2013.05.07

政治家を悪者にしてもなにもはじまらない

政治学者・菅原琢氏インタビュー

情報 #政治学#選挙制度#教養入門

日々、テレビや新聞では「国会」の様子や「政治家」と呼ばれる人たちの発言が大きく報道され、さまざまな議論を呼んでいる。政治経済の授業でいろいろと教えてもらった気はするけれど、実際、日本の政治で何が起こっているのかを考えてみると、難しくてわからないことだらけだ。現在、日本でおこなわれている「政治」とはいったいどのようなしくみなのだろうか。そして、その「政治」を扱う学問である「政治学」ではどのようなことが研究されているのだろうか。政治学者の菅原琢さんにお話をうかがった。(聞き手・構成/出口優夏)

―― まず、政治学とはどういう学問でしょうか?

政治と呼ばれるものを対象とした学問です。ただ、この政治の範囲は広く、人によって定義もさまざまです。そのなかで、どういったものを対象とし、どういう方法で研究するかも学者によってさまざまです。

たとえば、高校生のみなさんがもっている政治のイメージもひとつではないでしょう。主にふたつあると思います。

ひとつは、「政治経済」の授業で学ぶような政治です。「日本では立法、行政、司法と三権が分立していて、立法府である国会が法律をつくっている」といった基本的な政治のしくみを学校の先生から教わった人や、参考書で読んだことがある人は多いと思います。

もうひとつは、テレビや新聞でよく見る「政治家」のイメージです。政治家とよばれる人たちが政策を訴えたり、国会で野次を飛ばしたり、総理大臣などを罵っていたりするシーンがよく報道されていますね。

これらはどちらも「政治」と呼ばれるけど、そこだけを取り出すとずいぶんと印象が違いますよね。一方は必要な決まりをつくって、国民の権利を守ったり、さまざまな政策を決めてこれを提供するような仕組み・制度としての政治、もう一方は政治家と呼ばれる人たちが一見勝手なことをやって、新聞やテレビ、国民から批判されたり馬鹿にされたりする、人の活動としての政治です。

このように、みなさんが知っている政治にも、いろいろな対象や見方があるわけです。そして、こういう典型的な政治以外にも、政治という言葉を使う場面は多いですよね。家庭内や会社のなかでの交渉事などにも政治という言葉を使ったりします。

だから、ひとりの学者がそれら全てを対象にすることも難しいし、どういう範囲を示したいかによって政治の定義もいろいろになります。少し変わった言い方をすれば、さまざまな人がいろいろな方法で政治の定義を延々と示し続けたり、新たな政治を発見しているような学問が政治学と言えるかもしれません。政治学はあいまいで多様な学問分野です。

学者によって異なる教科書

―― 政治学というのはあいまいなんですね。

よく言われることですが、政治学には体系的で確立された教科書がありません。たとえば経済学だと、「マクロ経済学」、「ミクロ経済学」といった体系的な教科書があって、誰が書いていてもそれらの教科書を読めば8割くらいはおなじことを学ぶことができるのではと思います。

でも、本屋さんに行って「政治学」の教科書を見てもらうとわかるのですが、章の構成はどれも異なるし、取り上げられている内容もかなり違います。たとえば、佐々木毅『政治学講義』(東京大学出版会)と久米郁男・川出良枝・古城佳子・田中愛治・真渕勝『政治学』(有斐閣)はどちらもよく使われている教科書だと思いますが、目次を見ただけでもずいぶんと違いますよね。

パッと見ただけでも、有斐閣の教科書は国際関係について複数の章があるのに、東大出版会のほうではひとつも取り上げられていないのがわかります。一方、東大出版会の佐々木先生の教科書には「人間」のような、一見すると政治とは関係なさそうな章が含まれています。こうした教科書の違いは、それを書いている学者の関心領域、研究対象の違いが大きいです。有斐閣の教科書は、その点を踏まえて複数人で分担して多くの事柄を網羅するように配慮されていますが、その分だけ分厚くなっています。

