2021.12.13

犬は人に「上下関係」を求めていない――『犬にウケる飼い方』(ワニブックスPLUS新書)

鹿野正顕(著者)スタディ・ドッグ・スクール代表

犬にウケる飼い方

著者:鹿野正顕
出版社:ワニブックスPLUS新書

日本人は犬という動物をわかっていない

「日本人は犬という動物についてあまりにも無知である」

こんなことを言うと、長年犬を飼っている人や、いま現在愛犬と楽しく暮らしている人たちから反発を食らいそうです。

犬は言うまでもなく、人間と最も親密な関係を築いてきた動物です。はるか数万年前から人間の暮らしに関わるようになり、「人類の最良の友」といわれるように、最も身近な動物として愛されてきました。

日本でも平安時代には貴族がペットとして飼い始めていたとされ、いまでは約850万頭もの犬が家庭で飼われるようになりました(一般社団法人ペットフード協会・2020年全国犬猫飼育実態調査による推計)。

それでも、「日本の社会に犬は完全に溶け込んでいる」というような話を聞くと、ちょっと違うのではないかと僕は感じてしまいます。

ドッグトレーナーという仕事を通じて、多くの飼い主さんや愛犬家たちに接していると、「日本人は犬という動物をわかっていない」と痛感することが多いのです。

日本では、2000年前後からペットブームといわれる現象が起こり、それはいまだ継続中とされています。ブームとともに初めて犬を飼う家庭も急増し、いまではペットというより「家族同様」の扱いで犬を飼う方も増えています。

そうした人たちが犬を飼う理由としてあげるのは、「生活のうるおい・心の癒し」「犬が好きだから・かわいいから」というのが大半です。希望通りに、愛犬とのハッピーな毎日を楽しんでいる方も大勢います。僕自身もずっと犬を飼っており、犬との暮らしは本当に楽しいものだと実感しています。

しかし一方では、犬を飼うこと自体が飼い主のストレスになってしまったり、愛犬の行動に困り果てているという例も少なくないのです。

犬との生活が想像とは違うものになり、一代限りで犬を飼うのをやめたり、極端な場合は、途中で「飼い犬を手放す」ということまで起きてしまっています。

なぜ、そんなことになってしまうのでしょうか。

その最も大きな原因が、「日本には犬についてあまりにも無知な飼い主さんが多い」ということです。犬とはどんな動物か、という基本的知識を持たない人が多いのです。

よく知らないまま犬を飼い始める人たち

日本のペットブームの初期を支えたのは、いわば“流行”でした。

ブームの中心はもちろん犬と猫ですが、犬については、テレビドラマやCMに登場して話題となった犬を見て、同じ犬種を望む人が大変多くなりました。

「テレビで見た“かわいくておりこうさんな犬”と自分も暮らしたい」という単純な願望を優先し、住宅事情や自分の生活リズムなどは深く考慮せずに飼い始めるケースも、少なからずあったのではないでしょうか。

以降、数年ごとに人気の犬種は変化していますが、飼い主側は、初めて飼う犬種でも、その特徴や習性をよく知らないまま家に迎えることが多かったのです。犬種で人気が高いのは、ほとんどが洋犬(外国産の犬種)で、日本犬の中では柴犬がだいたい人気ランキングの5位前後に位置しています。

洋犬には、人間の目的(狩猟、牧畜の補助、護衛など)に応じて人の手で改良を重ねられてきた長い歴史があります。そのため犬種ごとの特徴・特性がはっきりしていて、性格や運動能力も異なります。犬種によっては、遺伝性の疾病を持っている場合もあります。

流行によって犬の商品としての価値が高まると、そうした犬種ごとの詳しい知識を持たない一部の業者やブリーダーも市場に参入してきます。彼らから犬を入手するのは、いわば「取扱説明書なし」の商品を買うようなものなのです。

犬の知識を十分に持たない飼い主が、「取説なし」の状態で犬を迎えるとどうなるでしょうか。当然、共に暮らしているうちに想定外のさまざまな問題が生じやすくなります。基本的知識が不足していれば、しつけに関しても古い常識や定説にとらわれて、誤ったやり方をずっと続けてしまうことも多くなります。

しつけがうまくできないとなると、犬のわがままをやりたい放題にさせたり、小型愛玩犬などは一家のアイドルのような扱いで溺愛されたり、また逆に、主従関係をはっきりさせるために犬を脅したり、強圧的に飼い主に従わせようとする人も出てきます。

ペットブームの波は、そうした「よく知らないまま犬を飼い始める人たち」を大量に生んだ時期でもあったのです。

従来の「犬の常識」には頼らない

若い方はピンとこないかもしれませんが、昭和40年代頃までのちょっと昔の日本では、現在のように犬を“家族の一員”という扱いで飼う例はまれでした。

玄関先に鎖でつないで番犬にしたり、たまに子どもの遊び相手をさせて、あとは放っておくという程度の待遇が多く、一部の愛玩犬を除いて室内で飼い主家族と一緒に暮らすというケースは珍しかったのです。

