シリア「内戦」の見取り図

シリアをめぐる「30年戦争」の構図

 

これまで見てきたように、シリア「内戦」は「箱庭のなかの戦い」ではなく、今日の国際政治の力学によって駆動している紛争である。反体制勢力に対する軍事・資金援助が拡大の一途を辿る一方で、アサド政権に対してはイラン、ロシア、中国が支持の立場を貫いている。

 

一般的に事態の収束のためには国際的な取り組みが不可欠であると言われることも多いが、シリア「内戦」の深刻化は国際社会の対立を反映したものであるため、その対立が続く限り国際社会による解決は望むべくもない。2013年6月に北アイルランドで開かれたG8サミットにおける事態打開の試みも、反体制勢力を支持・支援する欧米諸国と、アサド政権と長年にわたる友好関係を築いてきたロシアおよび中国との間の意見の相違から不調に終わった。

 

シリアをめぐってなぜ国際社会は対立し続けるのであろうか。シリア国内の対立構図からズームアウトして考えてみよう。

 

シリアで起こった「アラブの春」が軍事化・国際化したのは、一言で言えば、シリアが今日の中東地域を舞台とした国際政治の覇権争いの要に位置するためである。その覇権争いとは、米国およびその同盟国による覇権拡大とそれに抵抗しようとする諸国が対峙する構図をとる。これを筆者は「30年戦争」と呼んでいる。

 

この「30年戦争」の構図は、今から約30年前、1970年代末から80年代初頭の時期に起こった一連の出来事により生まれた。1978年、エジプトはイスラエルとの単独和平に踏み切った(キャンプ・デーヴィッド合意)。一方で、1979年、イランはイラン・イスラーム革命を成就させ、それまでの親米・新イスラエル路線から反米・反イスラエル路線へと180度転換した。その結果、イスラエルとの戦争状態にあったシリアは、エジプトに代わる新たな同盟者として、革命イランへと接近していった。

 

つまり、エジプトを中心としたアラブ諸国がイスラエルに対峙する構図から、イランとシリアの戦略的同盟関係がイスラエルとその最大の支援国である米国の覇権拡大を阻止しようとする構図へと変わったのである。こうして生まれたシリアとイランの戦略的同盟関係は、イラン・イラク戦争(1980〜88年)とレバノン戦争(1982〜85年)のなかで、「敵の敵は味方」の論理に基づき強固なものとなっていった。

 

こうした中東地域の対立構図の変化は大国の外交戦略にも強く影響した。とりわけ、イスラエルと米国の覇権拡大を望まないソ連(後のロシア)や中国が、イランとともにシリアへの支援を強めることは道理であった。冷戦終結後もロシアはシリアを中東における戦略的資産として捉え続け、外交、経済、軍事などの様々な分野での協力関係を築いていった。

 

むろん、この30年の間には、冷戦の終結、1990年の湾岸戦争とそれに続く湾岸戦争、1993年のオスロ合意など、中東政治のパワーバランスを震撼させたものもある。そして、これらの事件は、基本的には中東における米国の覇権拡大を意味した。だが、「30年戦争」の構図は、2003年のイラク戦争に見られたようなアクターの盛衰や入れ替えを経験しながらも、基本的には大きく変化することはなかった。むしろ、米国の覇権拡大が進めば進むほど、ロシアや中国にとってシリアの戦略的重要性は高まったのだと見ることもできる。

 

要するに、仮にアサド政権が崩壊したとすれば、それはこの「30年戦争」の構図全体の崩壊を意味することになる。そのため、イラン、ロシア、中国はこの構図を維持するためにアサド政権への支援を続けているのである。レバノンのシーア派イスラーム主義組織「ヒズブッラー(ヒズボラ、「神の党」の意)」の戦闘員がシリア国内で反体制勢力との戦闘に従事しているが、それも彼らがイランの同盟者であることを踏まえれば当然の判断であるとも言えよう。

 

 

見えてこない幕引きのシナリオ

 

国連によると、2011年3月からのシリアの戦争死者は10万人を超え、国外に流出した難民は190万人以上、国内避難民は425万人以上に上るという(2013年8月現在)。また、アサド政権と反体制勢力の片方ないしは双方が化学兵器を使用したとも伝えられるなど、シリア国内での人道的危機の悪化が止まらない。

 

シリア「内戦」が、中東政治、さらには国際政治にまで広がる「30年戦争」の一部である事実に鑑みれば、その幕引きが容易ではないことは明らかである。この大きな構図を解体し、別の新たな仕組みを構築するためには巨大なリスクとコストを要する。そのため、アサド政権の打倒を目指す反体制勢力もそれを支援する諸国も、「アサド後」のシリアはおろか、「30年戦争」の後の中東や国際社会の青写真を描き切れていないのが実情である。

