2014.06.03

メキシコ麻薬マフィアの世界――『メキシコ麻薬戦争』を読む

山本昭代+太田昌国

国際 #synodos#シノドス#メキシコ麻薬戦争#ホアキン・グスマン#チャポ・グスマン

今、メキシコで何が起きているのか。メキシコ麻薬戦争の内実を綿密に取材したルポルタージュ『メキシコ麻薬戦争――アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』(ヨアン・グリロ著)が今年の2月に刊行された。今回は訳者の山本昭代氏が、メキシコマフィアの世界をレクチャーする。(構成/山本菜々子)

地獄の沙汰も金次第

太田 今日は『メキシコ麻薬戦争: アメリカ大陸を引き裂く「犯罪者」たちの叛乱』の出版記念イベントということで、翻訳をされた山本昭代さんをお招きしました。メキシコで行われている麻薬カルテル(組織)間での対立、または麻薬密売を取締るメキシコ当局との抗争で、毎年1万人以上もの人々が命を失っていますが、日本での報道は非常に少ないといえます。今日は、色々とお話していただければと思っています。よろしくお願いいたします。

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(写真:左から山本氏・太田氏)

山本 『メキシコ麻薬戦争』を翻訳した山本昭代です。「メキシコ麻薬戦争」とネットで検索すると、とんでもない凄惨な画像が出てきて驚かれた方もいるかと思います。しかし、これがメキシコの実情なんです。「麻薬はいけない」とメキシコの多くの国民は考えていますが、「密輸は必要悪だ」と言う人々もおり、解決が難しいのが現状です。

さて、今年の2月にホアキン・グスマンという、シナロア・カルテルの大幹部であり、世界最大級の麻薬マフィアが逮捕されました。まずは、彼の逮捕と人物像を導入にして、麻薬マフィアとはどのようなものなのかご紹介したいと思います。

ホアキン・グスマン・ロレアは、チャポ(チビ)・グスマンの呼び名で知られた大マフィアです。彼は2月22日に、メキシコ北西のシナロア州で逮捕されました。

これほどの大物になってくると、逮捕は非常に難しい。見張りが何重にも立ち、自宅には脱出用のトンネルがあったりして、それまでなかなか捕まえられなかったのです。彼がメキシコ・シナロア州のリゾート地、マサトランのコンドミニアムに家族と滞在しているときに、メキシコ海軍と連邦警察の合同部隊が突入し、流血の事態なく身柄を確保しました。

なぜ、逮捕に海軍が必要だったのでしょうか。陸軍や地元の警察はなぜ参加していないのでしょうか。じつはメキシコ陸軍は信頼性が低く、作戦に入れると情報が漏れてしまう可能性がある。実際、陸軍にはエリート特殊部隊があるのですが、1990年代後半、そこから大量に除隊して、麻薬組織の側に寝返ったということがありました。

また、シナロア州の警察も排除されていました。シナロア州はチャポ・グスマンの本拠地ですので、州警察は麻薬組織の下部組織のようなものです。警察官が国のためではなく、麻薬組織のために働いている状況にある。ですので、シナロア州知事も逮捕があったのが寝耳に水だったようです。

逮捕はされましたが、国民の中には、それは本物なのか、また脱獄するのではと疑う人が多くいるようです。というのも、チャポ・グスマンは1993年に一度逮捕されているのですが、2001年に脱獄しています。刑務所から脱走するなど、日本では考えにくいですが、中南米では珍しくない話です。チャポが脱獄した理由は、アメリカに身柄が引き渡されそうになったからだとされています。

2001年に脱獄した際には、表向きには洗濯物を運ぶカートの中に隠れて出たことになっています。『メキシコ麻薬戦争』著者のヨアン・グリロも本書でこの説をとっています。しかし、実際は刑務所長をはじめ当局が承知していて、当局者に付き添われて正門から出たといわれています。

彼は刑務所暮らしとはいえ、ほとんど不自由していませんでした。看守のほとんどを買収して、特別扱いを受けていました。塀の中にいながら、パーティをしたり、恋人を複数持ったり、薬物やバイアグラを持ち込んだり。地獄の沙汰も金次第といったところでしょう。