僕自身も小さい頃、家では犬を飼っていましたが、いま考えるとその扱いはとてもほめられるものではありませんでした。散歩に連れ出すのもたまに気が向いたときだけで、犬が病気になっても、親は動物病院に連れて行こうともせず、「それが寿命だから」という感じでした。町中では、首輪をした犬が放し飼いでウロついていることもよくありました。

ペットの犬と室内で一緒に暮らすのが普通になってきたのは、ここ30年くらいのことなのです。つまりは、犬を暮らしのパートナーとして受け入れ「共に暮らす」という歴史が、日本ではまだまだ浅いということです。

生活様式の違いもありますが、欧米では「犬と共にある暮らし」が代々受け継がれていく文化もあり、犬の習性を理解し、犬種ごとの特性を知った上で飼い犬を選ぶことが普通です。そのため、それぞれの犬種が作り出された本来の目的である作業能力を活かした飼育がされていたり、その能力を発揮させるためのドッグスポーツなども盛んに行われています。

一方、現在の日本のように「かわいいから」「人気があるから」といった理由で、習性・特性をよく知らずに犬を飼い始めると、あとになって「こんなに吠えるとは思わなかった」「家中の家具をかじられて困っている」「毎日の散歩だけでヘトヘトになる」などと嘆くことが起こりがちです。

そうした飼い主さんたちが、困ったときに頼ってしまうのが、飼い方やしつけの古い常識や定説なのです。

書店に行けば「犬の飼い方・しつけ方」をテーマにした本がたくさん並んでいます。インターネットで検索すれば、それらの実用書とほぼ同等の情報が大量に、しかも無料で手に入ります。ところが、それらの本やネット情報の多くは、いまでは否定された古い常識や誤った定説をそのまま載せていることが多いのが実情です。

たとえば、「飼い主は、自分が主人でありボスであることを犬に認めさせなければいけない」と書かれ、犬に指示を守らせ、服従させるためのさまざまなノウハウが紹介されていたりします。

そこでは、叱りつけや大声での命令、ときには体罰に近いことまで有効だと書いてあったりします。「引っ張りっこ」の遊びでも、最後には必ず飼い主が勝って、優位性や支配関係を示すことをすすめている例もあります。

しかし、現在では、「犬は人に対して上下関係を求めていない」し、「飼い主は自分の優位性を押し付けてはいけない」ということが常識になっています。

飼い主はボスや専制君主である必要はないし、犬もそれを求めていません。なにより、人と暮らす犬にとって、それはけっして幸せなことではなく、まったく犬にウケない(犬が喜ばない)飼い方なのです。

科学的研究で「犬の定説」はひっくり返った

いま世の中に出回っている「犬はこう飼いましょう、このようにしつけましょう」という情報の多くは、残念ながら“昭和の日本”的な「犬の常識・しつけの常識」で、いまでは時代遅れなのです。

じつは犬という動物の科学的研究は意外なほど遅れていて、ようやく2000年以降に本格化し、ここ十数年の間に飛躍的に進んでいます。その結果、動物行動学や認知科学の見地から得られた実証データによって、いままで常識・定説とされていたことの何割かが「誤解」だったということが明らかになっています。

犬は自分を取り巻く世界をどのようにとらえているのか。どんなふうに人や周りを見て、どんなふうに考えて行動しているのか――。

その「認知」という分野での研究は、近年になってさまざまな研究成果が共有されるようになりました。以前は犬の行動時の脳の反応などを科学的に調べることが難しく、「認知」という分野はほぼ未知の領域だったのです。

僕が大学院で論文を書こうとしていた2006年頃でも、犬の認知・生態・行動特性といった分野の科学的研究はごくわずかで、現場での事例はたくさんあっても研究データがないため、実証するのが困難だったケースが多々ありました。

つまり、それまで「犬とはこういう動物だ」「犬はこういうときこんな行動をする」といわれてきたことの多くは、じつはエビデンス(科学的裏付け・根拠)の乏しい仮説や通説、それぞれの経験や主観というものばかりだったのです。

近年ようやく、MRIなどの最新検査機器の活用や、ホルモンや遺伝子の研究などにより、日本では麻布大学などが中心となって「犬の認知」の解明が進められるようになりました。

犬は人に「上下関係」を求めていない

そうした犬の研究の成果として、じつは大きな誤解だったことが判明した例の一つに、先述した「犬が人に対し上下関係を求める」ということがあります。

これはほとんど人間側の思い込みで、犬は自分より強く威厳のある人に従うわけではなく、人に懐き、人に親しむのは、飼い主との間に絶対的安心感を抱くからで、「人と犬の関係は母子関係に似ている」という言い方が最も近いのです。

