ケムニッツ、あるいはドイツ社会の和解のレジリエンスと「憂慮する」市民たち

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6.「憂慮する」市民たち

 

ケムニッツをはじめとする外国人に対する暴力事件は、けっして一部の過激な極右の人間やならず者たちによって引き起こされたのではない。その背後に外国人に敵意を持ち、暴力に参加はしないまでも、それを容認する大勢の市民たちがいる。すでに上述のロストックの事件の際も、外国人労働者の宿舎が燃え上がると喝采を送った住民がいたし、なかには自宅にあった予備のガソリンを火炎瓶を作るためにネオナチたちに提供した者もいた。

 

この事件を描いた映画に、アフガニスタン系ドイツ人のブルハン・クルバニ(Burhan Qurbani)監督の「われわれは若い。われわれは強い。(Wir sind jung. Wir sind stark.)」(2014年)がある。そのクライマックス・シーンは強烈である。燃える外国人宿舎を取りまいた群衆から、いっせいに「われわれこそが国民だ!(Wir sind das Volk)」の叫びが上がる。このスローガンこそ、そもそも1989年に旧東独の社会主義政権を打倒した民主化運動が掲げたものだった。

 

当時、人びとは共産党の独裁に反対し、自らの手に民主主義を取り戻そうと行動を起こした。その同じスローガンが、たった数年のあいだに、なんと立場と意味を変えてしまったことか。ここはわれわれドイツ人の国なのだ、外国人は出ていけ、という意味で使われている。このスローガンこそ、今や8月26日のケムニッツをはじめ、一連の事件でも叫ばれているのである。

 

ドイツに暮らす外国人が増えすぎており、その存在がドイツ人にとっての脅威になりつつあるという意見は、ドイツ社会のなかで少数ではない。それはもはや一定程度の支持を集めていると言わざるを得ない。このことを最初に知らしめたのは、ティロ・ザラツィンという政治的経済人が2010年に発表した『自壊するドイツ(Deutschland schafft sich ab)』という著作であった。

 

その内容は、外国人とくにイスラム教徒に対する人種的な差別意識と、ドイツの経済的文化的優越に対する危機感とを、妙に高踏的な文体で混ぜ合わせたもので、発表されるや大きな物議を醸した。以前なら間違いなく著者は政治的社会的に抹殺されたであろう内容であったが、ザラツィン本人はドイツ連銀理事の職こそ失ったものの、その主張は一方的な拒絶や排除にはあわなかったのである。

 

さらに、こうした意見が決して少数ではなく、大衆的基盤を獲得しつつあることを明らかにしたのは、「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」という組織の広がりであった。頭文字を取って「ペギーダ」と自称するこのグループは、ネオナチに近い勢力によって2014年にドレスデンで創設され、2015年には難民危機を背景に一時は毎週1万人を越す支持者が集会に参加するほどの勢いになった。彼らは政府の難民政策を批判し、外国人から郷土を守れと主張した。

 

相前後してドイツの各地でもペギーダと同様の組織がつくられた。その後2017年ごろになるとペギーダ運動の勢いはピークを過ぎ、結局ドレスデンをのぞけばさほど大きな勢力にはならなかったが、このような名称と主張を掲げる団体がドイツで堂々と活動し、しかも一定程度の支持を集めたのは、これが初めてであった。ドイツで容易ならざる事態が進行中であることがこれで明白になった。

 

ザラツィンほど理論武装しているわけではなく、またペギーダほど行動的ではないにしろ、難民であれ労働者であれ外国人に対して警戒的な人びとは一定程度いる。彼らは自らを「憂慮するbesorgt」市民たちと呼んでいる。

 

この言葉は、2018年の夏頃、ケムニッツの事件とちょうど相前後して盛んに取りあげられるようになった。その主張は、「われわれは外国人に反対しているわけではない、しかし・・・」というフォーマットに集約される。自分たちは人種主義者ではない、しかし今のところドイツには外国人が増えすぎている。このままではうまくいかない。ドイツで暮らすからには最低限われわれのやり方・流儀には従ってもらわねばならない、というわけである。

 

こうした「憂慮する」多くのひとびとが、数の上では少数である極右勢力によるあからさまな外国人排斥の活動を下支えし、その温床となっているのである。

 

