「アッラーを立法者とする法(シャリーア)」からヨーロッパ近代法への問い――ジハードをめぐって

「最善のジハードとは暴君の前での真理の言葉である」

 

結局、築くべきは、文明としての総合的な力なのである。上の聖句が、現在のイスラーム教徒に求めているのは、恐怖や威嚇を生じさせるような無差別の武力の行使でもまたその備えではなく、畏敬に値する文明の確立だということになる。今なお激しい内戦が続くシリアのアレッポは、2005年にイスラーム諸国会議機構からイスラーム文化の首都に指定され、実際イスラーム文明がしっかりと息づいていたが、その街と社会を破滅に追いやる行為は、疎ましがられたとしても、誰も畏敬には及ばないし、畏敬に値する文明を自ら破壊する行為に他ならない。

 

そもそも聖戦の始まりは、ユダヤ教に見出すことができる。旧約聖書にある聖絶を伴う、皆殺しの戦争が彼らにとっての「聖戦」であった。「かれら(ヨシュアの軍勢)は、町(エリコ)にいるすべてのものを、男から女、若者から老人、また牛、羊、ろばに至るまで、剣の刃にかけて聖絶した」(ヨシュア記6:21)にある通り、全面的な殺戮を伴う征服が彼らにとっての聖戦なのである。

 

これに対して、徹底的な服従主義、無抵抗主義を貫いたイエス・キリストの教えにおいては、聖地奪還という形の聖戦はあったが、現実的には「正戦」、つまり、人間にとっての正しい戦争が主流だった。度重なる宗教戦争に対しても、現実の社会のルールには、基本的に関与しないのがキリストの教えであったとされる(カレン・アームストロング)。

 

一神教を進化の過程においた場合その最終的な形態を実現していると見ることのできるイスラームでは、したがって、ユダヤ教のような無差別の殺戮を排し、キリスト教のような徹底的な無抵抗主義は取らない。あるいはすべてを人間に委ねることも止め、むしろ、戦闘的ジハードは最小限にとどめ、信仰や価値観の異なる人々に対し、よい言葉とよい態度で、たとえ悪を行われたとしても善を以って報い、自らの信仰を伝え、共有しようとする不断の努力としてのジハードが、教えのレベルには用意されているのである。そこにあるのは、狂信的に自らを主張するのではなく、辛抱強く相手を聞き入れようとする姿勢なのである。

 

ところで、預言者ムハンマドは『最善のジハードとは暴君の前での真理の言葉である』(『アフマドのムスナド』10716番)あるいは『正義の言葉』であるとしている。たとえ国家やその長に振り回されなくとも、自分自身に振り回されている人は少なくない。暴君は、自分自身の中にいると思い当たるのであれば、ジハードは、もはやイスラーム教徒だけの問題ではない。暴君の言いなりになると、人は小さい自分や自分たちのために、聖絶さながらの殺戮を行いかねない。それを食い止める方法の一つが、シャリーアの中にあるとさえ言いうるのである。

 

 

「この世」と「あの世」、二つの世界での幸福を目指す。

 

最後に立法者としてのアッラーについて、触れておきたい。アッラーを少しだけ神学的に解説すれば、宇宙が始まるときには既に存在し、宇宙が終わるときにも存在し、すべての存在の外側にも内側にもいて、しかも一人ひとりにとっては頸動脈より近いところにいて、しかも実数的な世界も虚数的な世界も含めすべてを包み込み、貫き通している存在ということになる。

 

アッラーは、主であり、王であり、神である(人々章)。つまり、この世とあの世という二つの世界を創りだし、すべてを御存知で、すべてを支配し、人間に数々の恩恵と救いを与えて下さる。この世に神も仏もあるものかと思う人であっても持っているはずの良心を与えて下さり、災難に見舞われた人間の助けの叫びを細大漏らさず聞き取ってくれる存在がいるとするならば、それがアッラーである。

 

別の言い方をすれば、自分の親を選んで生まれてくる者も、自分の天寿がいつ全うされるのか知る者もいない状況において、それをもしも知っている存在があると思え至ったならば、それがアッラーである。それだけには逆らえない、あるいは、従わざるを得ない命令を行う存在。イスラーム教徒になるためには、「アッラー以外に神はない。ムハンマドはアッラーの御使いである」ことの証言を行うが、それは「そういった逆らうことの出来ない存在の命令以外には、何の、あるいは誰の言いなりにもならない」の意味であり、その点では、誰にでも開かれている教えであるということができる。