力で制圧すれば犬は忠実になる、というまちがった固定観念ができた背景には、犬はもともと群れの生活をする動物で、「犬の社会は、ボス的存在をトップにした階級・序列社会である」という長い間の思い込みがありました。

モデルとなったのは犬の祖先とされるオオカミの社会です。群れのボス的存在が支配関係を作り、ピラミッド型の階層ができて、序列が下位のものは服従する。そうして群れは統率がとれ、多くの個体が飢えずに生きていくことができる――。オオカミがそうであるなら、その子孫の犬も同じはずだという考え方が、ずっと定着していました。

犬の群れに関しての実証データがあるわけではないのに、ずっとそう思われてきたのです。群れの序列関係に従って生きるという特性があるなら、人間と暮らすようになってからは、飼い主やその家族に序列をつけてそれに従うと考えられてきたわけです。

ところが、よくよく調べてみると、オオカミや野犬の群れの社会でも絶対的な権限を持つボスというのは存在せず、群れの中での明確な序列というものはないらしい、ということがわかってきました。

現在では、「犬は人に対して上下関係を求めていない」というのは動物行動学の世界においてほぼ常識です。飼い主というのは、犬にとって上位にいるボスや主人ではなく、自分を擁護してくれる母親的存在で、「人と犬の関係は母子関係に似ている」という考え方が定着してきています。

母子関係に近いということは、人と犬の間に強い信頼関係があるということです。

犬にとって飼い主である人間は、食事や快適な寝床を用意し、排泄の世話や、遊び相手までしてくれる信頼すべき擁護者であり、母親も同然なのです。であれば、人が上位に立って、“序列関係で下位の犬に服従させる”という接し方には、当然疑問が生じてくるはずです。

そう理解すると、しつけの考え方も、昔風のやり方からは変わってくるのが当然だと

思います。

「母と子の関係」から犬のしつけを考える

昔は、「飼い主は犬になめられてはだめ」「常に人が優位であることを犬に理解させるのが大事」などといわれていました。

そうした考えがベースにあると、しつけにも当然、人の優位性を誇示するようなやり方が入ってきます。飼い主が上位で、犬は下位とするなら、それを維持するために人は常に力を誇示しなければならなくなります。

すると、言うことをきかなければ大声で叱りつけたり、ケージに閉じ込めたり、ひどい場合には、体を叩くなど体罰でしつけることも容認しかねなくなります。

そうした時代遅れのしつけ法しか知らず、実行している飼い主さんたちはまだまだたくさんいます。しかし、そうしたやり方ではうまくいかないことのほうが多いのです。

僕の教室に相談にやってくる飼い主さんたちにも、古いしつけ法を続けてきて、どうにもうまくいかず困っているとか、「飼い方の本」の通りにやっても、うちの犬には通用しない、と悩んでいた方が多数います。

しつけがうまくいかないと、人も犬もついイライラしたり不機嫌になってしまい、せっかく犬と暮らしているのに、平和で楽しい時間が持てなくなってしまいます。

「飼い主と犬は母子関係に近い」ということをベースに考えれば、たとえば母親が1歳くらいの幼児をしつけるとき、どう接するのが望ましいかを考えてみると、おのずと愛犬への接し方も変わってくるはずです。

母子関係というのは絶対的な安心感によって築かれます。母親は生きていくために必要な存在で、子は保護してくれる相手を本能的に求めています。

そんな子どもを叱りつけて恫喝したりすれば、不安や不信感をつのらせるだけです。

母と子の関係をイメージすれば、犬のしつけをするとき、次のような姿勢が大事であ

ることは納得できるのではないでしょうか。

・叱るより、ほめてしつけることを基本にする

・無理なことや、いやがることはさせない

・不安や恐怖、痛みを与えることをしない

・お互いに楽しみながらできるしつけの方法を考える

犬が飼い主であるあなたとの生活を楽しみ、喜んでくれる飼い方、つまり“犬にウケる飼い方”とは、これらを基本として考えることから始まるのです。

プロフィール

鹿野正顕スタディ・ドッグ・スクール代表

1977年、千葉県生まれ。スタディ・ドッグ・スクール代表。学術博士(人と犬の関係学)。獣医大学の名門・麻布大学入学後、主に犬の問題行動やトレーニング方法を研究。「人と犬の関係学」の分野で日本初の博士号を取得する。卒業後、人と動物のより良い共生を目指す専門家、ドッグトレーナーの育成を目指し、株式会社Animal Life Solutionsを設立。犬の飼い主教育を目的とした、しつけ方教室「スタディ・ドッグ・スクール」の企画・運営を行いながら、みずからもドッグトレーナーとして指導に携わっている。2009年には世界的なドッグトレーナーの資格であるCPDT-KAを取得。日本ペットドッグトレーナーズ協会理事長、動物介在教育療法学会理事も務める。プロのドッグトレーナーが教えを乞う「犬の行動学のスペシャリスト」として、テレビ出演や書籍・雑誌の監修など、メディアでも活躍中。

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