ドイツの女性ジャーナリストのカロリン・エムケは、ヘイト犯罪に関する著書『憎しみに抗って』(2016年、邦訳みすず書房、2018年)のなかで、2015年夏のクラウスニッツの事件について詳細に分析している。彼女によれば、難民を乗せたバスが同地の収容センターに到着したとき、その行く手を阻んで「われわれこそが国民だ」と叫び、罵声を浴びせたり唾を吐きかける真似をしたのは、およそ100人ほどの住民たちだった。

 

しかし、エムケによれば、その場には、第2のグループとして大勢の傍観者たちがいた。誰ひとり騒ぎを止めようとせず、その場を立ち去りもしない。傍観者がいることによって、バスのなかにいる人たちに対峙する群衆はその分、数が増えたことになった。彼らの存在は、暴徒たちをさらに勢いづかせることになったとエムケは主張する。「彼らはただそこに立って、わめく者たちを注視する場を形成している。その注視をこそ、わめく者たちは必要とするのだ。自身を『国民』だと主張するために」(同訳書51頁、一部改変)。

 

エムケによれば、「憂慮する」市民たちは、自分たちは人種差別や極右と一線を画しているように見せかけているが、その仮面の下にあるのは「異質なものへの敵意」である(同訳書38頁)。この考えは、経済的好況の影で格差が広がりつつあることへの不満と結びつき、難民受け入れを進めるメルケル政権に対する批判へと、さらに大手マスコミが事実を伝えていないというメディア批判へとつながっていく。

 

ドイツ東部には、このようなメンタリティがドイツの他の地域よりも強固に根を下ろしつつある。2017年7-8月の世論調査では、「連邦共和国は外国人によって危険な度合いにまで過剰に外国化(überfremdet)されつつある」という見方に賛成の意見が、ザクセン州では回答の56%にのぼった。62%が「当地で暮らしているイスラム教徒はわれわれの価値を受け入れていない」と考えており、38%が「イスラム教徒の移民を禁止すべきだ」という意見である。

 

 

7.極右政党とネオナチの結合

 

今回のケムニッツの事件では、ドイツで急速に支持を広めつつある極右政党「ドイツのための選択肢」(AfD)が大きな存在感を見せた。

 

AfDはギリシアの債務問題に端を発する欧州債務危機と、それに対するメルケル政権の対応への反対から2013年に結成された。その後、現政権への不満だけでなく難民流入による外国人増加への不安が高まると、それらの声を吸収して急成長し、2014年には州議会で初の議席を獲得し、2016年にはドイツ東部諸州の州議会選挙で25%に達する票を集め、2017年にはついに連邦議会に進出して第3党となった。

 

その主張はポピュリズム、ナショナリズム、新自由主義のまぜこぜになったものであるが、現状に不満や不安を持つ人びと、そして「憂慮する」市民たちの政治的な受け皿として、もはや無視できない存在である。

 

ケムニッツの事件6日後の2018年9月1日、AfDは、亡くなったダニエル・Dのための「葬送行進」と称するデモを企画した。参加者は黒服に白いバラを飾って弔意を表すこととされた。この「葬送行進」デモはいくらも進まぬうちに、極右団体「ケムニッツのために」の企画したもうひとつのデモと合流した。一応は議会制民主主義を尊重し、憲法と法の枠内にとどまることを明言する国政政党である「ドイツのための選択肢」が、明らかに既存の社会秩序に反対し、それに挑戦する極右団体と肩を並べて進む。ドイツ連邦共和国の歴史のなかでも空前の光景が出現したのである。

 

この、参加者数合計7000人を超えた「葬送行進」を企画したのは、ザクセンの隣のテューリンゲン州のAfD代表を務めるビェルン・ヘッケ(Björn Höcke)であった。彼は、AfDの次世代のリーダーとなるべき人材と目されている。

 

隊列がなかなか前に進まず参加者が苛立つと、ヘッケは自らマイクを握りドイツ国歌斉唱の音頭を取って人びとを鎮めながら進んでいった。デモ隊のなかにはペギーダのメンバーの姿も見られた。それもペギーダ創設者のルッツ・バハマン(Lutz Bachmann)、その右腕のジークフリート・デープリッツ(Siegfried Däbritz)といった幹部たちである。彼らは「われわれこそが国民だ」、「抵抗しよう」、「ドイツ人のためのドイツ」、「嘘つきメディア」、「メルケル辞めろ」といったいつものスローガンを叫びつつ行進した。