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ナルココリード

さっそく、彼の逮捕の話がコリードという歌になっています。コリードは、ノルテーニョと呼ばれるリズムにのせて歌われる物語り歌で、メキシコ北部で人気のある民謡です。もとは新聞やテレビがない時代に、読み書きが出来ない人たちのために、吟遊詩人が歴史や事件などを歌って町から町に歩いたのが起源です。

民謡というと年寄りが好きなイメージですが、いまのノルテーニョは踊れる音楽です。若い人たちも大好きで歌ったり作曲したりパーティで踊ったりと、非常に浸透しています。今では、新聞やテレビがありますが、歴史を伝えるというコリードの伝統にのっとって、社会の裏側のヒーローを称えるような分野が登場しているのです。

スペイン語で麻薬密輸のことをnarcotráfico、麻薬密輸人を narcotraficanteといいますが、この「ナルコ」を頭に付けたさまざまな成語が作られています。麻薬密輸人を歌った物語り歌は「ナルココリード」と呼ばれ、ひとつの歌のジャンルにもなっています。

“La captura del Chapo (チャポの逮捕)”

(La Pantera del Corrido, Gonzalo Peña)

チャポ・グスマンが逮捕されたその日から、この出来事を歌った歌がいくつも作られました。マフィアが取引に成功してお金が出来ると、自分の成功を歌ったナルココリードを金を払って歌にさせることもありますが、チャポ・グスマンくらいの大物になると、頼まなくても多くの人が作ってくれるのです。

チャポ・グスマンの生い立ち

ではここで、チャポ・グスマンという人物の生い立ちをたどってみましょう。グスマンは、メキシコの伝統的な麻薬マフィアの典型ともいえる人物です。

チャポ・グスマンは、シナロアのケシ栽培が盛んな農村の生まれです。貧しい家で、6人兄弟の中の一番上でした。小学校を3年生までしか行っていなかったようです。父親はマリワナやケシの栽培をして現金を手にしていましたが、それを酒に使ってしまい、妻や子供に暴力をふるうといった家庭でした。

成長したチャポ・グスマンは、父親と同じように麻薬の栽培をしていました。親戚に、後のメキシコ最大の麻薬王となるミゲル・アンヘル・フェリックス・ガジャルドがいて、彼の麻薬密輸の仕事を手伝うようになりました。ちなみにフェッリクス・ガジャルドは当初警察官だったのですが、麻薬マフィアには警察官出身者がとても多い。そのことも警察と麻薬マフィアの関係を示唆するものといえます。

チャポ・グスマンは、フェリックス・ガジャルドのもとでだんだんと頭角を現していきます。若い時にはお祭り好きでカっとなりやすい性格だったようですが、年を重ねていくうちに思索的で無口な人間になったそうです。細かいところに気がつき、人を引き付けるカリスマ的な魅力があるといわれています。

このように貧しい生まれでありながら、世界の大富豪ランキングに名を連ねるまでに成り上がったチャポ・グスマンに対して、とくに地元では英雄視する向きもあります。チャポ・グスマンが逮捕された時、シナロア州では州都のクリアカンをはじめ、いくつかの街でチャポの解放を求めるデモが行われました。確かに、組織の人間が金を出して人を集めた、ヤラセという面もありますが、「国は我々に仕事をくれないけれど、チャポは仕事をくれた」と言う人も多くいることは事実です。

私自身もクリアカン市に旅行した際、タクシーの運転手さんが「地元としては、あまり麻薬マフィアが逮捕されると困るんだ。仕事が減ってしまうから」と話すのを聞きました。実際に、失業しているような若い男の子たちも、マリワナの収穫期になるといいアルバイトが出来、麻薬関連の活動が地元の経済を支えている現実があります。

テンプル騎士団

今年3月に入ってから、「テンプル騎士団」カルテルの創始者のひとり、ナサリオ・モレノと、同じ組織のナンバー2、エンリケ・プランカルテという人物も、当局との銃撃戦の末、殺害されました。

テンプル騎士団は太平洋側のミチョアカン州を本拠地とする麻薬組織です。ヨーロッパ中世の宗教騎士団の名前から付けられています。実は、麻薬組織でもありながら、キリスト系の新興宗教集団でもあるんです。ナサリオ・モレノが不法移民としてアメリカ合衆国にいた時、信仰に目覚め、帰国後自ら宗教集団を起こしてその指導者になりました。自分で聖書のようなものを書いて、組織のメンバーに読ませています。

