覆されたインド政治の常識――与野党逆転を果たしたモディBJP政権の展望

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第二に、会議派の勢力は100議席を割り込むことはないという「常識」である。

 

会議派は過去15回の総選挙のうち5回(1977年、1989年、1996年、1998年、1999年)敗北しているが、いずれも3桁の議席は確保していた(最小獲得議席は1999年の114議席)。強権的政治や汚職問題、経済低迷等で与党批判が高まると、反現職要因が働き厳しい選挙戦になるが、そのような時でも全国各州に支持基盤を持つ会議派は一定の議席を確保してきた。今回も会議派の苦戦が選挙前から伝えられており、議席減は避けられないとの見方が同党内部を含め支配的だったが、100議席は維持できるのではないかとの見方が多かった。

 

しかし蓋を開けてみると、同党関係者をして「最悪の想定シナリオはあったが、それよりもさらに悪い結果」と言わしめるほどの惨敗を喫することとなったのである。44議席という数字は、政権を奪還したBJPがUP州だけで獲得した議席(71)よりも少なく、37議席を獲得して第3党となったタミル・ナードゥ州の地域政党、全印アンナ・ドラヴィダ進歩連盟(AIADMK)と大差のないレベルである。

 

会議派は選挙結果判明から3日後の5月19日に最高意思決定機関である「会議派運営委員会(CWC)」を開き、「この10年間で起きた重大な変化を読み取れていなかった」ことを敗因として挙げ、「有権者とのつながりを維持することができなかった要因について反省する必要がある」との考えを示した。

 

これまでであれば、「アイデンティティ・ポリティクス」「ボートバンク(票田)ポリティクス」と呼ばれる、特定のカーストに絞ったアピールや貧困層へのバラマキ的な政策によって支持を獲得する手法がいわばインド政治の「常道」だった。ところが、会議派自身が政権を担当した2期10年で経済・社会が大きく変化し、都市化の進展や中間層の拡大を背景として政治に対し有権者が期待する内容も以前とは異なるようになり、経済成長を可能ならしめるための基盤の整備、利権や賄賂に左右されない公正さが政府に求められるようになった。それにもかかわらず、会議派はこうしたニーズを十分に汲み取ることができなかったのである。一方、BJPはこの変化を見逃さなかったばかりか、そこに焦点を当てた選挙活動を展開することで、有権者の支持を獲得することに成功したとも言える。

 

選挙戦術面でも会議派には問題があったと言わざるを得ない。BJPがモディ首相候補を前面に押し出し、同氏を軸に選挙戦全体を展開させることに成功するなか、会議派はそれに対抗しうるだけの連合を形成することができなかった。逆に既存の連合の分裂が起こり、2013年3月には第1期UPA政権以来の連立パートナーだったドラヴィダ進歩連盟(DMK)がUPAから離脱した。また、前回総選挙で33議席(会議派総獲得議席の16%)を獲得した大票田である南部アーンドラ・プラデーシュ州では党内対立の結果、離党組が新党を立ち上げる事態も発生した。有力な地域政党がひしめき、BJPが攻勢を強めていたUP州でも単独に近い形で選挙戦に臨むこととなり、当選したのはソニア・ガンディー総裁とラーフル・ガンディー副総裁の2人のみという散々な結果に終わったのである。

 

第三に、議席数でBJPが会議派を上回るケースでも、得票率では会議派が勝っているという「常識」である。BJPは1980年に結党し、1984年の総選挙から本格的に参加するようになった。その後「ヒンドゥー・ナショナリズム」が高揚するなかで勢力を拡大し、1996年の総選挙で会議派を上回る161議席を獲得、初めて第1党に躍り出た[*2]。この選挙に加え、BJPは98年及び99年の総選挙でも第1党となったとはいえ、いずれも得票率では会議派のほうが優っていた(表2参照)。

 

[*2] この選挙結果を受けて、BJPはヴァジパイ政権を発足させたものの、議会で過半数の支持を集めることができず、同政権はわずか13日で崩壊。代わって、第三勢力を会議派が閣外協力で支える形の政権が発足した。

 

しかし、ここでもその「常識」が覆された。今回BJPの得票率は31.0%に達する一方、会議派は19.3%にとどまった。議席数はもちろん、得票率でもBJPは会議派に勝利したのである。この得票率に対し、BJPの支持はインド全体では3分の1にも満たないという慎重的な見方も可能だが、会議派ですら1996年以降の総選挙で得票率が30%を超えることがなかったことを踏まえれば、大幅な支持拡大であることは間違いがない。特に、最重点州のウッタル・プラデーシュにおけるBJPの得票率は前回の17.5%から今回の42.3%、ビハール州でも13.9%から29.4%とともに倍以上の伸びを示しており、両州での大勝を裏付けている。

 

 

graph2

 

 

このように、今回の総選挙は重要な「常識」が塗り替えられたという点で画期的な選挙だった。しかしその一方で、今回も健在だった「常識」があることも指摘しておきたい。それは、地域政党の存在の大きさである。会議派とBJPがインドにおける「二大政党」として知られるが、実は、総議席数(543)に占める両党の合計議席数の割合は1989年総選挙以降、1991年を除き、60%を超えたことはないのである。今回も両党の合計議席は326で、割合はちょうど60%だった。逆に言えば40%は両党以外の政党で占められているのであり、「二大政党+各州の地域政党体制」とした方が実態をより正確に表していると言える。

 

ただし、ここでも新たな傾向が見受けられる。インドにおける二大政党以外の政党は、(1)地域政党、(2)特定の宗教ないしカーストを基盤とする政党、(3)左派政党という3つのカテゴリーに大別することができる((2)及び(3)も優勢な地域に偏りがある場合が多いことから、広い意味で「地域政党」と一括することもある)。このうち、今回の総選挙では、(1)に分類されるAIADMKや西ベンガル州の全印草の根会議派(TMC)、東部オディシャ州のビジュー・ジャナタ・ダル(BJD)といった政党が20以上の議席を獲得する一方、(2)及び(3)に属する政党の多くは勢力を後退させる結果となったのである。

 

(2)の代表的な政党としては、UP州で低位カーストを支持基盤とする社会主義党(SP)や指定カースト(ダリット=被抑圧者の意。かつての「不可触民」の利益を代表する多数者社会党(BSP)があるが、前者はわずか5議席しか獲得できず(前回比18議席減)、後者に至っては議席ゼロとなった(同21議席減)。また、インド共産党(マルクス主義)等の左派政党は、前々回(2004年)の総選挙では59議席を獲得、会議派政権に閣外協力を行うことで存在感を発揮したものの、前回総選挙から議席を大きく減らし始め、今回はわずか10議席に終わった。

 

これが今後も継続する傾向なのか一過性の現象かは定かではないが、二大政党の議席の増減とは別に、こうした地域政党をはじめとする政党の浮沈も今回の選挙で特筆すべき点であると言える。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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