 

AfDもペギーダも、その内部に極右的な主張に対し反対ないし消極的なグループを抱えており、極右勢力とは微妙な関係を保ち、あからさまに連携することはこれまでにはなかったのである。しかし、その制約は今や取り払われつつある。

 

 

8.ドイツ社会の和解のレジリエンス

 

現在のドイツでは、「憂慮」に覆い隠されたかたちで他者に対する憎しみが横行しており、それは「権利を奪われ、社会から取り残され、政治的対応からも置き去りにされる人間の集団が生まれる前触れ」ではないのか、とカロリン・エムケは問うている(同訳書40頁)。

 

あるいはそうなのかもしれない。予断は許されない。しかし、状況はそこまで危機的ではないと思わせる要素もまた存在している。

 

それは、ドイツ社会には、和解のレジリエンスとも言うべきバランス回復の機能があるからだ。レジリエンスとは、元来は物質が外的な力を受けた際に元に戻ろうとする力を意味し、転じて心理学用語として個人の内面がストレスに抗して回復する能力として用いられていたが、最近では社会の危機的状況や災害からの機能回復や復興をさして使われるようになっている。

 

1990年代前半以来くり返されてきた外国人に対する暴力事件は、たしかにドイツ社会のなかに大きな傷を開けた。しかし、その傷口をただちに閉じ、苦痛を癒やし、社会の統合を再構築する動きが、随所で即座に自発的に出現するのだ。

 

それは、事件の起こった現場で犠牲者に哀悼の意を表したり、さまざまな場所で事件に抗議し反対の意を表明する集会やデモが開かれたり、さらにマスメディアによる検証番組や討論番組の放映、政治家や影響力のある人びとのきっぱりとした意見表明や演説・声明にいたるまで、さまざまなレベルでさまざまな形式でおこなわれる。最近では、ツィッターからフェイスブック、ブログ、ユーチューバーのエントリーといった多種多様なネット上の言説がこれに加わっている。

 

その内容は、犠牲者の追悼と暴力への反対、極右勢力や人種差別への反対、そして外国人との共生と連帯といったもので、1993年、ドイツ西部メルンの事件で外国人の犠牲者が出た際に、ドイツのあちこちの町でロウソクを持ったひとびとがデモをおこなったときから、この和解のレジリエンスは続いている。

 

2015年の難民危機のときには、到着する難民たちを人びとが物資や衣類を持ち寄ってあたたかく迎え、寄り添おうとする自発的な動きがドイツ各地で見られたが、このいわゆる「歓迎文化」も、レジリエンスのひとつのあらわれと言えるだろう。

 

この和解のレジリエンスは、今回のケムニッツの事件においても発動された。先に述べた2018年の9月1日の7千人を集めた「葬送行進」に対しては、左派が「扇動の代わりに心を(Herz statt Hetze)」と名付けた対抗デモを企画し、そこには1500人(一説には3500人)が参加したとされる。

 

さらに9月3日、ケムニッツ在住のロックバンド・クラフトクルプ(Klaftklub)の呼びかけで、人種主義、外国人敵視、そして暴力に反対する無料のコンサートが開催された。ファイネ・ザーネ・フィッシュフイレやマルテリア&カスパーといったロックやポップの人気バンドや歌手が出演したこのコンサートには6万5千人が集まった。コンサートの最後の曲はトーテ・ホーゼンが歌った“You’ll never walk alone”で、悲しみを乗り越えて先に進もうと呼びかけるこの歌を、聴衆は熱狂的に迎えた。

 

外国人を追いかけ回す人間狩りをおこなった者はたしかにいるが、それはほんの少数のならず者たちである。大多数の者は暴力に反対し、外国人との共生を望んでおり、そしてそれを行動によって示そうとしている。「われわれの方が多数である(Wir sind mehr)」というのが、このコンサートのスローガンであった。このスローガンはツィッターのハッシュタグとして拡散され、さらにケムニッツ市民は同名のフェイスブックで宿泊先のない市外からの参加者およそ2000人に自宅を提供したという。

