「夜」の世界に光を照らせ

「幸せ」ってなんだろう

 

―― アンケートをしていく上で気をつけたことなどはありますか。

 

調査をして行く上で気がついたのは、こちらの質問意図と、受け手側の認識が必ずしも重なっていないということです。本書の中では「お金で買えないものこそ大事だ」という質問項目があります。この質問は社会調査の定番項目で、内閣府が行っている「国民生活選好度調査」の中でも聞かれています。

 

ぼくら質問者の側は、この質問を「経済的な豊かさよりも、それ以外のものを優先しますか」という意味で聞いていると思います。しかし、この質問に「YES」と答えている女子学生も「NO」と答えている女子学生も結婚相手に望む年収の平均は変わらないんです(笑)。有意ではありませんが「経済的な豊かさよりも、それ以外のものを優先する」人の方が、結婚相手の年収を気にしているといっても良いくらい(笑)。

 

つまり、質問された側は「お金では地位や名誉や若さは買えない」のように「お金で買える以上のものが欲しい」と思っているわけで、この質問に「YES」と答えたからといって経済的豊かさを否定しているわけではないんです。出題者の意図しているものとは違う回答が返ってきてしまったんですね。

 

また、質問の形式を変えることで違った数値が出てくることも注意しなければいけません。例えば、2011年の調査では、

 

 

・現在、あなたは幸せですか?

とても幸せ/まあ幸せ/どちらともいえない/まあ不幸/とても不幸

 

 

という形式にし、2012年度の調査では

 

 

・現在、あなたは幸せですか? 「とても不幸」を0点、「とても幸せ」を5点として採点してください

 

 

と、選択肢の設定を変化させたところ、2011年の調査で「とても幸せ」と答えた人が9.6%にすぎないのに対し、2012年度の調査では「とても幸せ(5点)」と答えた人が20.0%でした。このように、「幸福度」というものは、アンケートの形式に容易に左右されることわかります。

 

アンケート形式でこれだけ違うことから類推すると、現在「幸福度」に関し様々な研究や国際比較が行われていますが、そこに関わる言語の問題を見過ごしてはいけないと感じています。

 

 

―― 「言語の問題」ですか?

 

一時期、ブータンが「幸せの国」として話題になりましたよね。2005年に行った国勢調査で、「あなたは幸せですか」という質問に、国民の97%が「幸せ」と答えたと。

 

しかし、2010年にはその割合が40%も落ちてしまいました。これについて「文明化されてしまったから国民が幸せでなくなった」と嘆く人達がいますが、単に聞き方が違ったのではと予想することが出来ます。実際に2005年の調査では、「Very Happy」「Happy」「Not Very Happy」の3つが選択肢でしたが、2010年の調査では5段階評価で選ぶというものに変化し、「幸福度」は減ってしまったわけです。

 

また、ぼくは「幸福度」を国際比較することの意義もあまり感じていません。「あなたは幸せですか」という質問では、おそらく「幸せ」という言葉をどう日常用語の中で使用しているのかが分かるだけだと考えています。

 

言語が違うのですから、「幸せ」と「Happy」では、言葉の守備範囲が違います。その意味では、社会におけるその言葉の用法を確定するための方法としてアンケートは極めて有効だと思います。幸福度のクロスセクションを比較して、どのような要因がこの社会における「幸せ」の定義にふさわしいのかがわかります。

 

しかし、北欧での幸福度が高いからといって、北欧のような社会システムにしたら日本人が「幸せ」になれるのか、というと必ずしもそうではない。各国の「幸せ」にどの項目の寄与度が高いのかは分かりますが、それが他の国に必ずしも適応されるわけではないということです。

 

ですから、人びとの気持ちを計る方法として、アンケート調査することには大きな注意が必要だと思います。ただ単に言語の意味を聞いているだけなんじゃないか、と自覚的であるべきです。社会調査系アンケートの手法はもっと言語学的であるべきなのでは、とぼくは考えています。

 

 

―― その国にとって「幸せ」という言葉が意味するものと、それに対し寄与度が高いものは何か、ということ以上は分からないということですね。

 

話は少し脇道にそれますが、多くの問題は「言語の問題」であると言い変えることが出来るとぼくは思うんですよ。その言語の問題をクリアにしていくと、残る問題というのは解決可能か、改善可能な形に置き換えることが出来るか、人為的には改善不可能である――といったように分類できるようになると思うんです。

 

経済学で「労働価値説」が主流だった時代は、「価値の原泉」について長時間議論をしてきたんです。しかし、限界革命以降の主流派経済学では「主観価値」という考え方が出て来ました。人びとの価値は主観的なものであるとし、これ以上その問題について悩まなくていいようになった。問題を限定できたことで先に進めたわけです。

 

一方、「価値の源泉」について悩み抜いていった経済学の学派もあります。価値とは何かについて、それこそ膨大な数の研究が蓄積された。一方、主流派経済学はその労力を具体的な問題解決あててきた。すると実社会での有用度や応用可能性について、主流派とそれ以外では当然大きな差がついてしまいました。解決不可能であったり、それ以上掘れない場所を見極めるために言語的な意味を固定する必要があると思うんです。

 

統計を用いた調査では、数字に落とし込む必要があるので、その概念について定義をつくり、当てはめる必要があります。「本当の幸せは何か」という議論はひとまずおいといて、日本社会の考えている平均的「幸せ」を調査することで、それを叩き台にして様々な議論ができるようになるとぼくは感じています。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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