過去を生きた人びとに寄り添って――「島」から学ぶ、歴史社会学

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グローバリゼーションの最前線は最底辺!?

 

―― 石原先生は小笠原諸島だけでなくいろいろな島について研究されていますが、やはり小笠原諸島がきっかけで「島」の虜になったんですか?

 

小笠原諸島って近代とともに歴史が始まる場所なんですよ。いわゆる前近代的な伝統社会が存在していない場所で、すべての住民が移住者なんです。もともとは無人島で、江戸時代には「無人島(ぶにんしま、ぶにんじま)」と呼ばれていました。真偽は不明ですが、その「ぶにん」が訛って、英語名の「Bonin Islands(ボニン・アイランズ)」になったという説もあります。

 

19世紀は、海のグローバリゼーションのフロンティアが大西洋から太平洋に移った時代なんですね。当時、太平洋では捕鯨船が行き来していて、絶滅しそうなほどクジラを獲りまくっていたんです。そこから鯨油を採取して、その鯨油がもたらす富がアメリカの資本主義勃興の蓄積に貢献したというのは有名な話です。だから、やや誤解を恐れずにいえば、当時のグローバリゼーションの最前線は捕鯨船だったんですね。

 

しかし、その最前線は同時に最底辺でもあって、捕鯨船の水夫っていうのは当時のグローバリゼーションのなかでは、最も劣悪な環境にある労働者だったんです。ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨(モービィ・ディック)』やジョン万次郎の航海記などでも有名ですけど、捕鯨船はだいたい3、4年のあいだ、太平洋を中心に海上をぐるぐる周ってから、アメリカの東海岸に戻ってくるので、とにかくしょっちゅういろんなところに寄港するんです。でも、日本内地は幕藩体制下にあって寄港できなかったので、小笠原諸島が北太平洋の寄港地として発達したんですね。

 

日本の幕末にあたる1830年頃、気候が温暖なので、ここで家畜を育てたり、野菜を作ったりして捕鯨船と取引すれば、夢のような生活ができるんじゃないかと考えたらしく、小笠原諸島の父島に初めて入植者が住みつきました。最初は30人ほどでした。ここには、アメリカ人であったり、イギリスなどのヨーロッパ人であったり、あるいはハワイの先住民であったり、いろいろなルーツの人たちが混じっていました。その後、捕鯨船から逃げたり、捕鯨船から置き去りにされたりした、世界中にルーツをもつ人たちが次々に上陸してきて、かれらが最初の住民になっていくんです。

 

 

―― ということは、小笠原諸島の歴史を調べていくうちに、アメリカやイギリスなど捕鯨船を出していた他の国の資料も調べなきゃいけないことになりますね。

 

ええ、捕鯨船・捕鯨業関係の資料は随分読みましたね。

 

小笠原諸島という場所自体が、19世紀当時のグローバリゼーションの最前線だったんですね。それで、最前線であると同時に最底辺でもある捕鯨船の労働現場に耐えられなくなった人たちが逃れてきたり、一時的に休息したりするような、退避地であり自主管理領域(アジール)だったんです。

 

このように、小笠原諸島は近代世界のグローバリゼーションのなかで、非常にユニークな位置にある島々なわけです。そのような島々を、明治維新直後の近代日本国家が併合していく。そして、この島々にアジールというべき場を作っていた先住者は、日本国民として帰化させられていく。小笠原諸島は、世界市場や主権国家・国民国家や近代法といったさまざまな近代的な制度の力が、非常に露骨な形でガツンと表れる、またそれゆえに、わたしたちが常識だと思い込んでいるいろいろな近代的制度が、いかに異様なものであるかが見えてしまう、そういう場所だといえるでしょう。

 

 

―― いまはどういう研究をされているんでしょうか?

 

ひとつは硫黄諸島の研究ですね。小笠原諸島の父島からだいたい南に250kmくらいのところにある群島なんですが、この群島にかつて住んでいた人たちの歴史的な経験というものを、ほそぼそと調べています。

 

硫黄諸島もはじめは無人島で、20世紀の始めくらいに、小笠原諸島よりだいぶん遅れて入植地になります。それからサトウキビのプランテーションができて、人口も1,000人以上になっていくわけですが、アジア太平洋戦争のときに、硫黄島で地上戦をおこなうことを想定して、日本軍が北硫黄島を含む大多数の住民を強制疎開させるんです。

 

小笠原諸島の父島や母島などからも、6,500名ほどいた住民うち約5,800名を強制疎開させたんですが、父島、母島では結果的に地上戦はおこなわれませんでした。しかし、硫黄島では地上戦がおこなわれ、戦後、硫黄諸島と小笠原諸島は米軍に占領されました。1968年に沖縄に先立って日本に施政権が返還され、このときに父島や母島の住民とその子孫たちは、四半世紀ぶりに島に帰ることができたんです。

 

ところが硫黄諸島の人びとは、施政権が「返還」されたのに、帰ることが許されなかった。米軍に代わって、今度は自衛隊(とアメリカの沿岸警備隊)が硫黄島を使うということになったんですね。これはいわば自国の軍隊に占領されるということで、北硫黄島を含む住民はいまだに帰ることができていない。マーシャル諸島にも核実験の残留放射能のために住民がいまだに故郷から引き離されている島があり、インド洋のディエゴガルシア島のように米軍基地にするために住民が強制移住させられた島もありますが、硫黄諸島も似たような状況に置かれている場所なんです。

 

いまでも、硫黄諸島の強制疎開前の住民だった人たちが生きていらして、だいたい関東地方を中心に、各地に住んでいます。この人たちにほそぼそと話を聞いて回っている状況です。まもなく刊行される『<群島>の歴史社会学――小笠原諸島・硫黄島、日本・アメリカ、そして太平洋世界』(弘文堂)という拙著では、狭い意味での小笠原諸島だけでなく、硫黄諸島を含めた島々の社会史を、大学生・大学院生向けに簡潔にまとめたものです。高校生でも、ちょっと無理をすれば読めると思います(笑)。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

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