 

この動きはケムニッツにとどまらなかった。9月5日にハンブルク市でおこなわれたデモ「右翼に反対するハンブルクの声」には、「ナチと人種主義者に対抗しよう」というモットーのもと1万人を超える人が集まった。同時に開催されたAfD、ペギーダ、フーリガンや極右団体による「メルケル辞めろ」デモの参加者は、警察発表によるとわずか178人だった。

 

数日後の9月9日には、首都ベルリンのオリンピック公園で、恒例のロックコンサートが7万人の参加者を集めて開かれた。アメリカのシカゴで毎年おこなわれる同種の催しにちなんでローラパルーザ(Lollapalooza)と呼ばれるこのコンサートは、本来非政治的な音楽フェスティヴァルであったが、このときばかりは違っていた。

 

「われわれの方が多数だ」というスローガンがここでも用いられた。ケムニッツのコンサートにも出場したアーティストが登場し、コンサートは期せずして極右と暴力に反対するイベントになったのである。そのひとり人気ラップ歌手のカスパーは舞台で叫んだ。「人種主義に反対するために、ファシズムに反対するために、差別に反対するために、みんなの中指を上に向けてくれ!」。

 

 

9.レジリエンスの動揺?

 

ケムニッツの事件に対して、ドイツ社会はこのような和解のレジリエンスを機能させることで、傷口を閉ざし、危機を乗り切ったかに見える。ドイツ社会の統合とコンセンサスはいま一度守られ維持されたのだろうか。レジリエンスは、万能のものとして機能しているのだろうか。

 

残念ながら、現実はそう簡単ではない。ケムニッツの事件とその顛末には、ドイツ社会のレジリエンスが動揺し変化しつつある兆候を見て取ることが可能である。これは、とくに事件に対する政治家の発言に見て取ることができる。暴力が振るわれたことに対しては、断固たる拒絶の意思を示すものの、外国人への連帯や共生社会への賛成を示す力強い言葉はそこにはほとんど聴かれず、むしろ難民を厄介者扱いし、非難するような発言が目立った。

 

野党自由民主党の副党首で連邦議会副議長のヴォルフガング・クビッキは、ケムニッツ事件直後の8月29日に、騒動の原因はメルケル首相が「われわれにはそれができる」と述べて難民を受け入れてきたからだと指摘して物議を醸したが、とくに批判はされなかった。

 

連立与党の姉妹党であるキリスト教社会同盟を率いるホルスト・ゼーホーファー内相は、かねてから難民問題をめぐってメルケル首相と対立していたが、9月6日に同党の議員たちに向かって、ケムニッツの市民が殺害事件に激昂したことは理解できるとし、AfDの勢力伸長をふまえて、難民こそ「すべての問題の母」だと述べた。この発言に対しては批判もあったが、賛成する論者もあった。

 

ゼーホーファーは、この発言の一方で、いくら激情に駆られたとしても、暴力を呼びかけたり行使したり、扇動することは言語道断であるとはっきり言いきっている。暴力の行使について煮え切らない態度を取ったり、はっきりと否定しない場合、ドイツ社会では激しく批判にさらされた。憲法擁護庁長官だったハンス=ゲオルク・マーセンがその好例である。

 

マーセンは、早い段階で8月26日にケムニッツで「人間狩り」があったかどうかは不明であると公に発言し、証拠となるビデオに対しても、その真贋について疑問を呈していた。極右団体の取り締まりの最高責任者が、このような極右に同情的とも取れる発言をしたことの反響は大きく、以前から極右勢力に対する捜査指揮のやり方の是非を問われたり、非公式にAfDと接触したりするなど、何かと問題を起こす人物だったこともあり、野党のみならず連立与党である社会民主党もマーセンを厳しく批判し、辞任を要求する事態となった。

 

第4次メルケル政権はキリスト教民主同盟・社会同盟と社会民主党との連立政権として難産のすえに2018年2月に発足したのであったが、それからわずか半年にしてこの「史上最小の大連立政権」は早くも危機に瀕したのである。両党は協議の結果、与党はマーセンを内務次官に異動させることで事を収めようとしたが、マーセンの手にする退職金の額と内務次官の俸給が報道され、この人事が実質的に栄転であることが暴露されると、ふたたび批判の声が大きくなった。次官ではなく内務省の特別相談役への就任が取り沙汰されるなど迷走の末、結局マーセンは2018年11月に休職させられた。

