2021.02.26
緊縮財政への復帰はあり得ない――『99%のための経済学 コービンが率いた英国労働党の戦略』(堀之内出版)
本書が出版されてから、ながい時間が流れました〔原著の出版は2018年〕。多くの人々にとってショッキングなことに、労働党は2019年の英国総選挙で敗北し、本書で示されたアイデアを練り上げ、直ちに政策として実行に移す機会を失いました。さらに、新型コロナウイルスのパンデミック(コロナ危機)が襲いかかり、計り知れない犠牲と苦難をもたらしています。
ずばり、問題は次の点です。本書が提起した分析やアイデア、そして政策は、はたして現時点においても重要なものと言えるのか。
これに対する私の答えはこうです。コロナ危機によって、本書の分析やアイデア、政策はむしろ、これまで以上に有効で緊要なものとなったということです。
コロナ危機は、私たちの政治・経済体制に対する耐圧試験でした。このパンデミックは、ながらく新自由主義に支配されてきた体制の欠陥と弱点を、白日の下に晒しました。2008年の金融危機の後、10年以上にわたって緊縮財政が続けられてきたせいで、私たちの社会は、パンデミックに対する準備が全くできていませんでした。10年ものあいだ、主に社会的ケアや医療サービスなど、重要な公共サービスに対する投資が削られてきたせいで、救命と治療に不可欠な、基本的なサービスを提供する能力が損なわれていました。その結果は、とりわけ高齢者の衝撃的な死亡者数に表れています。
賃金の凍結や、社会保障給付の削減、そして公共部門の仕事のアウトソーシングと私有化(民営化)により、英国がパンデミックに襲われる数ヶ月前においても、人々の週給は、2007年から2008年の金融危機以前の水準に追いついていませんでした。そこに、感染のリスクを減らすためのロックダウンが加わり、人々は収入の途絶に直面しましたが、それを乗り切るための経済力はほとんど残っていませんでした。醜悪なまでの社会的不平等のせいで、貧困層はコロナ危機にきわめて脆弱でした。劣悪な住居に住む人々や、少数民族や黒人のコミュニティに属する人々も同様でした。感染リスクにもかかわらず、仕事に戻ることを余儀なくされた労働者たちの姿を見れば、生死に関わる健康や安全の問題についても、彼らが労働現場での発言権を失ってきたことが、はっきりと窺えます。
とはいえ、パンデミックから数多くの教訓も得られました。それによって、本書の各章で述べたような、抜本的な変革が必要なことも明らかとなりました。価値観の見直しが始まったのです。人々は、お互いをどれほど気遣ってきたのかということだけでなく、お互いがこれほどまでに不可欠な存在だったということについても、再認識を迫られました。パンデミックは、本書の各論文を貫いているテーマを浮かび上がらせました。それは、連帯意識や社会正義の重要性、そして集団的な取り決めと行動の必要性です。
地域や地方、そして全国のレベルで政府の役割が欠かせないことは、40年にわたってそれとは真逆の主張を続けてきた「小さな政府の狂信者たち」でさえも、認めざるを得なくなっています。急速で劇的な変革を実施するには財源がないという議論は、すでに反駁されており、もはや通用しないものです。パンデミックに対処しながら、経済のルールを書き換え、新たな経済を構築していくことができれば、いったいどんな社会が実現できるのでしょうか。それを思い描く機会が訪れたと言えます。
一部の人たちは、「より良く復旧しよう(Build Back Better)」というスローガンを掲げています。コロナ危機のような苦難の後には多くの人が、「正常な」状態に戻りたいと思うのは当然のことですから、これは魅力的なスローガンだと言えます。しかし、「より良く」は結構ですが、「復旧」は拒否せねばなりません。私たちは、もといた場所に戻ることには心の底から反対しなければなりません。過去の「正常な」状態は、多くの人にとっては、不安や圧迫感、そしてストレスに満ちた生活でした。そして一部の人々にとっては、耐えがたい苦難や搾取、貧困、絶望の生活でした。このような貧困の生活、希望なき世界に戻ることは断固、拒否せねばなりません。
