都市に住むことの本当の価値とは?――「東京一極集中の弊害」論の誤り

今、世界中で都市への人口一極集中が起きている。日本においても東京中心部の移動が活発化する中、政府は地方移住の促進など人口拡散を目指す政策を進めている。しかし、そもそも都市への人口集中は何が問題なのか。どこに住むかの重要性がかつてなく高まっている現代において、都市に住むことの本当のメリットとは何なのか? その真相に迫った本『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』(朝日新書)の著者、速水健朗氏にお話を伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)

 

 

東京で今、何が起きているのか

 

――今日は『東京どこに住む? 住所格差と人生格差』の著者である速水健朗さんにお話を伺います。この本のテーマについて教えてください。

 

いまの日本の人口政策は、東京への人口一極集中を食い止めて、地方の都市に人口を分散させようという方向で進んでいます。でも、都市中心部への一極集中という現象は、世界的に起こっていることなので、政策でそれが止まるみたいなことは、ナンセンスなことなんです。

 

こうした「人口拡散」の議論を引っ張っているのは、日本創成会議だったり、その座長でもある増田寬也氏の編著でベストセラー書『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減』でもある。

 

この中に対談相手として登場する経済学者の藻谷浩介氏が提唱する「里山資本主義」も、アンチ都市集中を標榜するコンセプトです。これらは、裏には「嫌経済成長」であったり、「反資本主義」といった真っ当な政策議論以前の、経済原理を無視した非科学的な感情が混在しているとしか思えない部分があります。

 

日本創成会議のそもそもの趣旨は、東京の代わりに地方の中規模都市に人口を集中させろというものでした。しかし、それを受けて進んでいる「地方創生」という政策は、単に分散、ばらまきにしか見えないものになっている。

 

基本的に、僕の本はこれらの反都市派への反論です。ちなみに、経済学者のエドワード・グレイザーが書いた『都市は人類最高の発明品である』を始め、同じく経済学者のエンリコ・モレッティによる『年収は「住むところ」で決まる』、リチャード・フロリダの『クリエイティブ都市論』などは、どれも優れた都市論ですが、その議論の中心は「都市集積」の価値についてで、むしろ都市間格差なんかが議論されています。その中で、人口を都市部に集中させるなという日本の流れは、やはりナンセンスとしか思えない。

 

僕の本でもこれらの都市論は参照しているんですけど、具体的に扱っているのは、いまの東京の都心回帰がどのようなものなのかということです。例えば、「都市部への一極集中は戦前から起こっていることと何が違うの?」って人もいると思うんですけど、実はまったく違うんです。

 

かつての東京一極集中は、東京の周辺部への拡大を伴うもので、むしろ中心部は空洞化して、夜間人口が都心ほど低いという性質のものでしたけど、いまは東京中心部3区(千代田、中央、港)という最も中心部の人口が増えているんです。なぜこうした変化が起こっているのか? それに挑んでみたというのが本書です。

 

タイトルからは誤解されることも多いですけど、都市集中なのか分散(反都市)なのか。いまの日本を2分するであろう政治的なイデオロギーについて考えてみようという本なんです。

 

さらにその議論の行き着く先として、なぜ世界的に人は都市に住むようになっているのかについても解明する必要があります。都市に住むことは、高い家賃を払うということに留まらず、人混みの中で暮らすこと、騒々しい生活を享受することなどを意味します。にもかかわらず、人はそれを選んでいるから都市に人口が集中する。

 

つまり都市には、一見不合理に見える「負の経済外部性」が山ほどあるのに、なぜ人はそれを享受するのかという問題です。この辺は、都市を考える上での本質的な問題です。

 

 

速水氏

速水氏

 

中心部への集中は自然な流れ

 

――東京中心部への人口集中が始まったのはいつごろなのですか?

 

2000年代以降です。というのも、当時、国土計画上の重要な方向転換があったのです。でもそれって、あまり知られていないんだと思います。

 

具体的には、資源の地方への分散を進めるための政策であった工場制限法などが撤廃されました。その前後で、タワーマンションが作られるきっかけでもある容積率に関する規制緩和も1990年代末に行われています。これらの転換によって都市中心部への人口移動が始まります。

 

 

――都心回帰をする人々はどのような層なのでしょうか。

 

典型は高齢者層です。彼らはかつて郊外のマイホームに憧れを持った世代。当時は、「郊外の団地に住む=中流階層=憧れ」という刷り込みがありました。ちなみに、「夢のマイホーム」という物語は、戦後の家族を考える重要なキーワードでした。

 

建築デベロッパー的にも、中間層が増えるという意味では国策としても、これらの物語は、誰にとっても幸せなものでした。郊外のマイホームは、同時に長距離通勤を仕方がないものとして受け入れるものでもあったので、犠牲者はお父さんであったとも言えますけど。

 

都心回帰の中心層は、まさにその郊外に憧れたかつての団塊世代です。その層の一部、ある程度裕福な層が、クルマ中心の郊外型生活を抜け出して、都心の利便性の高い暮らしを求めるようになっている。タワーマンションに越してきて暮らす中にも、引退夫婦みたいな人たちは実は多い。

 

逆にいま、郊外生活に利便性を感じるのは、クルマで移動して、低価格の量販店やファミリーレストラン的な外食産業を利用する小さい子どもがいるファミリー層でしょうけど、こうした郊外でのライフスタイルというのは、高齢者が満足を得られるものではありません。

 

実際、僕の義理の両親なんかは、郊外のニュータウンの一軒家を手放して、都心に回帰した典型ですけど、義母は大学のシニア向け講座や美術展に足を運んだり、都心ならではの文化的な生活に満足しています。義父は、クルマを手放したせいでゴルフに行くのが億劫になったりしていましたが、近所のゴルフ教室で一から手ほどきを受けたりして、最近は新しい生活を楽しめるようになっているみたいです。

 

ではなぜ「夢のマイホーム」という人々の物語が終わったかというと、単純には都心部の住宅供給が増えたからです。バブル期には、それを行わなかったら土地が投機対象になって地価が急騰してバブルが生まれた。

 

経済原理のなすがままに任せると、人口は都市の中心に集まっていくのです。それを無理やり規制で押さえつけることで、これまで郊外化が進んでいたわけです。2000年代以降は、その轍を踏んで都心部の住宅供給が行われるようになった。その結果、自然な流れとして都心に住むことができるようになったんです。

 

あと、1、2時間もかけて通勤することのデメリットに人々は気づき始めている。これは取材を通じて感じたことでもあります。現に若い世代は、郊外に憧れることもないので、自由に都心に近いところに住もうとします。「夢のマイホーム」という憧れを持つ人たちもいなくはありません。40代以降のわりと裕福な層に限られますけど。【次ページにつづく】

 

 

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