュニティもまた、深刻な影響を被っていることが分かった。

 

これまでは難民に焦点を当ててきたが、ここでは難民を「受け入れる側」に着目していきたい。ウキヤ郡のロヒンギャ難民キャンプ周辺に住む複数のバングラデシュ人(教員、政府職員、商店主、その他)に対して行ったインタビューの内容をいかにまとめる。

 

●環境悪化

 

難民が来たことで、政府は森林を切り開いて、キャンプを拡張した。伐採された樹木は、仮設住宅の建材や、調理に使う薪などのために使用されることとなった。筆者は複数の難民キャンプを視察したが、どれも高低差のある土地であり、雨季には土砂災害や、感染症の蔓延が懸念された。

 

●農地を接収された農民

 

バングラデシュ政府は国有地以外にも、地元住民の農地を接収して難民に使用させていた。難民キャンプの近くで露店を経営しているバングラデシュの青年によると、彼の畑は難民が仮設住宅を建てて居住することとなり、農作業ができなくなったとのことである。

 

バングラデシュ政府は難民問題発生当初、難民支援に力を入れていた。もっともその背景には、国際社会に対するイメージアップ戦略も見え隠れする。コックスバザールから難民キャンプに向かう車上から、ハシナ首相をたたえる横断幕を目にする機会が多々あった。だが英語で書かれているということは、外国人に対するアピールと考えられる。もっとも難民問題の長期化は、2018年12月に行われるとされる総選挙をひかえるバングラデシュ政府与党にとっては悩ましい問題であろう。

 

 

ハシナ首相を「人道の王者」と称える与党アワミ連盟の横断幕

 

●子どもたちの教育に関して

 

難民問題は、学校に通う地元の子どもたちにも影響を及ぼしている。

 

まず、敷地が支援物資集積所として使われて、授業が行えなくなった学校があったとのことである。たとえばある学校では、エジプトの支援団体が敷地内で炊き出しを行っていた。子どもたちは勉強ができなくなって、学校長が支援団体に活動をやめさせるという事態になったとのことである。

 

また海外からの援助機関が多数キャンプで活動しているため、マドラサ(イスラム神学校)の教師たちが高給に惹かれて、それらの団体の「アルバイト」に行ってしまい、授業が行われなくなった学校があったという。同様に、学生たちもそのような「アルバイト」に行ってしまう場合もあり、地元のカレッジでICTを教えている教員によると、彼の講義には500人の学生が履修登録しているが、先日は女子学生25名だけしか来なかったと語っていた。このように、学校教育が停滞するという状況が生じていた。

 

他にも、難民の流出を規制するための検問が各所に置かれるようになり、子どもは通学の際、検問で身分証明書をいちいち提示しなければならなくなったという話も聞いた。そのものものしい雰囲気によって、通学をためらう児童もいたとのことである。

 

●物価の上昇

 

多くの地元住民が物価の上昇を嘆いていた。この物価高騰の背景にあるのは、多数の難民や援助団体スタッフの流入で、需要が高まったことにある。ある地元住民によると、たとえば茄子1キロは5タカだったものが20タカまで上昇したとのことである。当然ながら、物価高騰は地元住民の生活を圧迫するようになっていた。

 

●難民によって地元の雇用が奪われる

 

前述したが、難民の中にはキャンプの外に出て、農作業の日雇い労働などに従事する者もいる。本来は認められていない、難民の日雇い労働を地元住民より低賃金で行っていることで、地元住民の雇用を奪ってしまっているという。

 

他にも、あるキャンプの前の市場の商店の60%が、今では難民が経営している店になったという話も出た。地元住民は口々に、政府は取り締まりをしてほしいと述べていた。

 

●難民と犯罪

 

難民がキャンプの外に出て、空き巣や万引きをするケースも増えているという住民もいた。またある政府職員は、麻薬が難民を介して流通している問題について指摘していた。

 

●ロヒンギャのムスリムがバングラデシュの仏教徒に報復に来るのではないかという不安

 