こうした政治学の特徴は、教科書だけに留まりません。たとえば大学に入って政治学の授業を受けると、担当の先生によって授業内容がかなり違ったりします。政治はどうあるべきかといった政治思想の話に重点を置いて、過去の偉大な思想家の名前がたくさんでてくる授業をする先生もいれば、そういう人物がほとんど登場せず、現実政治の解説を中心に据える人もいるでしょう。

私が東大に入ってすぐに受けた政治の授業は面白かったですね。職員室のような敷居のない大きな部屋で働くところが日本の官僚(中央の省庁で働く国家公務員)の組織や仕事の特徴を表しているのだと習って、こういう政治の見方もあるのかと新鮮な驚きを受けました。これを「大部屋主義」というのですが、このときは「行政学」という官僚や政策を決定する過程などについて研究する政治学の一分野の先生が担当だったので、日本の官僚組織について詳しく習ったのだと思います。

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政治のカギを握る「選挙」

―― さまざまな分析対象があるなかで、菅原さんはどのようなところに関心を持っているのですか?

政治学の範囲は広いと言いましたが、現代の政治学では多くの場合「民主主義」が基本的なテーマとなっています。とくに日本では、第2次世界大戦での敗戦後、一挙に民主主義的な制度が導入されたので、これを指して「戦後民主主義」と言ったりします。

そのなかでカギを握るのが選挙です。中学や高校の授業で習うと思いますが、日本では国民主権という考え方のもと、国民が国に関するさまざまな決定を行うということになっています。ただ、われわれ個人個人が議論して、多数決をしたりしていては、大変な時間と労力がかかります。たとえば、消費税の細かい仕組みやメリット・デメリットなどについて全員がいちいち勉強していては、日常生活にも影響がでますよね。だから、選挙によってわたしたちがえらんだ議員という人たちに、政治にかかわるさまざまなことをおこなってもらうわけです。

しかし、選挙というのはそのしくみによって結果がいろいろと変わります。なので「選挙のしくみによって、どう選挙の結果が変わるのか」「選挙のしくみがどのように政治家の動きに影響するのか」という観点から日本の選挙を研究しています。衆議院や参議院の選挙があるたびに選挙結果を分析していますし、過去の選挙も分析しています。

選挙に政策は関係ない!?

―― どうして選挙というシステムに着目されたんですか?

ものごころついたころから、選挙というものに興味を持っていました。ポスターが街中に張り出されたりして、「このおじさん××だけど強いなー」とか思うじゃないですか。選挙って、気になりませんでしたか?

―― 子どものころは、どちらかというと選挙って意味がないと考えていました(笑)。わざわざ大人たちが投票にいっても、それで政治が変わるとは思えなかった。

なるほど。では、最初に選挙に出会ったきっかけはなんですか?

―― わたしの家はおじいちゃんがある政党の党員だったので、選挙の時期になると、おじいちゃんが候補者の応援をしていたり、選挙事務所を訪れていたりしていた。だから、割と幼いころから選挙は身近にありました。でも、おじいちゃんはその政党の政策に賛同して党員をやっていたわけではなくて、知り合いがその政党の議員さんだったから応援していたという感じでしたね。

まさにそれが日本の選挙ですね。選挙では、たとえば消費税や原発のような特定の政策を、新聞やテレビが争点として取り上げたりしています。ところが実際の選挙を見てみると、そこにそういった政策があまり関係していなかったりします。

たとえば、小さな町や村の議員選挙を見ると、集落ごとに候補者が競争していたり、あるいは、「今年はうちがふたり出すから、そっちはひとりにしてね」というような談合をしていたりします。そして、候補者が決まれば、熱心にその人のことを応援する。「自分たちの代表を応援する」こと自体が大事な世界なのです。

