あそこにエイズの村がある 

HIV感染者が集められた村

 

カンボジアの首都プノンペン市、ボレイケーラ地区のスラム街を歩いていたときのことだった。街の人々が指差した先には、緑色の壁にかこまれた一画があった。小さな扉から中に入ってみると、そこには緑色のトタンで作られた長屋があり、ベニヤ板一枚で仕切られた部屋に、HIV感染者を抱える32家族が暮らしていた。彼らは自分の意思でここに移り住んできたのではない。元はこの地区にばらばらに住んでいた家族たちが、2007年、政府によってこの一角に集められたのだ。「夜9時になると、ここの扉を市の役人が閉めに来るんだよ」。村人がつぶやくように教えてくれた。住居の密集したこの地区の中で、この村の存在は少し異質に見えた。

 

近年開発が進み、首都プノンペンの地価上昇と共にスラム街の強制排除が相次いだ。ボレイケーラ地区は観光相の施設建設のため、住人との交渉が進められていた。近隣に建設された代替住宅への移住が進んでいたが、その住宅のキャパシティと住人の数が明らかに合わなかった。そこで排除されつつあったのが、HIV感染者を抱える家族たちだった。

 

 

雨季の日課は、朝の魚捕りから始まる

雨季の日課は、朝の魚捕りから始まる

 

家庭内における悲劇の連鎖

 

HIV(ヒト免疫不全ウイルス)とは、人の免疫細胞を破壊するウイルスのことだ。血液や精液から体の中に入り込みウイルスが活性化していくと、本来ならば自分の力で抑えられるはずの病原体などに感染するようになってしまう。このような中でも代表的な疾患を発症した時点で、「エイズ発症」と診断されるのだ。

 

1997年にその感染率は3%と東南アジアでもっとも高い数字となった。そこにHIVに対する知識の欠如なども重なり、感染した父親から母親へ、そして生まれてくる赤ちゃんへと、家庭の中でも悲劇の連鎖はつづいていった。現在は1%を下回っているものの、その猛威が収まったわけではない。

 

「ねえ!僕の写真も撮ってよ!」村を初めて訪れたときに、真っ先に駆け寄ってきた小さな少年がいた。12歳になるトーイは、6人兄弟の末っ子。”トーイ”とははクメール語で「小さい」という意味だ。その名の通り、7・8歳の子どもと変わらないほど、体は細く小さい。わがままで甘えん坊、けれどもいつもケラケラと笑っている村一番の元気印は、皆から愛され、目をかけられていた。ある朝村に行くと、トーイがいつになく浮かない顔をしている。その日はお母さんと街に出かける日。「お母さんとお出かけしたくないの?」と何度声をかけても、下を向いて着替えようとしない。

 

トーイのお父さんは売春宿でHIVに感染、お母さんはお父さんから感染。そして6人兄弟のうちトーイにだけ、母子感染があった。この日は月に1回、街の病院で検診を受ける日だったのだ。母親のシボルさん(37)は「きちんとした診断を受けていたら……」とただただうつむくばかりだった。シボルさんはトーイが体調を崩すまで、トーイの感染だけでなく自分自身の感染にも気が付かなかったのだと言う。

 

 

病院では殆ど口をきかず、静かに診察を受けるトーイ

病院では殆ど口をきかず、静かに診察を受けるトーイ

 

 

 

シノドスのコンテンツ

 

●ファンクラブ「SYNODOS SOCIAL」

⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/14015

 

●電子メールマガジン「αシノドス」

⇒ https://synodos.jp/a-synodos

 

●少人数制セミナー「シノドス・サークル」

⇒ https://synodos.jp/article/20937

 

 

 

 

1 2 3 4
シノドス国際社会動向研究所

vol.260 

・吉永明弘「都市に「原生自然」を残す――人新世の時代の環境倫理学」
・藤重博美「学び直しの5冊――「相対的な安全保障観」を鍛えるための読書術」
・赤木智弘「今月のポジだし――AIが支配する社会を待ち続けて」
・竹端寛「「実践の楽観主義」をもって、社会に風穴を開けていく」
・伊吹友秀「エンハンスメントの倫理」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(4)――東京財団退職後」
・加藤壮一郎「デンマーク社会住宅地区再開発におけるジェーン・ジェイコブス思想の展開」