バングラデシュはロヒンギャと同じく、イスラム教徒が多数を占める。しかし少数ながらバングラデシュ人の仏教徒も存在している。ある仏教徒の男性は、「自分は仏教徒なので、自分や身の回りの人々が、イスラム教徒のロヒンギャに襲撃されるのではないか不安に思っている」と語っていた。それは、「ロヒンギャの人々はミャンマーの仏教徒から迫害を受けていたから、その仕返しが自分たちに来るのではないかと不安になる」ということであった。

 

そのような事件はまだないとのことであったが、難民が帰還する際に、腹いせとしてバングラデシュ人の仏教徒に対して、暴力行為を行うのではないかと考える人々の声を複数聞いた。単なる風評に過ぎないのかもしれないが、そのような疑心暗鬼の状況が蔓延することは、何かのはずみで大きな衝突になりかねないという懸念も感じた。これもまた、難民問題がホストコミュニティに与えた影響であるといえよう。

 

●難民へは支援があるのに、地元住民には何もない

 

「たくさんの援助機関が来ているけれど、ロヒンギャのためだけに活動していて、自分たちのためには何もしてくれていないよね」。これは先ほどの土地を接収された露店の青年の言である。バングラデシュは首都ダッカを中心に経済発展が進んでいるが、農村部はまだいわゆる開発途上国の様相である。この青年の声は、地元住民の率直な気持ちであろう。

 

難民問題の長期化が、地元住民の難民に対する嫉妬を生み、その嫉妬が難民への憎悪へと変わっていくことは懸念されうる。それは、多数のシリア難民を受け入れている欧州諸国において、難民へのヘイトスピーチやヘイトクライムが広がりを見せていることからもうかがえるだろう。

 

 

その後のロヒンギャ難民問題

 

ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問は、ロヒンギャへの迫害や難民問題への対応について国際的な非難を浴びている。彼女と同じくノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイも、「ノーベル平和賞を返上すべきだ」と発言している。国内に他の少数民族との問題を抱えるミャンマーにおいては、ロヒンギャ問題はロヒンギャだけでの問題ではないことも関係しているだろう。

 

そして、とくにミャンマー西部でのロヒンギャへの拒否感は強く、2018年4月、バングラデシュと国境を接するミャンマーのラカイン州議会は、「国籍を持たないイスラム教徒(ロヒンギャ)を再定住させない」よう中央政府に求める決議を行っている(朝日新聞2018年5月30日)。

 

一方で、ミャンマーはバングラデシュと合意した帰還への取り組みについて進めていく方針は変わらないとしている。実際にミャンマー政府は、難民が帰還したのちの、受け入れ施設の建設をラカイン州に進めてきた。その施設の一部は、海外のメディアにも公開されたが、ミャンマー政府によって指定された場所以外での撮影は許可されなかったという。

 

ミャンマー政府は、ラカイン州での国連機関の調査を長らく拒んでおり、海外のメディアの自由な取材も認めてこなかった。2017年末には、ロイター通信のミャンマー人記者2人が逮捕されている。

 

2017年3月に、国連人権理事会が設置したミャンマーの人権侵害に関する調査団は、2018年8月27日に報告書を公表した。そこには、ロヒンギャへの迫害は「人道に対する罪」であり、「ジェノサイド」の疑いもあるという、非常に厳しい表現がなされた(朝日新聞2018年8月28日)。またこの問題について、国際刑事裁判所(ICC)に付託する必要性にも触れた。同年9月28日には、国連人権理事会は、この問題について非難決議を採択している(朝日新聞2018年9月28日)。

 

 

おわりに――今後に向けた提言

 

以上をまとめると、以下のように整理できる。

 

まず、帰還後の難民の安全確保と権利保障なき拙速な帰還は、かえって2か国間をまたぐこの地域に不安定をもたらしかねないということがある。それは、①ミャンマー側でのロヒンギャへの迫害が継続していること、②住むべき家や土地がない(すでにミャンマー人に占有されてしまっている可能性があり、また国籍や市民権などの法的ステイタスを持たないために土地所有権を主張できない)こと、③仮に難民が強制帰還された場合、難民がARSAに合流することで暴力が常態化してしまうことがあげられる。

 

しかしその一方で、難民キャンプの長期化にも弊害がある。それは、①地元住民とのトラブル増加や暴力への発展の恐れ、②環境への負荷、③難民キャンプがARSAの資金源・活動拠点になる危険性である。

