2023.07.13

日本には何ができ、何ができないのか?――『自衛隊海外派遣』(ちくま新書)

加藤博章国際関係論、国際政治史、東アジアの外交・安全保障政策

自衛隊海外派遣

著者:加藤博章
出版社:ちくま新書

自衛隊海外派遣とは?

自衛隊海外派遣と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。

自分の話で申し訳ないが、私が研究者となったきっかけは、カンボジアだった。1991年5月4日、カンボジアに文民警察官として派遣されていた高田晴行警部補(殉職後2階級特進で警視)が現地でゲリラに殺害された。事件のニュースを見ていた8歳の私は「どうして、この人は外国で死んだんだろう」と素朴な疑問を抱いた。そこから国際問題に興味を持つようになり、研究者となったという訳である。

「自衛隊海外派遣の研究をしています。」と言うと、様々な反応が返ってくる。一番多いのは「PKOの研究ですね」というものだ。恐らく、自衛隊海外派遣=国連平和維持活動(PKO)と考える人が多いのだろう。「PKOの研究ですね」といわれた場合、こちらは待ってましたとばかりに、「いえ、PKO以外も研究しています」と返している。

自衛隊海外派遣は、PKOだけではない。湾岸戦争後の掃海艇派遣、同時多発テロ後のインド洋派遣、ソマリア沖の海賊対処、在外邦人保護のための輸送機派遣、大規模災害後の救出活動と多岐に渡っている。

自衛隊海外派遣について、日本政府は、武力行使の目的を持たないで部隊を他国に派遣することとしている。これは、1980年10月7日に、日本社会党の稲葉誠一衆議院議員が出した「自衛隊の海外派兵・日米安保条約等の問題に関する質問主意書」に対する答弁書をもとにしている。戦後日本では、自衛隊、自衛権について、国会で議論が展開されてきた。その過程で、日本政府は解釈を精緻化していく。国会の議論を踏まえて出されるのが質問主意書への答弁である。

しかし、2023年現在、この定義をあてはめるのが難しい。2023年現在、自衛隊が部隊として派遣されているのは、ソマリア沖の海賊対処活動のみだ。部隊派遣以外の任務が増えており、国際連合南スーダン派遣団(UNMISS)には、司令部要員が派遣され、エジプトのシナイ半島におけるエジプト軍とイスラエル軍の停戦監視を任務とする多国籍軍監視軍(MFO)にも司令部要員が派遣されている。加えて、能力構築支援として、インド太平洋地域の軍隊等に対して、自衛官が派遣され、それらの国と協力して、その国の軍隊の能力向上に手を貸している。

自衛隊はどうして派遣されたのか?

1991年4月のペルシャ湾掃海艇派遣以来、自衛隊海外派遣は拡大している。それでは、どうしてここまで自衛隊海外派遣は行われなかったのだろうか。

アジア・太平洋戦争終結後、日本は非武装化された。日本国憲法第9条においては、交戦権を否認し、戦力の不保持を謳っている。しかし、冷戦が激化するにつれ、日本の再軍備が必要とされるようになった。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本に駐留していたアメリカ軍が朝鮮半島に出動し、日本に戦力の空白が生まれた。そこを埋めるために警察予備隊が組織された。警察予備隊はその後、保安隊、自衛隊へと改組されていく。

これに対して、野党などは、戦前と同様に自衛隊が海外に派兵されるのではないかという懸念を示していた。こうして決議されたのが「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」である。しかし、この決議は海外派兵を禁止したもので、武力行使目的以外の派遣を禁止した訳ではなかった。

沖縄返還、日中国交正常化と、日本の戦後処理が実現する中で、経済大国となった日本が国際秩序に貢献すべきという意見が出てきた。しかし、日本政府は、自衛隊派遣を議論すると憲法に触れざるを得ず、社会党などの野党の反発を受けて、政治問題化することを恐れた。

こうした中で議論されたのが、自衛隊以外の派遣である。1987年に創設された国際緊急援助隊には、警察や消防、そして海上保安庁といった自衛隊以外の人々を派遣した。冷戦が終焉に向かう中で、PKOのミッションが増えていった。これに対して、日本は選挙監視団などに文民を派遣していった。

この動きがそのまま続くかと思われたが、それを断ち切ったのが、湾岸戦争だった。日本政府は、資金援助や物資支援を行い、自衛隊以外の人的貢献策として、国連平和協力法による平和協力隊創設を模索した。しかし、国連平和協力法案には、自衛隊以外の人々を戦争に送り出すことが妥当なのかという根本的な疑問を突き付けられた。結局、自衛隊を参加させるとしたが、公明党の反対もあり、廃案となった。資金援助や物資支援は、多国籍軍協力に対する世論や野党の反発を恐れ、公には宣伝できなかった。こうして、何もしない日本というイメージが膨らんでいく。

これに対して、アメリカの議会やメディア、そして日本でも批判の声が上がった。アメリカは、日米経済摩擦の影響もあり、日本に対する視線が厳しかった。また、国内では、経済大国として、汗を流すべきとする意見が台頭しつつあった。

こうした中で浮上したのが掃海艇派遣案だった。1987年に中曾根政権下で戦時でなければ憲法上許容されると認められていた。こうして、湾岸戦争終結後の1991年4月26日に自衛隊はペルシャ湾へと派遣されたのである。