テンプル騎士団は、「熱い土地」と呼ばれる、ミチョアカン州の中でもとくに貧しい農村地帯に、麻薬やアルコール依存の若者のためのリハビリセンターをつくりました。そしてその若者たちを指導し、麻薬やアルコール依存から抜けさせます。このリハビリセンターがカルテルの母体となり、若者たちはテンプル騎士団の殺し屋として育成されていきます。

この組織では、メンバーに対しては、麻薬の使用や一般市民への攻撃を禁止しています。家族を大切にしろ、正しい市民として振る舞えと、教育しているのです。家族としては、自分の息子や夫が依存症を治してもらい、しかも優しくなってくれたら、当然、テンプル騎士団に感謝するわけです。

ナサリオ・モレノの書いた「聖書」の中には、こんな一節があります。「2ペソの奴隷となるよりも、1ペソの持ち主となる方がいい。みじめに膝まずくよりも、正面から戦って死ぬ方がよい。死んだライオンになるよりも、生きた犬となる方がよい」。

このような貧者のための解放思想が、信者の精神的な支えとなっていることは否めません。

メキシコ麻薬戦争とは

ここまで、麻薬マフィアの人物象と、逮捕劇などを見てきました。ここからは、麻薬戦争について整理していきたいと思います。

2006年12月、カルテロン前大統領が就任し、麻薬密輸組織の殲滅を宣言して、麻薬戦争が始まったと言われています。麻薬カルテルの大物ボスを次々に逮捕、もしくは銃撃戦で殺害しましたが、逆に麻薬密輸組織に関連した凶悪事件が急増してしまったのです。

犠牲となった人数ははっきりしません。一般にマスコミでは、カルデロン政権下(2007~2012年)の6年間に麻薬戦争に関連した犠牲者数は7万人といわれていますが、12万以上という数字も出ています。さらに行方不明者は2万6000人に上るといわれています。

まさに低強度戦争といっていい状況で、銃撃戦などでは数十人単位で死者が出、秘密墓地に何十人、ときに何百人も埋められているのが見つかったりもしています。事件の犠牲者は、犯罪組織のメンバーだけではなく、警察や政治家、裁判の証人、巻き込まれてしまった一般市民など様々です。

では、なぜ、どのようにメキシコで麻薬密輸が拡大していったのでしょうか。密輸は昔からあったわけですが、メキシコの密輸の歴史をさかのぼると、まず、1920年代のアメリカの禁酒法の時代があります。この時代にアルコールがさかんに北に運ばれます。1930年代に禁酒法がなくなると、ヘロインやマリワナが運ばれますが、60年代のベトナム戦争とヒッピー・ムーブメントの時代にはマリワナが大流行します。アメリカでの需要に応えて、メキシコでマリワナ栽培が盛んになっていきます。

70年代になると、南米産のコカインが主流になりますが、当時はコロンビアマフィアが、カリブ海経由でマイアミなどに送り込んでいました。しかし、80年代にレーガン大統領がこのフロリダ・ルートを壊滅させたことで、コロンビアマフィアはメキシコ人と手を組み、米墨国境を経由してコカインが運ばれるようになりました。

1994年に北米自由貿易協定が結ばれます。これによって、メキシコとアメリカの間で物資や人の行き来が飛躍的に拡大します。国境でチェックしきれない荷物にまぎれ、麻薬密輸も活発になっていったのです。

2001年になるとアフガニスタン戦争が起こります。アフガニスタンはアヘンとそれを精製したヘロインの世界的な生産国だったため、ヘロイン生産が縮小しました。これによってメキシコのアヘン、つまりケシの栽培が拡大することになります。これで、とくにシナロア・カルテルが大きな利益を得ました。

また2000年代に入ってから、合成麻薬(覚せい剤)がアメリカで流行します。ちなみに、麻薬の流行は当局による取り締まりとは関係なく、単なる流行りなんですね。需要が伸びればそれに合わせて供給が行われる。メキシコはアメリカという大消費地に近く、柔軟に対応できたので、麻薬産業はさらに活発になっていきます。

このような背景の中で、麻薬密輸組織はどんどん力をつけていきました。麻薬カルテルは麻薬の密輸だけではなく、誘拐や恐喝、みかじめ料の取り立てなど、様々に犯罪を多角化させていきます。さらには、軍隊並みに重装備するようになり、国家に武力で立ち向かえるまでになっている。メキシコでは、組織犯罪に関連する犯罪は、5%ほどしか解決されないといわれます。

加えて、麻薬カルテルは、密輸のような違法な活動だけではなく、合法的な経済活動にも浸透しているのです。日本でいう「ブラック企業」のように劣悪な条件で労働者を働かせ、違法に採掘した鉄鉱石を合法に見せかけて国外に輸出したり、合法的な企業活動を隠れ蓑にしてマネーロンダリングを行ったりしています。

マリワナをスターバックスのように?

