2021.02.16

トランプの背後にある思想――『アメリカ保守主義の思想史』(青土社)

井上弘貴(著者)

アメリカ保守主義の思想史

著者:井上 弘貴
出版社:青土社

2021年1月6日は、アメリカ史に残る日となった。この日、首都ワシントンDCのホワイトハウス近くの野外広場でトランプ大統領の集会がおこなわれた。この集会に参加した支持者たちの一部が、トランプの演説後、連邦議会議事堂に大挙して押し寄せ、議事堂に突入した。議会ではこの日、前年の大統領選挙の結果を受けて、各州から提出された選挙結果(選挙人団の数)を確認してそれを承認する手続きが進められていた。この作業は中断され、ペンス副大統領を含めた議員たちは避難を余儀なくされた。議事堂乱入は死傷者が出る事態となった。

トランプはこの日の演説の最初に、かれの集会でのお決まりの発言だが、支持者たちの背後にいるカメラや報道関係者を指さして、「フェイクニュースメディア」と呼び、かれらこそが問題だと支持者たちを焚きつけた。事実であるかそうでないかは別として、メディアはエリートたちによって牛耳られており、正しいニュースを流していない(フェイクニュース!)という見方は、トランプ政権の4年間のなかでこれまでになく多くの人々に浸透した。この見方はアメリカを越えて、日本を含めた世界の一定の人々に共有されており、陰謀論が力をもつ源にもなっている。

メディアをはじめとする主要な社会の制度が、エリートたちによって牛耳られているという見方は、左派の側からもしばしば出されるが、アメリカにおいては右派であるところの保守の側からも、長年にわたって出されてきたことは、日本では意外と知られていない。本書『アメリカ保守主義の思想史』は、日本ではまだ十分に知られているとは言い難い、アメリカの保守主義の思想の歴史を主要人物たちの伝記的な側面も含めてたどりながら、トランプを支持する保守知識人たちの登場までを描いたものである。

戦後アメリカの保守主義は「保守」とは名ばかりで、左派にまったくひけをとらないほどアメリカ社会の変革を目指す思想だった、というのが本書の基本的な主張である。ニューディール・リベラリズム、1960年代のより左傾化したリベラリズム(本書ではニューポリティクス・リベラリズムと呼んでいる)、そして今日のポリティカル・コレクトネス・リベラリズムと、アメリカ社会を変えようとするリベラリズムという数度にわたる「革命」の波に抵抗する、そう言ってよければ「反革命」の思想が戦後アメリカの保守主義だった。革命に抗する側は革命側と同じ程度に過激である、という構図である。実際に本書に登場する保守の知識人の多くが、マルクス主義からの転向者、あるいはそうした転向者から深く影響を受けた人々である。かれらは驚くほど左派とよく似た世界理解の視座、社会変革のための政治戦略を採用してきた。これが本書のポイントのひとつである。

かれらが採用してきたコンセプトのひとつが、経営者階級やニュークラスである。経営者階級はトロツキズムからの転向知識人であるジェイムズ・バーナムが用い、ニュークラスはアーヴィング・クリストルやノーマン・ポドレッツらネオコン第一世代が使った概念である。ニュークラスに焦点を絞れば、この言葉でクリストルたちは戦後の社会に登場してきた大卒の専門職の社会階層を指し示したが、この階層こそが今やアメリカの新しい支配層になりつつあるとかれらはかつて理解した。この理解は、戦後アメリカ保守のなかのさまざまな潮流に引き継がれ、今日、トランプを支持する知識人たちにも継承され、エリート対ピープルというポピュリズム的思考のベースになっている。

トランプの言う「フェイクニュース!」というかけ声は、「俺は気に食わない」という意味以上のものをもたないかもしれない。ただ、トランプの直感を「トランプ主義」へと高めようとしてきた、あるいはこれからも高めようとしていくひとたちが、ニュークラスのような概念によって自分たちの主張をつくりあげていることは知っておいて良いだろう。本書がその手がかりになれば幸いである。

本書のもうひとつのポイントは、左派がさまざまな潮流にわかれ、相互に対立してきたのと同様に、右派である戦後アメリカの保守もまた、内部がさまざまな潮流にわかれ、相互に対立してきたということである。本書では、戦後アメリカの保守の主流を形成した、ウィリアム・F・バックリー・ジュニアらニューライトの思想から出発し、そこにネオコンたちが合流していった過程を描くとともに、この主流からはじき出された人々、言わば戦後アメリカの保守の傍流にも光をあてた。

2000年代のアメリカによるイラク侵攻の際、侵攻を批判するアメリカ内部の声としてノーム・チョムスキーといった左派の知識人の主張は日本でもよく紹介された。ただ、当時アメリカの内部で政府の対外政策を批判した側には、保守も含まれていた。その保守は、ネオコンと激しく対立したペイリオコンと呼ばれる潮流である。その後、このペイリオコンたちはトランプを熱狂的に支持する知識人グループになっていった。

2016年大統領選挙に先立つ共和党の候補者レースのなかでトランプが台頭し、実際に共和党の大統領候補となるなかで、従来の戦後アメリカの保守の主流は反トランプの論陣を張り、傍流は親トランプの側についた。トランプがヒラリー・クリントンを制して大統領選挙に勝利すると、従来の傍流はますます勢いを増し、反トランプだった主流側の少なくない者たちが、トランプの軍門にくだった。

2020年大統領選挙でトランプが敗北し、支持者による議事堂突入、その後の下院によるトランプへの2回目の弾劾決議という一連の出来事を残しつつ、トランプがホワイトハウスを去った今、進行中だった戦後アメリカの保守内部の勢力再編がさらにどのように推移するのかは、まだまだ不透明である。戦後アメリカの保守内部の動きを今後ともウォッチする際に、本書が引き続きその布置を理解する助けになれればと思う。

プロフィール

井上弘貴

一九七三年生まれ。神戸大学国際文化学研究科准教授。早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。専門は、政治理論、公共政策論、アメリカ政治思想史。著書に『ジョン・デューイとアメリカの責任』(木鐸社)、訳書にポール・ギルロイ『ユニオンジャックに黒はない――人種と国民をめぐる文化政治』(月曜社、共訳)など。

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