教育は誰が統治しているんだろう?――教育を構造的に眺める

「教育委員会」が叩かれるようになったのはなぜ?

 

―― 先生は具体的にはどのような研究をされているのでしょうか?

 

ぼくの主な研究対象は、地方教育行政や教育委員会制度です。

 

例えば、どうして教育委員会はいろいろな批判にさらされてきたにもかかわらず、戦後から今日まで65年も続いてきたのか、です。

 

 

―― 教育委員会って、生意気な小中学生が先生に「教育委員会に言いつけてやる!」って言っているイメージしかありません(笑)。

 

なるほど、そうですよね(笑)。

 

世間で使われる「教育委員会」ってふたつの意味があるんですよね。「教育委員会に訴えてやる!」みたいなときに使うのは、先生あがりの方や公務員が配属される教育委員会の事務局のことです。もうひとつが、大津市のいじめ事件のときに問題になった、5人の教育委員さんによる会議のこと。ふたつがごちゃごちゃになって語られているので、話がややこしくなっているんです。

 

ぼくはどちらの研究もやっていますが、どちらかというと5人の教育委員がなぜ必要なのかを研究しています。あまり知られていませんが、この5人の教育委員って、首長さんによって任命された一般市民が非常勤でやっているんですよ。

 

 

―― 専門家ではなく、そのへんのおじさんおばさんがやっているんですか?

 

そうなんですよね。なんで首長さんが務めないのか。どうして非常勤で、しかも教育の専門家でもない素人が、最高権力者となって決定権を担っているのか、不思議ですよね。

 

いままでは、首長が教育委員を務めるよりも素人が務める方が、文科省が地方教育行政を支配する際に都合がよかったからだと考えられていました。事務局はもともと文科省の方を見ていて、5人の教育委員はおかざりだった。簡単にいえば、教育委員会は文科省の出先機関でしかない、と。

 

ぼくはそれだけじゃないと思うんですよね。きっと教育委員会は、首長や文科省以外の役所にとっても都合がよかったんですよ。最近、とくに批判されるようになったのは、都合が悪くなってきたから。

 

 

―― どういうことですか?

 

昔は教職員組合が強かったので、首長や政治家が教育委員会に首を突っ込むとやけどしかねなかったんですよね。だからなにもしないで、放置しているほうが都合がよかった。でもだんだん組合の力が弱くなってくると、むしろ首を突っ込んだほうが得になってくる。「少人数学級にしましょう!」とかいろいろな政策で働きかけて、選挙で票を獲得できるようになってきたわけです。

 

つまり、教育委員会が叩かれるようになったのは、もちろん制度そのものに問題はあるのですが、それ以上に、要は教育の外側にいる人たちの都合が変わってきたからなんじゃないか、とぼくは考えています。

 

 

「高校無償化」「ゆとり教育」高校生も政治に巻き込まれている

 

―― 教育が政治に巻き込まれているってことですよね。ということは高校生もそれに巻き込まれてしまっている……?

 

はい。一番わかりやすいのは高校無償化問題ですね。……といっても、高校生のほとんどは自分で授業料を払っているわけではないのでピンとこないかな?(笑)

 

過去の自民党に、高校無償化という制度はありませんでした。でも民主党に政権が変わったら、高校無償化の制度が導入されて、再び自民党に政権が戻ったら今度は所得制限が入ってしまいました。これって政治に高校生が巻き込まれていますよね?

 

 

―― 「ゆとり教育」もそうですよね!

 

ええ、典型例ですね。たまたまその政権のときに主流だった考え方が、教育現場に導入されたせいで、学校を卒業して社会人になってからもずっと「ゆとり世代」と言われてしまう。いまの高校生だって、大学受験のときに制度が変わっていたら、浪人しているうちに……? なんてことがあるかもしれません。

 

でも本人たちには責任がありませんよね。選挙権もないですし。だから「選挙で決めればいい」って言いますが、教育はいまの子どもたちやその先の世代にも影響を及ぼしますから、そう簡単には割り切れないんですよね。

 

 

―― 教育委員会が政治に巻き込まれないためには、どう変わっていけばいいとお考えですか?

 

教育委員会制度には専門性と民主的なコントロールが必要だと考えられています。このふたつのバランスが難しいんですよね。現場だけに任せると、問題が起きても隠ぺい体質のせいで隠されたままになっている、とか。

 

でも専門性が軽視されても駄目なんです。いまは先生の裁量がどんどん狭まってきているんです。例えば、教科書はいま5人の教育委員が決めていて、先生が決めることはできません。これって国際的には珍しいことなんですよ。もっと先生の専門性を尊重したほうがいいというのは方向性のひとつだと思います。

 

 

アメリカから輸入された教育委員会制度

 

―― 高校生がどの教科書を使って勉強するか決められるってどうでしょうか? 新学期に先生が「この中からどれがいいか選ぼう」みたいな……。

 

ああ、方法論として面白いですね。でも、最終決定権が先生にないのは問題だと思いますよ。それに民主的なチェックは必要です。高校生や先生が「この教科書を使いたい」と言っても、市民の側がチェックをかけられるようになっていることも大事なんです。

 

もっともいまは、最終決定権が専門家ではない一般の方にあって、専門性のほうが欠けてしまっているんですけど。

 

 

―― 教育の世界だけで完結していると暴走したときに止められないかもしれない。そもそもどうしていまのような教育委員会制度が生まれたんでしょうか?

 

教育委員会制度は、もともとアメリカの制度でした。開拓を進めてきたアメリカでは、自治体が生まれるよりも先に、教会や学校がその土地に建てられます。移住先では子どもの教育が必要になる。そんなとき、誰が学校を統治するのか。自治体はまだありませんから、政治家ではなくてコミュニティーのなかでコントロールしないといけない。となると素人がやることになる。そういう経緯で生まれたんですね。

 

その制度が戦後、日本に直輸入されたんです。そのときは、教育に対する政治の影響を遠ざけることが狙いでした。教育は国民に対して直接責任を負うものですから、職業政治家ではない、一般市民が教育委員として選ばれることが望ましいとされたんです。

 

 

―― 学校の先生のように、政治に巻き込まれない専門家が選ばれてもよかったのでは?

 

先ほどもお話したように、教育委員会制度には専門性と民主的なコントロールのバランスが重要なんです。専門性だけでは、内部のルールだけで物事が進められてしまう。専門性は大事ですが、一方で専門家をちゃんとチェックもしないといけないんです。

 

 

―― 高校生が教育委員会に参加できるようにはなりませんか?

 

ありえると思いますよ。外国では、各学校に学校理事会という一定の決定権限を持つ組織があるのですが、そこに生徒が入っていることもあります。高校生ならそういう制度があってもいいんじゃないですかね? 教育行政学は、「子どもの参加」を伝統的なテーマとして扱ってきたので、関心のある高校生にはオススメです。きっとそういう志を持って教育行政学の研究者になった方もいるんじゃないですかね。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

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・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
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