文系? それとも理系? いや真ん中系。 ―― 「科学史」とは何か

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どうして理系と文系にわけられているんだろう?

 

―― 隠岐先生はどうして科学史の研究を始められたのでしょうか?

 

わたしは大学に入るまで科学史のことを知りませんでした。

 

もともと高校生のときに、文系に進むか理系に進むかずっと悩んでいました。物理が好きだったので理系に進みたかったんだけど、理系科目のテストを受けるとなぜか緊張してしまって問題が解けなくなっちゃうんです。テストが終わった後に問題を見返すと「なんであのとき解けなかったんだろう?」と思うんですけど……。テスト中に、なんらかの発作みたいなものが起きていたのかもしれません(笑)。それで不安になってしまって、高校二年生までいた理系のクラスから、文系のクラスに移ったんです。

 

大学もそのまま文系の学部に入りました。それでも、好きだった物理に対して未練たらたらで。当時、相対性理論についての授業が開設されていたので、担当の先生に「文系ですが授業を受けさせてください」と直接お願いをして、授業を受けたこともありました。理系と文系にわけられていなければ、こんな風に苦しまなくて済んだんじゃないか。どうして理系と文系にわけられてしまっているんだろう。その答えがわかるんじゃないか、自分を苦しめたものの正体がわかるのではないかと思って科学史に飛び込んだんです。

 

でも、結局その問題には取り組めませんでした。いまになってどうして取り組めなかったのかがわかってきたのですが、とにかく話が複雑すぎるんですよね。そもそも「文系」と「理系」という言葉がどういう意味なのか、言葉の問題を考えなくてはいけません。文系・理系という言葉は、それが実際には何を意味するのかを明確にするのが、意外と難しいんです。英語と日本語でもわけかたが同じではないし、フランス語でもまた違う。自然科学の歴史と比べると、いわゆる文系である社会科学・人文科学の歴史はまだわかってないことも多い。ですから、この問題は卒論で書けるようなものではないと思って。

 

 

社会構造の変化を科学アカデミーの歴史からみる

 

―― ぼくも数学と文学が好きな中高生だったので、なぜ理系と文系にわけられたのかすごく興味があります。いまはどのような研究をされているのでしょうか?

 

わたしは18世紀フランスの科学アカデミーについて研究をしています。もう少しわかりやすくお話をすると、「科学者」という職業が、いつどのように生まれ、社会の中で認められていったのかといった研究ですね。

 

現代の先進国といわれる国は、科学的な知識をもった専門家集団が、官僚機構や市民から選ばれた政治家と協力しながら社会を作っているところが土台になっていると思います。この原型は、18世紀につくられました。国家と科学の関係は、アカデミーの歴史を追うと見えてくる。そしてそれは職業としての「科学者」が生まれる歴史でもあるんです。

 

 

―― 基本的な質問で申し訳ないのですが、「アカデミー」ってなんでしょうか……?

 

簡単に説明することがとても難しいのですが、アカデミーとは、パトロンが才能のある画家や才人に「お金をあげるから好きなことをやっていいよ、そのかわりわたしが知りたいことがある場合は協力してね」といって保護した「お抱え子飼い学者集団」の発展したものだと思ってください。フランスにはいろいろなアカデミーがあって、科学以外に、画家や舞踏家、文筆家のためのアカデミーもありました。

 

科学アカデミーの場合、初めの頃は、退役軍人や自称自然哲学者などわけのわからない人たちも多くいたんですね。もちろん一部にはいまでも評価されている数学者もいました。それが100年くらい経つうちに、気がついたら、いなくてはならない集団になっていて、パリの公共事業に使われるようになっていった。

 

例えば橋を作ろうとしても、それまではどの専門家に聞くとは決まっておらず、近くにいた「橋の作り方を知っているよ」と主張する人に教えてもらったり、職人であったり、「数学もなにもできないけどもう何年も橋を作ってきた」という人に作ってもらっていたのに、徐々にアカデミーに所属する人が使われるようになったわけです。

 

その内に彼らは、専門家と呼ばれ、のちに科学者・研究者と呼ばれるような集団になる。つまりいまの科学者は、その集団の末裔ともいえるわけですね。このように、いつから専門家や科学者、研究者と呼ばれる人たちが、社会の中で重要な立ち位置を占めるようになったのか。その社会の構造の変化を、アカデミーを通じてみていこうという研究をわたしはしています。

 

 

当たり前と思っていた「科学」が違ったものに見えてくる

 

―― 科学史の面白さはどこにありますか?