自衛隊海外派遣の拡大

ペルシャ湾掃海艇派遣は無事に終了した。自衛隊海外派遣が実現したことで、それまで自衛隊派遣が検討されながら実現しなかったPKOや国際緊急援助活動などに自衛隊派遣が拡大していく。だが、当時はねじれ国会であることに変わりはなく、野党の協力が不可欠だった。これを反映したのが、PKO5原則だった。①紛争当事者間の停戦合意、②紛争当事者の日本参加の同意、③平和維持部隊が中立であること、④上記の原則のいずれかが満たされない場合、日本隊は撤収することができる、⑤武器使用は、要員の生命等の防護のため、必要最小限に限る、この原則は公明党の意見が反映されている。この原則はその後もPKOの指針として用いられている。

自衛隊の海外派遣拡大には、国際情勢の変化が影響していた。冷戦終結後、地域紛争が頻発しており、PKOミッションも増加していた。武力行使を伴わなくても派遣できるものもあり、自衛隊はこうしたミッションに参加した。2001年の同時多発テロ以降、自衛隊派遣は対米協力の名の下でインド洋での給油活動、イラク派遣を行っていく。

自衛隊派遣は、冷戦終結後の秩序の変容を反映していた。湾岸戦争直後、国連の役割は大きくなると見られていた。ガリ国連事務総長が「平和への課題」を提案し、冷戦終結後の新秩序に国連が関与すると期待されていた。日本でも小沢一郎を中心に国連を中心とした新世界秩序の一翼を担うべきする人々もいた。

しかし、ソマリアやボスニアで国連PKOの限界が明らかになり、国連を中心とした秩序に対する期待は薄れていった。2001年の同時多発テロに始まるアメリカの単独行動主義はこれに止めを刺した。一方、90年代以降、北朝鮮の核・ミサイル問題、中国の台頭と、日本周辺の安全保障環境が激変していた。こうした中で、日本も国連ではなく、米国を中心とする秩序への協力へと舵を切っていった。

こうした流れの中で、日本ができることを模索しながら、自衛隊の活動は拡大していく。しかし、米中対立が激しくなる中で、徐々に部隊派遣は縮小していった。先ほど紹介したように、2023年現在、自衛隊の部隊派遣はソマリア沖海賊対処のみとなっている。一方、司令部要員派遣は続けられ、能力構築支援が重視されるようになった。これは、日本が重視する法の支配を各国に定着させるためであり、日本の掲げるFOIP(開かれたインド太平洋)を実現するための手段の一つでもある。もちろん、能力構築支援に即効性はない。しかし、各国の法の支配への理解を深め、海洋安全保障に関する能力を養うことは、対中国を見据え、重要な活動となっている。

これからどうなっていくのか

冷戦終結後、自衛隊の任務は拡大し、認知度も高まった。その間、自衛隊海外派遣は拡大を続けてきたが、先ほど紹介したように、部隊派遣は縮小し、能力構築支援など新たな分野に注力している。

自衛隊は海外の活動を拡大してきたが、これは実績の積み重ねでもあった。実績を積み重ねることで、足りないものを足している。防衛関係の法制度は、「~~してはいけない」というネガティブリストではなく、「~~はしても良い」というポジティブリストとなっている。日本政府は、自衛隊を統制する為に憲法解釈の変更や法改正、新法制定によって、徐々に変えてきた。これは、自衛隊を統制するには都合が良いが、現実を反映するには時間がかかるという欠点がある。2015年の平和安全法制でも、その流れは変わっていない。

部隊派遣は縮小したが、これは、現状の日本の外交・安全保障政策を反映しているものでもある。2023年現在、日本が重視しているのは中国、そして北朝鮮への対応であろう。自衛隊は日本海や南西諸島における警戒業務など、増大する任務に忙殺されている。その一方で、2023年5月のスーダンにおける在留邦人保護のための輸送機派遣のように、自衛隊を必要とする任務もある。自衛隊の活動を全くなしとするわけにもいかないであろう。

こうした中で、自衛隊海外派遣を問い直す必要があるのではないだろうか。これまでの自衛隊海外派遣では、「憲法上」何ができるかは考慮されたが、日本の「実力」として何ができるか、日本は何をすべきなのかは二の次となっていた。

反対する人々は、憲法問題を口にするが、日本として何ができるかは口にしなかった。一方、推進する人々も実績の積み上げ、法制度の不備に言及したが、任務の必要性は議論しなかった。汗をかくことの重要性という抽象論に逃げ込み、その成果は何だったのかは検証されないままだ。

自衛隊海外派遣の開始から30年が過ぎ、日本は何をしたいのか、何ができて、何ができないのかを考慮し、責任ある国として、自衛隊海外派遣を考える必要があるのではないだろうか。

プロフィール

加藤博章国際関係論、国際政治史、東アジアの外交・安全保障政策

1983年生まれ。関西学院大学国際学部兼任講師
名古屋大学大学院環境学研究科社会環境学専攻環境法政論講座博士後期課程単位取得満期退学後修了、博士(法学)。防衛大学校総合安全保障研究科特別研究員、国立公文書館アジア歴史資料センター調査員、日本学術振興会特別研究員(DC2)、ロンドン大学キングスカレッジ戦争研究学部客員研究員、東京福祉大学国際交流センター特任講師を経て、現職。専門は国際政治史、東アジアの外交・安全保障政策。特に日本の国際貢献と援助政策、日本外交史。現在は、インドシナ難民問題と日本外交、日本の国際貢献と経済協力の連関性、国連における国際緊急援助に関心を持っている。

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