 

このように、レジリエンスにより今一度固め直されたドイツ社会の合意事項は、あくまで極右と暴力に反対するという内容にとどまり、外国人市民の増加や難民の流入についての賛成までも意味するものではない。これは暴力反対と移民歓迎がセットになっていた以前からの大きな変化である。

 

2016年の時点では、違っていた。当時、ザクセン州で相次いだ外国人への暴力事件について、ハイコー・マース内相(当時)は、「施設が焼けるのに歓声を上げたり、難民を死ぬほど怖がらせたりするのは最低の行為であり、きわめて不愉快だ」と強い言葉で非難したのであった。わずか1年間で政治家の発言に見られる落差は明らかであろう。外国人や難民に対する厳しい視線は、いまやドイツ社会の共通理解になりつつあるといえる。ここでは「憂慮する」市民たちの意見が通った形になっているのである。

 

 

10.おわりに――レジリエンスと「憂慮する」市民たちの今後

 

2018年の夏、ドイツ社会を震撼させたケムニッツの事件は、あとに一体何を残したのであろうか。

 

レジリエンスが見事に機能したにもかかわらず、極右による暴力事件は、その後もなくなっていない。当のケムニッツにおいてさえそうである。2018年9月14日には、ケムニッツで「自警団(Bürgerwehr)」を名乗る集団による外国人襲撃事件があり、1名が逮捕された。10月1日には外国人へのテロを計画していたとされる「革命ケムニッツ(Revolution Chemnitz)」を名乗る団体が摘発され、メンバー8名が一斉逮捕されている。それでも極右勢力の蠢動はやまず、難民の襲撃が計画されている形跡があると憲法擁護庁は警告している。

 

AfDの躍進は、ケムニッツ事件のあとも止まっていない。ヘッセン州そしてバイエルン州と続いた2018年秋の2つの州議会選挙において同党は大勝を博し、それまでの無議席から両議会それぞれで20前後の議席を獲得して第4党になった。

 

政治的には、事件はマーセンの人事問題へと陳腐化され、それを煙幕として幕引きされてしまった観がある。その陰で、難民危機から「憂慮する」市民たちの増加、そしてAfDの止まらぬ躍進、という展開をたどるなか、長期政権を率いるメルケル首相の求心力の低下は明らかである。

 

2018年10月末、メルケルは与党キリスト教民主同盟の次期党首選に出馬しないことをあきらかにした。党首と首相の職を分け、後者は2021年の任期満了まで続けるというのである。このときドイツのマスコミでは、メルケルはそうは言っても早晩首相辞任を余儀なくされるのではないかという観測が主流であった。

 

しかし、この予想は外れた。2018年12月のキリスト教民主同盟党首選は、主として二人の候補によって戦われた。ひとりはメルケルのかつてのライヴァルで、2009年に権力抗争に敗れて党執行部から下野し、雌伏の時を過ごしていたフリードリヒ・メルツである。もうひとりはザールラント州の首相をつとめて脚光を浴び、メルケル自身が党幹事長に抜擢したアンネグレット・クランプ=カーレンバウアー(Annegret Kramp-Karrenbauer、名前が長いのでAKKと呼ばれる)であった。

 

選挙結果は、はたしてメルケルの後継者であるAKKの勝利に終わった。キリスト教民主同盟は、メルケル路線の継続を明確に選択したのである。これにより早期退陣の目はなくなり、メルケル政権はとりあえずは土俵際で踏みとどまることができた観がある。しかし、これが嵐の前の静けさではないと、誰が言えるだろうか。

 

「憂慮する」ことが当たり前になりつつあるドイツ社会では、外国人に対する大小の暴力事件は、残念ながら今後も完全にはなくならないだろう。ケムニッツのような感情的な暴発もまた予期されるところである。

 