イメージとしては運動会が近いかもしれません。運動会には政策のマニフェストはないけれど、ただ相手に勝ちたいという一心で白組も赤組も一生懸命にたたかいますよね。もちろんサボっている子もいるでしょうけど。選挙もおなじように、その候補者や政党の政策は大してどうでもいい、あるいは知らないんだけど、一生懸命応援しているような人が多いです。

もちろん、ただ一方的に応援しているわけではなくて、見返りも期待している。地元から国会議員が誕生すれば、その人が道路や建物の予算をもってきてくれて、町が栄えるかもしれない。自分たちに関係する産業の振興をしてくれたり、自分たちが作っている農作物の脅威となっている外国製品を締め出したりしてくれるかもしれない。そうした利害に関心のある人は選挙に積極的に関わる。一方、そうした利害とは無関係な人は選挙には熱心にならないでしょう。

こういうふうに、新聞やテレビなどで見かける政策とは別の論理で、選挙が動いていたりする。そしてこの背景には選挙区のなかで特定の候補者をえらぶというしくみがある。そこらへんが研究対象としての選挙が面白いところです。

ただこうしてみると、選挙の結果として有権者の意思がゆがんでしまうことが多くあります。そのゆがみ方がおおきくなれば、実施される政策自体もわれわれの望みとは離れた、ゆがんだものになってしまうでしょう。

議員が多い農村

―― たとえば、どうゆがむのでしょうか?

とくに大きな問題としては、自民党がずっと政権を取りつづけていたことと合わせて、都市から農村に過剰に再分配を行うしくみが構築されてしまっていることが挙げられます。その背景として、農村部選出議員のほうが政治のなかで力を得やすかったということがあります。

よく知られているように、都市部よりも農村の方が、人口に比較して国会議員の定数が多いです。これが自民党議員となるとさらに農村選出の比率が高くなります。さらに、農村選出であれば当選を続けやすい。しかも、長く議員をやっている人のほうがより偉い役職につきやすい。つまり農村選出であれば、それだけでいろいろな面で有利になる。

また、集金力でも農村選出の政治家のほうが有利でした。大規模な公共事業は、空いている土地が広い農村で行われます。そこに参加するような地元業者は地元の政治家に献金します。一方、都市部は狭い土地に人がたくさん住んでいて、公共事業を進めにくい。選挙区のなかで公共事業に頼って生きている人も少ない。こうして考えると、集票力だけでなく「集金力」も農村部のほうが有利なわけです。

「人がいないのに公共事業をやるなんて」という批判がありますが、人がいないからこそ公共事業がしやすいし、そういうところでは地域の人口の多くが公共事業の恩恵を受けているので、選挙区の議員も公共事業誘致に一生懸命になるのです。時短効果が認められるとして過疎地域の山を貫くトンネルは作るけど、都市部の「開かずの踏切」のような目に見えるような非効率がなかなか解消されなかったりするわけです。

こういったゆがみが日本全体にたくさんあります。また、ゆがみの発生原因のひとつとして現在の選挙のしくみがあるので、そこを直していかないと日本の政治は良くならないのではないかという思いはありますね。

政治家は政策の勉強ができない!?

―― 現在の日本の政治のどういったところを直していけばよいのでしょうか?

ひとつはみなさんの政治家のイメージと直結するところ。最初に述べたように、政治家のイメージは「選挙のことしか考えていない」とか、「仲間の政治家と高級料理屋で飲み食いしている」といった悪い部分が大きいですよね。ただ、こうしたイメージは、政治家個人個人の人間性などのせいにはできない。直してと言っても簡単に直すことはできない背景があります。

それはどうしてかというと、日本の政治家は、実際に選挙のことばかり考える必要があるためです。これは、候補者自身が自分の当落の責任をすべて負っているためです。

多くの先進諸国では、比例代表制などの制度によって、有権者は候補者ではなく政党に対して投票します。候補者に投票するような制度の場合でも、その候補者は政党の組織、人員に頼って選挙を行います。これを「政党中心の選挙」といいます。

