比べてみないと、相手も自分も、分からない――物差し同士も照らし合わせて

いつでも比較が大事!

 

―― 比較して事実を確定した後、ようやく因果関係が考えられるわけですね。

 

「なぜそうなのか」「原因と結果はどうつながっているのか」という因果関係を考える際にもやっぱり比較は大切です。

 

山口県には地下道が多いとして、じゃあ、どうして地下道が多いのか、その理由を考え始めます。

 

そもそも地下道でなくても、似たような機能を持つものとして横断歩道や歩道橋がありますよね。どうして地下道をつくる必要があったのか、横断歩道や歩道橋が作られる理由と比べてみないといけない。

 

山口県立大学の近くには小学校や中学校があります。交通量の多い道だと、児童・生徒の通学に横断歩道は危ないので地下道をつくるのは納得できますよね。でも、それにしては通学路でもないところに地下道がたくさんあるとすると、これだけが理由ではなくなります。

 

北海道のようなところだと、雪や寒さをしのげる地下道が多くなるのも理由があるんですが、山口県の場合、そこまでは寒くない。また、東京のような大都市の場合は、車線も多いですし、商業施設もたくさん併設できるので、横断歩道や歩道橋よりも地下道のほうが機能的に便利だということも分かるんですが、山口県はこれにも該当しません(キッパリ。

……いや、別に、田舎だとdisってるわけではありませんよ。

 

こうやって周囲の環境とか、地理的な条件、地下道とある意味競合・代替の関係にある横断歩道や歩道橋の特性を比較していくうちに、いろいろな「なぜ?」が生まれてくるわけですね。そういえば、地下道をつくるには何億円もお金がかかるけど、横断歩道は白線を引くだけでいいから安上がりでいいぞ。にもかかわらず、たいして必要なさそうなところにわざわざ地下道をつくるということは、もしかして誰かが儲けようとしているんじゃないか……?

 

県道だと地下道をつくるときには県が許認可を出すので、知事や議員が絡んでいるのかもしれない。たいして技術がいらないので、大手ゼネコンでなくても地元の建設会社でも作れる。もしかして、ここに政治的な癒着問題があるのでは……!? そんなふうにいろいろと因果関係を想像していけるんですね。ちなみに、実際のところどうなのかまでは、その学生グループは調査できませんでした。

 

だから、なにか物事を考えるためには、まず事実を確定するために比較をするし、事実が確定してからも因果関係を明らかにするために、ありそうな説明の方法同士を比較をします。すごく難しいところなんですけど、とても重要で、ワクワクする部分です。

 

 

風が吹いているところに出てほしい

 

―― 比較することがそんなに奥が深いとは思いませんでした。ところで、浅羽先生はなぜ研究者になろうと思ったんですか?

 

高校生の頃は研究者じゃなくて、外交官になりたかったんですよ。実務がやりたかった。当時は外交官の3分の2が東大法学部出身だったので、東大文一・法学部を目指して一浪までしたんですが、2度とも落ちました。さすがに2浪はできなかったので、仕方なく偏差値順に大学名だけが並んでいる予備校の資料を見て上位にあった立命館大学国際関係学部に嫌々入ることになりました。

 

でも、大学に入ってからも外交官の夢は諦められなかったので、やる気が出なくて4月は下宿に引きこもりがちで、ほとんど通えませんでした。京大に編入して、それから……とかぐじゅぐじゅ思ってました。そのつど変わる環境や条件の中で方向転換するのって、なかなか難しいんですよね。

 

そんなときに、ある先生との出会いがあったんです。最初は研究よりもスタイルに憧れたんですよね。ネクタイしないで、大学までふらっと自転車で来ている。自分の時間をコントロールできるんだって憧れがありましたね。当時は、まだ研究の恐ろしさを知らなかったので……知っていたらなろうと思わなかったんじゃないですかね。あ、だからか、いまもうまくネクタイを結べません(苦笑)。

 

 

―― なぜ外交官になりたいと思ったんでしょうか?

 

田舎の少年が世界に直結できる道として当時イメージできたのがそれだけだったんですよ。1990年代の初めでした。いまだったらNGOのプランナーとかいろいろ浮かんできますが、外国と仕事をするのは外交官か商社というイメージだった。それに公的な機関に入りたいという思いもありました。

 

その夢は18歳のときに絶たれてしまいましたが、いまでも別のかたちでいつかチャンスがあれば在韓国日本大使館などで働きたいと思っています。

 

 

―― やっぱり東京とか、世界とかに憧れを抱いていたんですか?

 

それはもう、すごく。世界に出るためにはまず東京に出たかったです。いまも、ですね。

 

地方からの教育イノベーション」というトークショーでもお話しましたが、地方で、田舎で、一人で勉強していると、ある種の「偏り」がどうしてもあるんですよ。標準が分からない。だから比較もできず、自分がズレているということが分からない。いま思うと、イタい子だったんです(苦笑)。

 

いまだとまだ、日本全体や世界でのスタンダードが何なのか、それが当たり前の人たちの様子がtwitterのようなSNSを通じて嫌でも痛いほど漏れ伝わってくるので、自分の「偏り」に気づくチャンスも多いんですが、当時はまったくそんなことが分からなくて。とにかく東京に出たかった。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」とか、中島みゆきの「ファイト!」とか、いまでも歌って「東京ゆき」の「切符」を握りしめていますよ(涙)。

 

だから僕が高校生のみなさんに声を大にして言いたいのは、風が吹いているところに出てほしい、少なくとも一度ちゃんと見て、「いま、ここ」で当たり前のことを見直してほしいってことなんですよね。

 

 

―― ……ビル風の吹く都会に?

 

いやいや、比喩ですよ(笑)。世界はフラットになったと言われていますが、ちっともそんなことはありません。上向きの風がいつも強く吹いているところもあれば、全く吹かない凪(なぎ)のところもある。いま盛り上がっているもの、面白いものをいま受け取れるところにいたほうが断然いい。いま風が吹いているところに、物理的にいるかいないかは決定的に重要です。ナウシカじゃないですけど、風に乗るには風が吹いているところにまずいないことには始まりません。『年収は「住むところ」で決まる』(プレジデント社)という本があるくらいです。直観的には「住むところは年収で決まる」ですけど、そうじゃないんですね。

 

地方の本屋なんて、東京の本屋に比べたらぜんぜん品ぞろえが悪いわけです。そんな中で自分が何を読めばいいのかなんて分かりようがない。アマゾンがあっても、親がクレジット・カードを貸してくれなかったら十分に利用できないし、そもそも本を読まない親だったら、そういう本の存在、本を読むということの大切さにすらずっと気づかないままかもしれない。

 

自分の身の周りにいる友人や両親や学校の先生といったごく限られた大人たちの影響を色濃く受ける高校生のときは特に、その世界の中だけで完結してしまいがちです。そんなときこそ、違う世界ではいまの自分が考えたこともないことを面白がっている人がいるということを知って、自分の当たり前や物差しを見直してみることってすごく切実なんです。そうじゃないとトンデモ本ばかり読んで変な方向に進んでしまう。これは高校生の頃の僕自身なんですけどね(苦笑)。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

・橋本努「新型コロナウイルスとナッジ政策」
・三谷はるよ「市民活動をめぐる“3つの事実”――「ボランティア」とは誰なのか?」
・五十嵐泰正「『上野新論』――「都市の時代」が危機を迎えたなかで」
・倉橋耕平「メディア論の問いを磨く――言論を読み解く視座として」
・山田剛士「搾取される研究者たち」
・平井和也「コロナ情勢下における香港と台湾に対する中国の圧力」