2021.04.06

ルワンダという国の主役たち。彼らは世界とどこへ向かうのか――『ルワンダでタイ料理屋をひらく』(左右社)

唐渡千紗(著者)ルワンダのタイ料理屋「ASIAN KITCHEN」店主

ルワンダでタイ料理屋をひらく

著者:唐渡 千紗
出版社:左右社

ルワンダと聞いて、多くの日本人にとっては「アフリカのどこか」でしかないだろう。知っているとすれば94年のルワンダ大虐殺のこと、または近年もてはやされているICT立国という両極端なイメージであることが多い。

民族間の大虐殺というのは日本人にとってなかなか想像がつかないものであり、またアフリカにおけるICT立国というのもすぐにはイメージしづらいだろう。一体ルワンダはどういう国なのだろう。そしてそこで暮らす人々はどういう人々なのだろうか。

本書の魅力の一つは、実在の人物のそれぞれ愉快な、そして時として悲しいエピソードを通して、ルワンダの政治経済、社会や文化をリアルに感じることができる点だ。

ルワンダ人は――、ルワンダでの暮らしは――、という一般的な話は、数日視察に来ただけで、いや、もはや足を運ばずともインターネット上のリサーチでそれらしいことが書けてしまうご時世だ。しかし本書は、2015年からコロナが来た2020年という時代に、一人の日本人女性(著者)が首都キガリで始めたタイ料理レストラン「アジアンキッチン」を舞台に繰り広げられる、従業員と店の成長物語でもある。

タイ料理屋を開くまで、そして開いてからも起こりまくるハプニングは、想定を軽く超えてくる。電子レンジを水洗いして壊してしまうスタッフや、店の装飾品を勝手に売り飛ばすスタッフ。施工を任せたケニア人には金を騙し取られた上に逃げられるし、水も電気も安定しない中での飲食店経営。なかなかに大変な日々だが、読みながらつい自分でもププッと笑ってしまう。

食材の仕入れに関しては内陸国の苦悩を自分ごととして味わう。タイ料理が嫌いなシェフや、お客さんをどんなに待たせても気にしないホールスタッフのトレーニングに腐心する中で、彼らの食文化や生活環境、価値観が少しずつ見えてくる。虐殺についても、日々接する人たちが実際に体験した話を通して知ることとなる。

そして新型コロナという世界を震撼させる危機に直面する中で、一見ハチャメチャに見える彼らの底力を著者は目の当たりにする。第5章「2020年、春」では、新型コロナにルワンダ政府と国民がどう対峙しているのか、コロナ流行下での店の経営を通して詳細に描いた。

ルワンダは初の感染者が2020年3月半ばに確認されるとすぐに教会が閉まり、閉校も決まり、国境が封鎖され、都市間移動禁止、原則外出全面禁止のロックダウンとなった。実にたった一週間での出来事。本書でもハラハラドキドキの展開となっている。

日本のように「自粛」や「要請」という生優しいものではなく、「禁止」だ。政府と軍が取り締まりにあたり、違反すればすなわち逮捕、拘束の対象となるのである。そんな厳しい制限の中、ロックダウンで収入がゼロになった人は全体の6割を超えるという事態に。普段から貯蓄などなく、その日食べるために稼いで暮らしている人が多い国で、そのわずかな日銭すら完全に断たれてしまうなんて……。だが、彼らはデモや抗議をするでもなく、受け入れ、じっと耐えていた。

ロックダウンが解除となってからも、夜間の外出禁止は2021年3月時点、いまだ解かれていない。アジアンキッチンでは、スタッフたちが必死に店を回しながら、夜間外出禁止の時刻になる前になんとか家にたどり着こうと今日も奮闘している。その様子は5章の見出し「門限までに突っ走れ!」に詳しく書いた。営業時間すなわちシフトも削られ、出社すれば門限との闘いになり、時として門限に間に合わず、警察に拘束されてしまうことも。そんな状況でも「エブリシング・ウィル・ビー・オーライ」と明るく前向きに日々を乗り越えていく彼らに、著者は深く心打たれる。

彼らの強さは、一体どこから来るのだろうか。普段から過酷な環境を生きているから、というのはありそうだ。新型コロナも言ってしまえば、いつもルワンダにたくさんある脅威のうちの一つでしかない。

いまだにマラリアという脅威に、日本よりも劣悪な医療環境の中さらされている。世界経済が打撃を受けているが、そもそも世界経済から取り残されて生きている人が多くいる。政府から「3時間後から都市間移動禁止!」といきなり言われ、3時間後本当に施行されるなんて日本では考えられないが、こちらでは普段から政府と軍部は絶対である。そう、彼らは新型ウィルスなんてものが来る前から日々大変なことばかりで、今に始まったことではないのだ。

そして強さの理由はそれだけではない。この国ならではのものもあるように思う。国境封鎖が発表されて外国人が続々と退去する中、子どもたちとルワンダに留まったが、「こんな時にそんな国にいて大丈夫なの?」と何度か聞かれた。「あんなことのあった国だから」という思いは、以前なら私もきっと頭によぎっていただろう。だが実際は逆で、あの絶望を国民全員で経験したからこそ、絶対にあの頃のようには戻りたくない、戻らないのだという強い国民感情があるように感じる。