これに対して、日本では「候補者中心の選挙」になっています。もちろん、所属している政党がお金を多少援助してくれたり、政党の公認をもらえると味方が増えたりもすることもあります。でも基本的には、候補者は自分でお金を集めて、自分の資産と人脈をつかって選挙を戦うわけです。そうすると、普通の若い人は立候補することもできません。

この結果、たとえ当選して国会議員になったとしても、地元の選挙区にしょっちゅう帰って人脈、金脈を維持する活動に努める必要がでてきます。国会議員という名前なので、国会周辺で政策について勉強したり議論したりしているのかと思いきや、そうではないのです。国会が終わったらすぐに地元に帰って、地元の支持者たちと交流を深めたり、お祭りや葬式などに顔を出したりし続ける必要があるのです。東京にいても、「政治資金パーティ」を開催するなどして、集金に努めています。

わたしたち一般の人々から見れば、「国会周辺での仕事を優先しないなんてけしからん」となりますが、国会議員にしてみれば地元を大事にしないと自分が生き残れないのです。それに、どんなに素晴らしい政策を提案し、それを実現したいと思っていても、選挙に勝たなければそれができない、許されないわけです。

―― 勉強していると支持者に文句をいわれてしまうわけですね。

そうです。地元で熱心に応援してもらっている人から、「あいつは選挙区に帰ってこない。地元の面倒をみないダメなやつだ。」と言われてしまう。そうすると、次の選挙では受からないかもしれない。でも、有権者たちの視点に立ってみると、かなりのお金と労力をかけて議員さんを応援しているわけですから、地元の面倒を見てほしいと思うのも当然ですよね。国全体の政策よりも、地元の声を聴いて、地元に利益をもたらす活動をしてほしいわけです。

しかし、それが結果的に日本全体からみると不幸なことを招いています。現在の選挙区ごとに議員を選ぶ制度のおかげで、各議員は地元のためにはたらくエージェントになってしまっている。つまり、どうにかして国から自分の地元に利益をもたらそうと国会議員ぞれぞれが競争している状態です。不景気を挽回するための施策が、道路やダム、公共施設などをつくる「公共事業」にかたよるのはそのためです。

たとえば科学技術政策のような一見公共事業に関係していないように見える分野でも、まずどこに研究所を設置して、というような予算の使い方が議論されたりします。近年設立された先端的な理工系の研究を行う国立の「大学院大学」は、都市部から離れた田畑のなかや山奥にありますよね。都市部に土地がないということもありますが、学生を集めたり、産業との結びつきなどを考えるならば、都市部にあったほうがよいはずです。科学技術政策なのに「地域振興」と結び付けられ、公共事業の種にされてしまっています。

あるいは、日本全国に工場を誘致するためにつくられた工業団地というものがあります。交通が便利なところにある工業団地は埋まっているんだけれども、まったく埋まっていない工業団地もある。需要を考えてつくっているというのではなく、あそこがやったのだからうちも、というように地域間で競争しているような状況があります。「そうしないと競争に負けるのだからやらなければいけない」という感じで、地方の自治体は否応なく「チキンゲーム」に参加している感じです。

これらの問題は全て議員や選挙制度が悪いという話ではなく、地方自治や予算の問題とも絡むでしょう。ここで大事なのは、政治家という悪い人が悪いことをしているという単純な見方はできないということです。冒頭で制度(仕組み)と人の活動という2つの政治のイメージを示しましたが、この2つは実は表裏一体で、政治の仕組み・制度が、政治家という人たちの動きを作っているところがあるのです。そうするとさっきから話している選挙制度を改めていったほうがよいだろうし、それ以外のさまざまな制度も目に入ってきます。

政治学に限らず、社会科学について学んでいくと、単純に悪い人が悪いことをしているというようなものの見方ではなく、背後にある仕組みがその人をそのように動かしている、というものの見方ができるようになるでしょう。

計量分析で何がわかる?