私たちは過去に、支配層(エスタブリッシュメント)が危機というチャンスを決して無駄にせず、富と権力をがっちり掌握すべく、社会と経済を作り変えるのを見てきました。企業は、労働者の賃金を削減し、雇用条件を悪化させ、長期的な利益を最大化させるために、長年あたためてきた戦略を、このコロナ危機に乗じて実行に移しています。また一部の政治家たちは、この危機をチャンスとして、コロナ関連の有利な契約案件で、政党に献金してくれる人たちに利益供与をしています。それだけでなく、過去の民主主義闘争の結果として導入されてきた、公共サービスに関する基準や義務の多くを撤廃し、市民の自由を再び制限し、市民社会に対する統制を強化しようとしているのです。
革新派(プログレッシブズ)の役割は、コロナ危機で再認識された前述の価値観に基づいて、新たな社会を構築するチャンスを、この悲劇の中から掴み取ることです。この新たな社会の建設に向けた実践的な道筋を描くうえで、緊縮財政への復帰はあり得ないということを、まずは明確にせねばなりません。心配なことに、すでに一部の政治家たちは、給与の凍結や公共支出の削減を伴う新たな緊縮財政を提示して、人々の反応を窺っています。
パンデミックは多くの人々が、職に就いているか、社会保障を受けているかにかかわらず、深刻な経済的不安を抱えていることを明らかにしました。この不安を解消しうる方法が二つあります。
第一の方法は、職に就いているか、働けないかにかかわらず、まっとうな生活水準を確保できるように設定された、最低収入保障(ベーシックインカム)の導入です。
他方、生活水準と職場での身の安全を守るために、労働組合への加入が最も効果的な方法であることは、様々な証拠によって裏付けられています。したがって、多くの人々がいま抱えている不安に対処する第二の方法は、労働組合の権利を確立し、搾取を終わらせ、職場での真の発言権を労働者に与えることです。効果的に、企業の意思決定に影響を与えることができれば、職場での安心感が生まれます。労働者が、意見を聞いてもらえるだけでなく、企業の意思決定において重要な役割を果たすようになるためには、企業の取締役会に労働者代表が参加することが非常に重要です。本書が提案する、労働者が企業の株式を集団的に所有する包括的な所有権制度は、報酬の公平な分配だけでなく、重要な意思決定に対する労働者の発言権を確保するものとなります。
パンデミックは、私たちの生活の質を保つ上で重要な、基本的なサービスが数多くあることに気づかせてくれました。それらはあまりに重要なものなので、おカネがある人だけに提供される商品として、取り扱われるべきではありません。このようなサービスには、医療や社会的ケア、教育、住宅が含まれます。そしてさらに、無料の交通機関やインターネット接続も含めるべきだというふうに、議論が広がりつつあります。これら全てを普遍的に提供し、普遍的な資金でまかなうべきです。より多くのサービスが、単なる商品として扱われることがなくなれば、社会における不平等と貧困に対処できる可能性が拡大します。
このパンデミックの危機への対処は、気候変動という生存上の脅威に立ち向かう予行演習となります。パンデミックの中で前面に現れた価値観や原則は、私たちがこの気候変動の危機に対処する上でも、そのまま当てはまります。連帯という価値と原則、集団行動があらゆる戦略の核心であるという認識、民主的政府の役割、公共的な所有と管理、そして公正な資金調達による巨額の投資など、本書が提示するのは急進的な政策(プログラム)ですが、この未曾有の試練の時代に私たちに必要なものこそ、こうした急進的な現実主義(プラグマティズム)なのです。
プロフィール
ジョン・マクドネル
1951年生まれ。英国労働党の政治家。工場労働者として働きながら夜間学校に通い、大学に進学。その後、労働組合役員、大ロンドン議会(GCL)財務委員長などを経て、1997年から英国議会議員。労働党の左派グループ「ソーシャリスト・キャンペーン」のリーダーとして「少数ではなく、大多数の人々のために `for the many, not the few’」をスローガンに政治活動を展開し活躍。2015年の労働党党首選で「泡沫候補」から「奇跡」の勝利を果たしたジェレミー・コービンのもとで「影の財務大臣」を務め、政策ブレーンとして革新的な提言を続け注目を集める。しかし、2019年の総選挙で労働党が敗北を喫したことで「影の財務大臣」を引責辞任。労働党議員として精力的に活動を続けている。