 

いままで当たり前と思っていたことが、研究していくとひっくり返ってしまうことが多いところでしょうか。

 

ご存じないかと思いますが、「女の子は数学に向いていない」という言説が流行った時期がありました。わたしはその言説に苦しめられた世代の人間です。いったいどうして女子は数学に向いていないと考えられているのか。実際はどうなのか。そもそもなんで理系の大学に女子が少ないのか。科学史の研究を進めていくと、そもそも女性は大学に入れてもらえなかった時代があることを知る。そうやって歴史的な経緯を丁寧に解説してもらうと、「なるほどな」と納得できるようになるわけです。

 

あと、自然科学では数学を使うことがあたりまえとされることが多いのですが、3、400年前には、数学を前提としない自然科学の伝統があったんですよね。当たり前と思っていた科学像が、歴史を知ることで、違ったものに見えてくることは純粋な驚きや面白さもありますし、個人的には少し気持ちが楽になりました。

 

それから他の分野との繋がりも面白いです。わたしは科学史と別に、思想家のミシェル・フーコーの影響を強く受けている人間です。フーコーは、心を病んだ人がいるから精神病院が出来たのではなく、それまではなかった「精神の病」という概念が作り上げられていったことで精神病院が出来たのではないかと、ものごとを逆に考えました。

 

特にフーコーの生きた20世紀半ばには、ある人が正常なのか異常なのか、ということを科学が一方的に権威として決めてしまうような傾向がありました。それで彼は心理学や人類学、精神医学といった科学に不信感を抱いていたんですね。念のためつけくわえると、フーコーは、物理や数学は信頼していたので、反科学であったわけではありません。

 

科学史にふれて、「なるほど、確かに科学をそのように見ることもできるんだ」って思いました。物事から距離を置いた視点からみると、それまで自分を縛っていた価値観から自由になれたりします。そういった視点はいまでも社会をみるベースになっていますし、面白いと感じます。

 

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「役に立つ」ってどういうこと?

 

―― 最後に、高校生にメッセージをいただけますか?

 

そうですね、迷ったら一度、科学史をのぞいてみるといいよ、でしょうか。

 

道に迷って科学史にくる人って多いんですよ。わたしの同級生でも、陶芸家になった人もいたりして(笑)。大学をでてから医者になり直した人もいました。

 

本当は「社会にでたときにこんな風に役立つよ」なんて言えたらいいのかもしれませんが、わたしは社会に目が向かない人間で。物理も文学も好きなのに、理系と文系にわけられているせいで、わたしの知的好奇心が引き裂かれていましたし、ジェンダーの問題もありました。とにかくわたしにのしかかってくる社会が重くてたまらなかった。

 

むしろ科学史について「これって社会で何の役に立つの?」って疑問をもったらとりあえず来てほしいですね。科学史を勉強するうちに、そもそも、その問いかけ自体が、社会や時代、自分の使っている言語のあり方などに縛られたものなのかもしれないと思うようになったりします。

 

例えば、日本語の「役に立つ」は個人にとって実利的かどうかという意味で使われやすいですが、ラテン語の「役に立つこと」を意味するutilitasは、共同体のためという概念が入っているんですね。その意味では都市の共同生活を美しく豊かにする芸術や音楽も「役に立つ」わけです。つまりあなたが「これって何の役に立つの?」と日本語で問いかけたとき、すでに日本語という言語に考え方が縛られてしまっている可能性がある。

 

最近は、一生懸命、自分のやっていることが役に立つかを知りたがってる人が多いなって感じます。でも、その気持ちから少し距離を置いて、日本語の「役に立つ」が、どういう歴史的経緯を反映しているのか、考えると見えてくることもあります。

 

例えば学校教育における「科学」の扱われ方を考えてみましょう。日本では科学を技術と一緒に扱って、実利的に「役に立つ」もの、「実学」として捉える人が多いのだけど、それは19世紀に西洋諸国に追いつくために、産業や軍事にすぐに使える分野から力を入れて学んでいった歴史が影響しているようです。

 

そして、そういうやり方が成果を上げた部分はもちろんありますが、一方では「役に立つことをしなければ」という呪いのような強迫観念になったり、人々の視野を狭くしてしまったりしたところもあると思うんですね。

 

今もきっと、そんな「役に立つ」の呪いにかかっている人はたくさんいると思うんです。「役に立たないといわれているものが好きだけど、これでいいのかな」って思っている人は多い気がする。ですから「役に立つ」かを考えることに疲れたら、科学史をのぞいてみたらいいんじゃないかと思っています。もしかしたら、自分なりの答えが見つかるかもしれません。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

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