この国民感情を引き出しまとめているのは、この国のリーダー、ポール・カガメ大統領である。94年の4月から約百日間続いた殺戮を終わらせた張本人であり、国の英雄だ。多数派フツ族の過激派が少数派ツチ族抹殺を掲げ、ツチ族のみならず穏健派フツ族も犠牲となった。犠牲者の数は80万人とも100万人とも言われている。虐殺後、カガメ大統領は共通の歴史認識を国民に促し、民族の分断を徹底的に予防する法律や仕組を作り上げ、強大な力で推進している。民族区分は完全に廃止され、みな「ルワンダ人」として結束することが強く求められている。

アフリカにはまだ、その国のリーダーいかんで民衆の暮らしが決まってしまう国が多くある。より良くなるかそうでもないかというよりは、残念ながら、どのくらい過酷な人生になるかが生まれた時点で決まっているという現実。ルワンダも例外ではないが、そうした前提の中では比較的「安定」した国だとは言えるだろう。

まず治安が圧倒的に良い。外国人を狙った凶悪犯罪は首都キガリではほとんど起きていない。治安は警察と軍によって守られている。アフリカの警察と言えば汚職のイメージが強いが、ルワンダでは異なる。日常生活においては、私自身5年間で汚職に遭遇したことは一度もない。

また新型コロナ対策においても、ルワンダ政府の対応は安定していると言える。オーストラリアの有力シンクタンク「ローウィー国際政策研究所」が2021年1月末に発表したランキングで、世界98カ国・地域のうちルワンダは6位を獲得した(日本は45位)。統計の取り方は議論があるかもしれないが、少なくともルワンダに住む外国人として、コロナが来てからも比較的安心して暮らせているのは事実である。

大統領の力が圧倒的であり、鶴の一声で万事が決められる体制には批判の声もあるものの、コロナ禍においては奏功したと言えるだろう。

さて、上記のようにルワンダという国は大統領なしには語れないが、あくまでもこの本の主役はルワンダの一般市民である。それも顔の見えない「ルワンダ人」ではなく、イノセント、クラリセ、ラシードといった一人ひとりだ。前述のように彼らは強く前向きに生きていて、その生きざまに著者は心を震わせる。だが、美化することはできない。なぜならそれは、どんなことでも受け入れるしかないという厳しい現実の裏返しでもあるからだ。

第3章「貧しいって、ツラいよ」では、役人の御曹司など富裕層が通う一流学校の丘の下にはスラムが広がっている現実や、孤児院出身のスタッフの過去、輝かしい女性議員比率などの裏で苦しむ女性の姿などに触れた。我が子を亡くした直後も働かねばならないシングルマザーのお手伝いさんや、生き残る術として私を脅迫してくる元スタッフ、50円札を拾おうとして車にはねられてしまう従業員など、重たいエピソードが続く。彼らは悲劇に直面してもなお、「ザッツ・ライフ(人生とはそういうものだ)」と前を向き、また歩いていくしかないのだ。

ルワンダを訪れ、街や田舎でたくさんの子どもたちを見て「子どもたちの笑顔に心が洗われました」という感想を述べる観光客は多い。確かに溢れる子どもとその笑顔は希望だ。でもこの数の子どもたちが大人になる頃、この国に産業はあるのだろうか? 職はあるのだろうか? と危うさを覚えずにはいられない。そしてこの国の現役リーダーの統率力をまざまざと実感すればこそ、次はどうなるのだろう、と考えずにはいられない。その答えを、この国の主役である一般市民がその胸に確信する日は来るのだろうか。

そんな日が来ることを外から祈る、と無責任に結ぶことはできない。彼らは自助努力だけではどこにも行けない構造の中に囚われており、そしてこの構造をたどっていけば、先進国の人間という受益者に行きつく。日本とも関係ない話ではないのだ。

今回、ウィルスとの闘いに人類が勝利するには全員で勝利するしかない、つまりまだリスクにさらされている人が世界のどこかにいる限り、自分の安心が約束される日は来ない、ということを学んだ。また昨今、日本で使われているSDGsという言葉には「誰かのためにいいことをしよう」という響きを感じるが、誰かのためではなく自分のためだ。それしか人類が生き残る術がないほどに状況は逼迫している。でもやはり豊かな国に暮らしていると、実感がわかない。

本書を通して自分には関係ないと思っていた「アフリカのどこか」の話を知り、それぞれができること、やるべきことを考えるきっかけとなることを願ってやまない。

プロフィール

唐渡千紗ルワンダのタイ料理屋「ASIAN KITCHEN」店主

1984年生まれ・東京都出身。早稲田大学法学部卒業後、株式会社リクルートに就職、人材事業に従事。30歳で退職し、当時5歳の息子を連れてルワンダへ移住。
日本とは全く異なる環境であるルワンダで、ゼロからタイ料理屋 ASIAN KITCHEN を立ち上げ、経営に奮闘している。

この執筆者の記事