メキシコ麻薬マフィアの世界――『メキシコ麻薬戦争』を読む

ナルココリード

 

さっそく、彼の逮捕の話がコリードという歌になっています。コリードは、ノルテーニョと呼ばれるリズムにのせて歌われる物語り歌で、メキシコ北部で人気のある民謡です。もとは新聞やテレビがない時代に、読み書きが出来ない人たちのために、吟遊詩人が歴史や事件などを歌って町から町に歩いたのが起源です。

 

民謡というと年寄りが好きなイメージですが、いまのノルテーニョは踊れる音楽です。若い人たちも大好きで歌ったり作曲したりパーティで踊ったりと、非常に浸透しています。今では、新聞やテレビがありますが、歴史を伝えるというコリードの伝統にのっとって、社会の裏側のヒーローを称えるような分野が登場しているのです。

 

スペイン語で麻薬密輸のことをnarcotráfico、麻薬密輸人を narcotraficanteといいますが、この「ナルコ」を頭に付けたさまざまな成語が作られています。麻薬密輸人を歌った物語り歌は「ナルココリード」と呼ばれ、ひとつの歌のジャンルにもなっています。

 

 

“La captura del Chapo (チャポの逮捕)”

(La Pantera del Corrido, Gonzalo Peña)

 

 

チャポ・グスマンが逮捕されたその日から、この出来事を歌った歌がいくつも作られました。マフィアが取引に成功してお金が出来ると、自分の成功を歌ったナルココリードを金を払って歌にさせることもありますが、チャポ・グスマンくらいの大物になると、頼まなくても多くの人が作ってくれるのです。

 

 

チャポ・グスマンの生い立ち

 

ではここで、チャポ・グスマンという人物の生い立ちをたどってみましょう。グスマンは、メキシコの伝統的な麻薬マフィアの典型ともいえる人物です。

 

チャポ・グスマンは、シナロアのケシ栽培が盛んな農村の生まれです。貧しい家で、6人兄弟の中の一番上でした。小学校を3年生までしか行っていなかったようです。父親はマリワナやケシの栽培をして現金を手にしていましたが、それを酒に使ってしまい、妻や子供に暴力をふるうといった家庭でした。

 

成長したチャポ・グスマンは、父親と同じように麻薬の栽培をしていました。親戚に、後のメキシコ最大の麻薬王となるミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルドがいて、彼の麻薬密輸の仕事を手伝うようになりました。ちなみにフェッリクス・ガジャルドは当初警察官だったのですが、麻薬マフィアには警察官出身者がとても多い。そのことも警察と麻薬マフィアの関係を示唆するものといえます。

 

チャポ・グスマンは、フェリックス・ガジャルドのもとでだんだんと頭角を現していきます。若い時にはお祭り好きでカっとなりやすい性格だったようですが、年を重ねていくうちに思索的で無口な人間になったそうです。細かいところに気がつき、人を引き付けるカリスマ的な魅力があるといわれています。

 

このように貧しい生まれでありながら、世界の大富豪ランキングに名を連ねるまでに成り上がったチャポ・グスマンに対して、とくに地元では英雄視する向きもあります。チャポ・グスマンが逮捕された時、シナロア州では州都のクリアカンをはじめ、いくつかの街でチャポの解放を求めるデモが行われました。確かに、組織の人間が金を出して人を集めた、ヤラセという面もありますが、「国は我々に仕事をくれないけれど、チャポは仕事をくれた」と言う人も多くいることは事実です。

 

私自身もクリアカン市に旅行した際、タクシーの運転手さんが「地元としては、あまり麻薬マフィアが逮捕されると困るんだ。仕事が減ってしまうから」と話すのを聞きました。実際に、失業しているような若い男の子たちも、マリワナの収穫期になるといいアルバイトが出来、麻薬関連の活動が地元の経済を支えている現実があります。

 

 

テンプル騎士団

 

今年3月に入ってから、「テンプル騎士団」カルテルの創始者のひとり、ナサリオ・モレノと、同じ組織のナンバー2、エンリケ・プランカルテという人物も、当局との銃撃戦の末、殺害されました。

 

テンプル騎士団は太平洋側のミチョアカン州を本拠地とする麻薬組織です。ヨーロッパ中世の宗教騎士団の名前から付けられています。実は、麻薬組織でもありながら、キリスト系の新興宗教集団でもあるんです。ナサリオ・モレノが不法移民としてアメリカ合衆国にいた時、信仰に目覚め、帰国後自ら宗教集団を起こしてその指導者になりました。自分で聖書のようなものを書いて、組織のメンバーに読ませています。

 

テンプル騎士団は、「熱い土地」と呼ばれる、ミチョアカン州の中でもとくに貧しい農村地帯に、麻薬やアルコール依存の若者のためのリハビリセンターをつくりました。そしてその若者たちを指導し、麻薬やアルコール依存から抜けさせます。このリハビリセンターがカルテルの母体となり、若者たちはテンプル騎士団の殺し屋として育成されていきます。

 

この組織では、メンバーに対しては、麻薬の使用や一般市民への攻撃を禁止しています。家族を大切にしろ、正しい市民として振る舞えと、教育しているのです。家族としては、自分の息子や夫が依存症を治してもらい、しかも優しくなってくれたら、当然、テンプル騎士団に感謝するわけです。

 

ナサリオ・モレノの書いた「聖書」の中には、こんな一節があります。「2ペソの奴隷となるよりも、1ペソの持ち主となる方がいい。みじめに膝まずくよりも、正面から戦って死ぬ方がよい。死んだライオンになるよりも、生きた犬となる方がよい」。

 

このような貧者のための解放思想が、信者の精神的な支えとなっていることは否めません。

 

 

 

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