比べてみないと、相手も自分も、分からない――物差し同士も照らし合わせて

「分けて、分かる」

 

―― どんなときでも比較が大事なんですね。比較政治で韓国をやろうと思ったのは理由があったんでしょうか?

 

大学院までは比較政治学ではなく国際関係論を勉強していました。そもそも韓国にもほとんど興味がありませんでした。だから、推薦状の郵便事故とかいろいろあってたどり着いたソウルの大学院で修士号をとったあとに、これからどうしようか悩んだんですね。

 

その頃、2000年代初めは、ちょうど韓国が先進国になりつつあって、先進国の事例として比較対象として韓国が徐々に入るようになっていました。それまでジンバブエのように、日本と単純な比較ができなかった韓国が、比較の対象とみなされるようになった。「これはチャンスだ、いけるかも……?」と思って、いちかばちか比較政治学に鞍替えしました。帰国せずそのまま韓国に残って、韓国の選挙の研究を始めることにしたんです。

 

 

―― 国と国を比較する上ではどんな視点が大切なんでしょうか?

 

外国との比較に限らずですが、「分けて、分かる」ですね。

 

たとえば、多くの国で年齢が高ければ高いほど選挙に行くということが知られているとします。じゃあ韓国はどうだろうと見てみたらやっぱりそうだった、と。そのとき、他の国ですでに知られていた年齢という効果が、韓国でも同じように確認されましたチャンチャンで終わるのか。それとも、同じ「年齢」でもそれぞれの国の文脈で意味が異なり、どういう因果関係になっているかまで明らかにするのか。「ガッ、チャン、コ」と同じ型にあてはめるだけではなくて、日本と韓国、10年前といま……そうやってひとつずつ文脈まで分け入って、掘り下げていかないといけないんです。

 

別の例を挙げます。いま韓国での旅客船沈没事故が話題になっていて、高校生のみなさんも、その原因は韓国の伝統的な文化だとか、朴槿恵大統領だからあんな事故が起きたんだとか、船会社のせいだとか、オーナー一族がカルト集団だったからだとか、いろいろ言われているのは知っていると思います。

 

そうした要素はもちろんあるんですけど、だからといって、全部を特定の個人や会社の責任にするだけだと意味がないし、そもそも本当にそうなのか。どこまで属人的な問題で、どこからが制度的な問題なのかは、きちんと分けて考えないと、この事故が起きた原因が分からなくなってしまうんです。だって、どうしていまあの事故が起きたのか、なぜ飛行機じゃなくて船だったのかは、「韓国の伝統的な文化が原因だ」では、ちっとも説明になっていないですよね。

 

属人的な部分を切り離してよくよく見てみると、業界とそれを規制するべき官庁の間に癒着の問題があったとか、中古船を購入するときは建造から20年以内のものとされていたものが、李明博前大統領のときに30年までに延長されていたとか、官庁から業界団体への天下りによって荷物を積む際のチェックが見逃されていたとか、いろいろあるわけです。

 

こういう問題って、日本の原子力発電でも聞いた話ですよね。韓国に限らない。業界団体と規制官庁がズブズブの関係になっていたということは、残念なことですが、韓国や日本に限らずあちこちで見られる話なんですね。

 

 

―― 韓国だから起きたわけじゃないんですね。

 

だからといって事故の原因が日本と全部一緒だというわけじゃありませんよ。ただ、とにかく、「ガッ、チャン、コ」はダメなんです。

 

韓国には日本とは違う制度的な問題があるのかもしれません。韓国の大統領は任期が5年しかありません。そのため、どの大統領も官庁と業界がズブズブの関係にあるのは問題だと分かっていても、その問題に着手しようしても持ち時間があまりないんですよね。そのことをあらかじめ分かっているので、官庁も業界も最初から大統領の言うことなんて聞こうとしません。業界と官庁のズブズブの関係は一般的だとしても、さらに細かく見てみると議院内閣制の日本とはまた違った制度的なメカニズムが効いていることが分かります。

 

他にも、ただ単に「事故」として見るのではなくて、なぜ船の事故で、飛行機の事故じゃなかったのかと考えてみるのもいいですよね。

 

