〈多文化〉韓国を生きる 難民・イスラーム・フェミニズム

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3.忠州(チュンジュ)

 

ソウルから高速バスで100キロあまり南東に方向に向かい、着いたのは忠州という町である。夜になって、いまラムズィーが住んでいるという校峴(ギョヒョン)住宅公団アパートの前で待ち合わせた。アラブ系、または中東出身者らしく見える男が何人か通り過ぎてゆく。酷寒の夜で、みな帽子やマフラーで顔のほとんどを覆っており、話しかけられる雰囲気ではない。

 

工場からの帰りのバスから降りたラムズィーが向かってきた。10日前から自動車工場のラインで働き始めたという。同じ工場に勤めるイエメン人4人で暮らしているというアパートの部屋に私が入るわけにもいかないから、どこかカフェでも探して入ろうと勧めるが、なぜか乗り気でない。けっきょく背中を丸めて通りをぐるぐる回りながら話を聞くことになった。

 

朝7時にバスが来て工場に向かう。8時から仕事。2時間働き20分休み、1時間半働き15分の休みというのが繰り返される。お昼は正午前にランチタイムが始まり、30分。工場で夕食を済ませてから2時間働き、20時半に終わってからバスで戻る。工場は24時間稼働、2交代制だ。まだ新入りなので昼のシフトだが、慣れたら1週間ごとに昼間のシフトと夜間のシフトの交代になる。

 

ラムズィーは自分の働いている工場の名前さえ知らなかった。そんなことがあるだろうか? 試用期間中だからまだ契約を結んでいないのだという。忠州には現代(ヒュンダイ)の工場があるからその可能性もあるが、その名を挙げても「分からない」と答える。工場は大きく、従業員はおそらく600人とか700人といった規模だという。韓国人と中国人労働者が多く、パキスタン人やウズベキスタン人などのムスリムは、分かる範囲では10数人、うちアラブ人は、イエメン人のほかはエジプト人だけだという。

 

工場での夕食が18時というのが、中東出身者の一般的な生活感覚からすると衝撃的だ。韓国風の食事には慣れたが、豚肉が出ることもあり、その時は食べない。――工場から戻ったら何もできない。疲れているし、外はこの通りの寒さだし、何もない。朝は6時に起きて準備をする。服も取り替えない日が多いが、構うもんか。

 

月給がいくらになるか分からないが、200万ウォン(約20万円)くらいを見込んでいるという。ただ、契約を結ぶのが2か月後になると言われたのが業腹だ。友だちに聞いて、ほかにもっといい仕事が見つかったら移ってやる。そう言いながら突然スマートフォンを取り出して、話しかける。イエメンの家族ではなく、済州島で私も会っているハーメドだ。彼は今、釜山で働いているという。ラムズィーはおどけて私と肩を組み、私が画面に一緒に入るようにして「どうだ、いいだろ?」とハーメドに見せびらかす。

 

まったく、妻と離れて8か月だぜ、我慢できない。分かるだろ? セックスに飢えているということだろう。…お金を貯めたら韓国人と結婚するんだ。イエメンに戻る気はない。日本人でもいい。いや、お前でもいい。結婚しないか? ニヤつきながら私に聞く。「呆れるね、イエメンに奥さんと子どもがいるんでしょう?」…そんなこと構うもんか。

 

初めて会った時、ラムズィーは40歳だと言っていた。私はさらに歳上だが、いずれにせよ若いとは言えない。難民という困難な立場で、現在はほとんど無一文でもあるというのに、結婚という願望を口にする貪欲な生命力に半ば感心し、半ばあきれる。だが、そんな一方的な願望に付き合ってくれる相手と出会うことはできるのだろうか。韓国人でも日本人でも、結婚は難しいと思うよ、と言うと真顔で理由を聞いてくる。知っている韓国語の単語やフレーズを次々と口に出し、急速に韓国語を身に着けていることをアピールする。日本に行けば、日本語だってすぐに覚えられるさ。

 

この辺りがホテルに戻る潮時かなと考える。予想はしていたことだが、これ以上関わるのは難しい。働いている工場の名前が分かれば、契約の件を難民人権センターに相談することもできると伝えてみるが、そんなことはいい、ダメなら他の仕事を見つけるまでだと言う。地元のNGOよりもイエメン出身者同士のネットワークに頼る方が手っ取り早いということだろう。彼にまた会うことがあるのか、確信を持てないまま別れを告げてタクシーに乗り込む。

 

 

4.韓国の友人との対話から

 

もともとの保守層に加え、現在の韓国では韓国ではむしろ「リベラル」な層やフェミニストのなかで、イエメン難民の受け入れを懸念する声がある、という趣旨の記事をこれまでいくつか目にした。私自身がこれまで出会ってきたような、女性の生きづらさを振りほどくための考え方や姿勢と、中東出身のムスリム男性との関わりかたとの整合性をつけるのが難しいと感じる局面はある(むろん相手がムスリムでなくても、あるいは男性でなくても、そういうことはいくらでもある)。だが、難民の受け入れに関する議論は、まったく次元の違う話ではないだろうか。少なくとも受け入れへの「懸念」を口にする人々が、実際にムスリムたちとどれほど付き合い、どの程度彼らのことを知っているのかは、あてにならない。

 

この文脈をもっと深く知りたいと思い、5年ほど前から付き合いのある韓国の友人Bとの会話のなかで話題にしてみた。映像関係の仕事をする彼女は、韓国のフェミニスト雑誌にときおり寄稿しており、ちかぢか単行本の刊行を予定している。

 

