2020.12.11

「聖なるものを人間化する」若者たち―『再帰的近代のアイデンティティ論 ポスト9・11時代におけるイギリスの移民第二世代ムスリム』(晃洋書房)

安達智史(著者)社会学理論、政治哲学

再帰的近代のアイデンティティ論―ポスト9・11時代におけるイギリスの移民第二世代ムスリム

著者:安達 智史
出版社:晃洋書房

「イスラーム」あるいは「イスラーム教徒(以下、ムスリム)」と聞くと、どんなイメージをもつでしょうか。頭・全身を覆うスカーフやヴェールを着用する女性、白い帽子や首から足下までが隠れるガウンを着こなす男性などを思い浮かべるかもしれません。ヨーロッパに旅行した人なら、西洋の都市空間のなかに異質な文化的景観を作り上げる、少しとっつきにくい人たちという印象を抱くかもしれません。あるいは、より近年では、ヨーロッパやその他の地域で相次ぐ過激主義者による「テロ」となんとなく紐付けてイメージする人も多いかもしれません。

ここで紹介する拙著『再帰的近代のアイデンティティ論―ポスト9・11時代におけるイギリスの移民第二世代ムスリム』は、こうした西洋社会に見出されるムスリムについての一面的な見方を、イギリスにおける長年の調査に基づく豊富な事例を通じて、修正・刷新することを一つの目的としています。

では、本書で提示される新たなイスラーム/ムスリム像とはどのようなものでしょうか。それを説明するために、まず上に挿入されている表紙を見てください。この表紙は、私自身が写真を選びレイアウトしたもので、本書の主張を見事に表現したものとなっています(手前味噌ですが…)。そこでは、イスラームの宗教色である緑色のソファーに座る、女男が映っています。二人とも若いですが、その格好(=スカーフ、帽子)から、自身の宗教(=イスラーム)にコミットしている点がみてとれます。他方で、リラックスしながらソファーに座り、タブレットやパソコンを楽しそうに眺める姿は、どこにでもいる西洋の若者といった印象を与えます。ここで描かれているのは、「宗教的でありながらも、近代的ライフスタイルを享受している若者」であり、それは私がイギリスで接したムスリムの平均的なイメージとなっています。

本書で伝えたいメッセージは、現代イギリスの若者ムスリムはイスラーム化しているが、それは西洋社会のライフスタイルと矛盾しないどころか、そうした社会への適応のための前提になっている、という点です。

一見アクロバティックにみえるこの理屈は、次のポイントだけ抑えておけば、理解するのはそれほど難しくはありません。それは、若者のイスラーム化は「(宗教的)知識」の積極的な獲得に基づいている、という点です。具体例をあげながらみていきましょう。

たとえば、イギリスのムスリムの多数派を占めるアジア系(=パキスタン、バングラデシュ、インド系)の家族では、親が子の結婚相手を選ぶ風習があります(=強制結婚、お見合い結婚)。ある若者が、両親に「この相手と結婚したらどうか」と提案される際、それが「イスラーム的なやり方だ」と言われたらどうでしょう。イスラームを信じる多くの若者にとって、それを断ることは難しいかもしれません。しかし、その若者がイスラームについて学び、宗教的知識をもっていたなら、事態は異なるかもしれません。イスラームに強制結婚やお見合い結婚を積極的に命じる規定が存在しないことを知っていれば、その若者は両親の提案を断ることができます。「お母さん(orお父さん)。お見合い結婚は、イスラームではなく、アジア系の文化だよ」というように(これは実際にあった例です)。

もう一つ例をだしましょう。私が出会った20代後半のある女性は、イスラームの開祖であるムハンマドの最初の妻「ハディーシャ」についての知識を用い、両親の懸念をよそに社会で働くことを選んでいます。ハディーシャは、名だたる事業主であり、ムハンマドの雇い主でした(なお、彼の15歳年上で、40歳のときに結婚)。ハディーシャをムスリム女性が則るべき「ロール・モデル」として提示することで、この女性は、家族からのプレッシャーに抗し、(その時点で)結婚ではなく、キャリアを優先することを正当化したのでした。

逆にいえば、イスラームの知識を欠いていたなら、彼女/彼らは両親や家族の要求に抗えず、教育やキャリアという西洋社会における通常のライフコースをたどることは不可能であったかもしれません。宗教的知識を積極的に獲得することで、ムスリムの若者(とくに女性)は、実際にイスラームが「何を命じ」(=宗教)そして「何を命じていない」(=文化)のかを区別することで、抑圧的な一部の文化的慣習を拒否し、イギリスや西洋社会のライフスタイルに適応しているのです。

また、イスラームについて深く知れば、過激主義化のリスクも減ります。どの宗教でもそうですが、信仰の基礎である「聖典」(ex. 旧約/新約聖書、クルアーン)は古い時代に書かれているため、人々がそれを現代社会で生きるための指針とするためには、「解釈」が必要となります。重要なことは、聖典で述べられている文言は「一つ」ですが、解釈は「多数」ありうるという点です。現在の若者は、聖典で命じられている文言を字義通り受け取るのではなく、複数の解釈を学び、検討することで、イスラームを自身の生きる社会に適用させているのです。つまり、イスラームを深く知れば知るほど、人は柔軟な考えをもてるのです(‼)。柔軟な解釈ができれば、イスラームと西洋を「水」と「油」のように対置させ、西洋社会での生活を腐敗したものとして拒否/打倒しようとする過激な思想に傾倒するリスクは減るでしょう。

以上が示しているのは、現代の若者はかつてないほど宗教的知識と身近になっているという点です。それは、宗教的インフラの充実(ex. モスク、宗教学校、宗教関連書籍)に加え、高学歴化によるリテラシーの向上によって宗教について書かれた文章に直接触れ、それを解釈できる知識ある若者が増えたことが背景にあります。また、インターネット等の情報化の影響も重要です。これまで宗教的知識や解釈は、家族や地元にあるモスクの学者や指導者といった限られた人たちから提供されてきました。ですが、情報化のおかげでいろいろな情報源(ex. 本、電話相談、アーカイブス、ブログなど)を通じて、いまや誰もが多様な宗教的知識を自由に獲得でき、また現代の生活に合う解釈を学ぶことができるようになっています。

こうした事態を、私は「聖なるものを人間化する(humanizing the sacred)」と呼んでいます。つまり、現代の若者ムスリムは情報化の力を借りて多様な宗教的知識を獲得することで、神から課された「聖なる」教えを、自身が生きる社会的環境(=西洋、近代)やその時々の関心に合致する形で柔軟に解釈する(=「人間化」する)ようになっているのです。表紙で描かれた、タブレットやパソコンという近代的機器を操る若者ムスリムの姿は、まさにこの点を表しています。

最後に本書を通じて新たなイスラーム/ムスリム像に触れることで、かつて私自身が経験した新鮮な驚きを追体験してもらえれば、筆者としてこれ以上嬉しいことはありません。

プロフィール

安達智史社会学理論、政治哲学

社会学理論、政治哲学、イギリスの社会統合政策研究、若者ムスリム研究。Institute of Education(University College London)客員研究員を経て、2015年4月より近畿大学総合社会学部専任講師。東北大学文学研究科博士課程修了、博士(文学)。著書に、『リベラル・ナショナリズムと多文化主義——イギリスの社会統合とムスリム』(勁草書房、2013年)。主たる受賞歴「第9回日本社会学会奨励賞(論文の部、2010年)」(受賞論文「ポスト多文化主義における社会統合について——戦後イギリスにおける政策の変遷との関わりのなかで」『社会学評論』60(3): 433-448、2009年)。

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