―― 菅原さんは計量分析を用いて研究されているということですが、計量分析とはどんな手法なんでしょうか?

簡単に言えば、政治現象を数字であらわして、なにが起きているのか、そこに何が関係しているのかを数字で説明するという方法です。この方法の利点は、現象のなかの関係性が数字で示されるので、議論が明確になるということです。

たとえば、政治評論家とよばれる人たちが「最近の政治家が小粒になったのは、衆議院選挙が小選挙区制になったせいだ」と主張していたりしますが、この主張には根拠がなにもありません。単なる主観であったり、そうであって欲しいという個人的都合でものを言っています。

しかしこうした説も、「小粒さ」をデータ化できれば証明できるかもしれません。たとえば、政治家の心の広さみたいなものを数値化できたとして、これをy軸に、それぞれの選挙区の面積をx軸としてグラフを描けば、両者の関係性を見せることもできます。もっとも、わざわざ分析しなくても、たとえばチャーチルのように小選挙区で選ばれているイギリスの政治家が小粒かどうか、より人口の大きな選挙区で選ばれる参院議員や、面積の広い北海道の政治家が大物なのかと問えば、ああした俗説の怪しさはすぐにわかると思いますが。

このように、ある説が正しそうかそうでないかを明確にできるところが計量分析の強いところです。もちろん、政治現象は多岐に渡り複雑なので、計量分析に限らずそう簡単にうまく分析できない、関係性を明らかにすることができない場合も多いです。逆に、そういうところに何とか食い込んで分析するために、政治学者がいるのだと思います。

(2013年1月23日 東京大学にて)

選挙と計量分析に触れることができる、高校生におすすめの3冊

自分がそのころに読んで面白かった本、そのころに読みたかったなあと思った本を挙げておきます。純粋に政治学を勉強してみたいというひとは、『はじめて出会う政治学』(有斐閣)などを読むとよいでしょう。また、政治とはどういうものか考えたい場合には、杉田敦『政治的思考』(岩波新書)を読むのがよいと思います。

それから『ヤバい経済学』。これは有名な本ですね。経済学の本なので選挙のことがたくさん出てくるわけではないですが、これを読むと計量分析の利点や発想などがよくわかると思います。「計量分析でいろいろなことがわかる」というデータの強さを知っていただければと思います。

そして石川真澄さんの『データ戦後政治史』です。この本はよく売れていて、石川さんが亡くなられた後も山口二郎さんとの共著で『戦後政治史』として出版されています。現在の版もよいですが、ここでは改訂前の「データ」がついている1984年のものを取り上げます。『データ戦後政治史』では、前半で時間軸に沿って政治の流れを示し、後半で全体を通したデータ分析が行われています。現在の版ではこの部分が取り除かれています。このデータ分析の部分が後から見て全て正しいと言えるかというと、そうでもないのですが、「亥年現象」、「人口移動説」といった石川さんが提起した着想や分析があって、日本の選挙分析の世界が広がっています。最近の学術書とは違って、誰にでも読みやすい計量政治分析の例としても参考になるでしょう。

最後は西平重喜さんの『比例代表制』です。選挙に興味がないと、比例代表制の議席の配分がどのように行われているのかということはふつう知らないですよね。この本は比例代表制にかぎらず、各国の選挙制度を紹介し、議論を行っています。高校生のころに読んでとても面白かったという記憶があるのですが、今見るとかなり難しい内容も含まれていますね。絶版になってしまっていて入手が難しいですが、選挙マニアの高校生には図書館などで借りてぜひ挑戦してもらいたいですね。

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プロフィール

菅原琢政治学

1976年東京都生まれ。東京大学先端科学技術研究センター准教授(日本政治分析分野)。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程、同博士課程修了。博士(法学)。著書に『世論の曲解―なぜ自民党は大敗したのか』(光文社新書)、共著に『平成史』(河出ブックス)、『「政治主導」の教訓―政権交代は何をもたらしたのか』(勁草書房)など。

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