政治家を悪者にしてもなにもはじまらない

日々、テレビや新聞では「国会」の様子や「政治家」と呼ばれる人たちの発言が大きく報道され、さまざまな議論を呼んでいる。政治経済の授業でいろいろと教えてもらった気はするけれど、実際、日本の政治で何が起こっているのかを考えてみると、難しくてわからないことだらけだ。現在、日本でおこなわれている「政治」とはいったいどのようなしくみなのだろうか。そして、その「政治」を扱う学問である「政治学」ではどのようなことが研究されているのだろうか。政治学者の菅原琢さんにお話をうかがった。(聞き手・構成/出口優夏)

 

 

―― まず、政治学とはどういう学問でしょうか?

 

政治と呼ばれるものを対象とした学問です。ただ、この政治の範囲は広く、人によって定義もさまざまです。そのなかで、どういったものを対象とし、どういう方法で研究するかも学者によってさまざまです。

 

たとえば、高校生のみなさんがもっている政治のイメージもひとつではないでしょう。主にふたつあると思います。

 

ひとつは、「政治経済」の授業で学ぶような政治です。「日本では立法、行政、司法と三権が分立していて、立法府である国会が法律をつくっている」といった基本的な政治のしくみを学校の先生から教わった人や、参考書で読んだことがある人は多いと思います。

 

もうひとつは、テレビや新聞でよく見る「政治家」のイメージです。政治家とよばれる人たちが政策を訴えたり、国会で野次を飛ばしたり、総理大臣などを罵っていたりするシーンがよく報道されていますね。

 

これらはどちらも「政治」と呼ばれるけど、そこだけを取り出すとずいぶんと印象が違いますよね。一方は必要な決まりをつくって、国民の権利を守ったり、さまざまな政策を決めてこれを提供するような仕組み・制度としての政治、もう一方は政治家と呼ばれる人たちが一見勝手なことをやって、新聞やテレビ、国民から批判されたり馬鹿にされたりする、人の活動としての政治です。

 

このように、みなさんが知っている政治にも、いろいろな対象や見方があるわけです。そして、こういう典型的な政治以外にも、政治という言葉を使う場面は多いですよね。家庭内や会社のなかでの交渉事などにも政治という言葉を使ったりします。

 

だから、ひとりの学者がそれら全てを対象にすることも難しいし、どういう範囲を示したいかによって政治の定義もいろいろになります。少し変わった言い方をすれば、さまざまな人がいろいろな方法で政治の定義を延々と示し続けたり、新たな政治を発見しているような学問が政治学と言えるかもしれません。政治学はあいまいで多様な学問分野です。

 

 

学者によって異なる教科書

 

―― 政治学というのはあいまいなんですね。

 

よく言われることですが、政治学には体系的で確立された教科書がありません。たとえば経済学だと、「マクロ経済学」、「ミクロ経済学」といった体系的な教科書があって、誰が書いていてもそれらの教科書を読めば8割くらいはおなじことを学ぶことができるのではと思います。

 

でも、本屋さんに行って「政治学」の教科書を見てもらうとわかるのですが、章の構成はどれも異なるし、取り上げられている内容もかなり違います。たとえば、佐々木毅『政治学講義』(東京大学出版会)と久米郁男・川出良枝・古城佳子・田中愛治・真渕勝『政治学』(有斐閣)はどちらもよく使われている教科書だと思いますが、目次を見ただけでもずいぶんと違いますよね。

 

 

 

 

 

 

パッと見ただけでも、有斐閣の教科書は国際関係について複数の章があるのに、東大出版会のほうではひとつも取り上げられていないのがわかります。一方、東大出版会の佐々木先生の教科書には「人間」のような、一見すると政治とは関係なさそうな章が含まれています。こうした教科書の違いは、それを書いている学者の関心領域、研究対象の違いが大きいです。有斐閣の教科書は、その点を踏まえて複数人で分担して多くの事柄を網羅するように配慮されていますが、その分だけ分厚くなっています。

 

こうした政治学の特徴は、教科書だけに留まりません。たとえば大学に入って政治学の授業を受けると、担当の先生によって授業内容がかなり違ったりします。政治はどうあるべきかといった政治思想の話に重点を置いて、過去の偉大な思想家の名前がたくさんでてくる授業をする先生もいれば、そういう人物がほとんど登場せず、現実政治の解説を中心に据える人もいるでしょう。

 

私が東大に入ってすぐに受けた政治の授業は面白かったですね。職員室のような敷居のない大きな部屋で働くところが日本の官僚(中央の省庁で働く国家公務員)の組織や仕事の特徴を表しているのだと習って、こういう政治の見方もあるのかと新鮮な驚きを受けました。これを「大部屋主義」というのですが、このときは「行政学」という官僚や政策を決定する過程などについて研究する政治学の一分野の先生が担当だったので、日本の官僚組織について詳しく習ったのだと思います。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.275 

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