しかし、そうした事件のあと、今後も和解のレジリエンスが発動されることもまた確実である。多くの人が自発的に立ち上がり、街頭に出て、あるいはネット上で暴力にノーを叫ぶだろう。多くの抗議声明が出され、評論家は口角泡を飛ばして論じ、政治家は美辞麗句をちりばめた名調子で事件を非難し、今後の再発防止を誓うだろう。

 

しかし、もしかすると、和解のレジリエンスは、ひとびとの善意と真心を借りて、外国人への暴力事件がひとたびあったとしても、その衝撃を緩和し、社会を何事もなかったかのように修復してしまう魔法の道具、一種の通過儀礼にすぎなくなっていくのかも知れない。そうなれば、やがてはAfDや極右さえ、何食わぬ顔でレジリエンスに参加していくようになるかも知れない。

 

とはいえ、このようなドイツ社会のレジリエンスのあり方は、何かの事件が起こるたびに、お茶の間の賞味期限が過ぎるまではさんざんにマスコミが取りあげ、プライヴァシーを無視した取材をおこない、面白おかしく報道し、話題を独占しておいて、その後何の反省もなく完全に忘れ去られる社会より、どれほどいいか知れない。それはドイツ市民社会の本領発揮であり、精華である。

 

(2019年3月21日加筆)

 

2019年3月18日、ドレスデンのザクセン州立裁判所で、ケムニッツ殺人事件の容疑者の裁判が始まった。これをきっかけに、昨年夏の事件はもう一度ドイツ世論の注目を浴びることになった。

 

裁判の行方は不透明である。この裁判にはいろいろ不備な点があり、事件の真相を究明するにはほど遠いのではないかという懸念が表明されている。殺人と殺人未遂、そして傷害の共同正犯として起訴されたのは結局アラー・Sのみであり、もうひとりの容疑者で、その後の捜査で主犯とされるにいたったファルハード・Aは国外に逃亡し、国際手配にもかかわらず現時点で訴追を免れている。凶器のナイフは1本しか見つかっておらず、そこからアラーの指紋やDNAは検出されなかった。またアラーがナイフで被害者を刺すところを見たという目撃者証言も疑問視されている。

 

もうひとつ、公判にむけて明るみに出た事実もある。このアラーはクルド系シリア人で、仲間内では「イヴァン」(クルド語で美男子の意)と呼ばれるほどハンサムな青年であり、勤め先の理髪店での評判も良かったという。さらに、事件の発端は、ファルハードが被害者ダニエル・Hからコカインを買おうとして口論になったことにあるとわかった。ファルハードはマリファナの所持販売で逮捕歴があり、事件当時麻薬を服用していたという証言もある。ダニエルが日頃コカインを常用していたことは遺体解剖で確認されている。あの夏の夜、街が祭りに浮かれる中、彼らはそれぞれ友人と会ったり食事をしたりしたあと、おそらく偶然に現場に行きあわせた。ファルハードとダニエルが知り合いだったかどうかはわかっていない。

 

こうして、事件発生当初流布していたような、犯人=難民=悪、被害者=ドイツ国籍取得者=善といった図式は修正を余儀なくされている。ただ確実なのは、亡くなったダニエルも、容疑者のファルハードもアラーも、そして一時容疑者として逮捕されその後釈放されたヨーシフも、さらに事件に関与または目撃者として警察の取り調べを受けた100名を超えるひとびとの多くも、ドイツ社会ではもはや珍しくもない外国出身の人であったことである。このケムニッツの事件は、どちらかが善でどちらかが悪と言うことはなく、彼らドイツで言うところの「移民の背景を持つ」普通の人びとの、日常の、そして悲劇に終わったひとつの物語だったのである。

 

しかし、今回のドイツのメディアの関心が殺人事件に集中し、その後ドイツ国内にあれだけ大きな騒ぎを引きおこした極右の暴力の問題にはほとんど触れていないのは、一体どうしたことだろうか。

 

ケムニッツの極右勢力は今も健在である。昨夏の騒動で悪名を轟かせたケムニッツのフーリガングループ「フーナラ」の創設者でネオナチの大物とされる人物が先頃死去したが、ケムニッツの地元サッカークラブは追悼セレモニーを試合前に大々的に執り行い、また裁判開始と同じ3月18日におこなわれた埋葬式には千人を超える人が集まった。ケムニッツで燃え上がった火は、まだ消えていない。

 

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