麻薬の生産や密輸が「地場産業」として根付いているメキシコ北西部では、ナルコは文化の担い手でもあります。先に紹介した「ナルココリード」だけでなく、「ブチョン」とよばれる独自のファッションもあります。またメキシコではマフィアが主人公のB級ビデオ映画が数多くつくられ、また麻薬組織による暴力を取り上げた映画がカンヌ映画祭で受賞したりもしています。

宗教にも関わっています。先に述べたテンプル騎士団のほか、シナロア州クリアカンには、ヘスス・マルベルデという麻薬マフィアの間で人気の民間信仰の聖人もいます。彼はメキシコ革命時代のねずみ小僧のような義賊で、知事に睨まれ処刑されたといわれています。処刑された後も埋葬することを禁じられ、遺体はつりさげられたままだったそうです。それを拝んだ人に奇跡が起こったと。

それ以来、庶民の守り神として信仰を集めるようになりました。クリアカンは麻薬マフィアを多く生み出しているので、マフィアの人たちが願い事をしに来るするようになり、いつしかナルコの神様と呼ばれるようになったのだといわれます。

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(マルベルデ像)

サンタムエルテというメキシコの死神も注目を集めています。昔からひそかに信仰する人がいましたが、ここ10年の間でメキシコを中心に非常に人気が高まっています。女神なので、カラフルなドレスやかつらなどを身につけています。

なぜいま、メキシコで死神が信仰されるのか。死神信仰は、先スペイン期からの信仰にさかのぼるという説もあります。諸説ありますが、死を身近に感じる人が多くなったことが関連していると私には思えます。表の世界の、規範的なカトリックの神様には守ってもらえないと感じる、よりどころのない人々が、裏の世界の守護神に信仰を見出しているのかもしれません。

(写真:サンタムエルテ)
(写真:サンタムエルテ)

ナルコ・カルチャーでさらに興味深いのが、麻薬カルテルの人達が永眠しているナルコ墓地です。クリアカン市郊外のウマヤ庭園墓地には、大理石造りの礼拝堂付きの巨大な墓が、豪華さを競い合うように建ち並んでいます。

ここに眠るのは、大物マフィアから中小のその道の人たちまで、大部分がその関係の人たちです。ビニール製の故人の写真入りポスターを飾った墓地も多い。大部分が働き盛りの男性の墓です。いかに残された家族が多いか想像できると思います。

(写真:ナルコ墓地)
(写真:ナルコ墓地)
(写真:ナルコ墓地)
(写真:ナルコ墓地)

麻薬戦争の最大の犠牲者は子どもたちです。麻薬関連の抗争に親が巻き込まれ、親を亡くした子どもたちがたくさんいます。これらの犠牲者には平均して3人の子どもがいると言われています。なかには親が殺害される現場に居合わせてしまった子もいます。しかし、心理的なカウンセリングや生活の援助もありません。子ども自身が犯罪組織にリクルートされて、殺し屋になることもあります。

そういった暴力の連鎖をなくしていくには何ができるのでしょうか。まずは警察などの構造的な改革をするべきですが、なかなか難しい。メキシコは路上の物売りをはじめインフォーマルセクターで働く人々の割合が高く、経済の重要な柱になっている。それを見逃す立場にある警察や公務員には賄賂が入り込みやすいのです。

最近注目を浴びているのが、麻薬の合法化論争です。実際に流通しているのであれば、むしろ合法化した方がいいという議論が出ています。

アメリカでも2012年にコロラドとワシントンの二つの州でマリワナの販売・使用が合法化されています。去年の12月にはウルグアイで、世界で初めて、マリワナの使用だけでなく栽培から販売までが合法化されました。購入できるのは、使用者として登録した18歳以上のウルグアイ国民ないしは居住者で、許可を受けた薬局で購入できるとしています。