 

また、その存在は、この世では見ることができない。しかし、彼は、すべてを知っていて、すべてを見ていて、すべてを聞いていて、しかも語る。森羅万象は、アッラーの存在の徴に、そして奇跡に溢れている。イスラーム法の不易不動の法源をなす聖典クルアーンは、そのアッラーの言葉である。

 

しかしながら、クルアーンに個別具体的な規定が記されているケースはむしろ少ない。したがって、クルアーンと並び、より具体的な記述が目立つ預言者ムハンマドの言行もまた、不易不動の法源としての位置を占める。ただし、この二つをもってしても、具体的なルールが見つからないことも少なくなく、そこからは、人間の側からで法発見が行われる。この法発見の努力をイジュティハードと言い、合議、類推などの方法で事例に対して最適な法発見が行われるという枠組みをシャリーアは用意している。

 

そこには、啓示だけに頼るのでも、また理性だけにも頼るのでもなく、両者の均衡が保たれつつ行われる法発見の場が用意されていることになる。

 

理性が行うことのできないのが、究極の正義の実現である。理性は、最後の審判の主宰者になれないばかりか、逆に裁かれる側に回るからである。その審判の日、アッラーは、たとえどんなに小さな善行も、あるいは悪行も決して見逃すことなく、各人に各人のものをお与えくださる。この世で報われたいと思う者は、力づくでも他人のものを奪いに行く。あの世を信じ、審判を恐れ、来世での報いを待つ者は、この世では他人に譲ることも与えることもできる。アッラーの御満悦、来世での楽園に近づく第1歩である。「この世でもよく、あの世でもよい」が、イスラーム法の目指すところ。それは、正直者が馬鹿を見る道徳と法が分離している規範の下では決して実現しない。

 

西暦7世紀の初め、アラビヤ半島にイスラームの教えが下って以来、実に多くの支配者がそして国家が、あるいは、社会がそして文明が生まれては消え、消えては生まれた。それにもかかわらず、そして、程度の差があることはやむを得ないとしても、守られ続けているのが、シャリーアである。いま世界中を席巻しているヨーロッパ近代法、あるいはその派生的な法体系は、人間理性解放の法であると同時に私利私欲を原動力とする法でもある。私利私欲に偏った法の弊害がそこここで観察されるのが現代という時代であるとするならば、イスラームが果たすべき役割は、きわめて先進的で、信者たちだけのためにとどまらない。

 

国家が与えてくれる権利や義務ではなく、アッラーの与えてくれた義務や禁止をもとにこの世だけでなく、あの世においても幸福を実現しようとする法を生き、また生きようとする人々との関係が、日本においても今後ますます広がっていくことであろう。彼らとの間で、あるいは近隣の諸国との間で、どのようなジハードが可能なのであろうか。それもまた宗教アレルギーを乗り越え、人間の側からシャリーアに尋ねてみるべき事柄である。

 

サムネイル「Holy Mosque of Makkah」Ahmad Halawany

https://www.flickr.com/photos/halawany/8232297145

 

 

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奥田敦(おくだ・あつし)

イスラーム法

1960年神奈川県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授、法学博士。1984年中央大学法学部卒業。1990年中央大学大学院法学研究科博士課 程後期課程規定年限経過後退学。シリア国立アレッポ大学アラブ伝統科学研究所客員研究員(93~99年)、同大学学術交流日本センター主幹(95年~99 年)、慶應義塾大学総合政策学部助教授(99年~05年)を経て2005年4月より現職。慶應義塾SFC研究所イスラーム研究ラボ代表。専門はイスラーム法およびその関連領域。イスラームの教えを軸にした人間・社会・宗教・法にかかわる総合的研究のほか、アラビヤ語教育、ガバナンス論にも力を注ぐ。同時にアラブ・イスラーム圏との実践的な相互理解を目指すフィールド・ワーク・学術交流・研究拠点の構築とそのネットワーク化も積極的に展開。2015年度から2年間の予定で、神奈川県大学発政策提言制度により、「ムスリム接遇人材育成プログラム事業」(「ムスリム接遇人材育成プロ グラムの開発と実施:共生的モデルの構築とともに」という提案をもとに)取り組む。さらに、空港総合研究所とともに、世界中を平和で結ぶ「アッサラーム・アクション」(http://assalam-jp.com/)も展開中である。(撮影:戸田圭祐氏)

 

 

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