韓国の地理に注目してみると、ソウルとプサンはKTXという新幹線が開通して、2時間弱で行き来できるようになりました。どの国でも、移動時間が3時間を超えると飛行機を使って、3時間以内だと鉄道を使うと言われています。ソウルとプサンはいまでは飛行機よりもKTXを使う人のほうが多くなりました。そんななか、あの船が向っていた済州島は、飛行機と競合しているのは鉄道ではなくインチョンからの船便なんですよ。船会社としては、できるだけ利益を上げるために、無理な運航をしたり積み荷を増やしたのかもしれません。

 

「船長が悪い!」「いい加減な安全管理は韓国の伝統だ!」みたいに言い切るのは簡単なんですが、ぜんぜん説明になってないんです。乗客より先に逃げた船長や船員だけを罪人にして、場合によっては死刑にして、スカッとしてオシマイみたい理解の仕方では、この事故の原因解明にもならないし、教訓も活きてきません。

 

とにかく、一つひとつしっかりと分けて考えることが大切なんです。「分ける」と「分かる」って語源が同じなんですよね。

 

 

Be・Why・How・Should・Can、そしてWant

 

―― 比較政治学を研究する醍醐味ってなんでしょうか?

 

比較をすることでしか分からない何かを見つけ、示せると嬉しいですね。

 

野望が二つあるんです。まず韓国の全体像を描きたい。現地の人たちにこそ、「そう言われるまで気づかなかったが、言われてみるとそうとしか思えない」といった「一枚絵」を描きたいですね。もう一つは、その話を韓国にちっとも興味のない人にも面白いと思ってほしいんです。

 

研究って、つい、自分が面白いと思うことに集中してしまって視野が狭くなりがちなんですよね。グーッと近づくだけだと、ふと振り返ると、面白いと思ってくれる人が誰もいないということがある。そんなときはズームアウトして、他のものと比較する中で、「それ」の意味を位置づけなければいけない。韓国の選挙しか知らない、韓国のことしか知らない、山口県の地下道しか知らないじゃダメなんです。それぞれの対象と適度な距離感を持ちながら、ズームインやズームアウトをいつでも切り替えられるようになることが大事なんだと思います。

 

 

―― ちなみに比較政治学ってどこで勉強できるんですか?

 

実は、日本には政治学部が一つもありません。政治経済学部が少しあるだけで、政治学はほとんどの場合法学部政治学科で学びます。これも、他の国と比較すると、かなり独特なんですよ。

 

何に関心があるのかによってオススメの学び方は異なります。まず、現状がどうなっているのか事実を確定する“Be”。その上で、なぜそうなのか、因果関係を考える“Why”や“How”があります。研究はここまででいい、そうわきまえるべきだという考えがあります。

 

あるいは、そうした現状を踏まえた上で、さらに何をすべきなのか、本来あるべき姿を構想する“Should”や、そこに至るための道筋を提示する“Can”までやらないと現状確認、現状追認に堕してしまうという考えもあります。

 

“Be”や“Why”/“How”のほうに関心が強ければ、極端な話、政治学科よりもむしろ経済学部に入って統計学やゲーム理論といった方法をきちんと身につけた後で、大学院で政治学を勉強するほうが早いかもしれません。統計学やゲーム理論は汎用性のある方法なので、一度身につけておくと、何を研究するにしても、後々まで役に立ちますし、そうじゃないとお話にならなくなってきています。

 

同時に、方法だけではなくて、政治が面白いとか、好きだとか、さらには何とかしたいとか、そういう自分を内側から突き動かす部分もやっぱり大事なんですよね。だから“Should”や“Can”に関心がある人も大歓迎ですよ。いまは経済学部だけでなく政治学科でも、統計学やゲーム理論を徹底してトレーニングしてもらえるカリキュラムになっている大学も増えてきています。

 

要は、いろんな方法をしっかり身に付けて、自分は何をしたいのか、“Want”次第ですので、それこそ各大学や学部学科を比較して、何をどれくらい重視するかで決めればいいのではないでしょうか。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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