 

加えて、シリアにおけるサラフィー主義者の急速な勢力拡大が問題となっている。国際社会にとって、アル=カーイダに近い世界観を持つ過激なサラフィー主義者の伸張は安全保障上の脅威となる。米国国務省は、2012年12月、アル=カーイダの指導者アイマン・ザワーヒリーへの忠誠を誓う「シャームの民のヌスラ戦線」を「国際テロ組織」に指定した。だが、アサド政権と戦う反体制勢力に混在する彼らの手に資金や武器が渡るのを阻止することは困難であり、米国とその同盟国が仮にアサド政権の打倒に成功したとしても、その後の治安や民主主義の確立に大きな不安を残すことになる。

 

つまり、イランやロシアがアサド政権の崩壊、広くは「30年戦争」の構図の崩壊に抵抗する一方で、シリア「内戦」の主導権を握ってきたはずの米国とその同盟国も、将来への不確実性を抱えることで、「力押し」ができなくなっているのである。とりわけ、シリアの隣に位置するイスラエルは、長年の仇敵であるアサド政権への批判を強めながらも、中・長期的な展望を欠く拙速な軍事介入については慎重な立場を見せている。

 

いずれの陣営も決め手を欠くなか、2012年6月の段階で、米国とロシア、そして国連の主導によって、スイスのジュネーヴで事態の収束に向けた国際会議を開催することが一応合意されている。国際会議には、アサド政権と反体制勢力の双方、そして「内戦」に関与してきた諸国の参加が見込まれている。こうした試みは、様々なアクター間の対話を通して幕引きを目指すという意味で一定の評価はできる。だが、シリアにおいて停戦と和解に向けた挙国一致の「移行政府」を樹立することまでは合意がなされているものの、アサド大統領自身がこれに加わるべきかどうかで議論は紛糾しており、会議の開催時期が決まらないだけでなく、開催自体すらも危ぶまれている。依然として予断を許さない。

 

 

「21世紀最悪の人道危機」へ(※2013年8月27日加筆)

 

UNHCR特使を務める米女優アンジェリーナ・ジョリーが言ったように、シリア「内戦」は徐々に、そして着実に「21世紀最悪の人道的危機」へとなりつつある。重要なのは、「人道的危機」をもたらしているものが何なのか、それを見極めることである。

 

8月21日、反体制勢力は、アサド政権が「再び」化学兵器を使用したと発表し、多数の子供を含む1300人が死亡したと伝えた。このニュースによって世界の耳目は再びシリアへと集まったが、現段階では政権側は化学兵器の使用を完全否定し、また、実際にそれを裏付けるための客観的な証拠も欠如している。

 

活動中の国連の調査団の調査結果が待たれるが、それも化学兵器の使用の有無だけではなく使用者の特定が重要である。仮にアサド政権による使用が明らかになったとしても、米英が準備していると言われる巡航ミサイルによる軍事介入は、シリアにおける「人道的危機」の本質的な解決にも、「内戦」の収束にもつながらないだろう。それどころか、中・長期的な展望を欠いた拙速な判断は、事態をさらなる混乱に陥れる恐れがある。

 

アサド政権は、戦略的要衝である地方都市クサイルの奪還(6月5日)を契機に、反体制勢力に対する軍事的攻勢を強めてきている。その背景には、レバノンのヒズブッラーの加勢があると言われているが、内部抗争の激化による反体制勢力の弱体化も看過できない。

 

「海外組」の反体制派諸組織間の足並みの乱れは解消されるどころか悪化の一途を辿っている。シリア国内では、北東部のイラク国境付近で過激なサラフィー主義者が増加した結果、そこで暮らす「第3の勢力」クルド人たちとの衝突を招いている。戦火で家を追われたクルド人たちは、難民としてイラク北部のクルド人自治区へと流入している。その数は、8月末の数日間だけで3万人を超えたと伝えられている。シリア「内戦」の対立軸は、もはや「アサド政権対反体制勢力」だけではなくなってきているのである。

 

シリアにおける「人道的危機」への対応は、多重化・多層化する「内戦」の構図を見据えながら、その拡大を阻止する、ないしは荷担しないようなかたちで探っていくべきであろう。

 

(本稿は、「α-Synodos vol.128(2013/07/15) 『ひっそりと、時には大胆に』(https://synodos.jp/a-synodos)」に掲載された原稿を一部加筆・修正したものです。)

 

サムネイル「Destruction in Homs, Syria」Freedom House

http://www.flickr.com/photos/syriafreedom/7082196615/

 

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.275 

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