 

ロヒンギャ難民問題に対する今のところの国際社会の対応は、難民キャンプでの人道支援、難民帰還のための支援、そしてミャンマー軍幹部の責任追及の3点といえよう。

 

その上で、さらに以下を提言したい。

 

提言① 被害への賠償と生活再建、土地家屋の権利の明確化

 

ロヒンギャの多くが家を焼かれたり、家畜を殺されたりした。ロヒンギャ難民が帰還したのちは、彼らがその被害への賠償を受け、かつ住宅再建や農業その他の生業を再開するための支援の取り組みが重要であろう。これらの多くは、国際開発協力の枠組みの中で実施可能であると考える。また国籍や市民権が認められていないことから、土地や家屋の権利が不明確な状態であった。安定的に生活を営む上で、これらを何らかのかたちで明確化することが必要であろう。

 

提言② 帰還から再定住のプロセスの国際的な監視

 

ロヒンギャ難民はミャンマーにおける身の安全を危惧している。今後、難民の帰還が徐々に進んでいったとして、帰還難民の安全を担保するには、そもそもの人権侵害行為を行ってきたミャンマー軍や警察は、その役割を果たすほどの信頼はない。2001年から難民キャンプにいるという50代のロヒンギャの男性は、他の紛争地域のように、ラカイン州に外国の軍隊、すなわち国連平和維持活動(PKO)に展開してもらい、ロヒンギャの安全を守ってくれるような取り組みを望んでいた。そのような任務を担う監視団を、国連の権威のもとで組織することを検討されたい。

 

提言③ メディア、国際人権団体の活動の自由化

 

同様に、帰還難民の生活再建や人権状況を監視する上で、ミャンマー国内外のメディアや人権団体の自由な活動が認められなければならないだろう。これが保証されない限り、ロヒンギャ難民が帰還した場所は、そこで何が行われているか分からない、ブラックボックスになってしまうだろう。

 

提言④ 国内法廷や真実委員会の設置

 

暴力行為に対する何らかの「過去の清算」が必要になる。国連人権理事会はミャンマー軍幹部をICCに付託する必要性に触れた。しかしロヒンギャ難民にとって、より重要なことは、自分の家族を殺した者や、土地家屋その他の財産を奪った者が、制度的に処分されることであろう。

 

紛争後の社会では、特別法廷か、真実委員会の設置という方策がとられる。前者は国内刑事裁判の形式であり、後者は特別に設置された公聴会で訴追された加害者が、公の場で真実を告白し、被害者に謝罪を行い、その結果、恩赦を得るというものである。アパルトヘイト後の南アフリカの「真実和解委員会」がよく知られる。いずれにしても、真実を明らかにし、将来の暴力再発を防ぐことがねらいとなる。

 

以上は、帰還したロヒンギャがARSAへの合流を阻むために有益であると考える。

 

しかし同時に、難民キャンプを抱えていたバングラデシュにも目を向けていかなければならないと考える。

 

提言⑤ バングラデシュのホストコミュニティへの支援

ロヒンギャ難民がミャンマーへの帰還を進めていくようになった場合、国際的な関心は、難民キャンプから、ミャンマー国内の帰還難民の動静に集まっていくことは想像に難くない。それはそれとして、筆者の現地調査に見るように、難民を受け入れてきたバングラデシュの難民キャンプ周辺のホストコミュニティへの影響も、決して少なくはない。キャンプ設置のために伐採された木々の植樹も重要であるし、土地を接収された農民の農業再開も必要であろう。

 

例として、日本の開発コンサルタント会社であるアイ・シー・ネット株式会社は、2018年6月、「バングラデシュ・ホストコミュニティの成型向上・生活改善支援」を提案した。ここではホストコミュニティの貧困世帯の成型向上、生活改善のための魚の養殖が提案されている。これに限らず、開発協力の枠組みで、難民問題による影響を被ったバングラデシュのホストコミュニティを支援することは十分可能であり、また目を向けていかねばならない課題である。

 

最も困難なのは、ARSAにどう対処するかであろう。ミャンマー軍が軍事力で殲滅するのか、あるいはミャンマー政府がARSAとの間で何らかの和平合意を作れるのか。まだ先は見えない。

 

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