それはおそらく、このところ韓国でフェミニズムがかつてない盛り上がりを迎え、「フェミニスト革命」の状況になっていることと大きく関わりがある、と彼女は言う。そのきっかけは2016年5月、江南(カンナム)駅付近のトイレで、23歳の女性が34歳の男にナイフで殺害された事件だ。男と被害者はまったく面識のない者同士だったが、男は女性たちが自分を見下していると日頃から感じており、その復讐をしたのだと供述した。

 

多くの女性たちが、この事件には韓国における女性嫌悪文化が象徴的に現れていると感じた。江南駅の10番出口には、彼女を悼むポストイットのメッセージが貼られ、女性であるというだけで殺害された被害者に思いをはせ、女性への暴力がやまない韓国社会への怒りが表明された。この事件をきっかけにフェミニズムに関心をもつようになったと表明する若い女性が大勢いるという。

 

他方でこの事件より少し間から、メガリア(Megalia)というコミュニティサイトが作られており、ネット上の女性嫌悪表現に対し、男性に向けて同様の表現を使って攻撃する活動が知られるようになっていた(現在は閉鎖)。江南の事件の影響でフェミニストになったと公言する女性の多くも韓国の男性とは結婚しないと表明し、男性への嫌悪に向かっている。一方、企業など男社会での通俗的な理解ではフェミニストとメガリアが同じ意味で理解され忌避されるようになっている。就職時の面接で「メガリア(フェミニスト)じゃないだろうね」といった質問がなされることもあり、Bいわく、「むかし共産主義者に向けられていた視線」が彼女たちに向けられるようになっているという。

 

40代のBは、若い世代のフェミニストたちを外側から見ている。Bが問題にするのは、彼女たちのなかにトランスジェンダーやゲイ、難民に対するヘイトをむき出しにする潮流が存在することだ。――こうした性的マイノリティはけっきょく男性性の強化に加担したり、男性性を背負っていたりするということなんでしょう。難民に関しては、ムスリムであれどうであれ、韓国以上に男性支配的な社会から来た人たちだと思われているから、彼女たちが歓迎するはずがない。

 

メガリアから分派したWOMADはとくにこの傾向が激しい。だが、彼女たちの組織するデモは、かつてないほどの参加者を集めている。モルカ(隠しカメラ)での盗撮ポルノ映像に抗議し、政府に対し捜査の徹底や法の整備を訴えているのだ。8月のデモでは、7万人を集めたそうだ。――ああ何と、12月のデモは11万人ですって。ネット検索をしながらBは小さく叫ぶ。

 

溜息をつきながらBは言う。イエメン難民受け入れに反対しているのは彼女たちだけでなく、プロテスタントや元からの排外的な右派もいる。でもこの若いフェミニストたちは、マイノリティへのヘイトを大衆化するのに大きな役割を果たしているということでは他のグループとは違う。普通の女性たちが、彼女たちの声を聞くのだから。 

 

〈多文化〉韓国。さまざまなエスニシティからなる移民社会と韓国社会というだけではなく、韓国社会の内側も文化的差異を先鋭化させ互いを遮断し合っている。よその社会から来たマイノリティにとって、少なくとも日本よりは韓国のほうが生きやすい社会だと思ってきたが、そんなに単純な話ではないことは認めざるを得ない。〈多文化〉を生きることは、排外主義、レイシズム、分断との絶え間ない闘争であり、ほんわかと共存の理想を語ることでない。…そうした闘争を生きる当事者であるBの物腰や口調だけは、ごく穏やかではあるのだが。

 

Bは続ける。かつて私たちの世代も、女性の問題が他の何よりも重要だと考えていた。でも次第に、ホームレスや障害者、プアワーカー、難民といったさまざまなマイノリティとの連帯が必要だと考えるようになった。今の彼女たちが、そのように変わっていくように見えないのは、そもそもヘイトを梃子に運動を進めているから。それに彼女たちはあちこちのマスコミで取り上げられていて、すでに大きなパワーをもっている。かつての私たちの運動がずっとマイナーなものだったのとは違う… 

 

今ではお互い関わりを薄くしてしまったが、Bと私は、韓国と日本でそれぞれパレスチナに関わる運動をとおして出会った。だから互いに向き合う二項間の関係というよりも、それぞれがパレスチナ/イスラエルという対象と向き合いながら、その向き合い方の参照項として存在していた。韓国の人々がなぜパレスチナに関心を持つのか、どのような支援活動をしているのかを知ることはひじょうに刺激的だった。Bたちも日本での運動に関して、ある程度はそう感じただろうとは思う。しかし間違いなくこちらのほうが多くを学ばせてもらったのは、民主化を経験した韓国社会では運動が普通の人々の生活に深く根づき、運動文化が成熟しているからだ。

 

そしてこのことが、互いの社会のなかに入ってくる移民や難民との関わりでも言える。外国人労働者が長年あちこちで産業を支えて来たにもかかわらず、受け入れの事実を否認し無策のままでいた日本に対し、韓国社会ははるかに豊かな経験を蓄積している。それがゆえに差別が可視化されやすく、ヘイトの叫びが堂々と声を高めている、ということになるだろう。その先行きはBが言うとおり決して楽観できるものではないにせよ、その過程で生まれるさまざまな対抗軸の可能性には大いに期待がもてる。

 

Bとの別れを惜しみ、一人になった帰りの地下鉄の中で、私はこれまでのBとの関係を反芻していた。いつも、教えてもらうことばかり多い。これは個人的な要因ばかりとは思えない。外からやって来る人々と日本社会との関係のあり方が、韓国や他の社会の人々にとって学ぶに値すると感じるものになることは、果たしてあるのだろうか。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

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