2021.05.18

社会問題の構築主義2.0へ――『社会問題とは何か なぜ、どのように生じ、なくなるのか?』(筑摩書房)

赤川学(訳者)

社会問題とは何か: なぜ、どのように生じ、なくなるのか?

著者:ジョエル・ベスト/赤川学
出版社:筑摩書房

「社会問題」という言葉を見て、何を思い浮かべるだろうか。

コロナ禍、失業、不景気、貧困、差別、格差、環境破壊、気候変動、少子高齢化、いじめ、犯罪、虐待、テロリズム、戦争…。人により、思いつく「社会問題」はさまざまだろう。

社会学にも、さまざまな社会問題に対処する「専門家」があまたいる。彼らは専門領域をもち、各々の「社会問題」の解決に向けて、日夜取り組んでいる。

しかし、ふと原点に立ち返って、「そもそも社会問題とはなにか」、「社会問題をどのように研究したらよいのか」と問うてみると、研究者の間でも意外なほどにコンセンサスがあるとはいえない。なぜなのか。

たとえば社会問題を、「社会にとって有害な状態」と定義したとする。そうすれば、上に挙げた社会問題を、共通の枠組みで論じられるようになるだろうか。

おそらく、ならない。なぜか。第一に、有害とみなされている社会状態のすべてが社会問題とされるわけではないからである。たとえば現在、人種差別や性差別は、人種や性別といった特定の属性に基づいて、根拠なく不利な扱いを受ける事態と考えることができる。しかし、ある米国の研究者によれば、身長が低い人は、そのことによって職業キャリア(出世)や収入の面で明らかに不利を被っている。だがこれを「身長差別」として言挙げする人は、極めて少ない。同様に、異性/同性に「もてる/もてない」に関しても、大きな格差が存在するが、この「モテ格差」を、社会問題の一つとして数え上げる人はほとんどいない。

第二に、同一の(有害な)状態が、異なる理由で社会問題とみなされることが多いからである。たとえば多くの先進国では、肥満状態にある人は、仕事をみつけるのが難しく、軽蔑の対象にもなる。これが体重差別にあたる主張もある。他方、肥満は不健康であり、社会に多額の医療費を負担させることになるから問題だという主張もある。つまり何が有害な状態であるかについて、しばしば見解が分かれるのである。

このような状況を前に、社会問題をいかに研究したらよいのだろうか。ここで、社会問題を、「なんらかの想定された状態について苦情を述べ、クレイムを申し立てる個人やグループの活動」と定義する考え方が生まれてくる。社会問題とは、客観的に有害な状態というよりは、「社会の状態に対する関心を喚起する努力」であり、その努力の結果、社会問題が構築される。このように考えるのが、社会問題の構築主義である。

米国で、この構築主義アプローチを主導した社会学者が、日系米国人のジョン・キツセであり、これを継承したのがジョエル・ベストである。キツセとベストは、社会問題の構築主義を主導した「ツイン・ピークス」、「ケインとアベル」、「馬場と猪木」と称してよい存在である。

社会問題の構築主義は、「いかにして、なぜ、特定の状態が、社会問題として構築されるのか」と問いかける。そのうえで、貧困などのメジャーな社会問題にかぎらず、UFOによる誘拐といったマイナーな問題も含めて、それらが、「なぜ、いかにして、特定の時期に、特定の場所で、興味関心がもたれる話題として現れたのか。なぜ人びとはある状態に対して、なすべきことを決定するのか。いかにして人びとは何をすべきかを決定するのか」を解き明かそうとする(ベスト『社会問題とはなにか』筑摩書房、2017=2020:28)。

このようなアプローチをとるとき、社会問題のみかたは、どのように変わるだろうか。

社会問題の構築主義によく似た言葉として、「社会構築主義」という立場がある。これは、たとえばジェンダー(性差)、エスニシティ(民族)、ナショナリティ(国家主義)といった現象Xが、「社会的に構築されたものにすぎない」として、その恣意性や可変性を指摘する。それゆえ、現象Xのありようを、教育や社会運動によって変えることができるというのである。実際、このような考え方(社会構築主義)に基づいて、さまざまな社会的差別や格差の是正が正当化されてきた。こうした立場を「構築主義1.0」と名付けよう。

しかし、上で挙げたような現象のうち、たとえばジェンダーが、日常生活や慣習、制度のなかで構築される側面をもつとしても、それが生物学的ないし生得的な実体(自然性)をもつことを完全に否定することは難しい。他方、ジェンダーの隣接領域というべきセクシュアリティ(性的指向)や性自認(性的アイデンティティ)に目を転じれば、その生得性や自然性を強烈に主張する人も少なくない。

こうした状況下で、「セクシュアリティも社会的構築にすぎないのだから、変えることができる」と教条的に述べたり、「ジェンダーは社会的構築だが、セクシュアリティは生得的自然だ」と論じたところで、実りある議論にはなりにくい。

これに対して、社会問題の構築主義は、「性差は社会的構築である」とか、「性的指向は生得的なものである」と述べることによって、何が遂行されているのかを解こうとする。たとえば、多くの同性愛者が、歴史的に自らの性的指向の生得性を主張してきたのはなぜか、と問い始めるのだ。

そうすると、以下のような状況が認識される。

サイモン・ルベイによれば、1990年代の米国では、同性愛は「自分で選択したものだ」と考える人(選択論者)よりも、同性愛は「自分ではその性向を変更できない」と考える人(非選択論者)のほうが同性愛に対して寛容であったという。ある保守系の人は、「それ(同性愛)は生まれながらのものなんですね。そしてもし生まれながらだとすると、罪であるはずがありません」と述べたという(サイモン・ルベイ『クイア・サイエンス』勁草書房、1996=2002:4)。

つまり、同性愛は罪であり、自ら選択したものであるならば矯正できるはずだ、という前提が存在する社会では、「同性愛などの性的指向は生得だ」と述べることは、同性愛者の存在とアイデンティティを他者に承認させるための言説的戦略として、現在でも、大きな意義を有するわけである。社会問題の構築主義は、社会構築主義のように、「現象Xの社会構築性」という認識の側に立って、そこに撞着するのではなく、そうした言説が発せられる文脈や効果を解析しようとするのである。

このような視点を取ることにより、社会問題の構築主義は、ミシェル・フーコー以降の言説分析、政治学(政治過程論)、法学、行政学、社会運動論などと緩やかな連携を取りながら、経験的な社会科学の方法論として発展することが期待できる。もちろん研究者だけでなく、社会問題の構築をこれから実践しようとする当事者、活動家、政策担当者にとっても、どのようなクレイムが効果的で、どのクレイムが失敗に終わるかを学ぶための有効な情報を得ることができる。社会問題クレイムの受け手である市民や庶民にとっても、あらゆるクレイムを批判的に考えるためのツールになりうることはいうまでもない。

このように構想された社会問題の構築主義を、これからは「構築主義2.0」と読んでみたい。昨年、筆者が監訳したジョエル・ベストの『社会問題とは何か』(筑摩書房、2017=2020)は、その手がかりを与えてくれる最良の一冊と自負している。

プロフィール

赤川学

1967年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科社会学専攻博士課程修了。博士(社会学)。現在、東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は社会問題の社会学、歴史社会学、セクシュアリティ研究、人口減少社会論。

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