合法化して国が管理することで、闇で取引されるよりもマリワナの価格は低下しますので、犯罪組織の大きな収入が失われ、犯罪組織の勢力を奪うことができるという考え方です。

メキシコのビセンテ・フォックス元大統領は、いまは農場主ですが、「自分の農場でマリワアナを栽培する用意がある」と述べ、また元マイクロソフト社幹部のジャメン・シブリー氏はマリワナでスターバックスのようなブランドをつくりたいと発言しています。人道的な見地からも、現実に対応した決断が迫られているといえます。

歴史を紐解くと

太田 ありがとうございます。今の山本さんのお話と『メキシコ麻薬戦争』について踏まえながら、ぼくの方からも問題提起したいと思います。

『メキシコ麻薬戦争』では、悲劇的な話がたくさん取り上げられています。しかしこれは、20世紀末から21世紀初頭にかけてのメキシコだけが生んだ特殊な話ではありません。

ぼくが、『メキシコ麻薬戦争』を読んで興味深いと感じたのは、シナロア州で麻薬の栽培が非常に盛んになった歴史を紐解くと、19世紀半ばのアヘン戦争と関係があるという記述です。

アヘンが民衆に害を及ぼすと禁止令を出した清王朝と、インドからアヘンを密輸入させていたイギリスとが対立したものです。戦争を機に、当時から膨大な人口を抱えていた中国では、人口流出がおこります。大量の中国人がメキシコにも移住しました。そして、中国で栽培していたケシの種子をもって来たため、シナロア州の山岳部でケシの栽培がはじまったわけです。

それが今や、メキシコ北部の地場産業となっています。その時代のグローバル経済の在り方が影響を及ぼしているわけです。大きな戦争があり、地域から人が離れて暮らさなければいけなくなった時に、どのように物と人が動くのか。ある地域の経済社会を動かしてしまうような事態も起こり得る。そのことを作者は説明しているのだと思います。

今、ソマリアに海賊が出ていると話題になっています。ですが、17世紀から18世紀にかけてのカリブ海の歴史を考えれば、スペインが一律支配していたカリブ海の利権を求めて、後発のフランスやイギリスが海賊に免許状を与えて国家として海賊をさせていたわけです。そうやって、経済的利権を勝ち得ていったわけですね。

麻薬を通した他国支配や、海賊行為による他地域への侵入というのは、いま「先進国」としてふるまっている国が近代史の中で展開してきてきたことです。決して、現在のメキシコだけの問題ではないという視点から、問題を拡張して捉える必要があるでしょう。

また、なぜ麻薬組織が、市民に受け入れられて来たのかも考える必要があります。麻薬組織は、残虐な行為をする一方で、儲けたお金で病院を建てたり学校を建てたりして、義賊的な振る舞いをするわけです。それは偽善的かもしれませんが、貧しい人間にとっては、中央政府よりもずっと頼りになるわけです。そうやって、麻薬カルテルの基盤が盤石なものになっていく側面もあるのです。

ですので、単純に麻薬に転化し得る植物の栽培をやめさせようと働きかけるだけでは、全く効果がありません。結局、アメリカ社会で大量消費されているからこそ、そこに近いメキシコが、麻薬流通の一大根拠地になっているのです。需要があるから供給するという市場原理を唯一神にして世界を支配しているシステムの信奉者たちが、麻薬だけを例外にしようとしても無理です。相互に働き掛けあっているグローバル経済の中で、この状況が生まれてきていることに注目すべきだと思います。

(現代企画室『メキシコ麻薬戦争』出版記念 「メキシコ麻薬マフィアの世界」より一部を抄録)

本稿はα-synodos vol.149からの転載です。ご購読はこちら → https://synodos.jp/a-synodos

プロフィール

山本昭代社会人類学

慶應義塾大学ほか非常勤講師。著書に、『メキシコ・ワステカ先住民農村のジェンダーと社会変化――フェミニスト人類学の視座』(明石書店)などがある。

この執筆者の記事

太田昌国編集者、民族問題研究者

編集者/民族問題研究者。著書に『〈異世界・同時代〉乱反射』『チェ・ゲバラ プレイバック』『「拉致」異論』『【極私的】60年代追憶』など。

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